「手術に反対していた主人も今では納得。感謝しています」
レポートNo.26 

大徳勢津子(36歳)
●友人が見せてくれたホームページ
私が広尾のことを知ったのは、日頃から病気のことを話していた友人がインターネットをやっていて、「検索してみたら、こんな病院があったわよ」と広尾のホームページを印刷して見せてくれたのがきっかけです。

その頃の私は、生理痛がひどくて、あちこちの病院に通っていました。生理が始まる数日前からお腹や腰が痛くなって、それが生理中にはもっとひどくなり、3日間は家に閉じこもりきりという状態でした。出血量も多くて、タンポンとナプキンを同時に使っていても、1時間おきに取り替えるほどで、出血に赤黒い塊が混じることもよくありました。下腹部から腰にかけての何とも言えない重苦しさに耐えきれず、帰宅した主人に腰を強く指圧してもらったこともたびたびでしたから、主人には私が生理のたびに辛い思いをしていることはわかっていたと思います。


●筋腫がありながら2児を出産
子宮筋腫があることはずっと前、長女を妊娠した時からわかっていました。幸いなことに妊娠を妨げるほどには筋腫が大きくなかったので、無事に出産までこぎ着けましたが、お産は大変でした。微弱陣痛でなかなかお産が進まず陣痛誘発剤のお世話になりましたが、それでも子宮口が分娩できるくらいまで十分に開かないのです。

2昼夜を陣痛室で過ごしてやっとの思いで出産しましたが、産後の肥立ちも思わしくなく、ずっと出血が続いて、1カ月も経ってから黒い袋状の塊が下りてきた時には本当にびっくりしてしまいました。胎盤が残っていたと病院で聞いて、またびっくり。今にして思えば、難産だったのも、後産がよくなかったのも、筋腫があったために子宮の収縮が十分でなかったことと関係があるのかもしれません。

筋腫があっての出産でしたので、2番目の子どもはもう無理と思っていたところ、それから3年目に長男に恵まれました。長女の時には1つだった筋腫が長男の時には2つに増えていたそうですが、妊娠中はたいしたトラブルもなく3,800グラムの大きな子が生まれました。筋腫があっても2人の子を授かったことは本当に幸運でしたが、出産の時にお世話になった病院では、「これから先の妊娠はおそらく無理だと思いますよ」と言われました。


●当然のように「全摘」を告げる医師
生理痛がひどくなったのは、長男が生まれてからですから、この5〜6年のことです。初めのうちは「ひと月の3〜4日、我慢すればいいのだから」と堪えていたのですが、次第に症状が重くなっていきました。なんとかしなくてはと思い、母に勧められて漢方薬を煎じたものを2〜3年飲み続け、プロポリスが筋腫に効くと聞けばそれも服用したりしました。お腹を温めると筋腫が小さくなるという機械を10万円で購入して、お腹に当ててみたこともあります。でも、何をやっても症状が軽くなることはありませんでした。

医者通いを始めたのは去年のことです。近所の開業医や大学病院などあちこちに足を運びましたが、医師の言うことは実にまちまちでした。近所の女医は「薬で筋腫を散らすこともできる」と説明し、もう一人の女医は「貧血がひどくなければ、しばらく様子をみましょう」と言いました。それを聞いて、私は「手術しなくても、薬で治るんだ」と一人合点したのですが、大学病院での診断はそんな暢気なものではありませんでした。書籍の「名医100選」を手がかりに行ったお茶の水のJ大病院でもK病院でも、当然のように「子宮全摘」と告げられました。

K病院では診察の後で、まるでベルトコンベヤーに乗せられるように、「手術日を予約して行ってください」と言われ、とてもショックでした。すでに広尾のホームページを読んだ後でしたので、「筋腫だけ取って、子宮を残すことはできないのでしょうか」とたずねてみたのですが、「筋腫を取り除いた後のペラペラの子宮を残してどうするんですか」と一笑に付されてしまいました。


●先生に会って不安は氷解
いったんはK病院に手術の予約は入れたものの、どうしても子宮を失うことを受け入れられず、ずっと頭の片隅にあった広尾を訪ねてみる気になって、広尾のホームページを探してくれた友人と一緒に出かけたのは、昨年の11月の終わりでした。地図をたよりにたどり着いた広尾は、頭に思い描いていた病院のイメージとはほど遠い、まるで住宅のようなたたずまいで、「ここで子宮保存手術を本当にやっているの?」という思いから、入るのがためらわれるほどでした。

「せっかく来たんだから、話しだけでも聞いて行こうよ」と友人が促してくれなければ、斎藤先生にお会いすることもなく引き返してしまっていたかもしれません。そして、K病院で全摘手術を受けていたかもしれません。

斎藤先生にお会いして、それまでの不安は氷解しました。J大学病院でもK病院でも全摘しか方法がないと言われてきたのに、斎藤先生は「あなたよりもっと症状の重い患者さんも子宮保存手術で元気になっているから、大丈夫」とおっしゃるのです。そのお話を聞いて、先生の手術を受けよう、K病院の方は帰宅したらさっそくキャンセルしようと心に決めていました。


●反対する主人、支えてくれた母
私の気持ちは決まっているのに、思いがけないところで強い反対に遭いました。生理のたびに私が辛い思いをしているのを知っている主人からの反対です。

たまたま主人の会社の上司の奥さんも子宮筋腫で、少し前にK大学病院で全摘手術を受けており、主人はその上司からK大学病院の教授を紹介されていたのです。主人が広尾で手術を受けることに反対した最大の理由は、「日本で有数の大学病院でできない手術を、一開業医ができるわけがない」というものでした。その主人の気持ちを後押しするように、K大学病院の教授の診断も「全摘が最適」というもので、広尾の保存手術についてたずねた主人に、教授は冷ややかに「そのようなところは聞いたこともない」と答えたのです。

主人ばかりでなく、主人の母も姉も「大学病院の先生に任せなさい」と言い、斎藤先生の本『子宮をのこしたい 10人の選択』を見せても、「本にはいいことしか書いていないから。あなたはだまされているのよ」と言い出す始末です。

そういう中で、唯一人、「子宮を残せるものなら、ぜひその先生にお願いしなさい」と応援してくれたのが、徳島にいる実家の母です。母自身がかつて卵巣を取っており、その後、身体の不調に悩まされた体験から「残せるなら、ぜひそうしなさい」と勧めてくれたのです。母方の家系は婦人科が弱く、祖母も伯母も子宮筋腫で全摘手術を受けているので、母は身近なところで全摘による後遺症の大変さを実感してきたのだと思います。

母の応援に力を得て、私は主人に「一度、斎藤先生に会ってみて」と毎日のように説得し、ようやく主人と一緒に広尾に行ったのは年の瀬も近くなってからでした。広尾に行くまでは、あれも聞きたい、これも確かめたいと、まだ半信半疑だった主人も、斎藤先生の説明の前には一言もなく、私が拍子抜けするほど神妙に「よろしくお願いします」と頭を下げてくれました。

オぺは2月2日、筋腫と内膜ポリープなど400グラムを摘出して無事終了。退院の日にはすっかり元気になって、回復の早さには主人も目を見張っていました。


●徳島から患者さんを紹介
母は徳島から広尾に患者さんも送り込んでくれました。その方とは母と同じ体操クラブに通っていたご縁で知り合ったのですが、30代に卵巣膿腫で片方の卵巣を取った後の不調に加えて、子宮筋腫と腺筋症でひどい生理痛に悩んでいました。卵巣を手術した際の癒着が原因でたえず腹痛にも悩まされ、体調が思わしくなく、神戸の自宅にご主人を残して徳島の実家に帰って静養しておられました。

卵巣を片方取っただけでこんなに体調が悪いのだから、子宮全摘なんてとても耐えられない、と日々思い悩んでおられたところへ飛び込んできた私の体験談は、彼女にとってはこの上ない朗報だったと思います。

彼女はさっそく上京して、斎藤先生に診ていただき、5月に手術をされました。前の手術で癒着した部分も先生はきれいに剥してくださったそうで、術後の回復が前の手術の時とはまるで違うと、とても喜ばれました。すっかり元気になられて、今は実家のお父様の介護に励んでおられます。

親とは本当にありがたいものです。私は母に励まされ、手術費用も母が出してくれて手術に臨むことができましたが、彼女の場合も実家のお父様が手術費用を出してくださったそうです。こうして元気になれたのも母のおかげ、母のことを思うたびに感謝しています。
術前(pre-ope)のMRI 術後(post-ope)3ヶ月のMRI
術前のMRI 術後のMRI


術 前
(pre ope)
術後3カ月
(post ope)
赤血球(RBC)(x104/ul)5.85.6
ヘマトクリット(Ht)(%)39.239.9
血色素(Hb)(g/dl)13.513.5
備考
摘出物 ;内膜ポリープ:0.1
            子宮筋腫:395g
            腺筋症:5g

【摘出物】


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