「"広尾"での手術を受け、子宮は簡単に摘出するべきではないと強く思いました。」
レポートNo.74

M.T.(33才)
●軽く考えていた私の症状について
私は20代初め頃まで、自分の生理は普通だと思っていました。「広尾」での手術を終えて1年ほど経つ現在、振り返ってみると、学生時代から出血は多かったようです。生理中に自転車に乗るとスカートに染み出したりしていましたから・・。しかしそれも、他人と比べたり軽々しく話せるような話題ではなかったため、「たまたま今日は多かったんだ。別に痛くないんだし、普通なのよ。」と思い込んでいました。

20歳まではそんな感じで、生理の時もそうじゃない時も大差なく過ごせていましたが、20代前半頃からだんだんと痛みが現れ、それでも「ちょっと痛むなぁ」程度だったので、薬は服用せずに済んでいましたが、段々と耐えられなくなり、市販でも強い薬「バファリン」や、「セデス」を飲むようになってきました。

25か26歳の頃、「この痛みは尋常ではない。」という程に痛みが激しくなり、イヤだったけど婦人科へ。婦人科にかかる前に、女性雑誌の「婦人病の特集記事」を読んだりして、自分の症状はどんな病気の可能性があるのかしら?とチェックしてみると、私の症状は「子宮内膜症」に最も近かったので、「ああ、きっとこの病気なんだろうなぁ。」と思いつつ、病院へ行きました。


●医師や治療が信頼できず、病院を転々とする日々
1件目の婦人科は総合病院でした。初診は年もちょっと変わらないくらいの若い先生でした。正直そんな先生に見てもらうのは死ぬほど嫌でした。診察の結果、やはり「子宮内膜症ですね」と言われ、ホルモン療法を行う事にしました。

私は会社の休みが土日なので、普段は土曜日しかこの病院には行けませんでした。ホルモン療法も2クール行ったのですから、1年半以上はこの病院にかかっていたことになります。最初見てもらった先生は感じ的には良い先生でしたが、その先生は土曜日担当ではなく、土曜日の先生は結構横柄で、質問もしづらそうな人でした。好ましいタイプじゃなかったところに、他の曜日の先生の印象があまりにも良かったので、何となくその病院からは足が遠のいてしまいました。病院を変えようと思い、不妊治療やお産で有名な産婦人科を知っていたので、そこにかかってみることにしました。

2件目の婦人科。ここではまず、待合室が憂鬱でした。お腹の大きな幸せそうな妊婦さんに囲まれて、治癒するかどうか分からない病気を抱えて、悲壮感漂わせながらひたすら待ち続ける居心地の悪さ。さらに診察室がまた憂鬱。何と、診察室と内診台の仕切りがヒラヒラのカーテン1枚なのです。大待合室から数名呼ばれて、診察室内の長椅子にて待機・・。ここまでは割とどこの病院でもありがちなのですが、この数名の待合患者に、内診している様子や診察の様子が『丸聞こえ』なのです。

1度などは、若い女の子が性病だというのが聞こえてしまい、「私はココに居て良いのだろうか?」と、私が悪いわけでも何でもないのに、罪悪感すら感じてしまったものです。この病院では、ボンゾールと言う経口薬を服用するよう指示されたのですが、療法の最中に少しずつ出血するようになりました。それが2〜3週間も続いたので、さすがに怖くなり、医師に相談しました。

ところが、止血剤を処方されただけで、薬を変えようとか、治療をどうしようという話は一切無く、不正出血していても「続けなさい」とそれだけです。「そんな話しあるの?」と恐ろしくなり、一気に不信感が湧き出して、結局この病院も行くのを止めてしまいました。

3件目の婦人科。個人病院でしたが、看護婦の友人が勧めてくれた病院でした。前の病院も個人病院でしたが、ここは今までで一番マシで、先生の診察や説明も丁寧でした。前の病院でのいきさつを話すと、先生から「薬が合わないようですね。他の治療に変えましょう。」と言われ、今度は注射のホルモン療法(リュープリン)を試しました。心配していた出血も止まり、生理痛もなく毎日が快適でした。

ただ、やはり治療が終わると、又生理痛が襲ってきます。1件目の病院から思っていたのですが、ホルモン療法が終わって生理が始まると、生理痛や出血が前回より酷くなっているような印象でした。薬の力で生理を無くし、仮初めの幸せを味わった後だから、余計に酷く感じるのかな?と思ったりもしましたが、鎮痛剤の効き目は明らかに悪くなっているし、ナプキン使用量が多くなっているし交換時間も短くなっているので、出血も増えているのに違いないのでした。こんな調子なので、旅行だなんだというイベントには、絶対生理が当たらないように、日にちを計算して、絶対大丈夫な時期で無いと遠出もできませんでした。

先生に問いあわせても、「この病気にはこの治療しかないからね。」と歯切れの悪い答えばかり。何回もホルモン治療が続くと、体の方が心配になってきます。ホルモン療法が終わってからは何ヶ月かは治療が出来ないので、病院でもらう痛み止めをストックしては、療法が終わったらず〜〜っと病院に行かないで溜め込んだ痛み止めを使って生理痛をガマンする・・ということを段々と行うようになっていきました。

しばらく経ってから病院へ行くと、前よりもっとひどくなっている感じでした。内診やエコーの検査では、「筋腫があるかもしれない」と言われ、先生が「手術も考えた方がいいかもね」と言い始めました。しかし、私は手術だけは絶対イヤだったので、又病院をさぼるようになりました。「これは体にいいよ」と言う民間療法も色々試しましたが、どれを試しても良くならず、結局は時間とお金の無駄だったかもしれません。


●時間とともに悪化する症状
PMS(月経前症候群)らしき症状も年々ひどくなり、生理前になるとお乳やお腹が張ってきます。イライラするし、生理はまだ先なのに、お腹が生理が始まる2週間位前から痛むようになってきました。そして生理が始まると、あまりの激痛に吐き戻して、ゲッソリ痩せ、終わるとその分体重が戻るという繰り返し。薬を飲むから何か食べないと胃が荒れるというのに、食べると吐いてしまうなんて・・。

生理休暇を取ったり、土日で会社に行かなくて良い時は、なるべく薬を飲まず、脂汗をだらだら流し、転げまわりながら痛みに耐えていました。最初は1日だった「痛み期間」が段々と長引いて、3日も4日も痛むようになりました。生理休暇はそんな長々と取れないので、とりあえず会社に行かなくてはなりません。会社まで車通勤だったので、車に乗りさえすれば何とか会社まで辿り着けました。帰りも這うように車に乗り込み、必死の思いで帰るのでした・・。

さすがに「これはやばい!!」と思うようになり、又病院へ行きました。今度は先生から「精密検査をした方がいい」と言われ、MRI検査を受けました。MRI画像を見た先生が「前に筋腫と言ったけど、筋腫じゃなくて腺筋症だね。」とおっしゃり、私の病名は「子宮腺筋症」と確定されました。

このころ、インターネットで腺筋症について調べ始め、「広尾メディカルクリニック」の事も知っていましたが、インターネットに出てるクリニックなんて怪しいかも・・?と思い、後回しにしていました。

ところが、かかっている婦人科の先生から「腺筋症の根治は全摘出しかないが、独身だし若いので、子宮は残してあげたい。それには筋腫の部分だけ切除して、またホルモン療法を続けるしかない。」と説明されて、大ショックを受けました!!こんなに長くホルモン療法を続けてきたのに、手術しても治らなくて、さらにまた、ホルモン療法を続けるのかと考えると、「絶対にイヤ!」の一言でした。

私はホルモン療法の副作用が軽く、ほとんど出ないタイプでしたが、色々と副作用の話は耳に入ります。さっさと治してホルモン剤や鎮痛剤から手を切りたいのに・・。一生ホルモン剤と縁が切れないのかと思うと、本当にイヤで、まだ独身でその頃つきあっている人もいなかった私は、「結婚もあきらめた方がいいのかもしれない」と真剣に思い悩みました。

その頃、前にインターネットで見た「広尾」のことを思い出し、どうしようかと散々悩みましたが、手術した人の体験談が色々のっていたので、もしかしたら私の病気も直せるかもしれないと思い、とりあえず診察だけでもしてもらおう、怪しかったら止めればいい。そう思って母に相談しました。母は私に輪をかけて散々怪しみましたが、体験談などを読んでもらい、渋々、「初診ぐらいなら」と承諾してもらい、鶴見まで一緒に来てもらいました。2000年3月頃の事です。


●広尾へ、母と一緒に
前の病院へは一応承諾をもらい、MRIの画像も借りることが出来ました。私は子宮が残せて自分も健康になれるなら・・と必死の思いでしたが、母はおよそ病院らしからぬクリニックの建物や、静かな雰囲気に、ますます引いているようでした。そして斎藤先生の診察。

最初は「なんてコワーーイ先生なんだろう・・。」と思い、ビクビクしていましたが、お話しを伺っているうちに平気になりました。先生は、「子宮を残して治せますよ。」とアッサリおっしゃいました。私は「すがれる藁を見つけた!」と、それだけで気持ちが一杯でしたが、ふと母の様子を見ると、正直者というか、気持ちがすぐに顔に現れる人なので、あきらかに怪しんでいるのが見て取れます。幸い初診の日は金曜日でしたので、先生がお茶会に誘ってくださり、母と二人して参加させていただきました。

あれほど怪しんでいた母は、実際に手術した患者さんと接し、色々なお話を伺い、結局は納得して賛成してくれました。私もイキイキと楽しそうにしている患者さんを見て、改めて「すごいんだぁ、ココ・・。」と思い、安心しました。やはり、病院の評判というか、どういう治療なのかを知るために、実際に治療を受けた患者さんのお話しを伺うのが一番ですね。でもそのために、診察で来た人と入院中の患者さんを会わせるというのは、スゴイことです。普通、できない事だと思いました。

手術は3ヶ月先の予約。半年〜1年待ちという今の状況から考えるとラッキーなのですが、当時の私には気が遠くなるような時間でした。それでも手術すると決め、術前検査を佐々木病院で受けるため横浜に泊まった時のこと。明日は検査だというのに生理が始まってしまい、またあの痛みと大出血が・・!!薬を飲むから何か食べないと・・と思ったのですがMRI検査も受ける予定だったので、前日は絶食です。どうしよう〜〜どうしよう〜〜と痛みに耐えつつ、やっぱり薬を飲まずには居られないので、何か少しだけ食べて、薬を飲み、その夜は耐えました。

次の日はタクシーで佐々木病院まで。生理の痛みと吐きそうな気分の悪さをガマンして、ようやく検査終了。またもタクシーで検査結果を「広尾」まで持っていったら、もうグッタリです。受付の看護婦さんに「気持ち悪いんで休ませて下さい。」と訴え、別室で休ませてもらいました。

その日、またしても金曜日でお食事会&お茶会でした。具合が悪くなった私のために、わざわざ昼食のお寿司を用意していただいたというのに、吐き気のため全然食べたくありません。普段なら大喜びでいただくのに・・。でも薬を飲むために食べなくては思い、ほんの1つか2つお寿司を頂き、薬を飲んで休んでいました。

だんだんと薬が効いてきて痛みが薄れてくる、あのタイミング。「帰るなら今しかない!」とばかりに、かなりソソクサと帰ってきてしまいました。とにかく帰ることだけ考えて必死だったので、帰路のことはあまり覚えていません。とにかくよくタクシーに乗ったという印象だけ。まったく散々でした・・。


●手術〜職場復帰まで
生理のたびに激痛と吐き戻しに苦しんでいる私を見ていた母は、手術に賛成してくれた上に費用まで出してくれると言ってくれました。母も昔は多少出血が多かったようですが、閉経まで婦人科の病気にはかからず、逃げ切れた?人でした。その前の年に妹を病気で亡くしていたので、やはり「私だけは何としても!!」と言う気持ちも強かったのかもしれません。そんな母の気持ちに感謝しつつ、ちゃっかり手術費用はお願いしてしまいました。

手術のため、会社に休暇を申し出たときの事。単に休むとだけ言えばこれほど腹立たしい思いはせずに済んだのでしょうけど、やはり正直に入院すると伝えました。直属の上司はもともと社内的な評判も良くなく、私も好きではありませんでしたが、入院すると言ったのに私の体の事などカケラも心配せず、ただ仕事の心配だけ。無性に腹が立ちました。涙が出るほど腹立たしかった言葉もあったのですが、余りにもひどい言葉だったので思い出せません。

よその課の上の方でさえ退院した後になって、「入院してたんだって?大丈夫?」と、私を気遣う言葉をかけてくださったというのに。男性の多い職場なので、理解するのは無理でも、人として、心配する素振りくらい見せてくれたってバチは当たらないでしょうに。働く女性として、こんな思いをしたのは私だけでは無いと思います。

手術当日。私は一番最初でした。あれよあれよと準備が進み、麻酔でぐうぐう寝ている間に手術は終わっていました。翌日、喉の渇きは強烈で、看護婦さんからお水を貰う前に、トイレでコッソリ口を湿らせてしのぎました。

お腹から取り出したモノが大きかったせいか、元々の状態が悪かったせいか、食欲が全然湧いてきません。同じ日に手術した方々が、元気そうで食欲も結構あったのに、私はいつまでもヨロヨロしていました。食べられないから体に力も湧いてきません。どうしよう・・。こんな事で土曜日に退院できるのかしら??

関東在住と言っても、電車で2時間以上かかる所に住んでるので不安でした。結局私は金曜日、お食事会のお寿司もろくに食べられず(なんと二度目!もったいない・・)、ヨロヨロしたままの退院となりました。帰りは母が病院まで迎えに来てくれるはずだったのですが、斎藤先生が上野駅まで送ってくれると言うので、もう一人の患者さんと一緒に、先生の車に乗せてもらいました。このとき、たまたまいらした先生の息子さんにもお手数をかけて、私を上野駅の改札口まで連れて行って下さいました。私は、上野まで迎えに来ていた母に無事引き渡され、必死の思いで自宅へ帰りました。

術後は1週間会社を休み、自宅で静養したのですが、出社した時はまだフラフラでした。食欲はそこそこ出てきたのですが、まだ力が出ません。傷も突っ張るように痛いし・・。会社の女性スタッフには「もう少し長く休めばよかったのに・・」と言われました。実際そうしたかったのですが、2週間と休暇を申請してしまった手前、それ以上休むわけにも行かず、なるべく動かなくていいように、デスクワーク以外の仕事はサポートしてもらいながらの辛い職場復帰でした。それが3週間目を過ぎる頃からググッと回復に向かい、今までは一体なんだったのかしら?というくらい、食欲も体調も上向いてきました。やっぱり3週間休めばよかった・・。


●術後の変化 生理・貧血・心
術後の生理は、術前とパターンが変わっていて、ちびちびちび・・と出血が始まり、3〜4日目にドバっと(と言っても今までよりずっと少ない)出血、またちびちびちび・・と終わっていくというなんだか不思議な生理でした。痛みは無く、出血もずっと少なくなっていました。

術後4ヶ月くらいで術後の検査を受けました。このとき、この変調な生理について先生に尋ねたら「まだ手術して間もないから仕方ないね。そのうち落ち着くんじゃないの。」と言われ一安心。実際に半年経つ頃には普通の生理(1〜2日目が多く、あとはちびちび)に落ち着いていきました。本当に出血も痛みも軽減し、普段通りの生活ができます。術前はひどかったPMSらしき症状も、少し軽減したようです。

今、生理になると腰が少し痛みます。以前から痛かったはずなのですが、「広尾」での手術前は腹痛でそれどころじゃなかったので、気付かなかったのだと思います。薬を飲むような大袈裟な痛みではないのですが、やっぱり気になります。PMSらしき症状と腰痛は、今後、自分で何とか解決したいと考えています。

血液検査の結果も、元々貧血の数値ではなかったのですが、術後のヘモグロビン値はアップしていて11.4だったのが14.4になっていました。あんなに出血がひどく、大きな腺筋症があったのに数値的に貧血になっていなかったのは、斎藤先生に言わせると「あなた、少しにぶいんじゃない?」っていうくらいの幸運みたいです。おかげで輸血せずに手術できました。今はすっかり元気になって、働く事はもちろん、結婚や出産に対しても、昔みたいな絶望感は無くなりました。

自分はある意味、斉藤先生に出会えてラッキーだったけど、自分の身近でも同じような病気で子宮を摘出してしまった人がいます。その人は子供を産んだからもういらないと言っていましたが、やはり先生や広尾で出会った人達に聞くと、それは間違いだと言うことに気がつきました。そして、その間違いがまだ、まかり通ってる世の中が怖いです。本当は、広尾の様な手術が当たり前の様に受けられる世の中になってほしいものです。それから、斉藤先生、本当にお世話になりました。これからも私と同じように悩める女性を救うため、頑張って下さいね!
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)423487
血色素(Hb)(g/dl)11.914.4
ヘマトクリット(Ht)35.540.7
CA-125>50023
備考
●子宮腺筋症     


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