「子宮保存手術から出産まで、お世話になりっぱなしでした」
レポートNo.3

橋本薫(36歳)
●結婚9年目の妊娠、そして流産予告
しばらく体調の悪い日が続いて、生理も遅れていたので「もしかしたら…」と近所の総合病院に行ったのは、33歳の4月1日でした。25歳で結婚してから一度も妊娠したことがなかったので、「妊娠しています」と聞かされてビックリしたのですが、それ以上に驚いたのは「大きな筋腫がありますよ。まあ今の段階では流産の可能性もあるし、エコーで見ても胎児の影も見えないくらいだから、うまく育つかどうかはわかりませんよ」と告げられたことです。医師が指さすエコーの画像には、大きな筋腫のかたまりと、筋腫に押しつぶされそうな小さなふくろが微かに映っていました。まだ心臓の鼓動も見えないこの小さなふくろが、私に宿った初めての生命でした。

この時の医師の診察は「どうせ流産するのだから…」といわんばかりに、内診も痛かったし、お腹を押すしぐさも手荒でした。医師は、妊娠の継続はとても無理、と決めてかかっていたのかもしれません。「なんとか筋腫を取り除いて、胎児を救う方法はないでしょうか」という私の質問には「無理ですよ」と言うばかりでした。


●斎藤先生との出会い
エコーで映し出された小さなふくろが、その日以来、私の頭から離れなくなってしまいました。それまでさほど子供を欲しいと思ったこともなかった私が、どうしてもこの子を産みたい、この子を流産するわけにはいかない、と強く強く思ったことは、自分でも意外でした。きっと、流産すると決めてかかっている医師への反発もあったのだと思います。

どうしても小さな生命が諦められなくて、勤務先の上司に相談を持ちかけました。上司は長らく科学部の記者として取材をしてきた経験から、医学関係に広いネットワークを持っていたからです。

上司に紹介されたのが斎藤先生でした。初診は4月5日。この時の診察では、エコーの画像に鼓動がはっきりと見えました。ああ、生きている、悪条件の中で精いっぱい大きくなろうとしている、そう思ったら、なにがなんでもこの生命を生かしたくて、斎藤先生に手術してもらうことを即決しました。


●エコーの診断だけで手術
「赤ちゃんは助けられるかもしれません」。斎藤先生は手術の前にそうおっしゃいましたが、腸や胃をせり上げるほどに大きくなっている筋腫を取り除いて胎児を守る手術が、どれほど難しく危険性を伴うものであるかは想像に難くありません。私の後にも妊娠初期に筋腫を摘出して胎児を助けるというケースは続いていますが、この難しい手術の第1号が私でした。

とにかくお腹の中の子供のことが気がかりで、少しでも安全であるようにとMRIの撮影も固辞し、先生にはエコーの結果だけをたよりに手術をしていただくことになりました。初めてのケースであるうえに、十分なデータが揃わないままの手術で、先生はさぞご苦労されたことと思います。

手術は4月18日。摘出された筋腫は600グラムでした。先生の手術では、筋腫の摘出だけなら横に7、8センチ、最小限の長さを切開するのがふつうですが、私の場合は帝王切開で出産することを考慮して縦にメスが入りました。手術には、私を斎藤先生に引き合わせてくれた上司も立ち会いましたが、病状や手術法の説明も含めて、すべてをオープンにするのが先生のやりかたです。


●10日目に見た元気な鼓動
「赤ちゃんは助かったよ」。手術後にそう聞かされて一安心したものの、やはりエコーで鼓動を確認するまでは正直なところ心配でした。手術後はどの患者も多少出血するのですが、その出血が術後の経過によるものなのか、流産の兆候を示すものなのか、内心ハラハラして過ごしたことを思い出します。

辛かったのは、術後、身動きがとれなかったこと。胎児の安定をはかるために絶対安静で、両腕には化膿止めと流産防止の点滴の針が入り、寝返りを打つこともできません。腰が痛くて痛くて、我慢できずに看護婦さんに訴えたところ、すぐに包帯で円座を作って腰の下に当てがってくれました。患者が願うことをできる限り叶えようとするこの親身さは、斎藤先生、看護婦さん、事務の方みなさんに共通するものだと感じました。

手術して10日目、エコーの画像に胎児がはっきりと映りました。筋腫に押しつぶされそうにしていたのが、子宮の真ん中で伸びやかに鼓動を打っている様子を目の当たりにして、心底「よかった!」と思いました。この思いは先生も同じだったかもしれません。何回も何回も「よかったね」とおっしゃいました。看護婦さんも代わる代わるエコーを見に来てくれて、クリニック中のみなさんが祝福してくださいました。


●思いがけない陣痛
「しばらくは安静に」という注意を受けて退院して、いくらも経たないうちに突然の出血。また先生の元にUターンすることになりました。それから2カ月あまり、胎児の成長をエコーで確認していただきながら、広尾メディカルクリニック始まって以来の長期入院の身となりました。ほかの患者さんはたいてい月曜日に手術して土曜日には元気になって退院していきますから、私は入院中に何人もの患者さんを見送りました。この間に感じたことは、先生や看護婦さんがどの患者にも分け隔てなく親身でやさしいということです。

勤務先には出産まで休むことを了解してもらい、夏の暑い盛りを自宅で過ごしました。そして、9月の半ば、いつものように定期検診で先生に診ていただいた帰り道、車の中でお腹が痛くなってきたのです。痛みは一定の間隔で強くなっていき、どうにも我慢ができなくなりました。運転していた主人に車をとめてもらい、急いで先生に電話してもらいました。

先生とすぐに連絡がとれたのは本当にラッキーでした。「今すぐに行くから、動かずに待っているように」とおっしゃって駆けつけてくれたのですが、途中で何度も主人の携帯電話に様子をたずねる電話を入れ、あと何分ぐらいで到着するかの連絡を入れてくださいました。私や主人が不安に陥らないように気遣ってくださったのだと思います。


●早産、そして、わが家の王様に
予定日より2カ月も早い出産となりました。急遽、先生の所で陣痛を抑える処置をしていただきましたが、その間にも先生は未熟児を受け入れてもらえる病院をさがして、あちこちに連絡してくださっていたのです。先生の母校、東邦大学で受け入れてもらえることになり、先生の車で東邦大学へ急行。帝王切開で無事に出産することができました。

出産後に聞いた話では、子供はすでに産道に下りかかっていて、帝王切開したものの安全に取り出すのが大変だったとか。いろいろな困難を一つ一つクリアしながらここまで育った胎児なのだから、と先生は出産時も胎児の安全を第一に考えて、東邦大の先生にあれこれと指示されたと後からうかがいました。

子供は1カ月保育器に入り、その後半月を新生児室で過ごし、何の心配もなく退院することができました。結婚9年目にして新しい家族を迎えることになったわが家は、以来、小さな王様に振り回されています。

思えば、4月の子宮保存手術から9月の出産まで、本当に斎藤先生にはお世話になりっぱなしでした。医師と患者という一般的な関係を超えた親身なケアを受けて、私も主人も言い尽くせない感謝と信頼を先生に寄せています。先生に出会うことがなければ現在の幸せを手に入れることはできませんでしたし、何でも相談することのできる生涯の医師に出会えたことは、わが家の財産だと思っています。


●不整脈が消えた
授乳中もずっとなかった生理が再び始まったのは、出産後7、8カ月ほどしてからでしたが、「生理ってこんなにも楽なものだったのか」と驚きました。それまでは生理痛がひどく、月経量も多かったのですが、子宮筋腫を疑うこともなく「こんなものなのだろう」と半ば諦めていたのです。

妊娠がわかる1、2年前からは生理の時はもちろん、生理でない時にも身体がだるく、不整脈に悩まされていました。数百メートル歩くと不整脈が出て、しばらく立ち止まっては脈が鎮まるのを待つ、という繰り返しでした。ところが、子宮保存手術を受けてからは、この不整脈がピタリと止まってしまったのです。

私が気づかぬところで、筋腫が日々肥大し、腸や膀胱は言うまでもなく、心臓や肺など多くの臓器に負担をかけていたことを知りました。今は不整脈が消えて、快適な日を過ごしています。

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