「私の子宮腺筋症闘病回想」
レポートNo.59

J.T.(41才)
●子宮だけは取りたくない
今、私は健康を取り戻し、なによりも痛みのないこの喜びを、この病気で悩む患者さんすべてに知っていただき、一日も早く広尾メディカルクリニックの扉をたたいてほしいと心から願っております。

私が子宮腺筋症という病名を知ったのは、10年前の発症後から3年たって、ある病院で「おなかを開いて中を見ないと何とも言えない」と言われ、手術をした時に知りました。 その時には「悪いところがたくさんありすぎて取りきれないから、そのままおなかを閉じました」とだけ言われ、取り出されたのは3cmくらいの肉片がひとつだけでした。

それから子宮関係の本をくまなく読んで、「子宮筋腫と子宮腺筋症は根本的に全然違う病気であり、子宮腺筋症の方がさらにやっかいな病気で、直す方法は子宮全摘しかない」というのが大半の現代医学に、どこかで打ち消したい思いでいっぱいでした。 しかし、子宮だけは取りたくない一心で、その後いくつもの病院にかかりました。

広尾メディカルクリニックに行くまで、家の近くの個人病院から東急東横線沿線の病院(川崎市中原区・武蔵小杉の聖マリアンナ病院、川崎労災病院、東京・自由が丘の奥沢病院)、もちろん東京都内の病院(東京厚生年金病院、国立ガンセンターほか中小クリニック)にいたるまで、藁をもすがる思いで診てもらいました。

病院の診断は、「子宮が人より大きいこと」を指摘され、皆さんが言っておられるようにただ「様子をみてみましょう」といわれるだけがほとんどでした。

もちろん、スプレキュアも合計すると4年くらい試みました。しかし、最後にはスプレキュアも、ひどい吐き気と頭痛の副作用と、骨粗鬆症という問題で断念せざるをえませんでした。

年齢を重ねるごとにひどくなる生理痛と、レバーのような血の固まりに加えて、その量の多さは信じられないくらいで、毎回の生理は子宮が存在自体を主張しているような痛みでした。痛さは毎回極限で、何度子宮を取ってしまおうかと思ったかしれません。仕事もしていたので、生理の2日間は必ず有給休暇を取らざるをえず、どうしても休みが取れないときにはムリをして会社に行きましたが、仕事どころではなく、あまりの痛さで頭の中は真っ白でした。

手術の2年位前から、生理でないときにも子宮の痛みを感じるようになり、左足の太ももも生理のときに一緒にひどく痛むようになってきました。


●体験談レポートを読んで
朝起きてから夜寝るまで、毎日子宮のことを考えない日がないほど痛さで苦しんでいた今年(平成12年3月)、会社の同僚がいろいろなホームページを紹介しているパソコンの本を貸してくれ、そこで広尾メディカルクリニックのアドレスを知りました。

広尾メディカルクリニックのホームページ内では患者さんが自ら語った症状とか写真が載っていますが、最初は私もそれを信じてよいかどうか疑いましたが、読み進むうちにあまりに患者さんの諸症状は私が経験した症状そのものなのに驚き、私だけではなくこんなにも多くの人達が苦しんでいたのかと思うのと同時に、自分だけ悩んでいたのがすっとやわらぐ気がしました。

さらには、そのクリニックの斉藤先生の手術で、生理のつらさから解消されたと全員の方が書いてあるので、まさに地獄で光明を見る思いがしました。読み終わった時には、あの生理が軽くなるんだ、という期待と喜びの気持ちで、もう迷わずに広尾メディカルクリニックに初診の予約の電話をいれていました。

初診は平成12年3月3日でしたが、手術の予約は7月3日でした。正直いって、こんなに混んでいるとは思いませんでした。こんな痛い思いをしているのは世界で私一人だけだと思っていたので、すぐに予約はとれるものと思っていたのです。私以外でも同病の人たちがこんなにいたのは、不思議にあの痛さを共有できる友人のような気がしました。


●手術までの痛みと手術の痛み
手術までに3回は、またあのひどい生理痛と戦わなくてはと思い、生理がくると、「あと2回、あと1回我慢すれば楽になれる」と歯をくいしばって痛さに耐えました。

しかし、その最後の3回目の生理の時には、今までの痛みの集大成のような激しい生理痛と、おなかを暖めるために入ったお風呂場で、熱いシャワーをかけながら、あとからあとから全開した蛇口のように涌き出る大量の出血と大量のレバー状のもので、お風呂場から1時間も出られない状態が数日も続きました。

さすがに数日も続くと貧血になり、家の中で数歩歩くのでさえ目の前が真っ白になって、深呼吸をしないと歩けなくなり、何度も救急車を呼ぼうかと思いました。生理が始まって3週間たっても、痛みと出血はさらに勢いをつけて増すばかりでした。

手術の事前検査で指定病院の佐々木病院に行く日も体調は最悪で、何度も貧血になり、駅の医務室で休んだりして、佐々木病院に到着した頃には早く横になりたい一心でした。

佐々木病院では、案の定貧血と診断され(ヘモグロビンの数値は6.5)、そのまま輸血のため1週間入院しました。輸血は初めてで最初は副作用で高熱もでましたが、手術で絶対に健康を取り戻すという信念で、子宮の痛さもまだありましたが、あと少しで楽になると自分に言い聞かせ、最後の痛みに耐えました。

佐々木病院の退院と同時に広尾メディカルクリニックに入院し、私の場合、手術中は麻酔があまり効かなかったせいか何をしているかが感覚的にわかり、斉藤先生が一番大きい肉片を取った時には、以前からおなかの上からでも触れてわかるくらいのものがあったので、きっとそれだろうと手術台の上で思いました。

手術は約2時間で終わりましたが、痛みで眠れないその夜さえ我慢すれば、生理の痛さから比べたら、今考えると簡単なことだったとさえ思えてきます。


●10年ぶりに痛みのない生理
術後、自分を長年苦しめてきたビンにはいったモノの正体を見たときには、驚きました。あの一番大きい肉片もありました。以前に広尾メディカルクリニックの手記を読んでいた時に「あんな大きいものがあるなら漢方などで直るはずがない」と書いたあったのを思い出し、まったく同感だと思いました。取れたものは腺筋症部分410gと、内膜ポリープ0.1gでした。

術後、斉藤先生から渡された個人別の手術のファイルは、本当に驚き感激しました。今まで他の病院でこんなものを頂いた人はいないと思います。自分の縫合された子宮の写真も、冷静に見ることができました。

退院後の生理も他の方の手記どおりで、「今までの100分の1に減る」どころか、私の場合は「1000分の1」でも大袈裟ではないと思います。一番大きいサイズのナプキンを買うことなしに、普通サイズのナプキンで生活できるなんて、今までだったら考えられないことです。貧血もなくなり、今ではヘモグロビンの数値も13.6となりました。もちろん、10年ぶりの痛みのない生理のうれしさは言葉に現すことはできません。 改めて斉藤先生のすごさに圧倒されました。

私が思うのは、これも手記に書いてあったことですが、「斉藤先生には長生きしていただいて、もっとこの病気で悩む患者さんを一人でも多く助けてほしい」ということです。おそらくきっとこの病院を退院した患者さんなら、誰でもそう思っていることと思います。

斉藤先生はじめ看護婦さん達には大変お世話になりました。改めて感謝致します。 斉藤先生、いつまでもお元気で、苦しんでおられる患者さんを救ってください。

最後になりましたが、私に質問がある方はいつでもメールをお待ちしております。 メールアドレスは CYQ07505@nifty.ne.jpです。みなさんが広尾メディカルクリニックで早く健康になられますよう、心より祈っております。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI2 術後のMRI2
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物術後の子宮・卵巣・卵管
摘出物 子宮・卵巣


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)326447
血色素(Hb)(g/dl)8.113.6
ヘマトクリット(Ht)24.839.9
CA-12513011
備考
●摘出物: 腺筋症 (Adenomyosis)   410g
           内膜ポリープ(Polype)   0.1g       


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