「全摘手術の直前、夫の強い勧めで広尾へ」
レポートNo.20 

大谷みどり(37歳)
●夫が記した克明な症状
ここに、夫が記したメモがあります。日付は96年の5月15日。私に代わって、夫が私の兄と一緒に初めて広尾に行った際に、斎藤先生に症状を説明するために書いて持って行ったものです。その時、私は腺筋症で子宮の全摘手術を受けるために東邦大付属病院に入院していました。すでに手術日も決まり、術前検査が進行していましたが、入院中に広尾のことを知った夫が、子宮を失うことを諦めきれずに、斎藤先生のお話を聞きに会いに行ったのです。

メモには、
「現在の症状」として、「高温期…だるさを伴った腰痛、乳房痛」「生理中…出血多く、かなり痛む」「低温期…ひどい痛み」とあり、特に低温期のひどい痛みについて、

  • 楽なのは鎮痛剤が効いている間のみ
  • 仙骨、腰、恥骨、股間がキリで刺されたように痛い(主に左側)
  • 足(もも〜つま先)がしびれる
  • どこが痛いのか判らない程痛いときもある

と書いてあります。


●痛みにのたうちまわる
夫のメモにもあるように、その頃の私は耐えがたい痛みに四六時中襲われていました。思い起こせば、痛みが加速度的に強くなってきたのは、東邦に入院する半年前の95年の夏以降です。

肛門の奥をキリでギリギリと差し込まれるような痛さに、何度「ギャー」と声を上げたことか。内服の鎮痛剤ではとても効かず、1日に2度を限度に使うことを許されていた座薬の強い筋痛剤でなんとか痛みを抑えるという状態が毎日毎日続いていました。

とりわけ辛かったのは、排便に連動して痛みが増大することで、前日に食べた内容物が腸に下りてくる明け方頃から痛みが強くなり、朝の8時頃から夕方まで頻繁にトイレに通って、やっと少しずつ4〜5回に分けて出るという繰り返しでした。痛みに耐えながらトイレに座り、腰のまわりをドライヤーで15分くらい温めて、ようやく出るということもしょっちゅうでした。

排便しても常に残便感があり、肛門のあたりをキリで刺されるような痛みはさらに強くなるのです。あまりの痛さにホットカーペットで体をぐるぐる巻きにして、その上からドライヤーで腰やお腹をガンガン温めて、痛さを紛らせました。痛くて息もつけない時に、こうして汗が流れるほどに温めると、ようやく一息つけるのです。


●体重は35キロに
来る日も来る日もこういう状態ですから、もちろん食欲もなく、東邦に入院するまでの半年あまりは、りんごを摺って食べることぐらいしかできず、体重は35キロまで落ちました。痛みで消耗しきった上にろくに食べられないので体力がなく、考えることといったら、どうしたら痛みから少しでも楽になれるだろうか…ということばかり。鎮痛剤が効いている間はウトウトできるのですが、それも束の間。また、痛くて痛くて身の置きどころがないという状態でした。

夜になってどうにも痛さが我慢できずに、緊急外来に駆け込んだことも1度や2度ではありません。緊急外来の処置室が満員で、廊下のベッドに寝かされたまま、衆人の視線を浴びながら痩せたお尻に痛み止めの注射をしてもらったこともあります。もう恥ずかしいなんて言っていられる余裕もなく、とにかくこの痛みから逃れたい、その一心でした。

あまりの痛さに医者から「腺筋症の痛みとも思えない。骨盤内腹膜炎かもしれない」と言われたこともあります。生活のすべてが痛みとの闘いで、「誰のせいにもできない自分との闘いってこういうことなのか」と、鎮痛剤でもうろうとした頭で思っていました。


●楽になりたくて全摘を決意
こうした痛みとの闘いの末に、「この痛みから解放されるには全摘も仕方ない」と全摘手術を受けることを決意し、東邦大に入院したのですが、ここに至るまでに、実は5つの病院を転々としているのです。検査だけで3カ月かかった病院もありました。

診断の結果はどこも腺筋症で、症状を改善するにはホルモン治療か全摘手術しかないとの説明を受けました。スプレキュア、ピル、ボンゾールを使ってホルモン治療も受けましたが、どれも私には副作用が強くて、スプレキュアを半年使ったら白血球が減少し、値が約2000まで落ちてしまったり、ボンゾールを使ったら全身に発疹が出てしまったり、どれも体を痛めこそすれ腺筋症を治すものとはなりませんでした。ピルにいたっては、使い始めたらすぐに血圧が約30も上がってしまい、動悸や吐き気がして、これは1日で使用を中断しました。

ホルモン治療がダメなら、残された道は子宮全摘しかありません。手術を決意するまでの半年あまりの痛くて辛い日々を思えば、「全摘で痛さが解消できるなら、それでかまわない」と、すぐにでも手術してほしいと願いました。

ですから、夫が手術の直前になって、広尾を知り、「もしかしたら子宮が残せるかも知れないから、全摘手術の承諾書にはサインをしない」と言い出した時には、「私が全摘でいいと言っているんだから、もう余計なことを言わないで」と喰ってかかったほどです。


●斎藤先生を訪ねた夫と兄
私にしてみれば、さんざん苦しんだあげくに決意した全摘手術に、しかも手術日まで決まっていることに、何を今さら横ヤリを入れるのかという思いでいっぱいだったのです。

彼が心配してくれていることはわかっていました。腺筋症がひどくなって勤め続けることができずに退職し、家で痛さに耐えていた私を気遣って、夫は勤務が定時で終わる公務員に転職してくれていましたし、職場からも毎日のように「大丈夫か」と電話してくれてました。

広尾のことを夫に教えたのは私の兄で、兄はずっと以前に新聞で紹介された広尾の子宮保存手術を覚えていて、「全摘する前に、行くだけでも行ってみたら」と夫に教えたのです。冒頭に「夫が私の兄と一緒に初めて広尾に行った際に…」と書きましたが、それはこうした経緯があってのことで、とにかく「話を聞くだけでも」と私の症状を書いたメモを持って男二人で広尾に行ったのです。

斎藤先生に会ってきた夫は、東邦に入院中の私にこう言いました。「腺筋症のことや保存手術のことなど、いろいろと質問したけれど、納得の得られない答は何ひとつなかった。腺筋症は手術で治せるし、子宮も残せるということが過去のケースからも納得できた。だから、1度、斎藤先生に診てもらおうよ」。

夫が手術の承諾書にサインしないために、全摘手術を手術予定日に行うことは見送られ、私は東邦大の担当の先生に正直に事情を話しました。全摘手術を執刀しようとしている医師にとっては、その正反対の子宮保存手術を受けることを選択しようとしている患者は、あまり気分のよいものではないでしょう。それでも、その先生は私の話に耳を傾けてくれて、「摘ることはいつでもできるから、外泊ということにしておきましょう」と言って、ちょっと家に荷物を取りに帰るような感じで帰してくださいました。

東邦で同室だった患者さんたちにも、事情は伝わっていました。みなさん、全摘手術を受けたか、これから受けようとしている患者さんなのに、逆に「まだ若いんだから、諦めないで頑張りなさいよ」と励ましてくれて、涙がこぼれました。東邦で出会った担当の先生と同室だったみなさんには本当に感謝しています。


●全摘を思いとどまってよかった
全摘手術の直前に、全摘から保存へと180度方向転換した私は、自宅へ帰った後、夫に付き添われて5月末の木曜日に初めて広尾へ行きました。これまでの症状を語った私に、先生は「耐えがたい痛みは腺筋症によって膨らんだ子宮後部が太い神経の束に当たるために起きるもの」とわかりやすく説明してくださり、それも手術で解消できるとMRIを見ながら話してくださいました。

そして、何より私を納得させたのは、その週の月曜日に手術をした患者さんと、術後3カ月の検査で来ていた患者さんに会って、体験談を聞いたことでした。やっぱり、全摘手術を思いとどまってよかった、とその時思いました。

6月に手術は無事に終了し、術後、あれほど私を苦しめていた痛みが劇的に消え、生理時の出血が少なくなったのは驚くほどです。元気になった私を見て、夫は言いました。「僕は男だから、腺筋症の痛みがどのようなものなのかわからないけど、あの痛がりようをそばで見ていた者としては、あの苦しみの上にさらに子宮を失うんではかわいそうだと思った」

夫の言葉ではないけれど、腺筋症で苦しんできた女性が苦しみの末に子宮を失うなんて悲しすぎると私も思います。
術前のMRI術後のMRI-a術後のMRI-b
術前のMRI 術後のMRI-a 術後のMRI-b


術 前(pre ope)術後3カ月(post ope)
赤血球(RBC)454435
ヘマトクリット(Ht)41.138.8
血色素(Hb)13.913.0
CA-12518023.8
備考摘出物:21.1gm
病 理:腺筋症(Adenomyosis)


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