「子宮内膜症の痛みから解放されて、生理も順調。ヨットを楽しんでいます」
レポートNo.2

玉城薫(32歳)
●初潮とともに痛みが始まった
振り返ってみれば、子宮内膜症による痛みとの付き合いは、初潮以来かれこれ20年に及びます。小学校5年生で初潮を迎えて、6年生の時にはもう下腹にかなりの痛みがありました。もっとも子宮内膜症(腺筋症)と診断されたのは25歳の時ですから、少女の頃の生理痛が子宮内膜症によるものかどうかはわかりませんが、高校生の頃には私の生理痛のひどさはクラスでも有名でした。

生理が始まると顔は真っ青、下腹部が重苦しく痛み、吐き気もありました。受け持ちの先生が見かねて「家に帰って休みなさい」と早退させてくれるほどでした。保健の先生には「若いうちから生理痛の薬を飲むのはよくない」と言われていましたので、とにかく生理が終わるまでじっと我慢、我慢の繰り返し。毎月こんなふうで、本当にゆううつでした。

それでも23歳の頃までは、1日くらい休めばなんとか生理を切り抜けることができました。学生時代から付き合っていた主人と結婚することになって、一度婦人科で診てもらったことがあるんですが、その時は別に病名を告げられることもなく「早く結婚して、早く子供をつくりなさい。妊娠すれば軽くなるだろうから、薬には頼らないほうがいい」と言われました。


●生理になると寝込む
25歳で子宮内膜症と診断された時は、その前日に生理でもないのに下腹の左側にただならぬ痛みを覚えて、救急車で病院に行ったんです。とりあえず当直の医師が診てくれて、婦人科で受診するように勧められました。次の日に行った婦人科で初めて子宮内膜症(腺筋症)という病名を聞かされ、生理の時の激しい下腹痛がその代表的な症状であることを知りました。

その時の医師は「いずれ我慢ができなくなって、手術することになるだろう」と言いましたが、手術が子宮全摘を意味することはわかっていました。

年を追って痛みと月経量がひどくなるのがこの病気の特徴で、事実、27歳の頃には、生理になると痛くて痛くて起きあがることもできないほどで、ナプキンを取り替えにトイレに立つことさえ容易ではありませんでした。とても出勤して仕事をするどころではなく、生理になると必ず休みをもらっていましたから、職場では私の病気を知らない人はいませんでした。


●薬で治したい
28歳、29歳の2年間ほどは、なんとか薬で治せないものかと、杉並の杉山四郎先生の医院に通いました。後で知ったことですが、斎藤先生は若き修行時代に杉山先生のもとでたくさんの子宮手術を手がけていらしたんですね。杉山先生にお世話になった4年後に、今度は斎藤先生の手で子宮を救っていただくことになろうとは…。不思議なご縁を感じます。

杉山先生のところでは、「ボンゾール」と「スプレキュア」を使ったホルモン療法を試みました。半年薬を使って、半年様子を見る、という治療を2回繰り返したわけですが、その間に薬の副作用で7キロも体重が増えてしまった。これはまったく予想外のことでした。

杉山先生は「まあ、気長にやりましょうよ」と励ましてくれましたが、痛みのほうはさほど改善されず、「ボルタレン」という痛み止めの薬を定期的にもらっていました。この頃には市販の痛み止めの薬はまったく効かなくなっていて、そればかりか市販薬を飲むとゲーゲーと猛烈な吐き気が襲ってきて、苦しくてたまらずに救急車のお世話になったことが年に2、3回はありました。


●絶え間ない痛みの日々
30歳になる頃には、痛みはいよいよひどくなって、生理の時だけでなく絶えず痛みを感じるようになって、夜中に起き出して痛み止めを飲むこともしょっちゅうでした。体調が悪い日は寝ているしかなくて、これではフルタイムで働くのは無理と、正社員から週3日勤務のアルバイトに切り替えたのもこの頃です。

たとえ大事な仕事の予定があっても、生理と重なってしまうと休まざるを得ない。そういう状態では仕事を続けることもむずかしいのでしょうが、幸い主人の友人が経営する会社に勤務していましたので、周囲の人がわかってくれて、この点は恵まれていたと思います。

痛みを我慢し続けたあげくに子宮全摘手術ではたまらない、何か外科手術以外の手だてはないものかと、順天堂大学病院で精密検査を受けたのは昨年の12月末のことです。MRIも撮りました。結婚以来、一度も妊娠したことがないので、主人はその可能性についても聞きたかったようです。結果は、「こんな重症の腺筋症患者で、妊娠した例はいまだに一例もない」というもので、私には自分の症状の重さがわかっていますから驚きはなかったのですが、主人はかなりショック??潮???だったようです。「もう無理」とダメ押しされたようなものですから。


●内膜症でも子宮は残るんだ
今にして思えば、この頃が精神的にも最も辛い時期でした。13年間可愛がってきた猫に死なれた寂しさもあって、欝々とした最悪の精神状態で1月、2月を過ごしていました。いっそガンであったなら、命と引き換えに躊躇なく子宮全摘手術を受けるのだけれど…、この先、どこまで我慢できるのだろう…、そんな思いが頭の中をぐるぐる回っていました。

家の近くの図書館で斎藤先生の『子宮をのこしたい 10人の選択』を手にしたのは、ちょうどその頃で、目次に「子宮内膜症(腺筋症)」の文字を見つけて一気に読みました。子宮筋腫について書かれた本はそれまでも見てきましたが、内膜症にもふれた本は初めてでした。

子宮内膜症でも保存手術ができるんだ。驚きと期待が入り交じった思いで胸が熱くなり、この手術を受けようと決断するまでさほど時間はかかりませんでした。3月半ばに手術の予約を入れたその晩に義父が危篤となり、結局、最初の予約はキャンセル。その後、義父の死、お葬式と忙しく過ぎて、手術は5月27日に受けました。

手術前の最後の生理は義父のお葬式と重なってしまい、寝込むわけにもいかず、これは本当に辛かった。真っ青な顔をして、ようやく座っているのを見かねて、叔父が「大丈夫か」と声をかけてくれたくらいです。


●術後1カ月でヨットに
手術は局部麻酔で、3時間くらいかかったでしょうか。子宮内膜にできていた多発性ポリープ1グラム、病変部分245グラムを摘出しました。手術中に、手術室まで来るように呼ばれた主人は、何か不測の事態が起きたのではないかと、ものすごく驚いたのだそうです。これはいつも先生がなさることで、妻の子宮や卵巣を見せてくれるというものなんです。

MrsTamaki先生の手で病巣はきれいに摘出され、子宮の機能は残りました。しかも、再発のおそれはないでしょうという。手術後、あんなに悩まされていた下腹の痛みは嘘のようにとれて、生理もきちんとやってきました。ちょっと下腹部が重苦しい感じがして、試しに市販の痛み止めを飲んだところ、ケロリと治ってしまったのにはびっくりしましたね。

そうそう、術後1カ月しないうちにヨットに乗ってました。ヨットは私たち夫婦の共通の趣味。子供がいなくてもヨットがあるからいいね、と話していたほどのヨット好きなんですが、7月末にはレースに出るための回航で、生理中なのにヨットで2日間の航海をしました。これは劇的な変化です。

それから、もうひとつハッピーな変化は夫婦生活がもどってきたこと。手術前の2年あまりは、ふだんでも痛くて痛くて、主人には悪いなと思いながらもセックスが苦痛で、自然と遠ざかっていたのですが、手術で長い間の痛みから解放されて、今は私も主人も幸せです。

玉城さんから直接色々お話をお聞きしたいかたは、次のアドレスでtamachan@ocean.or.jp連絡がとれます。

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