「海よりも深く感謝しています」
レポートNo.54

新田雅代(31才)
●「筋腫気味」と言われる
私は現在、アメリカ領の小さな島に住んでおります。島にあるホテルで働きながら5歳になる娘と二人で暮らしています。 いつから私の体に腺筋症が潜んでいたのでしょうか?5年前に娘を無事に妊娠、出産していますから、その後ということになるのでしょうか。

娘を出産後、一度激しい生理痛と血の固まりの混じった出血があり、驚いて当地の中国人ドクターの診察を受けたことがあります。その時は結局、何の病名も得られませんでしたが、それ以後はそれほど激しい生理痛もなかったため、そのまま何回かの生理を過ごしました。

それから1年ほどして、日本に帰国した際に、気になって病院に行くと「子宮が少し大きくなっていて筋腫気味」と言われましたが、「外国に住んでいるんじゃホルモン治療も難しいね。しばらく様子を見よう」ということでした。本を読んで自分なりに調べましたが、どの本も「子宮を取る」か「様子をみる」という曖昧な記述ばかりでした。

生理が重いのは遺伝的なものなのか知りたかったのですが、母もすでに他界していましたし、痛みもあまりなかったので、その後2年ほどは病院にはかかりませんでした。


●帰国時に病院をまわる
激痛に耐えられなくなったのは98年の暮れ。年が明けてから、今度はアメリカ人のドクターに診てもらいました。こちらでは国の保険制度がなく、個人で、あるいは会社が加入している医療保険に入ります。この時のドクターの診断は「ガンの恐れもある」とのことで、ガンというのは誤診だろうと思いながらも心配でした。

こちらには日本語の本はもちろん無いですし、レントゲンやエコーを撮るのも予約制で、何週間も先にならないと撮れません。現に妊娠から出産を通して1回もエコーを見ることができませんでした。

そんなわけで、当地では病気を診断することすらどんどん先送りになるだけですから、日本に帰国した際に調べることにして、99年3月の出張時に上司の許可をもらって病院に行きました。私は日本の健康保険には入っていないですから、経費は100%自己負担です。

どうしても「子宮保存できる」という答えが欲しくて病院をまわりましたが、何軒行っても答えは同じ。「子宮筋腫だから、子宮を取るかホルモン治療のいずれかだけど、あなたは外国にいるから通院できない。取ってしまいなさい、子供は一人いるからいいでしょう」。

皆さんも言われてきた言葉だと思いますが、残酷ですよね。4日間の日本滞在中は病院ばかり行っていました。


●アレルギーに悩まされる
この頃には、生理でない日でも駅の階段を登るのさえ苦しくて、心臓が爆発しそうでした。なにしろとても疲れるのです。娘と二人きりの生活なのに思うように家事ができず、お弁当も疎かになり、ビーチにも連れて行ってあげられず、どす黒い肌の私がいました。

子宮の病気ひとつでこんなにも疲れるものか、と思う日々で、娘に優しく接してあげることもできず、子宮という臓器の大切さがわかった時でもありました。

アレルギーにも悩まされました。夕方やシャワーの後に、蚊に刺されたような発疹が皮膚の軟らかい内股やお腹にできて、それが体中に広がって世界地図のようになるのです。もちろん痒くて掻きますから、体中が熱をもって家事どころではありません。

市販の痒み止めを塗って一応は収まりますが、肌はボロボロでした。毎日これの繰り返しです。生理の辛さよりもっと深刻だったかもしれません。

このアレルギーについては、日本に帰国した際に行った病院で「筋腫が他の臓器を圧迫しているため普段から血管が緊張していて、それが入浴などでリラックスした時に血管が膨張して発疹がでる」などと言われました。この説明は納得できました。なにしろ、手術したその日から現在に至るまで、まったく出なくなったのですから。


●救ってくれるドクターは必ずいるはず
日本からこちらに戻ってからは、子宮をとることに納得できず、仕事も手につかず、誰にも相談できないまま仕事机に向かっていました。こんなに医療が発達してクローンができる時代に、私の子宮を救ってくれるドクターは絶対いるはず、との思いから、毎日一番利用しているインターネットで「子宮筋腫」と検索してみたのです。

現在は離婚していますが、また懲りずに再婚しようと思っていますし、1億分の1の可能性でもいいから子供が欲しい。この思いが私を強くしていました。

すると、ありました! 広尾のホームページに出会ったのです。私の心はパッと明るくなりました。早速、有頂天で国際電話をかけ、診察日を決めました。そして、その日に合わせて無理矢理日本出張を決め、6月を待ちました。

待ちに待ったその日が来ました。斎藤先生はホームページで見たのと変わらず穏やかなルックスの方で、広尾の病院らしくない外観とともに私を安心させてくれました。今までは冷たく「外国から来た人じゃね。治療もできないよ」と言われ続けてきた私にとって、広尾は安息の場所になりました。


●諦めないでよかった
診察では今まで言われたことのない「腺筋症」という病名でした。でも先生は「救えるよ」と一言おっしゃいました。(子宮取らなくてもいいんだよね)と心の中で先生の言葉を噛みしめながら、先生の机の前で腺筋症について聞きました。腺筋症は子宮の内膜にできるちょっと厄介な病気とのことですが、先生は絵に描いて説明して下さり、おまけに医学書のコピーまで下さいました。その場ですぐ手術の予約を入れて、一番近い8月の手術日の3人目に無理して入れていただきました。

帰り道、晴れ晴れとした気持ちで、広尾のそばの川沿いの道を駅に向かってゆっくり歩きながら、(諦めないでよかった)とやっぱり泣いてしまいました。

血液検査では貧血もひどかったので、それまで続けていたホルモン剤で生理を止める注射をこちらで6、7、8月と手術まで3週間ごとに打ちました。

しかし、生理を止めていたにもかかわらず、手術も近くなった8月初め、日本から皆さん誰もが知っているVIPが私のホテルに滞在し、朝から夜中までそのコーディネートで疲労はピークに達し、大量に出血してしまったのです。30分ごとに夜用ナプキンを交換しても、車のシートや着替えの瞬間にポタポタ落ちる血液は情けなかったほどです。私はベジタリアンで肉類は全く食べませんから、その翌朝からは普段にもまして、ほうれん草やレバーペイストをパンに塗って食べ、貧血対策をしたものです。その甲斐あってか、手術前の検査では血色素の値も一定の量に達していました。


●筋腫の塊にびっくり
手術当日は朝9時に広尾に行き、病室で休んでいると、先生が入って来られて「安心して待っていなさい」とおっしゃいました。誰にも打ち明けず、付き添いもなく一人っきりで外国から来た私に、先生をはじめスタッフの皆さんが気に掛けてくださり、病室をよく覗いてくれました。

私の手術は3番目で、始まったのは午後9時を過ぎてからでした。丁寧に麻酔をされた後、お腹を切開されるのがわかりましたが、かすかな音楽と眠気で3時間近くの手術はあっという間の時間に感じました。

途中少し痛みを感じて、大袈裟な私は麻酔の先生にすぐ麻酔を追加してもらい、痛みは殆ど感じませんでした。この夜は意識がはっきりしないまま、眠っていたのか起きていたのか、よく覚えていません。夜中に一回だけ看護婦さんを呼びました。

次の日は無性に喉が渇くのですが、水はまだお預けでした。「起きられるようになったら、歩いたりしてごらん」と先生に言われたのですが、同じ日に手術したお二人に比べて私は回復が遅かったみたいで、横になってばかりいました。

びっくりしたのは手術して取り出した筋腫がビニール袋にホルマリン漬けになって、いつの間にかベッドの横に運ばれていたことです。「この塊が私を苦しめていたのか」と悲しいやら嬉しいやら…、こんな病院はここだけでしょう。


●他の病院では考えられないことばかり
傷口が痛くて痛くて死にそうだった、と言うのは全くの嘘で、たしかに痛みはありますが、切っているのですから当然です。ガスが出やすいようになるべく起きていましたが、私の場合、普段見られない日本のTV番組を見てばかりいて”大笑い”していましたから、それで笑うと傷口が痛くて、それからはシリアスな番組を見るようにしていました。

座り込んでTVばかり見て笑っている私を不思議に思った先生は、事情がわかるとビデオテープを買ってきて下さいました。おかげでたくさんの日本のTVを録画して帰ることができました。優しいですよね。大きな病院では考えられないことばかりです。

その後、木曜日には念願のシャワーです。お腹にぺったり大きなテープを貼ってシャワーを浴び、気持ちよくきれいな身体になりました。金曜日には2Fのリビングルームで手術を受けた三人と、これから手術を受けられる方、そして看護婦さん達と午後のティータイムです。

おしゃべりな先生と私は何時間も話し続けました。あとのお二人が異常に早く回復されていてびっくりしましたが、三人とも手術前より明らかに顔色も気持ちも明るくなって幸せでした。

先生からいただいたファイルには、手術で摘出したあの醜い筋腫の塊や手術中の子宮の写真、おまけに広尾の院内や外観の写真まで添付されていて、手術室へ入室した時間や麻酔薬の量までも記されていました。こんな詳細な記録は、患者のことを大切に思うとともに、ご自分の手術に自信がない限りはできないことです。


●娘とビーチを走る毎日
健康を取り戻してこちらに帰ってきた私は後日、ガンだと誤診した当地のアメリカ人の医師にファイルを差し出しました。彼は“CONGRADULATION”と言って握手をしました。

術後7ヶ月経った今、手術の傷口は完全に塞がり、色も赤紫から赤、ピンクに変わってきて、1年経つ頃には消えそうです。あんなに酷かったアレルギーも全く出ないし、心臓のドキドキもしなくなって、ゴルフやフィットネスジムにも通っています。仕事帰りには、心配をかけた娘と一緒にビーチを走っています。

生理の量は、以前は1日に10枚以上使っていたナプキンは、5日間で10枚に減りました。血液の塊も全く出ないし、生理痛もありません。本当に今は物足りないくらい、もう生理終わり?って感じなのです。不思議なことに、手術前にあんなに食べていた「氷」を全く食べなくなりました。飲み物に入っている氷を全部がりがり噛んで、お替わりまでしていたのですが、今では全く食べません。これは私だけだったりして…。

先生、看護婦さん、事務長さん。本当に海よりも深く感謝しております。今、手術を迷っておられる方、これだけは真剣に考えて下さい。自分の知らない間にも子宮の病状は進んでいるし、先生の後継者は今のところおられません。

子供を望まない方でも子宮は本当に大事ですし、なにより筋腫などをかかえていては、今後皆様も私のような症状になってゆくでしょう。健康に勝る幸せはありません。体も心も健康にしてくれた先生と出会えたインターネットに感謝します。ありがとうございました。本当は、もっともっと書きたいのですが、先生、いつまでもお元気で。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
術前(pre-ope)
のMRI
術前のMRI1

保存された子宮と摘出物
子宮腺筋症 術後の保存子宮
腺筋症
(adenomyosis)
術後の保存子宮
(conservative Ut.)


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)356521
血色素(Hb)(g/dl)7.013.6
ヘマトクリット(Ht)23.640.7
CA-1257424
備考
●摘出物: 95g
●病理  : 腺筋症        


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