「インターネットで広尾を知り、間一髪、子宮全摘を免れました」
レポートNo.4 

大山真理子(44歳)
●全摘宣告に落ち込む
昨年の10月16日のことです。会社から帰ってきた主人が「こんな病院があるそうだよ」と言って、広尾のホームページをプリントしたものを渡してくれました。会社のインターネットで検索していたら、偶然、広尾のことが目に止まったのだそうです。

実はこの数日前、私は通院中の婦人科で全摘手術を告げられて、相当落ち込んでいました。この病院には2月から10月まで9カ月近く通ってホルモン治療を受けていたのですが、まさか全摘手術になろうとは思ってもいませんでしたから、「そろそろ手術したほうが…」と切り出されても、すぐには医師の言葉を理解できず、「手術って、どういう手術ですか」と聞き返してしまうほどでした。

「全摘手術です。そのほうが先々安心ですよ」と重ねて言われて、もう頭の中は真っ白。ホルモン治療で子宮筋腫は改善されるものと信じていましたから、いったいこれまでの治療は何のための治療だったの?!、と涙があふれてきました。頭の中がよほど混乱していたんでしょう、「手術って、お腹を切るんでしょうか」なんて質問までしてしまって、医師から気の毒そうに「ええ、切ることになりますね」とダメ押しをされてしまいました。

そんないきさつがあって、家でも暗い顔をしてため息ばかりついていましたから、主人も気がかりだったのでしょうか。仕事の合間に、インターネットで子宮関連の情報を検索してくれたのだと思います。主人は「偶然見つけた」と言っていますが。


●手術が待ち遠しい
とにかく、斎藤先生に一度お話を聞いてこようと、初めてお訪ねしたのが10月22日。そして、1週間後に「お願いします」と電話を入れました。

この間、迷いがなかったかと言えば嘘で、今まで通院していた病院の医師もいい人でしたから、もう若くはないのだから全摘でも仕方ないかと思ったり、いや、やっぱり子宮は残しておきたいと思ったり…。母たちに相談すると、筋腫で子宮を取った人を身近に何人も知っているものですから、保存手術ってどんな手術なの?と、かえって危ぶむ声もあって、先生に電話で返事をするまでには気持ちが揺れ動きました。

最終的に斎藤先生に手術していただこうと決めたのは、「自分が後悔しない方を選びなさい。手術を受けるのは君自身なんだから」という主人の言葉があったからです。全摘手術後の後遺症で、ホルモンのバランスが崩れて更年期のような症状になったり、周辺の臓器に負担がかかるために体調が悪くなるという話を聞いていましたので、自分の健康を守るためには保存手術を受けるべきだ、と私なりに判断したのです。

婦人画報社の『子宮をのこしたいー10人の選択』を読んで、自分の選択は間違っていなかったと確信しました。そう思ったら、つい1週間前の泣きべそはどこへやら、すごく気持ちが明るくなって、手術が待ち遠しいような、入院が楽しみなような気分になりました。元来が楽天的なんです。

手術前の検査で広尾に行った時に、先生がその週に手術をした二人の患者さんに会わせてくださいました。手術して4日目の木曜日でしたが、お二人とも1階の病室から2階のリビングまで上がってこられて、とても元気そうにおしゃべりしていました。4日目でこんなに元気なら、退院後はすぐに普段の生活に戻れそうだと思い、手術後の生活に思いを馳せて、あれをしよう、あそこに出かけよう、と予定をあれこれと考えてルンルン気分でした。


●痛みを癒す先生の声
手術は11月25日。1時から始まって、終わったのが4時半でした。摘出された筋腫は720グラム。それと腺筋症の疑いのある部位を5グラム摘出しました。手術中の出血も少なく、もちろん輸血の必要もなく、筋腫は残らず取っていただきました。

手術直後にホルマリン液に浸かった摘出物を先生に見せられた時には、その生々しさに思わず目をそむけてしまったのですが、退院の時にいただいたファイルに綴じられている摘出物の写真を見たら、大小13個の筋腫がありました。こんなにたくさん、しかも石のように硬い筋腫が子宮いっぱいにあったのでは、とてもホルモン療法で治るわけがない、私の筋腫はホルモン療法で改善される段階をとっくに過ぎていたのだ、と納得してしまいました。

手術後辛かったのみです。レーザー治療とは言っても生身の身体にメスを入れることに変わりはないのですから、痛いのは当たり前なのですが、あまりにもルンルン気分で入院し、手術を簡単に考えていたぶん、痛さを余計に感じたのだと思います。

動くと痛いし、微熱もありましたので、少し歩く練習をして、後はベッドに寝てばかりいました。食事も木曜日まではお粥で、便秘しないようにと消化のよいメニューを出してくださるのですが、食欲がなく、残さずに食べたのは果物だけ。30代と40代ではやはり回復力が違うのかな、と思ったりしていました。

それでも”日薬”とはよく言ったもので、一日一日痛みは和らぎ、木曜日にはシャワーをつかってサッパリしました。そして、何よりも薬になったのは、時々病室に来られて「どう?大丈夫だね」と大きな声をかけてくださる先生の存在。笑顔でそう言われると、単純な私は「もう大丈夫」と暗示にかかってしまうのです。

入院中は看護婦さんがパジャマなどの洗濯もしてくださって、完全看護とは言え、ありがたかったです。


●退院後、無理しない
入院中に見舞いに来てくれた妹に、「考えていたより痛いわ」と訴えたら、「でも、痛いだけならいいじゃない。これが全摘手術だったら、痛みに悲しさとか後悔とかが混じって、もっともっと辛いはずよ」と言われて、全くその通りだと思いました。痛みの記憶は健康を取り戻せば忘れるものですが、子宮を失った喪失感や切なさはいつまでも癒されないでしょうから。

退院後は母が手伝いに来てくれましたので、最初の1、2週間はとにかく安静にしていて、3週目に車で郵便局や銀行に出かけましたが、それでも少し動き過ぎるとお腹が痛くなるという状態でした。母からは「お産と同じなのだから、後を大事にしなくてはいけない」と言われましたが、これは年齢を重ねた人の体験的な知恵だと思いました。回復のスピードには年齢差や個人差はあるでしょうが、早く元気になるためには、退院後2週間は無理をしてはいけないと痛感しています。

インターネットのおかげで全摘手術を免れただけでも好運でしたが、もし10年前に斎藤先生に出会っていたら…、と思うこの頃です。私の筋腫は20年くらい前から出来ていたものだろうと手術の後に先生から伺いましたが、結婚後子供に恵まれなかったのは筋腫があったことも原因の一つかも知れません。10年前に保存手術を受けていたら、あるいは…、とふと考えてしまいました。

夫婦二人の生活に何の不満もないのですが、保存手術後に出産したという例を聞いて、もしこれから先、妊娠することがあったらどうしよう、と正直なところ戸惑いを感じています。子供のことなどすっかり忘れて生活してきたのに、今ほんの微かな可能性に胸をときめかせています。


●術前・術後のMRI


術後9ヶ月目の9月4日にMRIを撮りました。

ほぼ正常な大きさに戻っています。

術前術後9ヶ月
術前MRI術後9ヶ月MRI

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