「まさか」でも「やっぱり」の術後の妊娠
レポートNo.55

長島 薫(29才)
●長男出産後に生理不順に
生理が長びくようになったのは、長男が1歳半を過ぎて目が離せない子育て真っ最中の時でした。生理が始まると2週間から20日間ぐらい出血が続き、やっと終わったと思うとすぐにまた次の生理が始まるというありさまで、晴れ晴れとした気分とはほど遠い毎日を送っていました。

ひと月の半分以上は出血しているので絶えず貧血気味で、長男を公園に連れて行くのもやっとの思いでした。きっと青い顔をしていたのでしょう、公園で会う友達からは「大丈夫?」といつも心配されていました。

平成9年の春には、生理が長びくうえに量も多くなっているのを自覚するようになり、初めて病院に行きました。最初に行ったのは近所の個人医院で、年配の先生は「子宮筋腫だが、放っておいても大丈夫。しばらく様子を見ましょう」と言い、治療らしいことは何もせずに帰されました。

放っておいても大丈夫と言われても、相変わらず出血はだらだらと続いています。とても納得するわけにはいかず、やはり大きな病院でないとダメだと思い、いい女医先生がいると聞いて東京女子医大病院に行きました。しかし、ここでの診察の結果はとてもショックでした。

いきなり「全摘ですね」と告げられ、女医先生はまわりの助手の先生にも意見を求めたあげく「子宮を残すのはやっぱり無理よねえ」と言いました。


●出血が止まらず、選択を迫られる
「放っておいても大丈夫」という個人病院と「全摘」という大学病院、そのどちらの診断も受け入れることができず、次に行ったのは住まいに近い昭和医大病院の分院です。そこでは「ホルモン治療で筋腫を小さくしてから、核出手術をしたほうがいいでしょう」と言われ、スプレキュアをすることになりました。

しかし、スプレキュアを始めるとすぐに気持ちが悪くなって、続けることができず7日間で中止。しばらく様子をみることになりましたが、状態が改善されたわけではありません。改善どころか、そうこうしているうちに出血が止まらなくなってしまいました。

ひとつの病院の診断だけで決めてはいけないと思い、セカンド・オピニオン、サード・オピニオンを求めて病院をまわっている間に、皮肉にも病気は進行して、早急にどこの病院でどのような治療を受けるかを決めなくてはならない事態になってしまったのです。しかし、納得して治療を受けたいと思える病院はどこにもありませんでした。

「こんな病院もあるよ」と広尾のことを教えてくれたのは主人でした。インターネットで検索して広尾のホームページを見つけ、プリントしてくれたのです。平成9年の6月、広尾のホームページが開設されてまだそれほど日がたっていないようでした。

今ではこの「体験談レポート」に50人近い患者さんが体験談を寄せていますが、3年前はまだ6〜7人ほどだったでしょうか、それでも子宮保存手術によって元気になった患者さんたちの体験談には子宮が救われたことへの感謝があふれていました。

正直なところ、最初は有名な大学病院が「全摘」と診断していることを個人病院が「子宮保存できる」と判断することに戸惑いがありました。大学病院でできないことがどうして個人病院でやれるの?という疑問と、自費診療である点が気にかかって、広尾で手術することをすぐには決断できませんでしたが、そうしている間にも出血は続きました。


●手術後1年半で「まさか」の妊娠
「広尾に決めたら」と、迷っている私の背中を押してくれたのは主人でした。何よりも子宮が残せるという点を主人は判断の決め手にしたようです。私自身ももちろん子宮保存を望んでいましたから、主人が理解を示してくれたことで迷いは消え、とにかく早く元気な体になって長男を育てなければという気持ちで手術を決断しました。私の両親も主人の両親もよく理解してくれて、入院中や退院後の長男の世話などいろいろ援助してくれました。両親たちの支援がなければすぐに手術の予約ができたかどうか、本当にありがたかったです。

手術は平成9年8月4日に受けました。摘出したのは、子宮筋腫40グラム、粘膜下筋腫15グラム、内膜ポリープ20グラムで、量はそれほど多くはありませんでしたが、出血しやすいタイプの筋腫だったと後で斎藤先生から聞きました。

手術後、先生に「2人目がほしいんですけど」と、妊娠の可能性を聞いたことがあります。先生は「その可能性はありますよ」という言い方をされましたが、そういう質問をした私自身、まさか本当に妊娠できるとは思っていませんでした。次の妊娠より、まず健康な体で子育てをすることが私の望みだったのですから。

術後は貧血もなくなり、生理の量も痛みも「正常な生理ってこんなものだったの?」と驚くほどで、とても元気になりました。もう青い顔をして公園に行くこともなく、活発に動きまわる長男の相手をしても疲れを感じなくなって、健康になったことを実感する日々でした。

妊娠がわかったのは手術から1年半がたった平成11年の3月です。その時の気持ちは、「まさか」という思いと、きっとこういう日が来ることを確信していたような「やっぱり!」という思いが入り混じったものでした。

手術室で手術に立ち会った主人は、メスの入った子宮を目の当たりにしているので「本当はあきらめていたよ」と驚きを隠せない様子でした。もし1年半前に斎藤先生に出会うことなく、大学病院で全摘手術を受けていれば妊娠の可能性すらなかったのですから、この妊娠は私たち夫婦、そして手術を応援してくれた両方の両親にとっても、本当に嬉しい贈りものでした。


●元気な妊婦生活、そして出産
妊娠中は長男の世話をしながらも助産院の母親教室でエアロビクスをしたりして、最初の妊娠の時よりも元気な妊婦でした。むくみや過剰な体重増加もなく、きわめて順調な経過をたどって、妊娠38週の10月21日に出産。体重2,674グラムの元気な女の子が生まれました。

出産したのは世田谷の国立病院ですが、初診の時に、広尾で受けた保存手術のことを知っておいてもらおうと思い、斎藤先生が作ってくださったファイルを持って行きました。病院の先生はとても興味深そうにファイルに見入り、こういう手術が行われていること、そして手術後に妊娠したことに驚いている様子でした。

出産は帝王切開でしたが、この時に先生たちの驚きは倍加したようでした。どこにも癒着がなく、とてもきれいな子宮だったというのです。術後の癒着を防ぐために手術時に癒着防止シートというのを使用することがあるそうですが、執刀した先生から「癒着防止のシートを使ったのですか」と聞かれ、「使っていないと思います」と答えると、そのことにも驚かれたようでした。

出産後に「もう一度ファイルを見せてほしい」と頼まれました。産婦人科の先生たちでご覧になったようで、手術の費用についても聞かれました。金額を伝えると、「これだけの手術であれば妥当な金額ですね。いや、こうやって赤ちゃんが授かれば安いかもしれません」とおっしゃいました。

斎藤先生の手術がどこの病院でも行っていない類まれな技術であるために、反感をいだいて正当に評価しようとしない医師も多いと聞いていましたが、この病院の先生たちはそうではありませんでした。敬意をもって斎藤先生の技術力を認めてくださったことを、私はとても嬉しく思いました。

この時に生まれた女の子は、もう9ヶ月。母乳だけですくすく育っています。毎日、ベビーカーでお兄ちゃんの幼稚園の送り迎えに付き合わされていますが、お日様をたくさん浴びて元気いっぱいです。人見知りをするようになって、片時も離れませんが、それも順調な成長の証拠。忙しいけれど楽しい毎日です。

健康な体で長男を育てたい、との一念で広尾で手術することを決断した私ですが、手術から3年後にこのような幸せな日々を過ごしているなんて想像もしていませんでした。どのような治療を選択するかで、その後の人生は大きく変わってしまいます。そのことを身をもって体験した私は、このホームページを読んでくださっている方たちにも幸せにつながる選択をしてほしいと願っています。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)478421
血色素(Hb)(g/dl)13.313.1
ヘマトクリット(Ht)40.539.4
備考
●摘出物: 子宮内膜腔に突出した
	   粘膜下筋腫     15g
           子宮筋腫       40g
           内膜ポリープ   20g       


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