●普通に食べられる幸せ 「日薬」とはよく言ったもので、術後3週間が過ぎる頃からみるみる体力が回復してくるのがわかります。術後に悩まされた胃腸の不調もいつのまにか解消して、食卓にのぼる献立もいつも通りになりました。ビール、ワインなども解禁です。 退院の時に「鉄剤」を56日分いただいたのですが、服用したのは最初の3日だけ。3日坊主もいいとこですが、これには理由があって、鉄剤を飲むと便秘しがちになるからなのです。幸い手術をする前から貧血などの症状がなかったため、先生に「鉄剤を止めてもいいですか」と直談判して、首尾よく「普通に食事がとれるようになればいいですよ」との返事をいただきました。 「口から入る食物に勝る栄養はない」、これは入院中に何回となく聞いた先生の言葉です。「点滴で栄養剤を入れても、茶碗一杯のお粥にもかなわない」、術後に何も食べられなくなってしまった私がようやく少しずつお粥が食べられるようになったとき、先生はそう言って喜んでくださいました。 普通に食事ができるようになって、術後、会う人ごとに「ほっそりしたね」と言われた顔も身体もまた元に戻りつつありますが、普通に食べたり飲んだりできることがどんなに幸せであるか、身にしみました。 ●サインを見過ごさないで 術後1カ月は無理せずに過ごそうと思いながらも、元気になるともう家にじっとしていられないタチの私は、術後19日目には仕事(取材)で人に会い、25日目にはテニスコートに立ちました。自転車に乗って買い物に行くようになったのもこの頃です。まだ傷口には多少痛みが残っていて、下腹部をかばいながらではありましたが、「早過ぎるかなあ」と心配するほどのこともなく、あまり疲れは感じませんでした。筋腫がなくなった分、身体が軽くなり、動きやすくなったように思います。 大きな筋腫があっても取り立てて自覚症状がなかった私に、先生は「むしろ筋腫をとった後で、以前との違いを感じることが多いと思いますよ」とおっしゃいましたが、たしかに術後の変化は身体が軽くなったことばかりではありませんでした。 「そう言えば…」と思い当たることがいくつもありました。頻尿ぎみだったこと、クシャミをすると尿漏れしていたこと、胸がつかえるような感じで1度にたくさん食べられなかったこと、腹部に圧迫感があって仰向けに寝られなかったこと…、毎月の生理に異常がなかったために筋腫があるとは思いもせず見過ごしていたこれらの症状は、実はひとつひとつが子宮筋腫を知らせるサインだったのです。 この1年あまりお腹が出てきて、スカートのウエストがきつくなっていた、これもサインのひとつです。しかし、人間って自分に分の悪いことは合理化してしまうもので、お腹の出っぱりが気になりながら「これは中年太りのせい」と勝手に思い込んでいたのです。 ことに中年期になると、体調の変化を合理化する強力な理由づけができるようになります。「そろそろ更年期だから」という理由です。生理不順も「更年期だから」、腰痛も「更年期だから」、肥満も「更年期だから」。何でもかんでも「更年期のせい」にしてしまうのは簡単ですが、安直な自己診断の陰で病気が進行していたとしたら、これはとてもコワイことです。 ●術後35日目に始まった生理 術後には胃腸も膀胱もあるべき位置に定着して、のびのびと本来の機能を果たしてくれているのでしょう。頻尿も尿漏れも胸のつかえも見事に解消しました。手術から35日目には生理が始まりました。朝、少量の出血があり、「あれっ、生理かな」と予想しつつも、術後1カ月あまりできちんと巡ってくる生理の仕組みの確かさに驚きました。 あんなに大きな筋腫があって、子宮に2カ所もメスが入れられたのに、私の子宮は健在。生理のリズムも狂わない。「術後に生理がきて、みなさん安心されるようですよ」とおっしゃった先生の言葉を思い出して、何も失っていない自分を実感できるのも子宮保存手術のおかげだと思いました。これが子宮全摘手術であったなら、全く逆の喪失感にとらわれていたでしょう。 もともと生理痛などの症状はほとんどなかったので、残念ながら多くの患者さんが体験された「手術による生理の劇的な変化」を体感することはできなかったのですが、出血量はたしかに以前より少なくなったと感じました。 術後1カ月で体調は全快、仕事のエンジンも全開の私を見て、友人たちは「あれだけの手術を受けたのに、ずいぶん回復が早いね」と言います。回復を早めてくれた最大の要因は、斎藤先生の子宮保存手術が身体への負担を最小限に抑えた手術であるからです。全身麻酔でなく部分麻酔、切開部の長さはなるべく短く、レーザーメスを使うことによって術中の出血を抑える、これらのことが術後の早期離床、早期歩行を可能にし、結果的に全身の回復を早めているのです。 術後ほぼ1カ月あまりで生理がきたのも、「もう大丈夫」というサインなのだろうと受け止めています。 ●4人の看護婦さん 術後の回復を早めてくれたもう一つの要因に、先生と看護婦さんたちの親身のケアがあります。広尾には4人の看護婦さんがいます。鈴木さん、岩佐さん、内海さん、原さんです。手術当夜は患者1人に看護婦さんが1人付いて、マンツーマンでお世話してくださいます。つまり、月曜日は2人の看護婦さんが夜勤となるわけで、火曜日以降はローテーションで1人ずつ夜勤につきます。先生もクリニック内の居室に寝起きされているので、術後の管理は万全です。 ナースコールを押せばすぐに飛んで来てくれるのはもちろん、体調のチェックから食事の世話、部屋の清掃、パジャマや下着の洗濯と何から何までやってくださいます。木曜日にはシャワーが使えるようになりますが、シャワーの前には傷口を保護するために腹部をテーピングしてくれて、シャワーが終わるとすぐに傷口の消毒をしてくれます。使ったタオルや着替えたパジャマは洗濯して、たちどころに乾燥機でふわふわにして持って来てくださいます。 シャワーといえば、のんびりと時間をかけて全身を洗い、化粧台で髪を乾かしていたら、看護婦さんが「大丈夫ですか。気分悪くないですか」と様子を見に来てくださいました。いつまでも出てこないので、きっと心配してくれたのだと思います。トイレに入ったまま、なかなか出られずにいた時も、外から「大丈夫ですか」という声が聞こえてきました。 「広尾の看護婦さんたちは、みなさんやさしいですね」と斎藤先生に言ったことがあります。その時の先生の言葉は忘れられません。「患者さんが一番苦しい時に、ナースがやさしくなくてどうするの」。 ●個人病院のぜいたく 広尾の医療は、月曜日に2人の患者を手術して、土曜日に退院というサイクルでまわっています。2人の患者は1週間、斎藤先生の管理のもとで4人の看護婦さんから完全看護のケアを受けるわけです。月曜から土曜の間には外来の患者さんも来ますから、4人の看護婦さんが入院患者にかかりっきりというわけではないのですが、それにしても2人の入院患者に4人の看護婦さんというのは大病院では考えられないこと。個人のクリニックならではのぜいたくさです 看護婦の原さんは言います。「以前に大きな病院に勤務していた時には、夜勤で何十人もの患者さんを見なくてはならなくて、忙しさに追われて十分なケアができなかった。広尾では患者さんにマンツーマンで接することができるので、ノンビリ屋の私には働きがいのある病院です」。 広尾MCが東京の南青山にあった頃から勤務している鈴木さんは、「患者さんのことを記録してきた大学ノートが6冊になりました。1ページに1人ずつ書いてきたので、どれくらいの数になるでしょうか。もう何年も前の患者さんでも、ノートを見ると顔を思い出します」と話してくれました。それだけケアの密度が濃いということなのだと思います。 術後に胃腸障害が出て食べられずにいた私を心配して、内海さんは出勤するとすぐ、更衣室に行くより先に寄ってくれて、「今朝はどうですか。食べられるようになりましたか」と聞いてくださいました。 岩佐さんは1歳5カ月になる女の子のママ。「もう家に帰ると戦争みたい。家の中がドロボウに入られたみたいに散らかってます」と笑いながら、てきぱきと傷口を消毒してくれたり、薬を持ってきてくれたり。ワーキング・マザーはさっそうとしています。 本当にナースのみなさんにはお世話になりました。 ●術前・術後のMRI 術後3ヶ月半の9月4日にMRIを撮りました。術後のほぼ1/10の大きさになっているのがわかります。「術後1年すれば、ほぼ正常な大きさになるでしょう。」と斎藤先生。術前は膨大化した子宮に押されて隠れていた腸の様子もよくわかります。 術前術後3ヶ月半 このページのTOPへ戻る 目次へ戻る
術後のほぼ1/10の大きさになっているのがわかります。「術後1年すれば、ほぼ正常な大きさになるでしょう。」と斎藤先生。
術前は膨大化した子宮に押されて隠れていた腸の様子もよくわかります。