「”広尾”での治療は、心までも前向きに明るくしてくれました。」
レポートNo.68

丸山直美(33才)
私は子供が好きで、結婚したらすぐにでも赤ちゃんができるといいなぁ、と思っていました。腺筋症があり生理痛もひどく、結婚したいと思った時、子供は授かるのだろうか?とかなり悩んだ時期もありました。この時は、腺筋症が結婚後に、こんなにも災いをもたらすとは思ってもいませんでした。3交替勤務の看護婦として働き、結婚4年の間に2度も流産を経験し、肉体的にも精神的にもかなりボロボロの状態でした。最後の望みを賭けて「広尾」での手術を決意した時、当時地元でかかっていた医師からの言葉は「そんなにまでして子供が欲しいの?」という、人として到底信じられないようなものでした・・。


●看護婦としての激務の中で
私は地元の国立病院で看護婦をしており、生活はかなり不規則でした。21歳で高等看護学校を卒業後、すぐに看護婦として働き始めましたが、23歳を過ぎる頃から生理痛を感じるようになり、鎮痛剤を服用するようになりました。生理が始まると、私自身が何も言わなくても、顔色の悪さと辛そうな動きで職場の仲間にはすぐに分かるようになっていました。「休んでいれば良いのに」と言ってくれる人も居ましたが、病気やケガをした方達が相手の仕事なのでそうもしていられません。そのうち出血も多くなり、白衣を汚してしまうのではないかといつも不安でした。

それに、25歳頃から鎮痛剤がだんだんと効かなくなってきました。市販の薬では全然痛みが治まらず、自分の病院で少し強めの薬を処方してもらい服用していましたが、それも効かなくなってきて、体に悪い!と知りつつ・自分は看護婦なのにこんな事をして・・と思いつつ、服用時間を6時間以上空けなくてはならない薬を3時間おきに服用したり、指定量の倍以上服用したりと、痛みを治めるために随分と「禁じ手」を使ってしまいました。

生理中の出血はかなりひどく、塊が出てきたり、そろそろ終わっても良い後半頃にドッ!と出血したり(もちろん塊もあります。)、出血が20日くらい続いたりと、今考えると恐ろしい状態でした。また、水道からジャーーーッと水が出るように出血する時もあり、いずれの場合も、ものすごい激痛を伴ったものでした。いつもナプキンは夜用を手離せず、家にも病院のロッカーにもナプキンを常備していないと安心できませんでした。


●病院難民・ホルモン療法を繰り返した日々
26歳頃、いよいよダメだと思い婦人科へ。1件目の病院。「腺筋症がある。」と診断され、まだ独身だという事と子供が欲しいという私の意向で、ホルモン療法を2クール試しました。ホルモン療法中は子宮が小さくなるのに、止めた途端大きくなってしまいます。

ここの医師からは「なるべく早く結婚して妊娠した方がいいんだけど・・」と言われ、結婚の予定も無い私にどうしろというのか?と思いながらホルモン療法で治療していました。2クール後の生理で10日目くらいの時に深夜勤務の最中、、突然トイレで大出血してしまいました。手の平くらいの塊が出て、その後、水道からジャーーーーっと出るような出血。血の気がサーーっと引くのが分かり、トイレが真っ赤の状態でした。

「別の病院に行ってみたら?」と同僚の看護婦からの勧めもあり、他の病院に行けばもっと違う治療があるかもと考え、次の病院へ行ってみました。2件目の病院でも同じく「腺筋症」と診断されました。ここでも1件目と同じく、ホルモン療法を薦められ、リュープリンを使ったホルモン療法を試みました。

本来は半年が1クールである療法なのに1年も注射を続けました。まだこの当時は、ホルモン療法で自分の病気が治ると信じていたので、治療を続けていました。さすがに通常の倍の期間も続けらる治療には不安が生じましたが、生理痛や出血から開放され、副作用である更年期症状は有るものの、普通の生活が送れるという安易な考えで治療を続けていました。

治療中に結婚が決まり、医師からもなるべく早く妊娠するよう勧められ、結婚3ヶ月目に妊娠しましたが、8週目で流産してしまいました。この時は、流産の原因はハッキリしないと言われましたが、腺筋症が原因である事は言うまでも無く、自分を責め、主人に申し訳なくて、ただ泣いてばかりの毎日でした。それに加え、流産後の出血がなかなか治まらず、2ヶ月近く出血が続き、心も体もボロボロでした。少量ずつだった出血が急に増えてしまったのを機に、3件目の病院に行きました。

ここでは「腺筋症に加え、筋腫の疑いもある。」という診断。「腺筋症と筋腫を手術で取ってしまえば妊娠できる。」と言われたので、迷わず手術を受けました。なのに、お腹を開いて見たらあまりの腺筋症の大きさにほとんど手術できず、取れたモノといえば表面の小さな筋腫だけ。こんなのはお腹を開いて閉じただけとしか言えません。

術後、またしてもホルモン療法。その後、医師から「子宮が小さくなったので妊娠してみてください。」と言われました。出血などの様子も小康状態でしたが、ある時突然の下腹部痛。ここの医師に「カゼの菌が子宮に廻ったのかもしれない。大事を取って入院してはどうか?」と言われましたが、絶対に違うと思い、断って違う病院へ行きました。

4件目の病院では、多少詳しく検査をしてくれたようでした。検査の結果、子宮の筋層に出血が溜まって壊死を起こしている、血液は自然に吸収される、壊死した部分は広がる恐れは無いとの事でした。「壊死した部分は本当に広がらないのか?」かなり疑問でしたが、お腹の中は見ることはできないので医師の言葉を信じるしかありません。

この4件目の病院でホルモン療法後、再度妊娠をということで、同じ事の繰り返しがかなり不安でした。生理が遅いと思い始めて「あれよあれよ」という間にお腹が硬く張って、妊娠5〜6週目なのにも係わらず、5ヶ月目くらいのお腹になってしまいました。妊娠を喜ぶ間も無く又しても流産。私の体も命に係わるような、かなり危険な状態になってしまいました。

流産後、2回とも脚の静脈血栓を起こしており、ホルモン剤の副作用であると考えられるのですが、ホルモン療法を受ける際に、どの医師も副作用については何の説明もしてくれませんでしたし、この医師は「そんな副作用は無い。」と言い切りました。今時、一般向けに市販されている「薬辞典」を見れば書いてあるような事を、医師が否定するとは驚きです。

その後体調が落ち着いてから、医師に手術をして危険を覚悟でもう1度妊娠を試みるか、子供は諦めて子宮全摘出するかをそろそろ決めて欲しいと言われ、既に私は落ち込みと混乱の渦中にありました。この医師の尊敬する大学病院の教授からも「摘出か、ホルモン療法。」と言われ、一生ホルモン療法を繰り返すなんて、続けられるはずもなく、全摘しか道が無いのか、と運命に見放されたような「どん底」の気持ちでした。


●最後の切り札
「いや、まだ可能性はある。」大学病院から帰って来た日の夜、主人が広尾メディカルクリニックのホームページを探し出してくれました。どうやら主人は以前から知っていたようです。藁をもすがる気持ちとはこの事です。「広尾」に予約を入れました。

「広尾」に行く際にMRIを持参した方が良いとの事で、4件目の病院にMRI画像を貸し出してくれるよう頼んだところ、数日たって「ご主人とお話したら渡します。」と電話で呼び出されました。「なんでかな?」と思いつつ、夕方、主人の帰りを待ってMRIを受け取りに行きました。そうしたらその医師が、「広尾」での診察を止めるよう主人を説得し始めたのです。

「そんなインターネットで調べたような、得体の知れない病院に頼るなんて、どうかしている。」「そうまでして子供が欲しいの?子供が居ると煩わしい事もあるんだよ。」「手術だったらわざわざ遠くに行かなくても、ここでできる。」
自分には病巣全てを切除できる技術は無いと言いながら何て言い草なんだろう、可能性があるのなら納得いくまで治療したい!手術しても腺筋症は絶対取り切れないし、術後はまたホルモン療法を勧める医師・あなたには私を治せないんだから余計な口出しはしないで!と、怒りで心が潰れそうでした。

今思い出しても腹立たしく思います。主人がどうにか話をつけて、MRIを受け取れましたが、こんなに不愉快で腹立たしい事は後にも先にもありません。今まで面倒を見てくれた医師を悪く言いたくはありませんし、私の身を案じての事と思いたいのですが・・・。1度目の流産の後も医師(2件目)に「妊娠の練習をしたと思って次も頑張りなさい。」といわれたことも忘れられません。医師の軽はずみな言葉にも、かなり傷つきました。

そんな一悶着の後、夫婦揃って診察に行きました。ホームページで見るような、すごい手術をこなしているとは思えないほど、こぢんまりした構えの、病院らしくない病院でした。診察室室のドアは開けっ放し、齋藤先生は白衣も着ておらず、夫婦揃って診察室に入る、婦人科なのに内診をしない・・。普通の病院しか知らない私には驚きの連続でした。

先生は、MRIを見た途端、「大きいねぇ、でも治せるよ。」とおっしゃいました。「オレに任せておけば大丈夫だ!」と言わんばかりの自信に満ちた口調に圧倒され、また来て良かったと思いました。話をしているうちに、こんな腺筋症を持ちながら2回も妊娠した事自体が奇跡に近いと言われました。それほど不妊の原因になっているのだと。やはり退治しなくては、いくら望んでも子供は授からない。夫婦二人して、多少の不安はあるものの「ココしか無い!」と確信しました。

また、血栓の原因はホルモン療法をこんなにやっているのだから当然と言われ、結婚後、ほとんど生理が無いほど、ホルモン療法をしてしまった自分が情けなくなりました。結局ホルモン療法は治療ではなく、子宮全摘を患者に受け入れさせる手段でしかないのです。

「広尾」での手術を決心し、予約しました。色々な方の体験談で「高額な費用」とあったので、1,000万円くらいかかるのかな?とドキドキでしたが、自分たちの支払える範囲だったので、一安心でした。


●手術・入院
2001年1月22日、手術。ちょうどホルモン療法の直後で、生理の来ないうちに手術できたので、良いタイミングでした。私は3番目予定。朝から支度をして待っているので、時間が経つのが遅くて遅くて。待っている間は、不安と緊張からか余計な事ばかり考えて、主人が食事に行くといって2時間も戻らず、些細な事でイライラしてしまいます。

いよいよ手術室に入り、1時間くらいはしっかり意識があり、お腹の中のモノを引っ張り出されている感覚がありました。手術が終われば主人は帰ってしまい、1人で頑張らなくてはいけないと思ったら、急に手術台から逃げ出したい衝動にかられたのですが、手も足も動かず(当然ですが・・)諦めました。汗だくで私の腺筋症と戦っている先生の姿を見たら、私も落ち着かなくては・・と自分に言い聞かせ、そのうちに眠っていました。

手術が終わったのは20:00頃。3時間半もかかった、「広尾」の中では長い手術でした。病室に戻って主人とは少し会話を交わしました。1度目の手術では、術後、麻酔の影響でかなり暴れたようなのですが(自分では全く覚えていない)、「広尾」での術後は静かに落ち着いている様子だったので主人も少しホッとして、最終電車で地元に戻ったようです。

術後は、日を追うごとに回復していきました。翌日、初歩き。痛む傷を押さえつつ歩きました。歩かされた事に驚きましたが、歩ける自分にもっと驚きました。木曜日のシャワー。術後3日で、バンソウコウでカバーしているとは言え、シャワー浴びていいんだ・・。考えられない回復の早さ。月曜手術・土曜日退院が納得できます。

金曜日、退院前の食事会&お茶会。昼から夕方まで喋りっぱなし。随分回復したのだと自覚できます。入院前とは打って変わって、気持ちが明るくなっています。この時斎藤先生から、「君の手術は大変だった。腸と子宮が癒着していたんだよ。滅多に緊張しないんだけど、君の場合は心臓をドキドキさせながらだったよ。ちょっと間違えば腸に傷がついて、ここでニコニコ笑ってられない状態だったんだよ。」と伺いました。それを聞いて、本当に斎藤先生に手術してもらってよかった、助かった、と言い尽くせない色々な思いが綯い交ぜになり、涙が溢れてしまいました。術後検診に来ていた方も、その話を聞いて涙ぐんでいました。

「広尾」の人たちは、何だかみんな、あったかい。看護婦として、自分もこんな病院で働けたらな、と思いました。メディカルな事は当然ですが、患者さんの身の回りのお世話や食事の支度、メンタルな部分まで、とにかく全てに渡って自分が係わっていられるというのが羨ましいと思いました。大病院の看護婦の仕事は、自分で働きながらも、何となく事務的な冷たさが払拭できませんが、「広尾」ではそういう印象は全く受けませんでした。

土曜日、主人が迎えに来てくれ、あまり傷も痛がらず歩いている私を見て、あまりに元気でビックリしたようです。退院の日は、関東地方は珍しく大雪で、斎藤先生に鶴見駅まで車で送っていただきました。帰りの新幹線の中でも元気になれた嬉しさで、主人から「少し黙って寝たら?」と言われる位、5日間の出来事などを話し続けていました。


●退院後
退院後、1週間は実家で甘えさせてもらいましたが、その後家事は徐々にできるようになり、1回目の手術と比べ、本当に回復の早さを実感しました。最初傷を見た時は、看護婦の私が言うのもナンですが、ビックリです。「これ、キレイになるの?」とかなり不安でしたが、少しずつキレイになりました。

術後の生理。ドキドキしました。あれれ?こんなに少ない出血?夜用のウルトラスーパーなナプキンなんてもう必要ないじゃない?あらら、こんなチョッピリなのにナプキンがもったいない、そんな驚きの連続でした。何より生理を気にせず外出できる事、夜安心してぐっすり眠れる事、痛み・出血が激減した事が嬉しくて・・。母からは、むくんでいた顔がハッキリとシャープな感じになったと言われました。そう言えばお肌も少し明るくなった感じがします。

術後5ヶ月めに術後検診を受けました。あんなにホルモン療法を試みても小さくならなかった子宮が、小さくなっていて、驚きでした。そろそろ5回目の生理が来る頃です。不順はありませんが、生理期間が10日前後と長いのが気になりました。斎藤先生から、「回復段階にあり、もう少しで安定する。」との説明を受け、安心しました。もう妊娠しても大丈夫と言われ、希望が胸に溢れています。子供は授かりもの、いつ妊娠できるか分かりませんが、ホルモン療法で傷めてしまった体を少しでも回復させなくては。立派な赤ちゃんを産めるように・・。

斎藤先生、広尾メディカルのスタッフの皆さん、色々お世話になりました。腺筋症は治らないから上手く付き合って行くしかないんだと諦めていた私に、希望を与えていただき、どちらかと言えば後ろ向きだった人生でしたが、これからは前向きに頑張れそうです。そして「広尾」を見つけてくれた主人、いつも支えてくれる両方の両親に、感謝の気持ちでいっぱいです。本当に皆さんありがとう。


●諦めないで
子供が欲しくてたまらないのに授からない・授かるように子宮や卵巣を治療する術が無い、生理が辛くてたまらないのに治療方法が無いと諦めかけている方、絶対諦めないで。納得できる治療方法は必ずあると思います。

ずいぶん遠回りしましたが、何としても子供を産みたい、私はその一念で「広尾」に辿り着き、斎藤先生と巡り会え、治療する事ができました。誰が何と言おうと自分の目と耳で確かめて納得し、確信の持てる治療を受けて欲しいと思います。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物
摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)418445
血色素(Hb)(g/dl)13.313.4
ヘマトクリット(Ht)38.341.6
CA-12518072
備考
●術後 Hb6
 ホルモン治療を続けていた。    


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