「かつて私を苦しめた症状が今では思い出となった」
レポートNo.41

佐久智代(33才)
●私の苦しみ、母の痛み
私のような患者を救う最も効果的な治療法は子宮全摘しかないと、これまで繰り返し医師から言われてきた。今の症状は10代後半から始まり、33歳になった現在ピークに達した感じがする。

更年期にになれば筋腫は治ると言われているし、もう私の子宮筋腫人生も後半に入ろうとしている。いわゆる更年期により近づきつつあるから、いつかはこの症状も軽快し、元気になって行くのではないかと自分に都合のいいように考えたりもしていた。

母は私を産んで間もなく出血がひどく子宮全摘をしたと言っているが、その当時からすると医学も格段に進歩しているはずである。子宮全摘の弊害より害が少なければ何でもいい。薬の副作用が大であっても構わない。また完全に治らなくとも我慢することもできると思う。

今になって、長年守り続けていた子宮を失うと言うことは、今まで苦しんできた私の青春、人生は、一体何だったのだろうかと思う。

また、母は、自分の筋腫が私に遺伝したものと考えている。苦しむ私を見るにつけ、ごめんね、こんなあなたに産んでしまってとしきりに母は自分自身を責めているようだ。私を不憫に思っているのだろう。


●患者に親切にする医師には下心がある
私が図書館で見つけた『子宮をのこしたい10人の選択』を読んだことをきっかけに、広尾メディカルクリニック(以下広尾MC)での手術を望んでいることを知ると、日赤病院に何の不満があるのかなどとそのことを思い止まらせようとした。

母には知らせず手術を決行すべく広尾MCに向かうつもりであったが、それを察知した母はとうとう飛行場まで私を引き止めに先回りして来てしまっていた。その母に対し、手術に先立っての診察時のことを話した。

  1. 筋腫を摘出し、子宮を保存できると言われたこと。
  2. 疲労しきって帰る幽霊のようなわたしに同情し、先生がご自分の車で羽田まで送って下さったこと。


このことを聞いた母は、そこまで親切にする医者には何か魂胆、下心があるに違いない、もう二度と行かないでくれと怒り、泣きながら懇願した。


●手術を終えた現在
母は目を細めながら、手術を受けてよかったね、と言って、あまりにも元気に様変わりした私を見つめている。あれほどまで強く反対していた過去の自分の姿をケロリと忘れているのも彼女らしい。ときおり、食事のとき、黙って考え込みすすり泣く姿を見ると、これで遺伝問題も解決した、と過去を振り返って思い出しているのだろう。

めまい、腹痛、眼瞼結膜、口腔粘膜も色が薄く、排便の際は、肛門から背中にかけて突き上げるような痛みが走り、心臓を引き下げられているような感じがした出血など、思い出となってしまった。

先生いつまでもお元気でもっともっと多くの患者さんたちを救ってあげて下さい。この感謝の気持ちは死ぬまで忘れません。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI 術後のMRI
術前のMRI 術後のMRI


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)325439
血色素(Hb)(g/dl)4.913.2
ヘマトクリット(Ht)(%)18.840.5
CA125>2407.5
CA19-936031.8
備考
●横切開
●術前輸血   2000cc
●摘出物 :   305g
  子宮筋腫           300g
  内膜ポリープ(polyp)  5g
●両側卵巣など正常、温存


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