「持病も軽減。健康な日々に感謝します。」
レポートNo.63

真鍋理恵(33才)
●赤ちゃんほどの巨大筋腫
お腹が肥ってきた?と思い始めたのは、27〜28歳頃でした。
「おめでたですか?」33歳頃、手術直前の私のお腹は、まさに妊婦さんそのものでした。好意的に声をかけてくださった方に、まさか「いいえ、これは筋腫なんです。」なんて言えるわけもなく、「ええ、まあ・・」などと曖昧に返事をして変に気を使い、くたびれたりしていました。

妊娠すると胎児の成長とともに内臓が圧迫され、1度に食べられる量が減ったり、腸の動きが鈍くなったりすると聞きますが、それと全く同じ事が私の体にも起こっていました。それに、日常のかがむ動作でお腹がつっかえる、仰向けはお腹の重みで苦しく横向きでないと眠れない、すぐに息切れがするなど、動作の面でも妊婦さんと同様の苦労を味わいました。

スカートやズボンは毎年毎年着られなくなり、無意識にお腹をさすったりしていました。それでも妊婦さんは日々の苦労と引き換えに生理はありませんし、苦労の先には可愛い赤ちゃんの誕生というご褒美もありますが、私には何もありません。巨大な塊をお腹に抱えて辛い日々でした。

私の筋腫が発見されたのは、産婦人科ではありません。
私には「ライター症候群」という持病があり、これがカラダに色々と悪さをします。足腰背中の痛み、発熱、胃痛、カラダのこわばり・・。数え上げたらキリがありません。現在は根治療法が無く、現れる症状を対処的に療法するしかないそうです。

それはさておき、29歳の12月、身内のお葬式で長時間の正座をしていたら、脚全体が歩けないほど痛くなってしまい、整形外科に行きました。検査のためMRIを撮ったら下腹部に15cmもの筋腫がある事が分かり、MRIの技師の方も整形外科の先生も驚いていました。

後日、同病院内の婦人科へ。年輩の医師が、診察後、やる気無さそうに「もうダメダメ。子宮も潰れてるし腸と癒着してるよ。」と、それだけ。治療方針の説明や私が通える病院への紹介などという話は一切ありませんでした。困ったな〜とは思いましたが、激しい生理痛や貧血などの深刻な症状はありませんでしたので、何となくほったらかしにしてしまいました。

30歳の時、「ライター症候群」が発症し、某医大病院に入院しました。様々な精密検査を受けている過程で、またしても私の“巨大筋腫”が先生方の話題に上り、婦人科の受診も余儀なくされました。

「この大きさだと手術は免れません。年齢的にもまだ若いし子宮を全摘しろとは言えません。ですが、この大きさで子宮を残すとなると相当大きな手術になるし、そうなると傷の治りも遅いし、術中の輸血も必要、持病もあるので普通の人よりリスキーです。全摘出した方がカラダへの負担は軽くて済みます。今はとりあえず持病の治療をして、それが一段落したらまた考えましょう。」開腹してダメだと判断したら全摘出する、とも言われました。

最初の医師よりかはマシですが、「子宮を残すのは無理、全摘した方がいい」と言われたのと同じです。でも、全摘出は絶対イヤでした。

32歳の夏。持病の治療が一段落したので、婦人科で再診しました。筋腫のあまりの大きさに、長期の入院を余儀なくされる事と家庭の事情が折り合わず、手術ができる状況ではなかったので、とりあえずホルモン療法で様子を見ることにしました。(ナサニール使用)

半年間の治療後、ウエストがキツかったGパンがはけたので、“小さくなっている!”と思いましたが、医師の判断では効果無し。それにナサニール使用中は持病の症状が強く現れるのか、体中の筋肉がひどくこわばり、動作が極端にノロノロしていました。電車から降りるのも1駅前から出口近くで準備しないとダメなくらいです。これは今考えると、恐ろしい影響だと思いました。


●全摘出以外の道を模索、でも・・・
同年、暮れ。我が家にインターネットを導入しました!持病は仕方なくても、筋腫は何かしら治療法があるはずだ!と思い、調べまくりました。すぐに「広尾メディカルクリニック」を発見して、ものすごく興味をそそられたのですが、自由診療だったのが不安で、最後の切り札として取っておくことにしました。

年明けて1月。某市立病院で「子宮を残す筋腫摘出手術」を、行っているという番組を見ました。“保険治療で子宮が残せるかも!”心の奥に期待を秘めて、初診の申込みをしようと思ったら、受付の看護婦でもなさそうな事務員の人に「筋腫の保存手術を受けられるのは、筋腫がコブシ以下の大きさで貧血の症状があり筋腫のできている場所が限定される人なのよ」と、先に言われました。

あなたは医師じゃないでしょう?と内心ムッとしましたが、TV放映後、問合せや診察の申込みが殺到したのでしょう。病院側の事務的対応としては仕方の無い事かもしれません。ですが、必死の思いでやって来る人たちに対する態度ではないような気がしました。とりあえず診察は受けられましたが、やはり医大病院と同様の処置しかできないと言われ、医大病院よりは順番が早く手術が受けられる、という事が分かっただけでした。

29歳から32歳まで、いえ、もっとそれ以前から、筋腫をほったらかしておいて平気だったの?とお思いでしょう。私の場合、筋腫の巨大さにもかかわらず、貧血や寝込むほどの激痛はなかったのです。

確かに生理中は体調は悪くなりグッタリします。鎮痛剤も飲んでいましたが生理痛で寝込んだことはありません。出血も多く、トイレでドボドボと“塊”が出ていましたが、貧血にはなっていませんでした。でも、いくら自覚症状が少ないとはいえ、こんな大きな塊が腹腔内にあって健康なはずはありません。

手術前にはタンポンすら正しく使えないほど、筋腫が腹腔内で膨らんでいたようです。夫婦生活もお互い気を使ってかなり味気なかったと思います。それにこの筋腫、小柄な私には大荷物。2,700g以上もの荷物をお腹につけて、毎日の生活。足腰への負担はかなりのもので、持病を悪化させているようでした。

これ以上筋腫を成長させると、ほかの部分もダメになる!いよいよ覚悟を決めて、「広尾」を訪れたのは平成11年10月19日のことでした。


●初診から手術・術後まで
「広尾」は病院らしからぬアットホームな建物とインテリア、斎藤先生もお医者様らしくなく、白衣も着けずにおしゃれな格好でいらっしゃいました。ちょっと怖い感じもしましたが、お話しているうちにそんな印象は無くなりました。

「大丈夫、残せるよ。もっと大きい人も残せたんだから」と先生に言われ、このチャンスに賭けようと決心しました。5日間の入院なら夫にもさほど迷惑はかかりませんし、何よりも、介護中の親への力仕事が1カ月間で復帰できると言われ、とてもうれしかったのです。費用の事は夫にも相談しました。私の辛さをよく理解してくれていたので、すんなり賛成してくれました。

平成12年2月28日に手術して1年経った今、お腹はすっかりペチャンコで、当時では考えられない程元気になりました。ですが、手術や入院中には色々なアクシデントがありました。持病のせいで心臓に負担がかかるため麻酔をあまり効かせられず、縫合された時は少し痛かったし、手術中の血圧もかなり上下していたようでした。なぜか、雪山で遭難して「眠ってはいけない!」というシーンを思い浮かべてしまいました。

術後、巨大筋腫がなくなっても、動きの鈍くなっている内臓が急に活発になるワケではありません。入院中は食欲が無く殆ど食べられず、食べてもなかなかガスが出ず苦しいし、傷は痛いし・・・。かなりストレスフルな日々。

でも、タイヘンだった記憶は退院後20日くらいまでで、それ以降はグングン元気になり、今では体は軽いし、食事は人並みに美味しくいただけるし、生理は軽いし・・、いい事ばっかり!「痛い辛い」を耐えた甲斐がありました。元気な私を、主人も喜んでくれています。

持病のせいで足の付け根が痛むのだとばかり思っていたら、その痛みも軽減していました。きっと、筋腫に圧迫された痛みもあったんですね。他にも持病のせいだと思っていた症状が、だんだんと軽減しています。

せっかくこうして元気なカラダを手に入れたのですから、持病ともうまくお付き合いして、健康で心豊かな生活を送りたい、と心から思います。そして、難しい持病がある私の手術を無事成功させ、健康な体へと導いてくれた斎藤先生と広尾メディカルクリニックの皆さんに、夫や両親共々本当に心から感謝しています。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2

摘出物(入りきらない量だった為)摘出物
摘出物 摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)409442
血色素(Hb)(g/dl)12.313.4
ヘマトクリット(Ht) 36.743.2
備考
●摘出物: 2723.1g
	筋腫(Leiomyomad)                 2720g
	粘膜下筋腫(Submucosal)              2g
	腺筋症(Adenomyosis)                 1g 
	内膜ポリープ(Endometrial Polype)  0.1g       


Copyright(C)2001
HIROO MEDICAL CLINIC