「手術から2年、諦めていた子供が生まれました」

レポートNo.31

小関早苗(38歳)

●待ちに待った我が子の誕生
手術から2年目の昨年10月19日、長女の一遥(いちよう)が生まれました。もう子供はできないものと思っていた私たち夫婦にとっては、待ちに待った我が子です。寝顔、泣き顔、無心におっぱいを飲む顔、そして笑顔、かわいくて見飽きることがありません。

誕生した時から遥かな将来まで健やかに幸せであってほしい、との願いを込めて一遥という名前をつけました。おかげさまですくすくと育ってくれています。子供の世話でてんてこ舞いの毎日ですが、この幸せは広尾で子宮保存手術を受けなければ手に入れることはできませんでした。


●結婚して10年間の不妊
広尾で手術を受けたのは平成8年11月4日ですが、実は手術を受ける2ヶ月前まで子宮筋腫があるなんて思ってもみませんでした。たしかに、いつも生理の出血は多くて、生理になるとタンポンをしたうえに夜用の厚いナプキンを当てて出勤していました。それでも自宅のある大月から神田まで通う通勤の途中に洋服を汚してしまうのではないかと心配するほどでしたが、こればかりは他人と比較できませんから「年齢的にみてこれが通常の生理なんだわ」くらいに思っていました。

ところが平成8年の9月に不正出血があり、初めて婦人科の病院に行きました。友人に紹介された横浜のクリニックです。初めて行く婦人科というのはやはり不安なもので、「もしかしたら悪い病気?」と思う一方で「ひょっとしたら妊娠?」という淡い期待もないわけではありませんでした。それというのも結婚してかれこれ10年になるのに、まだ子供に恵まれなかったからです。

子宮筋腫があるとは夢にも思わず、不正出血を「ひょっとして妊娠?」と思ってしまうなんて見当違いもいいところですが、その時まで私は女性の生理や子宮の病気について何の知識ももっていなかったのです。ですから、「筋腫がありますね」と医師から聞かされても、「キンシュ?それって何?」「私がシキュウキンシュですって?」と、頭の中は???ばかりで、すぐには事態をのみ込むことができませんでした。


●ホームページで広尾を知る
筋腫があると告げたあとで医師が言った言葉も私を困惑させました。

「子供が欲しいなら急いで作ってください。妊娠するか、子宮をとるか、どちらかになるといけませんから」と言うのです。いったい何なの?、急いで作ってくださいと言われたって、今まで10年間も子供ができなかったのに。

「それじゃ、どうしたらできるのよ。それに、子宮をとらなくてはならないほどの病気があって妊娠なんてできるの?」と、頭の中はまた???でいっぱいになりました。子供を作るどころか、子宮をとるという悲惨な現実だけで、頭の中は絶望的になりました。

広尾のホームページを知ったのは、横浜のクリニックを紹介してくれた友人のアルバイト先がホームページのプロバイダーだったという幸運からです。広尾のホームページはまだ開設して間がなく、患者さんの体験レポートもわずかでしたが、読んでいくうちに「ここで手術をして子宮を残すことができれば、子供はできなくてもいい」と思うようになりました。いつしか、子供を作ることよりも子宮を守ることに夢中になっていました。

それでも広尾で手術をしようと決心するまでには迷いがあったことも事実で、その理由のひとつは自費診療であるため手術代にお金がかかるということでした。自分の体のことなのだから自分で決断するしかない、と言われましたが、費用のことを考えれば、当然、主人にも相談しなければなりません。

主人は「それで体が楽になるのなら手術したらいいよ。たとえ、子供はできなくとも」と言ってくれました。主人は私が生理のたびに青白い顔をして辛そうにしているのをずっと見てきて、そう言ったのでしょう。ほんとうに手術を受ける前の私は貧血でとても疲れやすく、生理の時に限らずいつも体が重く、辛かった。それが子宮筋腫のせいだとは全く思いもしなかったのですが。


●やっぱり子供が欲しい
斎藤先生はよく「手術を受けた後に、これまでの生理がどんなに異常なものだったかがわかるよ」とおっしゃいますが、ほんとうにその通りで、手術後は出血の量が10分の1以下になり、体がものすごく楽になりました。「こんなに楽になったのだから、それだけで十分」と思うほどの体調の変化でしたが、そう思う一方で「こんなに回復したのだから、もしかしたら子供もできるかも しれない」と、子宮を残すことに夢中だった私が、再び妊娠を期待する気持ちになりました。健康になってみると、やっぱり子供をもつ夢がふくらんでいくのです。

残念ながら1年が過ぎても妊娠の兆しはありませんでした。「やっぱりダメなんだ」という諦めの気持ちが広がってきて、主人と「子供だけが人生じゃないものね。子供ができなくてもいいよね。こんなに体が楽になったんだから手術した意味はあったよね」と話し合ったものですが、人生とは摩訶不思議なもので、諦めたとたんに妊娠がわかったのです。忘れもしない昨春、3月18日 のことです。7週目に入ったところでした。


●切迫流産、そして無事出産
もう嬉しくて嬉しくて、さっそく斎藤先生に電話しました。天にも上るような気持ちで「妊娠しました!!」と報告すると、先生は「喜んで毎週のように病院に行っていると、流産しちゃうよ」と意外にも冷静なアドバイス。妊娠初期は内診などの刺激で流産することもあるから気をつけなさい、という考えてみればもっともなお言葉だったのですが、妊娠がわかって舞い上がっていた私 には「流産」という言葉がひどく冷酷に聞こえたものです。

ところが、それから間もなく、先生の心配が現実のものになりました。決して毎週のように病院に行っていたわけではないのですが、職場で突然、大出血してしまったのです。かかっていた病院に行くと「切迫流産ですぐに入院」とのこと。その時まで切迫流産という言葉も聞いたことがなかった私は、「ああ、やっぱり流産してしまった」と早合点してしまい、看護婦さんに「胎児のために、とにかく安静にしていて」と言われてはじめて「胎児?ということは、まだ大丈夫なの?」と、流産ではないことを知りました。妊娠や出産についてもなんと無知だったことかと思います。

2週間の入院の後、自宅で5月まで安静に過ごしました。出産前にぜひ一度、斎藤先生にお礼が言いたくて、広尾をお訪ねしたのは8月に入ってからでした。その時に先生が「どこで出産するの?」と病院を心配してくださり、広尾で手術した経緯をよくわかって執刀(出産は帝王切開でした)してくれる病院がよいだろうとのことで、いろいろと相談にのってくださいました。

そうして10月19日に無事、元気な女の子(8月にお訪ねした時に、斎藤先生に性別を見てもらいました)の産声を聞くことができたのです。


●幸せを手に入れた
一遥が誕生してからというもの、家の中は一遥を中心に回っています。初めてのお正月、雛祭りと、一遥が家族に加わったことでわが家はいっぺんに華やぎを増しました。主人は仕事から帰ってくると、真っ先に一遥のベッドのそばに行き、寝顔を見ています。子育ての先輩で、何くれとなく私を助けてくれる義母も、毎日それはそれは一遥をかわいがってくれます。

こんな夢のような幸せを手に入れることができたのも、斎藤先生に手術していただいたからと心から感謝しています。広尾を知っていても、手術を受けようかどうかと迷っている方もいらっしゃることと思いますが、どうか、もう一度考えてみてほしいと思います。一度きりの人生なのですから。

術前(pre-ope)のMRI 摘出物
術前のMRI 術前のMRI 摘出物


術 前(pre ope)
赤血球(RBC)(x104/ul)444
血色素(Hb)(g/dl)9.7
ヘマトクリット(Ht)(%)30.2
CA−125180
備考
●病理:平滑筋腫 295gm
        腺筋症     5gm
        内膜ポリープ1gm
術後検査前に妊娠した。


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