「止血のために東邦に転院、そして再手術。改めて、東邦の皆様、斉藤先生に感謝!! 」…レポート・その3
レポートNo.17 

楠本浩子(37歳)
手紙・その3
楠本さん手術は5時間くらいかかったと聞きました。摘出された筋腫は3320グラム。偶然にも、それは私が生まれた時の体重とほぼ同じ重さでした。

手術後、病室に移されて、夜明けに恐る恐るおなかに手をあてた時の感動は忘れられません。その時のことを、ずっと後になって先生に宛てた手紙にこんなふうに書いています。この手紙も先生がとっておいてくださったものです。

--今、私はおかげ様でとっても元気です!唯一、おなかのキズが、かつて私が病人だったことの証です。ほんの1年ちょっと前まで、大きなおなかをかかえて苦しんでいたのがウソのようです。あれは、ずっとずっと遠い昔のできごとだったようにも思います。とてもありがたいことです!

先生に手術していただいて、ほんとうによかったと思っています。手術直後、夜明けに目が覚めて、恐る恐るおなかを手でさわってみた時、”おなかがぺしゃんこになっ ている!!”、あれは感動ものでした。(まさにあの時は、ししゃもの子をとったみたいに、肋骨から下がごっそりえぐられた感じでした!)こんなおなか、長いことさわったことがない。その時、やっと解放された!と実感しました。うれしかったです。私はもうそれで十分でした。あとはもうこわいものなど何もない。出血が止まらなく たって、あのムダな肉塊を先生がとってくださった…、それだけで。

でも、東邦で子宮を全摘するかもしれないと説明された時、もう1度手術を受ける恐さなどはなく、ただ子宮をとられる!というショックで頭がいっぱいでした。「そ れじゃあ、今までの私の苦労はなんだったの!」といった感じで、”死んでもいいから、子宮は残してヨ”と心の中で叫んでいました。でも、頬をつねっても、ひっぱたいても夢なんかではなく、これが現実でした。だけど、先生にすがってお願いした時、「大丈夫だよ」とおっしゃってくださった。その言葉に安心しました。”絶対、大丈 夫だ”って。--


●止血のために再手術
東邦で子宮を全摘するかもしれないと説明された時…、というのは、術後に出血が止まらず、手術の翌日の深夜に、先生の出身校である東邦大学医学部付属大森病院に転院し、そこで出血の原因を突き止めるための再手術をした時のことを指しています。 筋腫がとても大きかったために手術中の出血が多く、輸血を行いながらの手術でしたが、その出血が術後1日経ってもなかなか治まらなかったのです。

かなりの貧血状態だったらしく、自分では意識をしっかり持っていたつもりでいま したが、さすがに頭がボーッとして、考えがまとまらない状態でした。その日、東邦では大村先生のオペの手が空き次第、手術が行われることになりました。

私の周りで何もかもが流れるように事態は進んでいったのでした・・・。

大病院の手術室は 通路の両脇にいくつも手術室が並んでいて、まるで人間再生工場のようにあちらこちらで手術が行われていました。今度は全身麻酔だったので、手術台に移され、酸素吸入されているうちに意識はなくなってしまいました。

東邦の手術室には斎藤先生も入ってくださり、終始「大丈夫だよ」と声をかけてくださいました。付き添ってきた母が「どうか子宮を残してやってください」と言うのにも 「大丈夫です」と励ましてくださったそうです。一度閉じたおなかをもう一度開けての手術となりましたが、その結果、出血は腹膜にそった血管からのものであることがわかり、止血の処置後、子宮は残りました。先生への手紙には、その時のことを書いています。


●手紙・その4
--東邦で手術を受けた時、あの変な体験(手術中、一瞬、自分で自分を見ていたような気がした…。手術台の上の自分に管やら液やら流し込まれている自分が見えた)、臨死体験というのか、幽体離脱か、ただの想像か夢かわからないけれど、その中でなぜだか確かに”あ、子宮は残ってる!”と感じました。だから、手術後初めて母に「子宮は残してもらったよ」と聞いた時も、「わかってる…」という感じだったんです。

やっぱり女は子宮にこだわってしまいます。「死んでもいいから、子宮は残して」なんて、体は死んでなくなっているのに、ぽつ〜んと子宮だけ残っていたらおかしいですよね。

それからはもう入院生活は私にとって興味深いこと、楽しいことばっかりで、病院 ホテル暮らしをエンジョイしました!入院なんて絶対したくない、するはずがない、と思っていた私ですが、入院とはこ〜んなに楽しいものだったのか!手術を受けてみるのも後になってはいい思い出であり、人生において貴重な体験です。そして、先生、看護婦さん、ヘルパーさんたちの献身的な医療と看護には改めて深く深く感謝したい 気持ちでいっぱいです。

シャバの空気を十分に満喫しつくした今では、不謹慎にも、また入院してみたい! と思ったりもして。本当に本当にありがとうございました。--


●手紙・その5-東邦でお世話になった先生、看護婦さんへ
2度の手術から2年が経ちました。

私には今回の上京でぜひもう1度訪れてみたい場所がありました。それはお世話に なった大田区大森の東邦大学医学部付属大森病院です。当時の看護婦さんは少なくなっていましたが、それでも「あ、楠本さんでしょう!手術の時のキズはよくなりましたか」と私のことをよく覚えてくださっていて、とても感激しました。

東邦でお世話になった全ての方にお会いできなかったのが残念でしたが、しばらくの間、病院内を見学させていただきました。何もかもが懐かしいあの当時のままでした。

--皆様、お元気ですか。2年前、ごやっかいになりました”不良”入院患者こと岡山の楠本でございます。振り返ってみれば、大変だった時もありましたが、今は楽しい思い出でいっぱいです。先生や看護婦さんたちと雑談したこと。外出許可をもらって、たびたび東京見物させてもらったこと。入院仲間と病院内を探検したり、隣の病室へ行って夜遅くまでみんなでお寿司を食べながらおしゃべりしたこと。パジャマとスリッパで梅屋敷まで出かけていて、病院の入り口で看護婦さんに見つかったこと。今は懐かしい思い出です。

思い返せば、私が東邦へ運び込まれ、手術が決まった時ははっきり言って、もはや絶望的な気持ちでした。でも、先生方はあのまま”お花畑”を見に行ってしまいそうな私をひきとめてくださいました。本当にお医者さんてスゴイな!と思いました。

また、東邦の先生方、看護婦さんは優しい方ばかりで、とても居心地よく楽しく過ごさせていただきました。東邦での私にとって初めての入院生活は大変貴重な思い出となりました。

何よりも入院、手術の際に皆様にとってもお世話になったこと、私、一生忘れません。そして、緊急手術の際、連続の手術でご多忙にもかかわらず快く執刀してくださった大村先生。的確な判断でいつも優しく見守っていてくださった、同じ女性として尊敬すべき長谷川先生。見舞い客のほとんどいない私のためにたびたび外出許可を出してくださったり、いろいろと精神的な面で気遣ってくださった笑顔がトレードマークの渋井先生。本当にありがとうございました。

また、いつかおじゃまします。皆様もどうぞお元気で…。 --


●なんでもできる体になった
今回のMRIの術後検査では、斎藤先生が以前おっしゃった「術後にまたMRIに入れてあげるよ。今度はあなた眠ちゃうよ」の言葉通り、半分、夢心地でした。術前検査でのあの耐え難かった1時間が、ほんの20〜30分にしか感じられませんでしたから…。

撮り終えたMRIの画像を先生と一緒に見た時、本当に先生の力はスゴイと思いました。あの化け物のような筋腫をかかえた子宮が今はなんでもなかったような顔をして、おとなしくちょこんと定位置におさまっているのですから。先生の腕は神わざです。

今はもうなんでもできる体になりました。本当に幸せなことです。ややもすれば、あの頃のことを忘れて、いろんな欲も出てきたりもしますが、いつもあの頃を振り返って考えよう--、それが私の指針となりました。


●手紙・その6-敬愛なる斎藤先生へ
--この世に斎藤先生がいらしてくださったことに感謝します。私のような全摘すら困難だった手術を先生はやってのけてくださいました。
私が大きなおなかで先生の元へたどり着いた時、再手術の前の不安でたまらなかった時、苦しい時にはいつも先生の力強く頼もしい言葉がありました。

そして、先生の的確な判断により、私を東邦へ送っていただいたこと、とても感謝しています。深夜、東邦に移され、暗い病室へ1人ぽつんと入れられた直後は、正直言って、不安と寂しさで泣き出しそうでした。

しかし、後に6人部屋へ移ってからは、次から次へとたくさんの友達ができました。おかげで多くの人々と知り合えたこと、それは私の財産となりました。人生、何がどうなるかわかりませんね。

また、東邦に入院中、先生は何度も足を運んでくださいました。見舞い客のいない私にとっ て、先生や広尾の皆さんが私を見舞ってくださるのがとても嬉しかった…待ち通しかっ た…。本当にありがとうございました。

先生に関して私が不思議に思っていることに、先生は私たちが頭の中で思っていること、考えていることを全て読みとれるんじゃないかということです。だから、私が言葉で言い尽くせない先生へのたくさんの感謝の気持ちは、先生ならわかっていただけますよね!!

でも、術後のMRIを撮り終えた日、これで広尾とも、そして先生ともお別れなのかと逆に悲しくなってしまいました。だけどこれからも時々、先生に会いに行ってもいいですか? 先生はみんなの先生だけれども、私にとっては私だけの先生です。

先生に出会えてよかった。これからも時々、お便りしますね。

先生、そして広尾の皆様、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 どうかお体を大切に…。いつも、そしてこれからもずっと私たちをあたたかく迎えてくれる広尾メディカルクリニックに感謝!--


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