「痛くて辛かった腺筋症の日々が過去のことになった」
レポートNo.19 

金田 郁子(25歳)
●夢のまた夢だった留学
ハワイのショップにて つい先日、ハワイへ一人で1週間行ってきました。内性子宮内膜症(腺筋症)の痛みから解放されて3度目の海外旅行です。

ハワイが好きなんです。気候、風土が私に合っていて、いつかはハワイに永住したいと考えているくらいです。私が好んで行くのはホノルルの裏側の、いわゆる観光地ではない所で、そこまでオートバイを走らせて行きます。気に入った景色に出会えばオートバイを止めて眺め、こんな家に住んでみたいと思うような民家があれば庭先にオートバイを止めてひと休みし、といった気楽な一人旅です。格安のチケットを手にいれてハワイまで飛び、現地でも安いモーテルに泊まるチープシックな旅ですが、気分的には最高にぜいたくな旅だと思っています。

ハワイに住むためのステップとして、近い将来、アメリカに留学して語学を勉強しようと計画しています。そのためには、ある程度英語が話せなくてはならないので、会社が終わったあとに英会話の学校に通っています。ネイティブの先生を囲んで、ひとつのテーマについて自由に発言するという教室ですが、今は英会話の勉強がとても楽しい。少しずつでも英語がわかってくると、留学も夢ではないという気がしてきます。

留学を考えるなんて、広尾で手術を受けるまでは、夢のまた夢、空想の世界のことでしかありませんでした。でも、空想でもいい、夢物語でもいい、せめて留学の夢とつながっていたいという思いで貯めてきた留学資金が、手術費用になって健康を取り戻させてくれました。たしかに留学資金は無くなってしまったけれど、留学への夢は、もう空想の世界のことではなく、現実になろうとしています。そのことが、何よりも嬉しい。


●最後まで手術に反対だった両親
広尾で手術を受けたのは、今年の1月13日。新年になって初めてのオペ日でした。腺筋症と診断されていた私は、子宮の内膜に深く入り込んで増殖していた腺筋症の病変部分(70グラム)を、斎藤先生の手で摘出していただきました。

手術の後、傷口はたしかに痛みましたが、その痛みは長年苦しめられてきた痛みとは別なもので、うめくほど痛かった腺筋症の痛みは消えていました。「もう、前のような痛みはないよ」と見舞いにきた母に告げました。その時になって、ようやく母は広尾で手術を受けたことを納得してくれました。
実は、広尾で手術を受けることには、母も父も反対でした。広尾での手術の半年前に順天堂大学病院で手術を受けているのですが、「順天堂で治らなかったものが、個人病院でよくなるわけがない」というのが主な理由でした。

私が広尾を知ったのはインターネットを通してでしたが、両親にはインターネットで見つけたということを理解してもらうのも大変で、そのうえレーザーメスを使って病変部だけを取り除き、子宮を残すという手術法も両親の理解を超えているようでした。保険がきかない手術であるという点も不安材料のようで、なかなか信用してくれなかったのです。

インターネットで広尾に出会った時から、私の気持ちは決まっていました。斎藤先生に手術していただく以外に、この苦しみから解放される道はないと確信したのは、これまで読みあさったどの本にも「腺筋症は治らない」と書いてあったのに、ホームページには「腺筋症は手術で治る」とあったからです。

「治る」というなら賭けてみよう。そのために留学資金を使い果たすことも惜しいとは思いませんでしたが、両親は最後まで手術には反対で、手術の承諾書にサインしてくれようとはしませんでした。兄を説得して、承諾書にサインしてもらい、ようやく手術にこぎ着けたのです。


●順天堂病院での手術
広尾での手術の半年前に、順天堂で受けた手術は、お腹のうえから4カ所針を刺して、卵巣膿腫を治療するというものでした。順天堂での診断は腺筋症と卵巣膿腫とのことで、しきりに痛みを訴える私に「手術で痛みが軽減するかもしれない」と言って主治医がしたのが卵巣膿腫の手術だったのです。

順天堂を選んだのは、母が十数年まえに順天堂の浦安病院で子宮筋腫の全摘手術を受けていて、ほかに知っている病院もないし…という理由からなのですが、順天堂での診療は、ご他聞にもれず3時間待ちの3分間診療で、病気や治療についての十分な説明を受けたという印象はありません。

卵巣膿腫の手術後は、まったく予想に反して、痛みがもっとひどくなりました。「話が違うじゃないか」という医師への不信感がこみ上げてきて、それ以来、病院には行っていません。

生理の時は言うに及ばず、ひと月の半分は四六時中痛い状態で、職場であまりの痛さにしゃがみ込んだきり立ち上がれなくなったこともありました。みんなに見られている、立ち上がらなくては、と思ってもどうにもならず、顔面蒼白でその場を動くこともできませんでした。勤務中も痛さにばかり神経が行って、ちっとも仕事がはかどりません。痛くて痛くて食事をする気力もなく、せっかく母が作ってくれたお昼のお弁当を前に、どうやって家に持って帰ろうかとボンヤリ考えたりしていました。

夜になっても痛くて眠ることができず、思わずうめき声をあげていました。うめくたびに両親は心配して様子を見に来てくれましたが、それがあまりに頻繁なので両親には申し訳ないと思いながらも、また痛くてうめき声をあげてしまうのです。ウトウトしかけると痛さでまた目がさめるという繰り返しで、もう神経がどうにかなってしまいそうでした。


●理解してもらえない辛さ
この痛さはおそらく経験したことのない人にはわからないと思います。痛くて、辛くて、職場で一番仲のよい友人に病気のことを打ち明けたことがあるのですが、やっぱりわかってもらえなかった。その時は親身になって聞いてくれても、職場を離れれば友人には友人の生活があるわけで、四六時中痛さにさいなまれている私の苦しさを理解してほしいと思うこと自体、無理な要求だったと思います。

上司にも病気のことを包み隠さず話しました。男性に子宮の病気を話すのは恥ずかしい。でも、職場にも迷惑をかけているので、はっきりと話しておいたほうがよいと考えたのです。その時に、上司から返ってきた言葉はショックでした。悲しかった。「そんな病気になるのは、変なセックスをしているからじゃないの」と言うのです。ああ、やっぱりわかってもらえない。痛いのと悲しいのと悔しいのと、いろんな感情がごっちゃになって涙があふれてきました。

でも、健康を取り戻した今は、職場に感謝しています。第1に、職場にいなければ、インターネットで広尾を知ることができなかったからです。昨年、うちの会社にもインターネットが導入されるようになって、同僚に「どうやって操作するの」と教えてもらったついでに、試しに「子宮」と検索ページに入力したのが広尾との出会いです。

手術の時は3週間お休みをもらって、その間は私の仕事をアルバイトの人に代わってもらっていましたが、元気になって職場復帰した日に「待っていたよ」と上司が迎えてくれたのは本当に嬉しかった。痛くて辛い思いをしていたのを知っている同僚たちも「よかったね」と喜んでくれました。

それにしても、痛くないというのはなんて幸せなことでしょう。仕事にも打ち込めるし、英会話の勉強も頑張れる。しっかり働いて留学資金を貯めて、留学の夢に一歩ずつ近づいていきたいと思います。
術前のMRI術後のMRI-a術後のMRI-b
術前のMRI 術後のMRI-a術後のMRI-b


術 前(pre ope)術後3カ月(post ope)
赤血球(RBC)327404
ヘマトクリット(Ht)34.037.7
血色素(Hb)10.012.5
CA-1253930.3
備考摘出物:75gm
病 理:腺筋症(Adenomyosis)



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