「道は必ずあるはずです、どうかあきらめないでください」
レポートNo.37

川崎知加(31才)
●まるで「サギ」にあった様な想い
初めて産婦人科のドアをたたき、子宮内膜症と診断された。 6ヶ月間のボンゾールホルモン剤治療のあと、まるで「サギ」にでもあった様な想いだった。

様態はますます悪くなっていた。「なぜ?」しばらく生理を止めていたのだから、最初はよくないのだろう。と勝手に考えていた。
ところが、良くなるどころか、悪くなる一方だ。「これはちょっとおかしい」と思った時はすでに、生理以外の時も下腹部の痛みが常に私を悩ませている状態だった。

そして次の産婦人科で、ゴルフボール程度の卵巣のう腫があると言われ、「10日間たって変化がなければ卵巣をとります。」とすぐに言われてしまった。
きつねにつままれた様な・・・。

私は医師と呼ばれる人の指示に従っただけなのにどうして?
そしてまた、別の産婦人科へ。また別の産婦人科へ・・・
どこへ行っても答えは同じ。「片方の卵巣はすぐにでも、もう一方もいずれは・・・」と同情する様な医師の視線が忘れられない。


●助けてくれる病院はきっとどこかにあるはずだ。
「とる」ことしかできないの?そんなはずはない。
技術大国のこの日本で、女性疾患に関する医療革新を誰も考えていないの?
きっとどこかにあるはずだ。
私を救ってくれる医療がどこかにあるはずだ。
私は祈る様な気持ちで、この想いにすがり、周囲に助けを求めたのです。「とらずに治してくれるお医者さまを知りませんか」と。

「とられる」とわかると、自分にとってどれだけ大切なものであったかかが思い知らされる。私は一生子どもを産めない。子どもを産めない女性って、どんな風に生きて行くのだろう?
私は絶対にイヤだった。

ある物語で「男と女のちがいは何?」と言う質問に「女は子どもが産める。それが最大のちがい。」と誇らしげに答えた女の子の顔が頭をはなれなかった。 私は女でありたかった。毎日祈るように情報を集めた。


●遂に出会えた広尾メディカルクリニック
そして遂に広尾メディカルクリニックと斎藤先生に出会ったのです。同じ職場に居た方が、以前にこちらのクリニックのテレビ取材に立ち会われていたことを思い出してくださったのです。

「本当に?」「大丈夫?」不安で一杯だったけど、行って自分で確かめなければ、きっと後悔する。そう想い、斎藤先生に会いに行きました。

その先生の言葉こそまさに今の世に合った医師の言葉でした。 「とらなくても治ります。子宮も卵巣もそのまま残るし、ちゃんと機能しますよ。」 先生は自信に満ちあふれていました。多くの症例があった上での私の質問に対する解答はよどみなく、私の不安は次々晴れて行きました。

「地獄で仏!!」私は手を合わせる想いでした。


●今、はつらつと毎日を生きています
平成10年1月10日。雪が降りしきる朝入院。
そして手術。今はつらつと毎日を生きています。
私は斎藤先生の勇気に感謝します。先生が居なかったら、と思っただけで背筋が冷たくなります。どうかこれからもこの医療を守って行ってください。

そしてこのホームページを読んでいるありとあらゆる方々へどれ程多くのお医者様の答えが「NO」であっても、どうかあきらめないでください。

女性の女たるべき機能を守ることは 人としての人生を守ることです。
そして、守ってくれる人がこの地球上に居ることを 知ってください。
道は必ずあるのです。

最後に、今こうして健康になるまでの間、励まし協力してくださった方々、何よりもこのクリニックを紹介してくださった方に心から感謝いたします。
術前(pre-ope)
のMRI(1)
術前(pre-ope)
のMRI(2)
術前のMRI 術前のMRI

cc:長年にわたる生理過多、下腹痛、腰痛。S大学で卵巣・子宮全摘を告げられた。

術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)432510
血色素(Hb)(g/dl)10.413.0
ヘマトクリット(Ht)(%)31.942.1
備考
●摘出物 :
  子宮筋腫                   30g
  子宮内膜ポリープ(polyp)     5g
●病理:内膜ポリープが癌に近い所見

※本人の希望に沿い子宮を温存しながら精査を継続する為、
  東京医科歯科大学に紹介。


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HIROO MEDICAL CLINIC