「スプレキュアを使っても腺筋症は治らなかった」
レポートNo.22 

大森真美子(45歳)
●大学病院なら大丈夫だろう、と
生理痛が強くなり始めたのは平成2年の4月頃でした。その時は、子宮に病気があるなんて考えもせずに、あくまでも「生理に伴う痛み=生理痛」だと思っていました。もともとが病気知らずで丈夫な方だったので、痛いとか出血の量が多いといった生理の異常を異常と感じなかったのです。

もしかしたら病気かもしれない、と思い始めたのは、その年の暮れにちょうど生理中に買い物に出かけて、貧血で倒れてしまうという出来事があってからです。生理痛も強くなる一方だし、貧血で倒れるなんて、やっぱりどこか悪いのかもしれない、と。

年が明けて間もない平成3年1月から、順天堂大学病院に通い始めました。順天堂を選んだのは、大学病院なら間違いないだろうと思ったこと、順天堂の婦人科にはいい先生がいると聞いたこと、会社から通いやすい場所にあることなどの理由によるものですが、何回か通ううちに「大学病院ってこんな所なのか…」と感じるところも多くありました。

一人の医師が一日に何十人もの患者を診るのですから、そうなるのも無理はないのでしょうが、医師は患者の顔を見るでもなくカルテに視線を落としたまま必要なことだけを告げて診察はおしまいです。
何ヵ月かたって、MRIの検査結果を聞きに行ったときも、婦人科の権威といわれている先生は、タバコをプカプカとくゆらせ、MRIの画像を見ながら「こぶし大の筋腫ができています。手術ですね」と言われ、「詳しいことは○○先生に聞いてください」と言いました。

「手術ですね」という言葉に驚いて、「子宮を残したいのですが」と言うと、「開けてみなければ、残せるかどうかはわかりませんよ。もしかしたら、取ることになるかもしれません」という返事。頭の中が真っ白になる、という表現がありますが、まさにそのときの私は驚きとショックで頭の中が真っ白になってしまい、何も考えられない状態でした。


●その足でJ医大へ
検査の結果を聞きに付き添って来てくれた姉が、機転をきかせて「手術が必要ということなら、実家のある北海道の病院でしますから」と、病院を出てから電話をしてくれました。

姉も少なからず動揺していたのでしょう。順天堂を出ると、「本当に手術が必要なのかどうか、ほかの病院でも診てもらおう。今ならまだ午前の診察時間に間に合う」と言ってタクシーを止め、私たちはその足でJ医大病院に向かいました。J医大を選んだのも、婦人科の医療に定評があると聞いていたからです。

J医大では、順天堂に通院していたこと、たった今「手術ですね」と言われたことなどを包み隠さずに話しました。今にして思えば、そこまで正直に言うこともなかったかなと思いますが、順天堂で「もしかしたら取ることになる」と言われたショックが大きかったのでしょう。

J医大の女医先生は、診察した結果、「右側にタマゴ大の筋腫があるが、すぐに手術することはないと思いますよ。しばらく薬で様子を見ましょう」と言いました。


●スプレキュアを長期間使用
J医大でスプレキュアを使ったホルモン治療が始まったのは、J医大に通うようになって3年目のことです。それまでは、ほかのホルモン剤を処方されていたように記憶しています。

スプレキュアを3カ月使って3カ月休む、という治療が始まりました。スプレキュアを使用している期間は2週おきに通院して、そのつどエコーで筋腫の大きさを確認し、肝機能検査をしました。スプレキュアの副作用については、"ほてり"が出るかもしれないこと、肝臓に負担がかかることについては説明を受けましたが、一般に言われている骨粗しょう症になりやすいことについては何も聞かされませんでした。

実際にスプレキュアを使い始めると、説明で聞いた通り "ほてり"を強く感じるようになり、それを抑える漢方製剤をもらって服用していました。

もうひとつ、スプレキュアを使うようになって変わった点といえば、虫歯がとてもできやすくなったことです。小さな虫歯が次々にできて、頻繁に歯科医に通いました。歯科医には子宮の病気でホルモン剤を使っていることを話しましたが、歯科医によれば「ホルモン剤と虫歯との医学的な因果関係はない」とのこと。でも、スプレキュアによって骨粗しょう症になりやすいのだとしたら、虫歯とも関係があるのではないかと考えるのは素人考えでしょうか。

スプレキュアを使い始めてしばらくするとたしかに筋腫は小さくなり、J医大の先生は「これはいいですね」と言って、スプレキュアを続けてみることになりました。おそらく、私の場合、副作用が"ほてり"程度だったこと、それも漢方製剤によって症状を抑えられたことが、スプレキュアの使用を長期化させる結果になったのだと思います。なにしろ、平成5年頃から平成8年まで、かれこれ2年半近くスプレキュアを使うことになったのですから。


●最後には「やっぱり手術ですね」
しかし、スプレキュアを使っている間も、生理痛も出血の量も軽くはなりませんでした。というより、生理中の痛みはますます強くなって、出血に混じってレバー状の塊が出る量も多くなりました。夜は海老のように身体を丸めて、下腹部をギュっと押しながら寝ました。こうすると、少し痛みがやわらぐのですが、とにかく出血の量がすごくて、寝ている間に寝具を汚してしまいそうで、夜中に何度も目がさめたものです。

こんなふうにスプレキュアを使い続けて何年か経つうちに、診察のときにJ医大の先生は「このままスプレキュアを続けますか」と、私に判断を委ねるようになりました。今にして思えば、スプレキュアの長期連用を危惧してのことだったのでしょうが、スプレキュアで筋腫が小さくなるとばかり思っていた私は、あえて中止するほどの決断もつかず、相変わらずJ医大に通っていました。

そして、平成8年の夏、いつものようにエコーで筋腫の大きさを確かめ、肝機能検査をした後で、先生は「もう、これ以上スプレキュアは使えませんね。筋腫も8センチほどになっているので、手術した方がいいですね」と告げました。

ここでも私は「子宮を残したいんです」と言いました。それに対して、先生は「残しておいても、悪くなった場合には再手術ということになってしまうから、悪いところがある子宮の半分を取ってしまいましょう」と答え、私は、ああやっぱり取ることになってしまうのか…と、すっかり落ち込んでしまいました。


●「子宮は残せる」を信じた
広尾のことを知ったのは、平成8年の5月頃、家の近くの市立図書館で『子宮をのこしたい 10人の選択』を手にしたのがきっかけです。題名が私の気持ちそのものだったので、2回続けて借り出し、何度も何度も読みました。レーザーメスを使った手術がどのようなものなのかははっきり理解できませんでしたが、現実に子宮保存手術を手がけている病院があることを知って、希望がわいてきました。

本のカバーに書いてあった電話番号に電話してみると、鶴見に移転したとのこと。鶴見といえば、私の住んでいる川崎の隣町です。急に希望が叶いそうな気がして、広尾で診察を受けることに迷いはありませんでした。

斎藤先生は「筋腫もあるけれど、腺筋症のほうがずっと重症。でも、手術で治せるし、子宮もちゃんと残せるから大丈夫」とおっしゃいました。これまで大学病院では「取る」としか言われなかったのに、斎藤先生は「大丈夫。残せる」とおっしゃった。この違いは天国と地獄ほどの差だと思い、思わず涙があふれました。

広尾で手術を受けようと決断したのは、斎藤先生の「手術で治るし、子宮も残せる」という言葉を信じることができたから。手術や入院に要する費用はたしかに多額だけれど、6日間の入院とその後1週間の自宅療養で健康な子宮を取り戻すことができたのですから、これはお金には代えられないことだと今でも思っています。
術前のMRI 術後3カ月のMRI
術前のMRI 術後のMRI
術前のMRI 術後のMRI


術 前(pre ope)術後3カ月(post ope)
赤血球(RBC)328417
ヘマトクリット(Ht) 28.238.5
血色素(Hb)8.813.0
CA-12550067.0
CA-19-949077
備考摘出物:335gm
病 理:腺筋症(Adenomyosis)良性
    NO malignancy


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