「医療の質を自分で選択しましょう」
レポートNo.75

山下厚子(36才)
●はじめに
子宮内膜症や子宮筋腫の治療をしている方は、いま通っている病院をどのように選びましたか?自宅に近いからですか?通勤に便利だからですか?有名な大きな病院だからですか?また、なぜいまの治療を行なっているのですか?主治医の先生に言われたからですか?保険が効くからですか?みんながやっている治療方法だからですか?それはあなたの人生設計や願いに沿った治療方法ですか?

私たちが受ける診断と治療の質は決してどこの病院でも同じではありません。また、医師の経験、技術、知識、情報、医療に対する情熱や患者を思う愛の心にはそれこそピンからキリまであります。私は地元の市立U病院で誤診され、きちんとした説明のないまま治療を続けたうえに、危うく子宮全摘出になるところでした。

“広尾メディカルクリニック”――― 子宮を保存したい、健康になりたい、晴れやかな心を取り戻したいというあなたの願いを叶えてくれる医療がここにありますから、どうか御自分で納得のいく医療を選択してください。総合医療病院で10年間医療の現場に従事してきた私が、子宮筋腫の患者となって様々な病院を見て、聞いて、感じてきたことをお伝えしたいと思います。


●誤診?
平成12年の9月、第2子を6〜8週で流産し不正出血のため地元の市立U病院で診察を受けました。A女医から「子宮腺筋症なので受精卵が定着せず流産したようです。ホルモンのバランスが崩れて出血しているかもしれません。止血するためにホルモン剤(中用量ピル:ドオルトン)を処方します。様子を見ましょう」と内診で診断されました。過多出血と腰痛がおもな症状です。第2子を希望していることも伝えました。

その後1ヶ月間ピルを服用しても、1週間以上続けて出血が止まることはありませんでした。それでも「腺筋症の治療にも同じピルを使いますから」といわれ、さらにピルを飲みつづけました。まさか、後々に医師とホルモン療法に対し不信に陥り、しかも腺筋症という診断は筋腫の間違いであったとは「広尾」に行くまでわかりませんでした。

ピルは、エストロゲンとプロゲステロンの合成ホルモン剤です。
妊娠中は内膜症(腺筋症)の病巣が縮小することから、人工的に妊娠している状態をつくり症状を改善しようとするものです。二つの女性ホルモンが体内に十分(プロゲステロン優位)あると脳が錯覚し、自分のホルモン分泌を休み、子宮内膜自体が厚くならないのです。排卵もなくなります。「消退出血」という仮の月経でも子宮内膜が厚くないので出血量が少なく月経痛も楽になり、過多月経や月経困難症の対処療法になるのです。偽妊娠法といわれています。


●キチンとした検査も説明もない治療
突然出血して、あわてて電話しても「生理が始まったのではないですか?今度の診察日に来てください」とのつれない返事。「階段がしんどい」と訴えれば「貧血のようですね」と血液検査し、「鉄剤を飲みましょう」と貧血の治療も加わります。何かある度に通院し、長い時間待って初めて説明を受けますが、その場限りの目先の説明しかありません。現在の病状の認識と治療方針の説明、病状の経過、今後の可能性や詳しい検査など全般的な見通しが一切ありませんでした。

2ヶ月経っても出血は止まりません。「止血のためにピルを飲んでいるのになぜ止まらないのですか?」と尋ねても、「ハッキリとはわかりません。たぶん腺筋症があるからでしょう。今までは基礎体温が高温期だけのピルだったので、低温期もあるピルも追加します。基礎体温もつけてください。生理に近い状態にして、排卵がうまくいくと生理が始まります。」との期待を持たせるような説明。さらに、2種類目のピル(プレマリン)を追加処方されました。

しかし、その後も一向に病状が回復することはありませんでした。始めの病状がわからないのですから、現状がどうなっているのかも判りません。むしろ悪化しているようにも感じられました。当初からあったレバー状の出血もますます勢いを増し、トイレや風呂場から20〜30分は動けないことも多く、日常生活にも支障がでてきます。階段の昇り降りもできず、肉体的にも精神的にも辛く悲観的になってきました。


●セカンドオピニオン
新年に実家の大阪に帰省したとき、T総合病院でセカンドオピニオンを求めました。B医師の内診によれば、「たぶん腺筋症でしょう。しかし、出血が止まらないなら筋腫かもしれない。一度、ガン検査、MRI検査をしたほうがいい。MRIでも腺筋症か筋腫の区別は難しい。もし、腺筋症なら全摘になるでしょう。」とのこと。また、「いま出されているプレマリンは、悪化させる場合もあるのでやめた方がいい」とも言われました。ここでの診断は、内診では確定診断はできず推定であること、ガンの可能性、検査の必要性、治療の効果、最悪の場合などを的確に筋道をたてて説明してくれました。しかし、あまりにも段取りが良すぎて、もしここに通院していれば、早い時期に全摘出手術が実施されていたかもしれないと後日述懐しています。

プレマリンは卵胞ホルモン(エストロゲン)剤です。
内膜症や筋腫は、エストロゲン依存性疾患として挙げられているので、エストロゲンを投与すると悪化させるのではないかということです。


●自制心の限界
再び地元の市立U病院で、「出血が止まらないのはどこか悪いところがあるのではないですか?検査してください。」と頼みました。初診以来、内診と貧血のための採血ぐらいしか検査はなかったのです。「いま、子宮は2〜3倍の大きさです。内診ではどこも悪くないので検査の必要はありません。あなたは腺筋症なのだから止血するのが先決です。止血作用の強いリュープリン注射を打ちましょう。」と、リュープリンの副作用、6ヶ月の期間限定、注射終了後は子宮の大きさは元に戻ること、効果の程度はやってみなければ判らない、などの説明を受けました。

なぜそんな注射を打たなければいけないのか?本当はもっと悪い病状なのではないか。貧血を繰り返し、度重なる出血にも辛抱してきましたが、ついに今まで自分を支えてきた自制心がガクッとくずれ、A女医の前で泣き伏してしまいました。あわてて男性の婦人科部長のC医師(不妊専門)がとんできました。「今までのピルは何だったのですか?」「ホルモンのバランスを整える薬でした。」「(そんなバカな。話が違う。止血と腺筋症の治療だと言ったはずだ!)。」「リュープリンは子宮を小さくし、止血させる注射です。腺筋症を治療しましょう。」「やめれば、元に戻るなら意味がないじゃないですか。」「意味があるかどうかはあなたが決めることだから、あなたが選択してください。」「知識もないのに解かるわけないじゃないですか!(何を言ってるんだ!)。このままで出血は止まるのですか?このままでは子供はできにくいのですか?」「あなたは昨年妊娠しているので不妊ではない。3年以上妊娠しない人のことを不妊と言うのです。」「(話を誤魔化すな!そんなことを聞いてるんじゃない!)」

妊娠するために、出血を止め腺筋症の治療をしているものと思っていたので、副作用があり、使用を止めれば元に戻ってしまうリュープリンの使用などする気はありませんでした。どうやらA女医は、今までは月経困難症の治療を念頭に置き、ホルモンのバランスを整えうまく妊娠すれば、腺筋症は治ると考えて治療をしていたようです。考え直してみれば、初診から2ヶ月後にプレマリンを処方された時点で、「出血が止まらないのは腺筋症があるからではないか」と言っておきながら、ホルモンバランスを整える治療を行なっていたことがおかしなことに思えます。失意のうちに病院を後にし、トンでもないことになったと感じ始めました。

「妊娠は治療になる」という考え方がいまだにあるようですが、内膜症などの疾患があれば妊娠自体が難しく、妊娠しても治癒しません。また、治療のために「妊娠する」ことは、一般的に妥当な治療方法とは言えません。内膜症や筋腫は、エストロゲン依存性疾患とも言われています。確かにエストロゲンは内膜症が成立するための必要条件の一つではありますが決定的なものではありませんし、筋腫ほど単純反応でもありません。

一方、筋腫は妊娠中に、大きくなることから、エストロゲンよりはむしろプロゲステロンの影響があるのではないかといわれています。残念ながら、未だにエストロゲンやプロゲステロンが筋腫の増殖にどのように関わっているか解明されていません。どちらにしても、内膜症と筋腫はまったく違うものですから同じように論じられることは間違いです。

ホルモン剤の投与という考え方も効果に疑問があります。ピルによって内膜症が完治したり、筋腫がなくなったりすることはありません。ホルモン剤の投与は、効果がある人にとっても時間稼ぎにしかならないのです。子宮全摘手術までの・・・。このことを処方前にきちんと説明してくれる医師は少ないようです。


●サードオピニオン
しかし、今までの治療方法やA女医やC医師に不信感があるものの、このまま放置してはいけないと思い、自宅近くの個人産婦人科病院のD医師にリュープリンについてサードオピニオンを求めました。「あなたの年齢で子供が欲しいなら急いだ方がいい。間違った治療ではない。当病院にはリュ―プリンは置いていないので、市立U病院で治療するしかない。プレマリンは悪くする場合もあるのでやめたほうがいい。」とあまり関わりたくないようでした。

36才という年齢で第2子を望む私にとって、「時間に余裕はない」と言葉が焦りを生みました。元看護婦である私にとって、強い副作用があるとわかっている注射をすることは苦渋の選択でした。出血が続いていたので、市立U病院にて仕方なくリュープリン治療を始めました。


●「広尾」との出会い
しかし、2回のリュープリン注射を打っても出血が止まる様子もなく、さすがにA女医も「これはおかしいのではないか」と気付き、4月10日にMRI検査となりました。これを聞いた主人が、ようやく重い腰をあげてくれました。今まで静観していた主人が「MRI検査をすれば、決して“正常です”とはならないだろう。なにか問題がでてくるはずだ」と考え先手を打ってネットで腺筋症について調べてくれたのです。

3月30日の深夜のことでした。翌朝起きてみるとコタツの上に何やら印刷物が置いてあり、「それを読んでごらん。」と主人。それは「広尾」で治療を受けた方々の体験談でした。それからが人生の軌道を変える大仕事でした。私は、大阪での看護婦時代の同僚や元上司、あらゆるツテを使って、腺筋症治療の医療の現状と「広尾」についての情報を集めました。主人はネットを使い掲示板やメールでの問い合わせで情報収集しました。私は電話をかけまくり、主人はパソコンの前に張りつきました。「下手な核出術は再発の可能性が高いこと、腺筋症なら概ね全摘になること、関東の方でレーザーを使った保存手術の話は聞いた事があること」など情報を仕入れました。

情報収集の怒涛のような1週間が過ぎ、ついに決断しました。「広尾」に初診の予約を入れたのです。MRI検査を受ける前でした。実は、今年の初め頃から家庭の中が段々暗い雰囲気なってきたので、主人が私の好きなTDLツアーの計画を立ててくれていたのです。様々なアトラクションを見て廻る計画を立てている間は楽しいものの、本当に貧血で辛いこの身体で行けるのかしらという不安がありました。予定は新緑の眩しい5月にしていました。そんな時に「広尾」を知り、羽田空港から近いということもあり、寄ってみることにしたのです。もし、始めからこのTDLツアー計画がなければ、わざわざ四国から横浜まで行くということに躊躇したのではないかと思います。


●MRIの結果
A女医はMRIを見ながら「いまは、子宮は2倍の大きさです。腺筋症に筋腫もあるようです。」と診断しました。「筋腫は1つですか?」と尋ねても何も答えてくれません。返答に困っているようです。「いままでのピル剤やリュ−プリンの効果がないので手術した方がよいでしょう。子供を希望されるので子宮はとれません。当病院では子宮保存手術はできないので他の大きな病院に行ってみてください。」との手術宣告でした。いままでずいぶん期待を持たせるようにホルモン治療をしておきながら、最後には手術宣告のどんでん返しです。多くの方が、普通ならここで奈落の底に突き落とされるようなショックを受けるのでしょうが、既にこの事態を予測して手は打ってあるので驚きませんでした。「行ってみたい病院があります」と紹介状をお願いしました。


●「広尾」での初診
5月10日に「広尾」で初診を受けました。吊りバンドをした斎藤先生は芸術家のようでした。不覚にも、直前にトイレに行ったのでエコーは役立ちませんでした。内診もありません。MRIを見ながら、「粘膜下筋腫だよ」との診断。「えーっ?筋腫?!」いままで腺筋症だとばかり思っていたので大変驚きました。MRI画像には子宮筋層内に大きな筋腫がありビックリしました。筋腫の部分を詳しく教えていただき、赤鉛筆の図解入りで丁寧に説明していただきました。「だいじょうぶ残せるよ。でも今だったら1年くらい待たないとオペできないよ。あなたはまだ良い方だよ。妊娠している女性も待っているのだから。」確かに「広尾」は多くの苦しんでいる女性の駆け込み寺になっていて1年待ちも予想していました。しかし本当に1年とは・・・!

主人が「わかりました。それでもここでオペをお願いいたします。しかし、妻は今、リューブリンで出血を押えていますがもう4ヶ月続けています。半年しか続けられないので、注射を止めればまた出血するでしょう。なんとか出血を押え、貧血にならないように注意しながらオペを待ちます。」と診察を終えました。

事務手続きの話があるようなので2階で待つようにいわれました。その間、主人は「やはり1年待ちでもここでオペの予約をして行こう。そのうちキャンセルが出て早まることもあるだろう。他の病院では全摘出しかないのだから、これで良かったのだと思う。」と言ってくれました。ずいぶん待たされましたが、約15〜20分してやっと説明がありました。「今、先生から急いでくださいとの話でしたので6月中旬頃にオペを予定しています。スケジュールの調整をして決まり次第また連絡します。」とのこと。思っても見なかった急展開!(後日伺った話では、私の場合あまりにも貧血がひどく、1年先に手術できる体かどうか危うい状態だったのです。それを考慮して下さった斎藤先生の措置でした。)

帰宅(私は大阪に帰省、主人は四国に)すると、さっそく実家に広尾から連絡があったらしく6月28日にオペの予定とのこと。しかし、カレンダーでは6月28日は木曜日です。後日確認するとなんと5月28日の聞き間違いでした。1年待ちのつもりが、初診からわずか3週間足らずで手術です。術前検査もあることなので大急ぎで帰郷し、市立U病院にて術前検査を受けました。その時もA女医は、「広尾」のことは何も聞かず、ただ検査結果を揃えるだけでした。

ちなみに、手術1週間前に風邪をひき、こじらせたくなかったので自宅近くの個人内科病院(以前から事情を説明し、ここでも貧血治療をしていた)にかかりました。E医師は私の腺筋症のことを憶えていて色々尋ねてくれました。腺筋症ではなく筋腫であったこと、今度手術することを話すと、「筋腫なら地元ではダメなの?」と。さらに「広尾」のことをあれこれと尋ねてきました。横浜までわざわざ手術しに行くのですから、専門外であっても聞きたくなるのが普通だと思うのですが、それに引き換えA女医は・・・。


●背中を押されるように・・・手術へ
何か大きな力に導かれあっという間に手術の日が来ました。2才10ヶ月の子供を連れての手術だったので、先生の配慮で手術の順番は1番でした。手術中は腰椎麻酔(局所麻酔)で痛みはありませんが、何か押されているような感覚はありました。

手術後も翌朝歩くまでは傷口の痛みと倦怠感(けだるさ)があり辛かったです。「子宮筋層内の筋腫は全部取れました。粘膜下筋腫140gと筋腫の核30gを摘出しました。粘膜下筋腫が子宮内腔に出て来る特殊な症例でした。でも、きれいになりましたよ。」と言い切った斎藤先生の言葉は自信に満ちていました。元看護婦として、子宮の手術は大量出血することを知っていましたが、輸血もありませんでした。「それにしても一人子供がいるんだよね。その子が生まれる前(この筋腫の大きさから言って約10年前)から核はあったはずなのによく生まれたね。奇跡に近いよ。あなたの担当医師は始めから腺筋症といっていたらしいが、MRIを見てもそう言ってたの?見る眼がないねえ〜。」とのことでした。

実は、斎藤先生には言っていなかったのですが、1人目を妊娠中にエコーで筋腫らしきものが見つかっていたのです。でも、その後の定期検診でエコーに写らなくなったので放置し、出産したのです。今にして思えば、やはりその時には筋腫はあったのだろうと思います。


●「広尾」の三種の神器
手術を受ける前は自費診療なのでやはり「費用が高いなあ」と思っていました。しかし入院中に斎藤