「妊娠9週目で、筋腫だけを摘出して、胎児も子宮も救われました」
レポートNo.1

藤沢敦子(34歳)
●結婚1カ月前の宣告
95年の春に会社の健康診断で初めて婦人科も受けてみようという気になったのは、1カ月後に結婚を控えていたからなんです。実は、その健診というのも、社内で実施した日には仕事の都合で受けられなくて、あとから社外の医療機関で受診することになってしまったんですが、この時、社外で受けていなければ子宮筋腫の発見はもっと遅れてしまったと思います。社内の健診のメニューには婦人科はありませんでしたから。

「これは大変。結婚が決まっているのなら、一日も早く産んだほうがいいわ」と健診の女医さんに言われても、「えーっ、子宮診腫?」という感じで、何を言われているのかわかりませんでした。私自身、子宮筋腫についての知識は何もなかったし、子宮筋腫を疑うような自覚症状もなかったですから。

筋腫がかなり大きいから子宮を全摘することになると思う、大学病院でよく診てもらうといい、とその女医さんに慶応大学病院を紹介されましたが、この時は、結婚するというのに子宮全摘だなんてどうしようと、ただただ恐かったです。結婚式が間近に迫っていたこともあり、実際に慶応病院に行ったのは6月に入ってからです。結婚後は仕事もしていたのでバタバタと忙しく過ぎていきましたが、いつも頭の片隅に「全摘」という言葉が張り付いていました。


●思いがけない妊娠
慶応病院では一日がかりの割りには簡単な検査だけをして、また2週間後に来なさい、と言う。予約した日に行くと、若い医師が検査結果を見ながら、いきなり「困ったなあ、流産しますよ」と言うんです。なんと妊娠していたんです。7週目ということでした。

「流産する」と言われたうえに、「このままでは母体が危険なので子宮全摘を急ぐ」と告げられて、なんだか無性に腹が立ちました。言葉づかいや説明がちっとも患者の身になっていないんです。

妊娠がわかって、全摘なんてとんでもない、絶対イヤだ!と思いました。本屋に行っては、筋腫があっても無事に出産したケースを探して医学書を読んだり、「初めての妊娠・出産」という本を拾い読みしたりしていましたが、そこでふと斎藤先生の『子宮をのこしたい 10人の選択』が目についたんです。

もう夢中になって一晩で読みました。そして、翌日には先生に電話をして、すぐにでも診ていただきたい、とお願いしました。不思議と不安感はありませんでした。この時に先生の本に出会っていなかったら、今、娘とともに暮らす幸せはなかったと思います。


●子宮が残るのなら…
初めて訪れた広尾メディカルクリニックは、病院とは思えないような優しい雰囲気に包まれていました。普通の住宅を大きくしたような、まさにアットホームな感じなんです。先生も看護婦さんもにこにこしていて、なんだか初めてお会いするような気がしなかったのを覚えています。

早速、超音波エコーで診ていただくと「赤ちゃんは生きているのかどうか確認できないけど、万が一赤ちゃんはダメでも子宮は救える。大丈夫、子宮は残してあげる」とおっしゃるんです。胎児の心臓の動きがエコーに出なかったようなのです。

帰って主人にこのことを話し、残念だけど子供は諦めて、とにかく子宮を救っていただこう、ということになりました。子宮が残れば先に希望をつなぐことができるわけですから。そして、翌日すぐに「子供は諦めます。手術をお願いします」と先生に電話をしました。もう一刻も早く、手術していただきたいという思いでいっぱいでした。

手術前の検査ではCTスキャンなどレントゲンをたくさん撮りましたから、これで子供はいよいよダメだな、とすっかり覚悟を決めました。子供は諦めると決めたものの、この時までは心のどこかで「もしかしたら…」というかすかな望みを捨てきれずにいたんだと思います。


●生きてる、生きてる
手術の当日、手術前にもう1度超音波エコーで診察していた先生が「赤ちゃん、生きているかもしれない。前よりたしかに大きくなっている」とおっしゃるんです。「えーっ!」と驚く私に、「うん、動いてる、動いてる。助けられるかもしれない」と重ねておっしゃるんです。付き添って来た主人にもこのことが伝えられて、急きょ「まず赤ちゃんを助けましょう」ということになりました。この子はどうしても産まれてきたい子なのだ、とその時ベッドの上で強く思いました。」

手術は3時間くらいで終わりました。摘出された筋腫は870グラム。「大丈夫、筋腫も完全に取れたよ」と先生はいつもと変わらぬ笑顔で教えてくださいましたが、胎児を守りながらこれほどの筋腫を取り除くのはどんなに大変なことだったかと、ありがたくて心の中で手を合わせました。この思いは主人も両親も同じだったと思います。

ひとつだけ辛かったのは、手術後に「赤ちゃんに影響するといけないから、痛み止めは極力我慢して」と言われたこと。もう痛くて痛くて、2、3日は痛みとの戦いでしたが、それでも先生は「我慢できるよね」とにこにこしておっしゃるんです。

痛みが和らいだ4日目に、手術後初めてエコーを撮りました。その時の感動は今も鮮明です。「生きてる、生きてる。よかった、よかった」と先生がひときわ明るい声をあげたのです。ああ、よかった、本当によかった、と心の底から涙がこみ上げてきて、止まりませんでした。


●月満ちて出産
一度は諦めた子供も、大学病院で全摘と宣告された子宮も、先生の手で救っていただきました。手術後の経過はきわめて順調で、予定日の1週間前に帝王切開で出産。2700グラムの女の子でした。出産まで毎月、先生の手でエコーに映して子供の様子を見せてもらっていましたから、なんだか初めて見るというより「こんにちわ」という感じで、妙になつかしい気持ちでした。産まれてきたかったこの子が、先生の手で生命をつないでいただいたことに、感謝してもしきれない思いです。大事に育てていかなければと思っています。

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