「後世に残すべき、斎藤先生の技術」
レポートNo.71

手塚輝美(29才)
私は看護婦です。自分が腺筋症であると分かった時、普通では子宮を残して根治できる方法は無いと分かっていました。だから、「広尾メディカルクリニック」での手術を終えて元気になった今でも、感謝しつつも、この手術が不思議でならないのです。また、初めて医療を「受ける側」に立ってみて、患者さんの“痛み”が少し分かった気がしています。


●生理は痛いもの
小学校の高学年で初潮を迎えた私は、最初から生理痛がひどく、生理は痛いものだと思っていました。その痛みは本当に辛く、痛みのため吐き戻し、全身脂汗・冷や汗です。中学1年生の時には痛くて倒れました。鎮痛剤はいつも服用(バファリン)、痛みが激しい時は座薬も使いました。鎮痛剤にカラダが慣れて効かなくなるのか痛みが増しているのか(おそらくその両方)、薬の効果は段々失われ、高校生の頃には婦人科で痛み止めの注射を打っていました。

生理の1〜2日目を乗り切ればあとは何とかなるので、その場しのぎでも何でも、とにかく痛みを抑えることが何よりも優先していました。中学時代、2度目に倒れた時にかかった婦人科では、子宮の発育不全のためひどい痛みがある、高校時代には月経困難症と診断。何とか治療したいと思い、この婦人科へ通いました。当時は、痛み止めとエストロゲンを分泌させるための薬が処方されました。

20歳になっても痛みは相変わらず。診察でエコー検査をしたら子宮が大きいらしく、筋腫の疑いあり。なのに「早く妊娠して子供を産みなさい。」「子供を産めば治るんだけどね。」と繰り返すだけで、治療などの話は無し。痛み止めの薬だけ渡されました。後日また、痛みで倒れて入院した時も、痛み止めの注射をされただけ。対処的に痛みを何とかすることしかできないのだ、とこの時分かりました。

こんな事を繰り返しながら、28歳になってMRI検査を受けました。検査前は「筋腫だったら核摘出手術という手もあるから。」と言われていましたが、MRIの画像から、私のは腺筋症だと分かり「これは取れないねぇ・・。」と。自分でも勉強していたので、理性では分かっていましたが、この痛みと一生縁が切れないのかというガックリした気持ち、治せない残念さ・無念さが入り混じってなんとも言えず、胸が重苦しい思いでした。

職業柄、先生に言ってもムダという事も分かっていたので、やるせなさは倍増していました。「治したいのだったら全摘出しかないが、独身だし若いから、ホルモン療法という方法もありますよ。」と言われました。「治せる・治る」とは絶対に言わず、選択肢を患者に示すだけ。医師側に、子宮を残して根治できる技術や方法が無いからです。それは自分でも分かっていました。看護婦という激務の中、こんな状態が続いていたら仕事になりません。子宮は取りたくなかったので、ホルモン療法を選択。治らないのに治療というのもおかしいですが・・。

私の場合、治療できるとは毛頭考えておらず、ただ痛みから逃れるためだけの対策に過ぎませんでした。4クール(約2年)も、ホルモン療法を続けましたが、投薬を止めると当然生理が始まります。治療前より痛みが増しているような気がしました。


●怪しいクリニック・・?
1999年、趣味でパソコンを購入、インターネットを始めました。とりあえずは腺筋症の治療法を探し、2000年の年明け頃、「広尾メディカルクリニック」を発見。「治せる」と書いてあったのはここだけ。他のサイトは既に自分でも知ってる事や、今までの医者が言っていたのと同じ事が書いてあるだけでした。見つけてすぐ、「診察を受けたい!」と思いましたが、現実問題、遠いので、電話を掛けるのをためらっていました。

それでも半年後の2000年6月、日帰りの強行軍で初診。斎藤先生はホームページで見たより若い印象。エコーでの診察後は説明を聞いただけで特に会話は無く、言葉少ない診察でしたが、ズバッと核心だけ話す先生は信頼できました。単に好みの問題かもしれませんが、ペラペラとよく喋る医師はあまり良くない気がします。私との相性だけかもしれませんが・・。医師と患者の相性は大事ですから。

初診の時、クリニックの場所がわからず迷子になってしまい電話をかけました。「何とか、中学校の近くまで来てください。」と言われ、やっとの思いで辿り着いたのですが、大きな看板も診療科目も特に掲示されていない、何かのお店のようなクリニックでした。たしか、普通の病院は、病院名・院長名・診療科目などを看板にして掲げるよう、決められているはずです。ここは病院名が控えめに書いてあるだけです。

この様子を、診察の結果とともに上司である婦長に報告したら、おおいに怪しみました。婦長はもちろん、医長までも「インターネットで見つけてきた」「自由診療」という事で、「大丈夫なのか?」と、本当に心配してくれました。ただ、私は自分のカラダに対する治療に納得したかったので、親や職場の上司を説き伏せました。

ただ、さすがに費用の事は大きなネックでした。それでも手術に踏み切れた大きな要因に、斎藤先生から同郷で手術をされた方を紹介いただき、直接お話ができた事があります。その方は「辛い思いをしながら手術の費用を貯めるより、健康な体で借金を返す方がよっぽど人生前向き。」と話してくれました。とてもパワフルな方で、これからの人生を生き抜くための気力に満ち溢れているように見えました。その方の存在に強く後押しされ、誰が何と言おうと「広尾」で手術を受けるのだ、という気持ちが固まりました。

術前の検査は、勤める病院で済ませ、(この時腫瘍マーカー260。術後10に下がる。)2000年9月18日、手術を受けました。私の手術は3番目でした。剃毛など手術の準備が進む中、「ここまで、長い道のりだった・・」という感慨深い思い、「この手術で私は治るのだ」という安堵感など、様々な思いが交錯し涙が溢れていました。手術台でも泣いてしまった私に「泣いてちゃダメだよ。」と先生がおっしゃって、麻酔を追加されたようで、その後はぐっすりと眠ってしまいました。

この手術には、東京の伯母が立ち会ってくれる予定でしたが、伯母が体調を崩してしまい、独りぼっちの入院でした。その伯母から術直後に電話があり、少し喋りました。手術後、麻酔が切れて意識が戻ったら傷が痛くて寝返りが打てないほどでした。左足に痺れがあり、麻酔せいかな?と思いつつ、痛みに耐えていました。2日目の歩行開始。私は手術が終わったのが遅かったのに、歩き始めは全員同じです。最後は損かも・・と思いつつ、傷の傷むお腹をかばいながらヨタヨタと歩いていました。


●苦しかった合併症
入院中、食欲はずーっとなく、何回かお腹が張って吐き戻しました。自分の症状から腸の動きが悪いと自覚、浣腸などで何とか腸の動きを良くできるよう試してもらいました。でも効果がいまひとつで、食事も不本意ながらずっと残しつづけ、退院前の昼食会のお寿司も、ほとんど食べられません。

9月23日が退院でしたが、相変わらずの調子の悪さ。この日が祝日でなかったら、退院したその足で東京の病院にかかりたいくらいでした。あいにく祝日だったので、救急窓口しか開いていないと判断し、早く地元に帰りたい!の一心で、鹿児島まで戻りました。

地元で病院にかかったら、即入院。腸閉塞が起こっているらしいのです。術後合併症としてはありがちな症状なのですが、それが自分の身に降りかかってくるとは・・。結局、腸閉塞の治療で3週間の入院を余儀なくされました。イレウスチューブ:(鼻から管を入れ腸内に溜まる内容物(腸液など)を排出させる)とIVH(鎖骨静脈からの点滴)を取り付けられ、絶食。腸を休めます。鼻からチューブを入れるのはかなりキツく、水も飲めないので、口は渇くわ鼻は痛いわ・・。腸の蠕動運動を促す薬を点滴から入れつつ、6日間過ごしました。食べて戻さなければOK、戻すようだと腸が癒着を起こしている可能性もあるので開腹するかもしれないと言われ、それだけは絶対に避けたく、「治れ・治れ」と祈るように過ごしました。

治療の甲斐あってか祈りが届いたか、吐き戻しは起こらず、チューブは外してもらえました。その後11日間、点滴はつけっぱなしでしたが、「飲む・食べる」という本能的な欲求を満たせないよりかは、はるかにマシでした。私はたまたま、地元まで帰れるくらいの症状でしたが(決して辛くなかったわけではありません。)、もっとひどく合併症が起こった場合、「広尾」ではどうするのだろう?と、ふっと思いました。勤務先の同僚や上司には「ほれ見たことか。」という人もいました。得体の知れない病院で手術なんかしてくるからだ、と。「生理痛は病気じゃない。」という人もいるくらいですから、耳を貸すには値しない意見なのですが・・。

合併症が治った後の回復は「早い」と感じました。自分の勤務先で手術を受けて入院している患者さんと比べても、明らかに回復が早いと思われます。傷も小さく、身体への負担を極力抑えてあるからでしょう。


●先生の後継者が生まれる事を望みます。
職場では「本当に生理来るの?」「手術はうまくいってるの?」と散々言われましたが、術後1ヶ月で無事、生理が来ました。それはもう、ただ、ただ「びっくり!」です。痛くない!痛くない生理なんて初潮以来なかった事。正常な生理は痛くないって、本当だったんだと実感しました。出血も少なくなっています。

自分の信じた道を選んで、本当に良かったと思いました。生理中でも、生理であることを全く気にせず外出できます。仕事でも、生理であることで周囲に気兼ねすることもありません。私の手術記録を勤務先の先生に見せても、「どういう手術をしているんだろう?」と首をかしげるばかりです。私自身も、手術を受けながら「どういう手術だったんだろう?」と思います。それほどに、今の医療の常識では、子宮を残して治療する事が困難な病気なのです。

先生の画像診断の眼力、手術の技術力の高さ、その他どれを取っても後世に残すべきだと思うのですが、残念な事に追従者が現れていないのが現実です。先生の後継者が現れてくれることを願ってやみません。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1 術後のMRI2

摘出物
摘出物 摘出物

摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)462480
血色素(Hb)(g/dl)140142
ヘマトクリット(Ht)43.046
CA-12526037
備考
●摘出物:125g
●病 理:(Adenomyosis)腺筋症
    :内膜ポリープ 0.1g


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