結婚式20日前の手術、絶対に治るんだと必死に祈りました
レポートNo.7

上田ひろみ(29歳)
●出血が止まらず救急病院へ
忘れもしません。結婚式を40日後に控えた昨年の10月5日、土曜日のことです。生理初日から数えて8日目だったのですが、出血が止まらなくなってしまいました。「どうしよう。とりあえず近所の婦人科に行ってみよう」と、二階の自室から出て、階段を降りたところでフラフラと倒れてしまったのです。意識はありました。びっくりして私に話しかける母の声や救急車をよぶ家族の声はたしかに聞こえてくるのですが、全身から血の気が引いていく感じで、何を聞かれても言葉にはなりませんでした。

救急病院に指定されている都内の総合病院に運び込まれた時、血圧は58ー35、血球中のヘモグロビン量は5.9で、極度の貧血状態でした。貧血が急激な失血によるものであることはすぐにわかり、婦人科で失血の原因を調べることになりました。

超音波診断による検査の結果は全く思いがけないものでした。「子宮に筋腫があり、いくつかは子宮内膜にできているため、今は止血できたとしても、いつまた出血するか予断を許さない。筋腫もかなり大きいので全摘するしかない」というのです。結婚式を控えて、子宮筋腫という診断すら驚きなのに、そのうえ「全摘」と告げられて、それはもう大変なショックでした。両親にとってもそのショックは相当なものだったと思います。


●「絶対に子宮を取られてはダメ」
救急病院ではすぐに輸血と止血の処理が取られました。輸血量は1日に400CCを4日間。輸血と止血の点滴で、とりあえず貧血の改善のためにしばらく入院することになりました。症状が落ち着いたところで全摘手術、というのが病院側の考えです。

点滴で腕がふさがれた状態でベッドに横たわる私のそばで、「絶対に子宮を取られてはダメ」と姉は言いました。4つ年上のこの姉は、実は4年前、クリニックがまだ広尾にあった頃、斎藤先生に助けていただいているのです。当時29歳だった姉は、子宮に赤ちゃんの頭ほどの大きさの筋腫が見つかって、やはり全摘を宣告されました。これから結婚も、出産もという姉には全摘など到底受け入れられるはずもなく、子宮を残してくれる医師を探してあちこちの本や雑誌を調べ、斎藤先生に行き着いたという経緯があります。姉の筋腫は250グラムほどのものでしたが、斎藤先生の手によって筋腫だけを取り除き、子宮の機能を完全に残していただきました。

姉の存在がどれほど心強いものであったか。姉のこの体験がなければ私の人生は全く違ったものになっていたでしょう。結婚式の直前に子宮全摘だなんて、あまりにもシリアスで、もし姉の体験がなければ結婚そのものを考え直していたかもしれません。


●結婚式にぎりぎりセーフの手術
姉を通して広尾を、斎藤先生を知っていたことが、すべてを幸いな方向に導いてくれました。姉はすぐに斎藤先生に電話をして、子宮保存手術をしていただきたいこと、そのためには入院中の病院からどのように退院すればよいかなどを相談してくれました。

斎藤先生は決断が早いのです。結婚式から逆算して手術日は10月28日、手術前のMRI検査は23日と決まりました。手術は毎週1回、月曜日だけですから、この日を外したら予定通り11月16日に結婚式を挙げることはまず無理。23日の検査、28日の手術というスケジュールは、結婚式にぎりぎりセーフの日程でした。

とにかく無事に検査の日を迎えたいという思いでいっぱいでした。もしそれまでにまた出血が始まれば、輸血と止血の繰り返しで検査どころではなくなります。病院のベッドで、お腹の上に手を当てて「斎藤先生のところにたどり着けば絶対に大丈夫だから、どうかそれまで出血しませんように」と祈りました。あんなに必死な思いで祈ったことはこれまでありませんでした。

入院中の病院には、「婚約者の親類に婦人科の医者がいるので、そちらで手術をする」と言って、貧血が改善したところで退院させてもらうようお願いしました。婚約者の親類に…という話は口実なのですが、斎藤先生に行き着くためには「嘘も方便」です。


●彼も広尾にアクセスしてくれた
姉が斎藤先生に連絡をとってくれたのとほぼ同時に、婚約者の彼もインターネット上の検索ページで「子宮」でアクセスして、広尾のホームページを見つけてくれました。姉から広尾の話を聞いた彼は「そういう先端的な医療をしている先生なら、きっとホームページを開いているに違いない」と思って検索したそうですが、予想通りホームページでいろいろな情報を得て、彼も広尾で手術することを強く勧めてくれました

救急病院にはちょうど2週間入院して、10月18日に退院。退院した日から28日の手術日までは斎藤先生に処方していただいたホルモン剤で生理を止めていました。手術日が次の生理の予定日に当たっていたからです。これまで私の生理は28日周期できちんきちんとやってきて、3、4日ずれることが1年に1回あるくらいで、ほとんど狂うことがありませんでした。

救急病院に運び込まれるまで自分の子宮に筋腫があるなんて考えてもみませんでしたが、それは自覚症状がほとんどなかったのと生理の周期が規則的だったためです。子宮筋腫とわかって、そういえば2年ほど前に生理痛がひどい時期があったなあと思い出したくらいの自覚症状で、生理痛もいつの間にか気にならなくなっていました。


●手術をして姉の痛みを知る
広尾の診察室に初めて入っていった時、斎藤先生に「お姉さんが入って来たかと思った。よく似ているね」と言われてしまいましたが、姉と私は顔かたちや感じがよく似ているんです。おまけに体質まで似てて、私も姉とほぼ同じ年齢で手術を受けることになりました。

手術への不安はありませんでした。それどころか無事に手術日を迎えて、早くよくなりたいという気持ちが日に日に大きくなっていきました。

手術は腰椎麻酔で行われるので意識はありますから、周りの状況はよくわかります。斎藤先生が助手の先生と話している声も聞こえてくるし、レーザーを使って筋腫を取り除く時のちょっと焦げたような臭いもしてきます。痛くはないのですがお腹が下に引っ張られるような感覚があって、「きっと、今、筋腫の大きいのを子宮から切り離しているんだな」と察することもできます。

手術中にちょっと肩のあたりが寒くなって、看護婦さんにそう言ったら、すぐにタオルを掛けてくれました。時々看護婦さんが「大丈夫ですか」と声をかけてくれたり、手を握っていてくれたりするのがとても心強かったです。

摘出された筋腫は全部で415グラム。それと内膜の中にできていたポリープが40グラム。ポリープは小さいのがたくさんありました。手術をしてみて、4年前に姉が体験した痛みが初めてわかりました。姉は頑張り屋さんで、退院した翌週から勤めに出ていましたので、その頃は「退院すれば、もうなんともないんだな」とのんきに姉を見ていましたが、いざ自分が手術を受けてみると、どうしてどうして退院後も痛みはあるのです。今更ながら、痛いのをじっと我慢して会社に行っていた姉を「偉いなあ」と思います。


●かけがえのない体験
退院後、挙式の日まではジャスト2週間。10月の初めに救急病院に入院してからというもの挙式の準備はストップしたままでしたから、それからが大忙しでした。披露宴を行うレストランの打ち合わせや席次決め、荷物の整理、もうやらなければいけないことが山のようにあって、とても寝ているどころではありません。身体を動かしたり、物を持ったりするとお腹に響いて、思わずお腹に手を当ててしまうという状態でしたが、それでもやらなければいけないことに背中を押されるようにして日を過ごすうちに、あっという間に挙式当日になってしまいました。

ありがたいことに、当日はその前日まであった痛みが消えて、本当に晴れやかな気持ちで新しい生活に踏み出すことができました。挙式までの40日あまりは緊急入院に始まり、筋腫の発見、手術と思いがけないことの連続で、両親や姉、そして彼には心配や迷惑をかけ、大変な思いをさせてしまったけれど、周りのみんなに助けられて結婚の日を迎えられたことに言い尽くせぬほど感謝しています。

結婚後の慌ただしい生活のなかで、術後初めての生理が、手術の日からちょうど28日目にやってきました。子宮内膜にまでメスを入れる手術をしながら28日目にはきちんと生理がくるのですから、女性の身体のメカニズムってなんと正確なのだろうと驚いてしまいます。そして、もうひとつ驚いたのは生理の軽さで、出血量が比較にならないほど少ないのです。

それまでは出血が気になって夜中に2度3度と起きていたのが、朝までぐっすり眠っていられるようになりました。いままでたいした苦労もなく生きてきた私には、結婚直前のこの体験が「健康に、地に足をつけてしっかり生きていくように」という神様の無言の教えであるように思えてなりません。あの日の突然の出血がもう少し遅かったら、おそらく予定通りに結婚式を迎えることはできなかったと思うと、この絶妙なタイミングで訪れた病気が、私に健康の大切さと周りの人たちの思いやりの深さを教えてくれました。かけがえのない体験だったと思います。

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