「いくつになっても、健康なまま子宮を残したい。」
レポートNo.77

Y.T.(42才)
●年齢的にも、迂闊に口にできない話題
私がイニシャルで体験談を語るのには理由があります。婦人科の病気を患い、人知れずいつのまにか子宮を全摘出された方は、私たちの身の回りには案外多くいらっしゃいます。ましてや子供がいて40歳過ぎていたら、医師は簡単に摘出を言い渡しますし、患者さんもそれしか選択の余地がないと思い込まされ、手術してしまうケースも少なくありません。そして病気のことや手術されたことをおおっぴらに話される方は、ほとんどいらっしゃらないと思います。ましてや子宮を全摘出されてしまった事で、少なからず心に傷を負われた方は尚更でしょう。

今現在お付き合いのある方々のなかにも、ひょっとしたら子宮を失ってしまった方がいるかもしれません。(そういう方が2〜3人に1人いてもおかしくない年代なのです。)そんな方に対して、「子宮を残せて治療できる病院があるのよ。」と話すのは、あまりにも無神経な・・、かと言って、悩みながらこのサイトを訪れた方にはお伝えしたいことも沢山ある・・、という訳で、イニシャルで登場させていただきました。「子宮」に関する話は、それだけ女性にとってデリケートな問題なのです。


●子宮筋腫と診断されるまで
私は26歳と30歳で子供を授かり、妊娠検査や定期検診では特に婦人科の疾患を指摘されたことはありませんでした。2人とも海外でのお産でしたが、妊娠も順調で出産後も特に異常は無く、良いドクターに恵まれ、良い出産ができたと満足しておりました。その後は2年に1度、婦人科検診を受けていましたが、やはり婦人科の異常については何も言われたことは無く、自分はいたって健康なのだと思っていました。

4年前の秋。検診で「子宮が少し大きくなっているようだから、時期を見て婦人科に行くように。」と言われ、大学病院を紹介されました。この時は全然何の自覚症状もなかった(と思っていた)ので「とりたてて慌てることもないわ・・。」とのん気に構え、そのうちおっくうになり、結局病院には行きませんでした。もともと便秘がちだったので、お腹の左側が硬いのは便秘のせい、お腹がポッコリ出てきて洋服が2サイズもアップしたのは中年太りのせい・・と、まったく婦人科の疾患とは結びつけずに日々を過ごしていました。

それが一昨年の婦人科検診では「子宮筋腫が大きくなっているので、すぐに婦人科に行って下さい!」と言われました。とにかく、すぐに近くの大学病院で診察を受けました。初めての診察後、「子宮筋腫がだいぶ大きいので、卵巣を残して子宮は全摘する事になるでしょう。」とさらりと言われ、もう、大ショックです。子供を二人も育てて産んでくれた、こんなに良く働いてくれている子宮を取り除いてしまうなんて、絶対にイヤ!絶対にできない・・!とても悲しい気持ちになりました。

12月、2回目の診察で初診の時に撮ったエコーを見せられ、私の筋腫は赤ちゃんの頭ぐらいの大きさ(直径約10cm)ほどあると分かり、次回までに手術日を決めて来るようにと言われました。大出血が起きてそのまま摘出手術になることがあるので、手術は早いに越した事はないと。生理も順調で貧血もなかった私には、なにもかもがピンときませんでした。でも、摘出に向けてジリジリとコマが進んでいきます。どうしよう、このままでは子宮を失う事になる・・。


●産婦人科って!?
子宮が無くなるかも!という思いだけで十分不幸な気分を味わっているのに、病院では妊婦さんと同じ待合室です。私も自分が子宮筋腫になるまで分かりませんでしたが、病院での待ち時間は、つらい時間でした。妊婦さんはこれからお子さんを授かる幸せに満ちている・・にもかかわらず、子宮を失うかもしれないという不幸感を心に抱えた婦人科疾患の患者さんが同じ待合室というのは、なんともやりきれない思いでした。

また、診察室での患者のプライバシーもなく、壁1枚、カーテン1枚隔てた向こう側で内診やその他の診察や処置が行われているのが他の人にわかってしまう。少なくとも私が海外でかかった婦人科では、そのような事はありませんでした。メンタル面のケアとプライバシー保護については、医師の対応も含めて、日本は遅れているのでは・・、自分が患者になってみてつくづく感じました。


●私の決断
この頃から、子宮を残して筋腫を治療する方法があるのではないかと、まずは本を読みあさり、調べ始めました。ところが、子宮を取りたくない一心で調べ始めたというのに、どんな本を読んでも書いてある事は似たり寄ったり。『核摘出手術はリスキーである』『全摘出してしまえば再発も無く万々歳』みたいな本ばっかりです。

書籍はダメかも・・とインターネットでも調べ始め、じきに「広尾メディカルクリニック」を見つけました。体験談をはじめ、病気についての説明、手術前と手術後のMRI画像や摘出物の写真、データ・・ここにはウソも隠しもありませんでした。これほどまでに、すべてを開示している病院は他にはないでしょう。私の心に「ここなら元気になれる!」という確信めいた気持ちが生まれ、5月に予約を入れていた大学病院でのMRIの検査には行きませんでした。


●もしかして・・
「広尾」で手術を終えて、体が回復した今だからこそ思いますが、高校時代から生理痛の薬は毎回服用していましたし、出血量が多く昼間からナイト用のようなナプキンを使っていました。もしかしたら、この頃から筋腫の芽はあったのかもしれません。ですが、痛みも多めの出血も2〜3日のピークを過ぎると無くなり、生理自体も5〜6日でピタッと終わっていたので、これが普通だと思っていました。

出産を期に生理が軽くなったように思われ、高校時代の生理痛はきっと子宮などが未熟だったせいだと考え、ますます自分の生理は普通だと思っていました。どこも悪く感じていない、「普通」の状態なのに、なぜ、子宮を摘出しなくてはならないのか?子宮の摘出に抵抗があったのは、そんな思いがあったせいもありました。


●広尾にて
「広尾」の初診は8月でした。初めて訪れたクリニックでは、思わず外国の病院を思い出しました。暖かいイメージ、プライベートな空間。診察室では、内診もなく、自信に満ちあふれた先生の言葉。あくまでも手術を受けるか、受けないかを決めるのは患者にゆだねる・・。こういう個人クリニックは外国には多いのですが、日本でこのようなクリニックに巡り会えるとは、感激でした。

同行してくれた母は、「いままで手術を失敗したことは無いのか?」が、気になっていたようでした。すごく失礼な質問だったかもしれません。後日、先生がレーザー手術を始めたばかりの頃、さすがに手の施し様が無く摘出せざるを得なかった事が数例ある・・ということを耳にしました。それも先生の著書かサイトに書いてあるそうです。そこまでオープンにされているなら、診察時に尋ねても別に失礼ではなかったのかも知れません。

子供が高校受験の一番大切な時期だったので、受験が終わる2月の中旬頃の手術が希望でした。2月なら手術日が選べるとの事だったので、自分の希望日に手術の予約をしました。幸いにも辛い自覚症状が殆ど無かったので、あっという間に手術の日を迎えました。「広尾」で手術を受けることができた人は、私も含め、本当に幸せだと思います・・。

という思いとは裏腹に、自覚症状がほとんどなかったせいか、私は人より痛みに弱いのか、術後はとにかく辛かった。3日目くらいまでは黄色い点滴が始まると気分が悪くなり吐き気がしました。傷の痛みで寝返りひとつ満足に打てず、うまく力めません。食欲も湧かず、本当にこんな事で土曜日に退院できるのかすごく不安でした。トイレに行くのも必死の思いで、気持ちはあせるのに身体がついて行けない・・そんな辛いときに夫がお見舞いに来てくれると、甘えたい気持ちや色々な気持ちがごちゃまぜになって、つい「ホロリ」としてしまいました。

4日目に入ると昨日までの辛さが薄れてきて、シャワーを浴びることができたこともあり、気分も一新。だんだんと「元気」が自分の中で濃くなっていくのが分かりました。退院の時には、最初の何日かがウソのように体調も良くなり、幸せ100%になっていました。


●わかったこと
「広尾」で手術する前に、ひどく足首を捻挫して靭帯を伸ばしてしまった事がありました。入院中の先生のお話で、筋腫が育って大きくなると身体にも精神的にも悪影響を及ぼすと伺いました。私の場合1kg近い筋腫があったのですから、身体のバランスも悪くなっていたのですね。ちょっとつまずいただけなのに、なぜあんなにひどいケガになってしまったのか・・その理由がわかりました。それにメンタル面でも思考が鈍くなったり、消極的になったりすることがあるそうです。また、自覚症状が無い人ほど筋腫を大きく育ててしまうので、痛みや出血過多が無いのも問題だ・・とも。なんだかどれもこれも自分に当てはまります。やはり婦人科系の健康は、女性の健康そのものなのだと痛感しました。


●退院その後
ところが、退院後はあまり元気ではない状態が続きました。体が疲れやすく、「私は体験談みたいに元気になれない・・?」と不安でした。お腹の傷の手入れは自分でやらないといけないので、傷の治り具合も気になります。また、術後1ヶ月半で最初の生理が来たのですが、生理が終わってもチビチビと不正出血していたのも心配でした。(不正出血については、2回目の生理の後はほとんど無くなりました。)

あれだけの手術をしたのだから傷が治るためには多少時間がかかって当然と思いつつ、いっしょに入院していた人とお互いの様子を報告しあって不安を解消していました。彼女には同じ痛みを経験した同志として精神的にずいぶん助けられました。体調がこんな調子だったので、心の底から元気ではなく、術後2ヶ月半ほどは「なんだか疲れやすい・・。」という感じで、日々を過ごしていましたが、術後3ヶ月目にふと気付くと、見違えるように元気な自分がいました。

ほんの半月前と今のこの違いは一体何なのだろう?と自分でも不思議に思う程でした。運動でも何でもOK!気持ちから心底元気になったのだと感じることができます。病気が判明し、治癒したから分かるのですが、手術前は頻尿や便秘、疲れやすいなど明らかに今より元気では無かったように思います。筋腫を摘出したら、もう見違えるほど(と自分で感じるほど)元気になりました。術後の検診は3ヶ月以上経ってからというのが、理にかなっているのだと感心しました。回復にはほんとうに個人差があるのだと思います。


●伝えたい!!
自分の身体のことは自分で考え、自分で判断し、守らなくてはなりません。他人から言われてどうかするのではなく、自分が動かねば誰も守ってくれないのです。「例え何歳になろうと健康なまま子宮を残したい!」私はこの一心で「広尾」を見つけ、無事手術を受け健康を取り戻すことができました。

国保や社会保険を使えず、自費診療だということは確かにネックではありますが、健康はお金にはかえられない・・本当にこれだけは声を大にして言いたい!持って生まれたものは、安易に摘出などしない方が良いのです。

「広尾」での治療は、手術から退院までの1週間のローテーションや個室、シャワーのタイミングなど、何もかもが患者のために計算し尽くされているように思います。もちろんそれを支えている看護婦さんの献身的な努力もあります。個室は贅沢・・な気もしましたが、一生のうちに1回くらいはこんな1週間があっても良い、と思います。

一人の先生が責任を持って全てを看た後、患者に情報を開示してくれる(入院記録のファイル)、それでこそ得られる安心感や信頼感が、ここにはあるのだと思います。情報開示用の入院記録ファイルも、単にデータだけでなく、一人一人の手術記録から術後の所見まで、先生や看護婦さんが書き込んで作成されています。

このファイルは、自分の病気を家族に分かってもらうためにも重要なものでした。夫はともかく、ファイルを見た子供はビックリしていました。子供には理解できなくとも、明らかに以前とは態度が違っているので、子供なりに感じることはあったのだろうと思います。

金曜日のお茶会で、「先生は、後継者をお育てにはならないのですか?」と尋ねた方がいらっしゃいました。確かに、後世に引き継げる物なら本当に誰かに引き継いで欲しいとは思います。しかし、今のように医療が発達していない時代からの経験の上に培われた齋藤先生の技術は、現在の技術だけを表面だけ伝授しても、おそらく誰も今の斎藤先生と同じレベルの治療はできないのだろうという思いもあります。

斎藤先生が「この治療をしよう」と決めて、決めたご本人が行っている治療だからこそ、他の人が真似しようとしてもできないのかもしれません。そこから生まれる、より良い治療のための型にはまらないユニークで柔軟な発想、それを支える「一生現役」という熱い気持ち。斎藤先生のような方は、身近にはなかなかいません。私は、「広尾」の手術で子宮を助けていただいたばかりではなく、“Happy”や“Luck”が自分にも分け与えられたと感じました。そして、「医は仁術」の真髄を行っているエネルギッシュな斎藤先生から、“生きる活力”を貰ったと感じます。先生からの影響は心の深いところに根ざして、私の中で確実に育っているような気がします。

斉藤先生はじめ麻酔の先生、看護婦さんやスタッフの皆さん、そしてたくさんの愛をくれた母や夫、子供達にとても感謝しております。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)463496
血色素(Hb)(g/dl)14.014.5
ヘマトクリット(Ht)40.945.3
CA-1255916


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