「子供は5人、でも子宮は残したい!」
レポートNo.62

前島政子(44才)
21歳から9歳まで、5人の子供を持つ平凡な主婦の私が、体験した事についてのレポートです。日記形式になっており、乱雑な言葉や、文章が出てまいります事の失礼を、お許し頂きたく思います。日々悩み、苦しんでいる方たちの、お役に少しでも立たせて頂ければ幸いと願っております。


●生理が恐い
「死ぬかもしれない・・・」とうとう恐れていた事が、起こってしまった。

出血が17日間も止まらない!月の半分は、体調が悪く、生理が始まれば体中が痛み、熱も出てくる。溢れんばかりに流れ出る出血に、起きる気力も、体力もないそんな中での出来事だった。毎月来る生理が恐くて恐くて、この数年間自分をごまかし、騙しながら何とか過ごして来たが、もう私の体は限界だった。

症状は毎月ひどくなる。爪は反り返り、薄っぺら、色も艶もなく先のほうから割れてきて、人前では、手を出せない。貧血のせいで、心臓が悲鳴をあげているのがわかる。お風呂は寒い冬でも腰から下だけしか入れない、心臓に負担がかるので、苦しくなる。犬の散歩なのに、私が犬に散歩させてもらっていたと、言った方が正しい。なだらかな坂も、苦しくなり足が前に進まないので、犬に引っ張ってもらう。寝る時は、横向きで枕を2つ重ねて高くするのに、心臓がバクバクして寝られない。いびきもひどくなり苦しい。毎晩不安との戦い・・・。こんな生活が続くはずもなく、12月28日を迎えてしまった。

終わるはずの生理が、何日経っても終わらない、この日が我慢の限界だった。病院へ行き、出血を止める手術をしてもらう(麻酔をして子宮の中で固まった血を掻き出した)。1週間経ってようやくおさまり、少しほっとした。あれだけ出血したのに、母は強し!止まるとまた力が湧いてくる。子供達の為にも、頑張らなくては・・・・・・。

でももう限界だった・・・。


●先生が信頼できない
「できてる場所が悪いので、すぐオペしたほうがいいよ、子供が5人いるのだからいいじゃない、将来子宮ガンにもならないし病院を紹介するから、すぐ行きなさい!」初めて子宮筋腫と言われた病院の先生の言葉。ショックだった。

「手術するか、しいないかは、あなた自身の考え方で決めればいいのですよ。手術をしたくない人は、漢方で楽になる事があるから飲んでみますか?もし気が変わって手術を希望するなら、何時でも電話下さいね、すぐ病院を紹介しますから・・・」2件目に行った病院の先生の言葉、優しかった・・・気がする?

全摘が納得出来ず「これは男の先生だから悪いのだ。女の先生ならきっと私の気持ちや苦しみを、救ってくれる」と言う考え方に変わっていった。テレビや雑誌で有名な、N先生の病院を探し予約をいれた。1ヶ月待ち、私は少し希望を胸に神奈川へ、向かった。女性スタッフばかりでなんとなく安心し、来てよかったとほっとした。

私の順番がきて、超音波で子宮を見て、それから診断を下してもらったがそれがこの言葉だった。静岡へ帰るころには、もう疲れ果てて失望感だけだった。「一言、子宮を残せますよ!」と言って欲しかった・・・。

「もう無理ですよ!限界です!手術してくださいよ!」2月28日私の出血を、止めてくれた先生の、言葉です。(御願いですから、もういいかげんにしてよ的な言い方)3人の先生全員が、全摘しか頭にない感じで、私は先生達に不信感を持ってしまった。

子供を5人も育ててくれた、子宮だからこそ、全摘なんて許せなかった。私の体は、私の物だ!と、日に日に思いは強くなるが、体の状態は、ひどくなり、どうしていいか解らなくなってきた。もう全摘しかないかも・・・。」私はあきらめかけていた。


●子宮が残せるかもしれない!(広尾メディカルクリニックとの出会い)
我が家にパソコンが入った!子宮筋腫といわれ、ショックを受けたが、何の知識もない事に気が付いた。インターネットで病気を調べてみれば、色々な事が解り、「もしかしたら全摘をしなくていい方法を見つけられるかもしれない」と言う希望がわいてきた。

病気―子宮筋腫と進めていくうちに、何件かの病院の患者さんの入院レポートが目に入ってきた。全摘手術をされた方が、どんな思いでここまできたのか少しわかった気がした。辛く悲しかったに違いない、改めて女性は強いと思う。でも、子宮を残したい!そして私は広尾メディカルクリニックに出会った。私は、この時を待っていた・・・と言う言葉しか浮かばない。

「子宮が残せる!私の大切な子宮を残してもらえる!」ブラックジャックの様な先生がいた事に、驚いた。嬉しさでドキドキし、早く先生に会ってみたい衝動にかられた。早速予約を入れてもらい、2週間後私は夫と鶴見駅に立った。期待と、不安で一杯だった。


●ブラックジャックとの出会い
駅前からタクシーに乗ったが、クリニックを運転手さんが知らなかったので、「もしかしてもぐりの病院?」いまだから笑える様な出来事だが本当に不安だった。

玄関を開けてビックリ、明るい室内と、沢山の観葉植物、そしてなにより驚いたのが、ダックスフントのワンチャンが、飛び出してきた事。たまげた、ここはいったい何処?と言う感じがしたが、静かで、空気がきれいで、ポカポカしていて、私はまったく違う世界に来てしまった様だった。

そして、看護婦さんが先生を呼んでくださった。先生は、インターネットで見るより、素敵だった。(言い過ぎ?)さっそく診察して頂きその結果、「子宮は、残せますよ。」とうとう望んでいた言葉を聞く事が出来た。この言葉を聞きたいが為に、今まで苦しんできたが、もう終わり、万歳!私は心から齋藤先生に感謝した。

診察のあと、料金やその他の説明を、2階で事務長さんにしていただいた。子宮が残せるという喜び、しかしそれに伴う費用を考え、一瞬迷いが出たのも事実だった。家に戻った次の日に、「5月29日に手術を受けたい」と言う返事を病院へ入れた。約4ヶ月近く間があり、確かに不安もあったが、早く楽になりたいという願いのほうが強かった。


●不安
4ヶ月近い間に、クリニックから何の連絡もないし手術の検査も手術2週間前、なんだかとても不安になった。貧血も毎月ひどくなっているのに、増血剤も出してくれないなんて何かおかしいな、と思った。

「本当に手術が出来るのだろうか?」「今の私の状態で手術が耐えられるのか?」「手術を受けるのをやめようか、もしかしたら少し落ち着くかもしれない」小さな疑問が、大きくなってしまったので、先生にメールを送った。

「貧血の検査もなかったし、何故増血剤を出してもらえないのですか?」(貧血がひどいのに、おかしいのでは?と言いたかった。)間もなく先生から直接電話を頂いた。まさか先生から電話があるとは、思っていなかったので驚いた。

「今体が良い状態ではないので、増血剤を出してまた悪くしたくない。増血剤を飲んだため、胃を壊したり、具合の悪くなる人がいるので、余計なものは出したくない。」と言われた。体の具合が悪くなるのと平行して、心の具合まで悪くなっていたのだ。それは、検査前日、手術まで後10日というところまで続いた。


●手術から退院まで
手術前日、1人で鶴見のホテルへ泊ったが、初めての一人旅でワクワクした。7時以降水が飲めないので、「6時59分59秒までなら飲んでいいのだ」と自分で自分をなぐさめたりして・・・。

手術をすることより、水が飲めないと言う事の方が私にはこたえた。「2日も我慢できるだろうか・・・」思えば思うほど喉が渇く気がしてたまらない(お腹はガボガボ状態)。

そんな不安を抱えながらも、先生や看護婦さん達の、お力添えで無事手術を、終える事が出来た。手術中レゲエの音楽が、少し薄れた意識の中でとても心地よく、「緊張をとくのに、手術中は音楽がいいと思って、今まで演歌とか色々試したけど、レゲエが一番良かった。」と患者の為にここまで考えてくれる先生が、いるでしょうか?本当に有り難い事と思います。(歯医者さんは、見習って欲しい)。

手術は、お腹がちょっと押される感じや、つれるかな、程度の体の負担だけで、思っていたより痛みもなく終わった。何より、笑いも出る雰意気に、どれだけ慰められて助けられたかわからない・・・。

(本当に私は小心者)これが、子宮全摘だったら、この辛さは比ではないはずだ。手術後、それなりに色々あったが、(人によって、症状が違うと思う。)筋腫での苦労を考えたり、もう苦しむ事もない、と考えたらこんな事で負けられない、頑張るぞ!と思った。

入院中のデータ、写真、手術中のカルテ等を、先生がファイルにして退院前日に渡して下さった。入院前に、疑問を病院に向けた身として、申し訳なさで一杯だった。そして、本当に6日目で退院となった。


●10ヶ月が過ぎて
「数年も、筋腫で悩んでいたなんて、うそみたい。」「保険が利かなく、費用で悩んでいたのが、うそみたい。」「手術中に、麻酔が切れたり、痛かったらどうしよう。水を、飲まないで、生きていけるのか。」悩んでいたのが、本当にうそのよう。

退院後、3週間目に生理がきて、驚いた。こんなに、少なくていいのかと、疑ったぐらい今では、3日で生理が終わってしまう。本当にうれしい!貧血も2ヶ月でほぼ平均値になった。生理のたびに、体中痛くなり、熱が出て、苦しんだわたしは、もういない!


●悩める女性たち、そして今の自分
子供が何人いるから、子宮はもういらないなんて、絶対あるはずがない!将来子宮ガンにならないから、子宮はなくてもいいなんて、あるはずがない!ガンではないのに、全摘なんてぜったい許せない!

苦しみ、悩んでいる全女性に対して、こんなに健康になれるのだと言う事声を大にして、伝えたいと思う。お金の事、手術の事、いろいろあるけれど、健康でなければ誰も幸せになれないし、してあげられない。健康が、お金で買えるなら、私は買いたいと思う。そして又元気になったら働いて、返せばいいではないか。

女として、母として、社会人として、頑張りたいと願ってるし、子宮を残したいと願った選択は、決して間違っていないと確信している。

私のつたないレポートを読んでくださった女性たちに、「人生頑張って欲しい」と願ってやみません。「人生を変えるのは、自分自身である」と言う事を、忘れないで欲しいと思うのです。子宮は絶対残せるのですから!

最後に、手術をして下さった齋藤先生、1週間お世話をして下さった4人の看護婦さん、心配してくれた親や姉達、お金を黙って出し手術を勧めてくれた夫、いない間頑張ってくれた5人の子供達、私の為に心配をして下さった全ての方々に、心の底からお礼が言いたいと思います。

健康を取り戻し、減量も成功し、私は変わりました。44歳となりましたが、今とても幸せです!
メールでの質問もどうぞ。Maejima@ruby.ocn.ne.jp
術前(pre-ope)
のMRI
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のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)424434
血色素(Hb)(g/dl)8.013.0
ヘマトクリット(Ht)25.839.4
備考
●術前主訴:生理が多い、腰痛、疲れやすい。

●摘出物:  腺筋症    150g
	   粘膜下筋腫     45g
           内膜ポリープ  0.1g       


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