「直感を信じ斎藤先生に託した事に間違いはなかったと今改めて感じています。」
レポートNo.33

松永洋子(49歳)
●子宮筋腫とわかって
下腹に手をやると固まりに触れる。とても固くて、それもかなり大きい。何だろうと思いながらも、その内市の子宮癌検診があれば行ってみようと呑気に構えていました。

95年の夏、当時私の住んでいる地域ではめずらしい、レディースクリニックなる名称の医院へ癌検診に。結果は子宮筋腫、直径8cm、すぐに大きな病院へ行くようにと告げられ、この時初めて子宮筋腫という言葉を耳にしました。

市の検診であったためとても混雑していて詳しいことは聞けず、大きな病院に行くにしても筋腫のことを調べてからと思い、図書館に出向いて筋腫に関する本を何冊も抱え込んで持ち帰りました。かなりポピュラーな病気であること、発生した箇所によって名称の異なること、手術方法にもいろいろあること等々ある程度の知識を詰め込んでいざ大学病院へ。

1軒目では、「直ぐに手術する日を家族と相談して決めてきなさい」との言葉に「子宮を取るんでしょうか」と私が聞き返すと「当たり前でしょう」とカルテに目を落としたまま私の方をみることもなくその医師は怒ったように言い放ちました。

2軒目では、「年齢が年齢だから切るのが嫌なら別にいいよ。半年に一度検診に来なさい、様子を見ていきましょう」と。その言葉にああ別に切らなくてもいいんだと一安心。

この頃はまだ筋腫による辛い症状というものが全く無く手術をすることなどまだ考えていませんでした。それに本による知識で生理がなくなると筋腫は自然に小さくなるものだと思っていたので、2軒目のほうの医師の意見に従うことにしました。

ただ何冊もの本のなかで斎藤先生の『子宮を残したい10人の選択』は私に強烈な印象を与えてくれました。もし手術をするようなことになれば、かなり大きな筋腫でも子宮を残せるこの広尾メディカルにお願いすればいい、何も心配は要らないと自分のなかでは決着をつけいつもの生活に戻っていきました。


●症状が悪化していく
しかし安泰の状態は長くは続きませんでした。28日周期をきちんと守っていた生理が25日、23日、20日と間隔を狭めていき、その量もどんどん増えてきました。 厚いナプキンをしても1時間ももたず、外出は近所のスーパーへ行くのがやっとの状態でした。下半身がだるく横になりたいと思っても、流れ出てくるのが心配で休むことも出来ずにいました。

仕事のある日はとても辛く、頭の中はトイレのことばかり、ある時溢れ出たソレはズボンの中の足をつたって白いスニーカーをみるみる赤く染めたのです。職場で洗濯をしたことも何度かありました。(男性もいますので気づかれないようにするのが大変でした)

夜はどれだけ重装備をしても、気持ちの悪い濡れた間隔で目が覚め、まだ夜も明けやらぬ風呂場でシーツやパジャマを洗い、情けなく思ったのは1度や2度ではありません。いつやって来るか分からない生理に予定は一切立てられず、生理如きに振り回される日々に限界を感じ始めました。

いよいよ広尾メディカルにお願いする日が来たようです。それから後、まあいろいろありましたが、周囲も私の固い決意の前では何を言っても無駄だと察したらしく、最後には家族の熱い声援を受けることになり一人横浜へと向かいました。


●2年後の決断
広尾メディカルに電話を入れたのは、筋腫と分かってから2年後のことです。この年齢になっても子宮を取ることは考えられず、他の病院へ行くことも考えられませんでした。子宮がなくなると女でなくなるなんてナンセンスな考えは毛頭持ち合わせておりませんが、やはり斎藤先生の本の影響が強かったのだと思います。

そして検査の日、筋腫は直径10cm以上に成長、子宮の大きさは妊娠6ヶ月に相当する大きさでした。それにヘモグロビン(血色素)が5.7でしたけ。 「よくそれで生活してるね」と言われたのを覚えています。この日は口数の少ない先生という印象を受けましたが、それだけに穏やかな優しさと大きな自信に溢れた方だと思いました。

手術の日が決まったあとはルンルン気分、修学旅行を待つ子供のように・・・ でも、術後時折やってくるあの痛み(陣痛の末期のような)をこの時は知る由もありませんでした。とは言っても2・3日の我慢ですが・・・。

所要時間2時間、このクリニックでは短い方ではないでしょうか。腰椎麻酔と硬膜外麻酔ですので幸か不幸か意識ははっきりしたもので、筋腫をもぎ取られるあの感覚は今も鮮明です。後半には震えがきて痙攣のように身体が脈打つのです。おさえようとしてもおさえられず「終わりましたよ」と告げられた時は「助かった!」と思ったほどです。筋腫590g、ポリープ10g、その他10g、その日のうちに病室に持ってこられ、「見る?」と言われましたがあまりにも生々しく「今は結構です。元気になってからにします」と答えました。

これだけの大きさになるには10年かかってるとのことですが、なぜこの大きさになる前にいつも受診していた癌検診で見つからなかったのか不思議です。ともあれ無事終わり、入院生活はとても楽しいものでした。人間の身体の回復力に興味津々で日に日に良くなっていくのはとてもうれしい事でした。


●手術後元気になって
手術から1年半がすぎました。自慢するようで恐縮なのですが、手術をしたことで改善されたいくつかの事柄を伝えたく思います。

生理が正常(こんなに少ないの?)になったことはもちろん、肌が綺麗になったこと。以前の私は顔に吹き出物がいっぱいで、なぜこの年になってもと、うらめしく思う日々でした。貧血で顔色の悪い上にこの吹き出物ですからとても素顔では外出できません。筋腫のせいとはつゆほどもおもいませんから、皮膚科にも通いました。しかし、いっこうに良くなりません。斎藤先生にも「あの頃は土色の顔をしてたね」と言われたほどです。吹き出物の痕を「そのキスマークどうしたの」とからかわれたのも覚えています。

でも今は人並みの顔色を取戻し、吹き出物もでなくなりましたし、ヘモグロビンも13とかつて経験したことのない数値を維持しています。なんと長年体質だと思っていた貧血が、いとも簡単に治ってしまったのです。

以前ジョギングをしていた時期があったのですが、だんだん苦しくなってきてとうとう止めてしまいました。しかし、術後3週間たったころ、ムクムクと走りたい衝動が沸いてきて、近くの公園を走り始めました。1周300mはあるかと思われる公園を一気に8周走りましたが、なんと苦しくありません。そのまま家に駆け上がり、夜の10時をまわってと思いますが、広尾メディカルに電話をしていました。「先生、走れたんです!」と、先生にすればなんのことか分かりませんよね、でもそれくらい嬉しかったのです。それ以来今も走っています。

そして痩せたこと。退院する時点で4キロ近く減少、今もそれはほぼ替わらずにいます。先生はホルモンの関係でしょうと言われましたが原因はなんであれうれしいおまけでした。

乗り物にも酔わなくなったように思います。この年齢では、子宮をとることにさほどこだわらない方も多いと思いますが、私は自分の直感を信じ、いえ、厳密に言えば何冊もの本から得た情報・医師の診断・説明・対応などからの判断ですが。そして斎藤先生に託した事に間違いはなかったと今改めて感じています。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
3ヶ月のMRI
摘出物
術前のMRI 術後のMRI 摘出物



摘出物
術前のMRI 術後のMRI


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)319484
血色素(Hb)(g/dl)8.413.0
ヘマトクリット(Ht)(%)27.440.0
CA-12525
備考
●横切開、12cm
●4ヶ月前の血色素(Hb):5.7
●摘出物 :
  子宮筋腫(myoma)         590g
  腺筋症                   10g
  内膜ポリープ(polyp)      10g

●病理検査結果:全て良性



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