「誰のためでもなく、自分の人生のために・女性であるために」
レポートNo.67

I.T.(34才)
私が「広尾メディカルクリニック」で手術を受けたのは、自分の辛い症状を「子宮を摘出せずに」治療したかったからに他なりません。インターネットを駆使して外国の関連サイトや病院・治療のサイトも調べ上げましたが、私の病気を「子宮を残して」治療できるのは広尾メディカルクリニックの斎藤先生だけでした。


●仕事の充実感の影に・・
今の会社に就職したのが8年ほど前。入社当時は全く元気に働けていました。責任のある仕事を任されるようになると仕事がどんどん面白くなり、外資系企業なので海外出張も少なくなく、「働く者」として、本当に充実していました。その充実感に「生理痛」が影を落とすようになってきたのは27歳頃からです。

最初は薬で痛みを抑えて、何とか働けていましたが、痛みはどんどんひどくなり、28歳になる頃には必ず生理休暇を取らなくてはならない痛みになっていました。横にもなって休む事もできない激痛。四つん這いになって痛みに悶えながら、部屋をノソノソと動き回る・・。ノソノソというとノンビリした痛みに思われるかもしれませんが、動けないのにじっとしていられない、本当に七転八倒の痛みでした。

体験談でもよく拝見しますが、市販の鎮痛剤の効果がだんだんと薄れていくのです。指示されている量では全然痛みが治まりません。3錠のところが4錠5錠と増えて行き、次の服用までに6時間以上空けなくてはならないところを2〜3時間おきに服用したり・・。

私はたまたま、海外出張の時に、私の生理痛にはバツグンに効果のある鎮痛剤を発見しました。定期的に海外に行けるワケではないので、出張のたびにその薬を大量に買い込んでおきます。この鎮痛剤が無いと、私は生理の痛みを耐えられない・・。私にとっては大切な大切な薬でした。ですが、この薬も他の鎮痛剤と同様、だんだんと効き目は薄れてきました。8時間おきに服用するところを4時間で服用するようになり、当然胃腸も荒れますし、生理中の気分の悪さと相まって、時々服用した薬を吐き戻したりしていました。痛みに伴い出血もエスカレート。長時間座りっぱなしの会議や客先での打合せは、本当に困りました。

ナプキンなんてとっくにグッショリで、洋服の表面までベッタリ汚してしまうほどの出血。大事な会議中でも、携帯電話がかかってきたフリをして「ちょっと失礼します。」などと言いながらトイレに走る事もしばしば。いえ、走るとドバドバと出血してしまうので、フトモモで股間を圧迫しながらソロソロと歩かねばなりません。

生理中の通勤はいつもより時間がかかります。わずか30分ほど電車に乗っている間にも、2〜3回途中下車してトイレに行かねばならないほど出血します。電車に揺られている間もフトモモに力を入れて、股間をぎゅ〜〜っと圧迫します。少しでも出血しませんように・・と祈るような思いでした。客先で大切な打合せがあるのに生理日が重なる時など、同僚に「みんなに恥かかせる事になるから・・。」と会議を自ら辞退させてもらうこともありました。下着や洋服の替えは常に用意しておかねばならず、いつドバッと出血するか知れないので仕事にも集中できず、本当にイヤでイヤで仕方ありません。仕事に打ち込みたい私の意思とは裏腹に、そうさせてくれない自分の体が本当にもどかしく、苛立たしささえ感じていました。

こんなにひどい出血と痛みがありましたが、それでも2年前頃までは生理は1週間で終わっていました。それが変調を来たしたのは33歳になり、会社でのポストが上がった頃です。出血の期間が長くなり、それでも「生理は終わったな、ヤレヤレ。」と思った矢先に、ジャーーーーッっと出血があるのです。便器に跳ね散らかるほどの勢いと量の出血です。この血は何?何処から出てるの?さすがに怖いのですが、ものすごい重病を宣告されるのも怖くて、なかなか病院に足が向きません。


●暗いお正月
29歳頃・生理痛がひどくなっていた頃の健康診断結果は「貧血」でしたが、他に所見も無かったのでほったらかしていました。2年前の健康診断では「心音に雑音が混じる。」との事で、日大の駿河台病院を紹介され、上半身のエコーをしましたが、この時は何も言われませんでした。

2000年11月の健康診断では「脾臓が腫れている可能性がある。」と言われ、所見にも書かれ、「要精検」。この時すでに生理はメチャクチャだったので「脾臓じゃなくて子宮だな・・。いよいよかな。」と思いました。いきなり婦人科へ行く勇気が無かったので、とりあえずかかりつけの内科へ。「健診で脾臓だって言われたし・・」と、婦人科を後回しにする言い訳を自分にしながら。

内科での診察後、案の定「これは子宮だから」と婦人科を紹介されました。内科の1クッションがあったことで、ようやく婦人科へ足が向きました。12月の中旬。紹介された婦人科で診察後、全摘出か核摘出かはおっしゃいませんでしたが、即座に「これは大きい筋腫だね。摘出しましょう。」と言われました。私は生理痛や出血のひどさが改善できるなら手術も辞さないし、子宮を残してくれるなら何でも良い、と思っていましたが、その後、より詳しく調べるためのMRI検査後、「筋腫」から「腺筋症」へと診断が変わりました。

腺筋症は、今のところ子宮全摘出しか完治させる方法は無い、と説明されました。このような説明の時に、ドクターは患者である私を見ながら・写真を指しながら話してくれるのが当たり前、と思っていたのですが、単に技師からの所見を読み上げているだけで、何だかすごくガッカリしました。

更にこの「腺筋症」と診断されたのが年も押し迫った12月29日。病院はお正月休み。治療の見通しが立たない病気をお腹に抱えて、独りドップリと落ち込みモード。落ち込んでばかりも居られないので、インターネットで腺筋症について勉強し、治療法を探しまくった暗い暗いお正月でした。

このお正月に、「広尾メディカルクリニック」と腺筋症治療をしている病院(群馬)を発見しました。この時点で「広尾」が有望なのは明白でしたが、友人の若いドクターにも、「とにかく子宮を残せると言うなら、何でも試した方が良い。」と言われていたので、どちらも受診してみる事にしました。年が明けて、群馬の病院→「広尾」と連日で受診。「広尾」を後にしたのは、群馬がダメそうだったら「広尾」で即決できるように私は、とにかく仕事ができる体になれるなら何でもやる!という心持ちだったので、子宮を保存しつつ生理痛を治める治療法があるなら何でも試すつもりでいました。

群馬でのダナゾール局所注入治療も、リスクとの兼ね合いを判断した上で、受けてみるのも良いと考えていました。群馬の病院では、私の期待はアッサリと裏切られました。腺筋症が大きすぎて対応できないようなのです。しかも行くたびに同じ事を繰りし言うドクターには、少々辟易してしまいました。ここのドクターは私のMRIを見て、医師の教科書のような分厚い本を取り出し、おもむろに「悪性リンパ腫・悪性肉腫」の写真を見せ、「ほら、これとソックリだ。あなたのは悪性腫瘍だ。」と決め付けました。

最初は「そうなのかな?」くらいは思いましたが、子宮体癌検査も受け、悪性ではないと判明した後も、「悪性だ。検査だ。」と同じ事を繰り返すのです。腺筋症の患者さんが藁にもすがる思いで、大勢集まって来ています。そんな状況で前回の診察を覚えていろとは言いませんが、前回何をしたかくらいはカルテに書き、今回の診察はそれを見てから話をしてくれ!という感じです。「悪性だ!」と言われるたびに、「検査は受けて、悪性ではありませんでした。」と説明しなくてはなりませんでした。今思うとですが、

  • 私の腺筋症はここでは治療できない。
           ↓
  • だけど治療できる!と謳っている手前、治療できないとは口が裂けても言いたくない。
           ↓
  • 悪性腫瘍ということにして摘出してしまおうという考えだったのかな?


と、ふと思ってしまいました。


●「広尾メディカルクリニック」の初診から手術まで
斎藤先生の持つオーラは、私の尊敬する会社の社長やディレクターのそれと同じだったので、「ああ、やっぱり」と感じました。偉業を成す人って空気が違います。斎藤先生は言葉こそ少ないのですが、私の子宮を救えると断言してくださいました。私にはそれで充分でした。 また、MRI画像を見ながら・指しながらの説明がとても頼もしく信頼に値し、私に安心を与えてくれました。

地元の病院では、腺筋症を少しでも縮められる可能性がある事から、スプレキュアの擬似閉経療法を試す事になりました。患部が小さくなるかどうか経過を見て、手術については後から考えましょう、というお話でした。群馬の病院にも、ダナゾール治療ができないならスプレキュアが欲しいと言い、2つの病院からスプレキュアを処方してもらうようにしました。

話が前後しますが、2000年の1月に昇進して、仕事への意欲と責任感の大きさから、かなりのプレッシャーを感じつつ仕事をしていました。12月に腺筋症と分かってから、より症状が悪化したような気がして、自分への苛立ちを更に強く内包しながら、それでも「自分に負けるな!」と仕事をしていました。

スプレキュアを始める前に3週間ほどの海外出張があり、氷点下のフィンランド(本社)からロンドン経由で初夏のシドニーへ。その3週間目に生理が来てしまいました。シドニーで、皆が半袖シャツやラフなTシャツなどで初夏を満喫している中、私ひとりカシミアのコートを着込んで体の冷たさに震えていました。夏の国にいながら体が冷えに冷えて寒いのです。どう考えても異常です。今なら出血があまりにも多すぎたせい?と考えたりしますが、当時はそれどころではありませんでした。傍から見たら「夏なのにコートを脱がない妙な日本人」だったと思います。また、長旅の疲れもあってか痛みも絶頂に達し、社用でなければ救急車を呼んでいたのではないかと思います。


●手術まで
地元と群馬の病院には、スプレキュアを入手するためだけに通いました。体に悪いと解かっていましたが、スプレキュアを止めることはできませんでした。仕事を滞りなく続けるための「必要悪」といったところです。出張が多く、定期的に通院できる生活ではありませんでしたから、2つの病院に通いセッセと通い、スプレキュアをストックしていました。

スプレキュアは、鎮痛剤と同様、私には無くてはならない薬になっていました。多少体がフワフワする感じはありましたが、他には大した副作用も無く過ごしていました。私にとっては副作用の怖さより、生理が無い事の方が大事でした。生理が無いというだけでこんなに仕事に打ち込める。あの忌まわしい痛みや大量の出血に悩まされずに済む。仮初めの「救いの神」といったところでしょうか。

そうこうしているうちに、スプレキュアを使っているのにもかかわらず、生理ではない出血があるようになりました。(痛みを伴っていないので生理ではなかった思う)毎日チョロチョロ、時にドッと不正出血があるようになり、内心、ちょっとマズイと思い始めました。この間、イギリスにいるボーイフレンドが、日本は様々な面で世界から遅れているので、海外なら治療できる病院があるかも知れないと、ロンドンの病院にかかろうと、色々と調べてくれました。ですが、どこの病院やドクターも大差なく、「腺筋症は、世界的に摘出しか治療方法が無いみたい・・」という事を感じました。


●手術・入院
術前に、佐々木病院でCT検査を受けました。その時、半年前のMRIではまだ「下腹部」の範囲に収まっていた私の子宮が、おへそを越えて膨らんでいました。術前に、斎藤先生から「大きいので縦に切るかも知れない。」と言われていましたが、結果は横に14cmの切開でした。先生に感謝!です。

この週に手術を受けた人は、私を含めて4人で、私は最後の4番目。2番目の方の手術が思いのほか長引き、既に午後9時を過ぎていました。立会いに来てくれていた母が、帰ったものか居た方が良いのかとソワソワしていました。手術中はほとんど眠っていたのですが、時々起きては「イタイイタイ・・」と呟き、また眠るの繰り返し。先生がお腹の中をかき回しているのは感じていました。手術室には音楽がかかっていたらしいけど、全然気付かず。手術が終わったのは日付の変わった夜中でした。(先生も看護婦さんも、本当にご苦労様でした。)

夜が明けて翌日。空腹はともかく、前日から水1滴口にしていないので、喉が渇いて渇いてたまりません。歯磨きするまで、口に湿り気を与えられないのが本当に辛かった。看護婦さんに「あと2時間で歯磨きします。」と言われてから時間の進むのが遅い事・・。1分1秒がとっても長く感じました。傷は・・やはり痛かった。カラダに色々な管が入っているので、動いてはいけないのだと思い込み、姿勢を変えずにひたすら仰向けで我慢していましたが、ついに辛くてナースコール。そしたらアッサリと「横向きになってもいいんですよ。」なぁんだ。寝返りしていいのか。食欲は全然なし。話をするのも辛かったけど、母が朝になったら電話をよこすようにと伝言していたようで、看護婦さんに「これでどうぞ。」と電話の子機を渡されました。頑張って電話をかけ、「お母さん?あたし。じゃあね。」とそれだけ。パジャマに着替えて起き上がりました。お腹が突っ張って背筋が伸ばせないけど、立って歩けました!

水曜日。ただ寝ていても痛いだけなので、マメにトイレに行ったりお部屋のベンチに腰掛けたりしていました。後はテレビを眺め、新聞を読んで過ごしました。食欲が無いのではなく、ほんの2〜3口の食事しか胃が受け付けないのだと判明しました。だからすぐにお腹が空く・・。夜中に看護婦さんに「おねだり」しましたが、片付けちゃって食べられる物は何も無いとのこと・・。仕方なく空きっ腹を抱えて眠りました。

木曜日。ガスが出ました。体全体が随分楽になっています。友達もお見舞いに来てくれました。お腹の管も外されて(外す時ちょっと痛い)シャワーも浴びて、退院に向かっているという感じ。この日は賢く、夕食の一皿を夜食用に冷蔵庫にキープ。

金曜日。お昼はお寿司で、先生と入院中の患者さんとでお食事会です。その後お茶会。術後健診の患者さんもいらしてて、とても元気そう。私もそうなれるのかな・・。期待・期待・期待。

土曜日。朝食後、抜糸をして退院準備。先生が「来週消毒にいらっしゃい。」と言って下さり、嬉しかった。母と妹と甥っ子2人が車で迎えに来てくれました。名残惜しいけど帰らなきゃ。お見送りしてくれる先生と看護婦さんにお礼を言って帰路へ着きました。車が揺れるたび、お腹に響いて傷が痛い・・。おまけに乗り物酔いなどめったにしない私が車酔いをしてしまいました。普通だったらここで吐いてしまえば楽になるんだけど、そんな事をしたらお腹の傷が・・。今までで一番辛いドライブでした。

退院後は日に日に回復し、退院して2週間目の今、まだまだ無理はできないけれど、一人の外出も怖くなくなりました。この間、食べ物には気をつけないといけない事を、身を持って知りました。美味しそうな誘惑とこんなに元気なんだからという油断に付けこまれて、焼肉ランチを摂ったその日の夜、お肉の消化が悪かったのか下腹部に鈍痛が・・!お腹が痛いだけでなく左足まで上がらなくなり、恐怖の一夜でした。それ以降、消化の良い食事を心がけ、胃腸に負担をかけないようにしています。

病理の結果も全て良性!本当にホッとしました。参考までに、斉藤先生からいただいたファイルの一部を抜粋します。「…子宮の両側が腹膜、付属器に強固に癒着、子宮前壁も腹間膜と癒着し非常に困難を極めた手術でした。… 腺筋症の摘出物は554g(7x7x2.5cm 120g他、25ヶ)、所要時間2時間10分…」あとは3ヶ月以上たったら術後健診です。お腹の中に陣取っていた子宮がどうなっているか・・。いえそれよりも、もうすぐ来るであろう生理はどうなのか、すごく楽しみです。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1 術後のMRI2
術前のMRI2 術後のMRI3

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)385462
血色素(Hb)(g/dl)10.113.2
ヘマトクリット(Ht)30.141.6
CA-1257735
備考
●子宮腺筋症   


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