「子宮筋腫と腺筋症の合併症。子供も2人いる。でも、どうしても子宮を残したかった」
レポートNo.13 

大住恵子(45歳)
●怖くなるほどの出血
8月18日に手術を受けたばかりです。私は子宮筋腫と腺筋症の合併症でした。手術で筋腫291グラムと内膜ポリープ、それと腺筋症部分を摘出し、術後の経過は順調です。予定通り、23日の土曜日には退院して、今は家でのんびり体力の回復に努めています。

生理がひどくなったのは、40代に入ってからです。腺筋症の患者さんの多くは生理時の痛みを訴えられるようですが、私の場合は痛みはあまりなく、とにかく出血量の多さが問題でした。あの多さは月経血の範ちゅうをはるかに超えていたと思います。いったいどこからこんなに出血するのか怖いくらいでした。分厚いナイト用のナプキンを使っていても、30分もすると心配になってきます。それでトイレに行ってナプキンを取り替えると、ずっしりと重いナプキンから経血が滴り落ちそうなのです。

身体を動かすと、それに合わせるかのようにドーッと出血するので、生理中はとにかく安静にしていました。主人はパイロットという職業柄、搭乗機の都合で日中家にいることがあるのですが、その主人の目にも私の生理が尋常ではないと映っていたようです。


●どうしても全摘はしたくない
たぶん子宮筋腫だろうと思っていました。すでに40歳を過ぎ子供も2人いましたから、病院に行けば全摘を勧められるだろうという予測もありました。私は21歳で結婚しましたから、22歳で長男を、25歳で次男を出産しています。長男は社会人、次男は大学生になりました。

40代半ばになれば更年期世代。子宮を失うことへの抵抗がそれほどないのか、私のまわりで子宮筋腫の手術を受けた人は全員が全摘手術でした。子宮筋腫の手術イコール全摘手術、という認識が当事者である女性たちにしっかりインプットされているのです。

でも、私は子宮を取られたくなかった。全摘手術を受けた何人もの人に、「全摘してどうだった?」と聞いてみましたが、返ってくるのは「かえってさっぱりするわよ」とか「これから子供を産むわけでもなし、取ってしまっても別に何も変わらないわよ」という言葉ばかりです。

でも、本当にそうなのかなあ、という気持ちが絶えずありました。たしかに全摘すれば症状は解消されるだろう。でも、肉体的、精神的に何もダメージを受けないのだろうか。私はやっぱり取られたくない、ホルモンを分泌する女性にしかない臓器を取ってしまっていいわけがない、と頑なに思っていました。

そんな時にやはり全摘した友人から聞いた言葉は忘れられません。「全摘してから、夫婦生活ができなくなった」と言うのです。ちっともそんな気になれなくなったというのが理由のようでした。全摘して何も変わらないわけはないと思っていた私は、この友人の率直な告白に感謝しました。


●ホルモン療法で元気がなくなっていく
子宮を取らずに病気を治してくれる医者を探して、都内で個人病院を開いているS先生のもとに1年半通いました。この先生は切らずに子宮筋腫を治すということで定評のある先生でした。

切らずに治す治療はスプレキュアによるホルモン療法でした。半年間スプレキュアを使い、次の半年は使用を休み、その次の半年はまたスプレキュアを使うという治療を1年半受けてきて、ホルモン療法に疑問を感じ始めていました。半年間スプレキュアを使った後は、たしかに筋腫の大きさは3分の2ぐらいになるのですが、使用を止めて半年目にはまた元に戻ってしまうのです。経血の多さも少しも改善されません。

ホルモン療法の副作用も強く出ました。肌がカサカサとしてきて艶がなくなり、自分の身体の中でスプレキュアを受け入れて葛藤しているのがわかるのです。元気がなくなって、いつもはおしゃべりな私が誰とも話したくなくなってしまう。欝の状態になっているのが自分でもわかり、「ああ、いつもの自分でなくなってしまう」と思うと、とても怖かったです。

1年半たっても改善が見られない私に、なおもS先生はスプレキュアを使おうとしましたが、もうこれ以上スプレキュアは使いたくないと話して、ピルを使うことになりました。「閉経を迎えれば筋腫も小さくなるから、なんとかホルモン療法で閉経まで持ちこたえましょう」というのがS先生の方針でしたが、閉経を迎えるまでには少なくともまだ7、8年はある。それまで、とてもこのホルモン療法を続けることはできない、と思う一方で、かといって切らずに治す治療法は知らない。どうしたらいいだろう…、思案に暮れていました。


●40代後半の楽しい生活のために
広尾のことを知ったのはひょんなことからです。会員制のスポーツクラブに通っていたある日のこと、エアロビクスのレッスンを見ていた私に、「今日はやらないの?」の話しかけてくれた年輩の婦人がいて、私が「子宮筋腫があるから激しい運動は控えているの」と答えると、「子宮、取りたくないんでしょ」と言うのです。「ええ」と答えると、「それなら、いい病院があるわよ」と教えてくれたのが広尾だったのです。なんでもその方のお嬢さんが広尾で子宮保存手術を受けて、その後妊娠されたというのです。

この出会いに私は感謝しています。すぐに電話番号案内で広尾を調べて、電話をしました。S先生のところでピルを使い始めて2カ月たった頃でした。

斎藤先生に診ていただいたら「大丈夫。子宮は残せます」とのこと。主人にはよく考えて手術するかどうか決めるようにと言われて来たのですが、斎藤先生の説明を聞いたその場で手術を受けることを即決しました。

この決断は間違っていなかったと確信しています。子宮を取られることにずっとこだわってきて良かったと思いました。女性の40代後半は、子育てからも手が離れ、自分自身のことや主人との二人の生活に時間が使える良い時代です。その貴重な時代を、スプレキュアの副作用に苦しみながら過ごすのはとても残念だし、ましてや子宮全摘の後遺症とともに過ごすのはもったいないことです。

健康を取り戻して、主人と食事に出かけたり旅行したりという、これまで「お預け」だった生活ができるのがとても嬉しい。「手術にかかるお金のことは心配しなくてもいい」と、広尾で手術することに賛成してくれた主人に感謝しています。

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