「追い詰められていた私、遺伝を気に病んでいた母。二人とも救われました。」
レポートNo.78

横井友香里(34才)
●心音異常から筋腫を発見
私は広尾MCでの手術の前、24歳頃に子宮筋腫摘出の手術を経験しています。その時は初めから婦人科系に異常を感じて婦人科へ罹ったのではなく、職場の健康診断で心音異常(右心室肥大)と貧血があったため、内科で精密検査をするよう指示があってからの事でした。内科で、血液検査を含め色々な検査を受け、ヘモグロビン値が6.4と低すぎることを指摘され、念のため婦人科も受診するように勧められました。

岐阜大付属病院の婦人科で診察していただきましたが、そこではすぐ入院・手術だという話になってしまい、具体的に何がどうなっていて、何のために何をするという説明が充分ではなかったように思います。(ただし、生理痛や出血は激しかったので、やはり治療は必要でした。)

そんな状況での入院・手術に母がストップをかけ、子宮を残す方針で治療をしている名古屋大付属病院で診察を受けてみました。私の年齢や未婚であることを考慮してか「子宮を残す方向で治療・手術をしましょう。」と言って下さって、とりあえずは一安心でした。

子宮筋腫がある人には「筋腫心」という心臓疾患が現れることがあります。筋腫のせいで出血過多や不正出血で貧血になり、その薄い血液で酸素を体中に運搬しなくてはならないので、自ずと心臓に負担がかかり、心臓が肥大していきます。


●1回目の手術〜再発
名古屋大付属病院では、ホルモン療法で筋腫を小さくして摘出する方向で治療を進め、1クールのホルモン療法後、手術に臨みました。(ホルモン療法では大して副作用もなく、このまま生理が無ければいいのに・・と考えるほど。)術後に見せてもらった摘出物は大豆くらいの大きさで、術前に聞いていた説明より多く、10コくらいありました。

術前は「直径5cm程度の筋腫が2コある」と聞いていたのですが、いざ回復してみると2コどころではなかったようです。子宮の内膜にプツプツとたくさん筋腫ができていて、手術時間も予定より随分長引いてしまったようでした。更に時間をかけて全てを取り除いていたら、患者である私の体力が持たないと判断され、見える範囲で取れるだけ取ってお腹を閉じたとの事でした。

術後の説明で、
  • 取りきれなかった筋腫が、5年後には確実に同じ大きさまでに再発する。
  • 再発したら、今回と同じ処置は2度とできない。→子宮全摘出になる。
と宣告されていました。

5年の間に結婚できて子供を授かれれば良いのですが、それがかなうかどうかなんて先のことは分かりません。その後、定期的に検診とホルモン療法のため通院して、2年くらいは調子良かったのですが、26歳を過ぎた頃に「2cmくらいのがある。」と言われ、ギクリとしました。それでも当時は、まだ生理の状態は悪くありませんでしたが、28歳頃には生理が重くなっていて、5年経った時には、筋腫は手術前より大きくなっていました。

筋腫の成長に伴い、膀胱などが圧迫されているのでしょう。頻尿はもちろんですが、クシャミをすると必ず尿漏れをしていました。痛みもひどく、一応薬局では売られていますが、一般には馴染みの薄い、強い鎮痛剤を買い求め、出血もオシッコのようにジャーっと出るので普通のナプキンではいくら高性能でも間に合いません。いつも老人用の尿パットを愛用していました。実はこれがなかなか良いのです。新品を職場のロッカーに常備していないと、安心できない状態でした。


●一人で悩み苦しんだ再発
母は、私を含め4人の子供を授かった後、筋腫で子宮を全摘しておりました。姉2人は何とも無いのに、私だけこのように婦人科の疾患があるのを自分の体質に似たからだと気にしていました。なので、母には絶対に再発したことは言えません。それでなくてもナーバスになっている母を、これ以上刺激するのはあまりにも可哀相でした。2回目は摘出しかないと分かっていたので、この状況でも子宮を残して治療してくれる病院はないかと探し、友人に聞いた名古屋逓信病院に行ってみました。

そこでは女医さんが担当で、「どうしても子宮を取りたくない。」という私の訴えに耳を傾けてくれました。この時点で、恐らく先生の心中では『この人の子宮は、保存治療する方法が無い・・』と判断がついていたと思われますが、「納得いくまで治療しましょう。」と言って下さり、子宮を残したいならホルモン療法しかない、と勧められ行うことにしました。

当時、筋腫は10cmほどに成長しており、仰向けになってお腹を触るとハッキリと分かるほどの大きさでした。1クールのホルモン療法後、筋腫は小さくなっていましたが、休止中に元のサイズより大きくなってしまいます。それでも子宮は絶対に取りたくなかったので、ホルモン療法を続けましたが、2クール終了した時点で、いつもの女医さんではない男性の医師から、「もういいでしょう?子宮取ったら?」と軽く言われてしまい、それ以上その病院へ通っていると、いつかは取られてしまう・・と急に恐ろしくなり、通院するのを止めてしまいました。

その後、広尾MCで診察を受けるまでの2年間、どこの病院にかかっても摘出するしかないと言われるのが分かっていたので、それが恐ろしくて結局ほったらかしにすることになってしまいました。そんな苦しさを、母を始め身近な誰にも打ち明けることができず、精神的にも肉体的にも、ただ辛く苦しい時間を過ごし、私の心にはどんどん「不安」や「絶望感」が増殖し、追いつめられていきました。


●子供好きな彼が探してくれた「広尾メディカルクリニック」
29歳頃に出会った彼(現在の夫)がいなければ、「広尾メディカルクリニック」で子宮を残す手術を受けられたかどうか・・です。二人とも子供好きで、いずれ結婚して子供を・・と夢を描いていました。

私に筋腫があると知った彼は、「これは筋腫に良い・悪い」と生活や食事について気を使ってくれ、手術で何とかできる方法があるに違いないと、インターネットで調べてくれて、「広尾メディカルクリニック」のサイトを隅から隅まで目を通し、ここなら何とかなるのではないか、と広尾MCでの手術を勧めてくれました。当の本人は費用のことがネックになり、グズグズしていましたが・・。

彼とは99年に結婚しましたが、私の筋腫は急速に成長速度を増したようで、妊娠6ヶ月くらいのお腹になっていました。当然前かがみの姿勢は苦しくなるし、背中の方まで鈍く痛む感じがしました。それまで強い痛み止めを服用し、鉄剤をガバガバ飲んで生理痛や貧血をごまかしてきましたが、さすがに限界を感じ、2000年の夏、再び逓信病院に行きました。

検査の結果は薄々わかってはいましたが、改めてMRIの画像を見て女医さんから「筋腫がすさまじい大きさになっている、私には手の施しようが無い・・。」と言われてしまいました。子宮を摘出するしかないと分かった時の私たち夫婦の落ち込みようと言ったら、言葉になりません。私の筋腫は子宮壁の中にたくさんの筋腫がプツプツとギッシリできるタイプのようで、画像で見ると様々な大きさの筋腫が子供のようにも見えました。


●母の心も救ってくれた広尾メディカルクリニック
こうなったら、彼が見つけてくれていた「広尾メディカルクリニック」で診察を受けてみよう、と思い、2000年8月に初診のため斎藤先生を訪れました。グズグズと診察を渋っていたのには費用のほかにも理由がありました。斎藤先生にも「ウチではちょっと・・」とサジを投げられたらどうしよう・・という不安が私の心を支配していたのです。

それは「死ね」と言われるより辛いことかも知れない、ダメだったら夫に何て言えばいい?など、気持ちが落ち込みモードの私はネガティブなことしか考えられなくなっていたのです。それでももう、ここしかないのだと意を決して、診察に行きました。先生はMRIの画像を見るなり「すごいの来たね〜〜。」とちっとも深刻ぶらずにおっしゃり、さらに「大丈夫、手術できるから。」と言って下さいました。飛び上がるほど嬉しかったのですが、他のお医者様がサジを投げたこの子宮を、どう手術して治すの不思議でした。

この時、広尾MCを怪しんでいた母も付いて来ました。クリニックの外観は、ホームページで紹介されている高度な技術とは掛け離れて、こぢんまりとアットホーム。母は、とてもあんな素晴らしい技術があるとは思えず、保険が利かないという治療費の適正さも自分なりに検討したいと考えていたようです。しかし私の子宮の状態から他に選ぶ道が無いと分かり、先生とお話するまではどうかと思っていたようですが、「大丈夫。」とおっしゃってくれた先生の言葉であれこれと抱いていた疑念もなくなり、安心したようでした。

斎藤先生の「大丈夫」は、長年の母のピリピリした気持ちも救ってくれたのだと思います。夫は最初からこちらでの手術を勧めてくれていましたし、母も納得・賛成してくれたので、手術の予約をして地元に戻りました。最短で5ヶ月待ち、年明け1月8日の手術でした。


●地元の主治医に感謝
逓信病院では、私の子宮を残し続けるのはもう限界だということで、摘出手術の段取りをしていましたが、主治医の女医さんがとても気の良い方で、広尾MCでの話をしたら快く「手術しに行ってらっしゃい。」と言って下さり、術前検査のMRIなども協力いただきました。

でも、そのMRIを見て、こんな状態の子宮を全摘出せずに残せるのか信じられないという感じで、「本当に筋腫だけ取る手術ができるって言われたの??」としきりに尋ねていらっしゃいました。その女医さんが私の気持ちを汲んでくれて、ムダでもホルモン療法を試してくれて、子宮の摘出を急かさなかった事で、私は広尾MCに辿り着く時間を得ることができたのです。あの時、彼女が何とか私を諦めさせて全摘出の手術を受けるようなことになっていたら・・と考えると、ぞっとします。

彼女が私の意志を尊重してくれたので、今の結果が得られたのだと感謝しています。術後のMRIもこちらの病院でお世話になりましたが、術後の画像を見て、とても興味深そうに、首を捻りながら「これはすごいねー、どうやってこの手術をしたんだろう??」と驚かれていました。


●摘出された130コもの筋腫たち
松の内が明けたばかりの1月8日。いよいよ待ちに待った手術です。手術はスムーズで(と思ったのは私だけ?)3時間ほどで終わりました。斎藤先生の手術時間の平均が2時間ほどらしいので、私の手術は少々長かったのかもしれません。

摘出物は総重量2,060g、病理検査の結果、平滑筋腫126コ・粘膜下筋腫4コ・合計130コもの筋腫でした。病室に置かれたバッグ2つにパンパンに詰まった摘出物を見ながら、いったいどうやったらこんなモノがお腹の中に収まっていられたのか驚きでした。また3時間という短い時間に、どうやったらこんなに沢山の筋腫を取り除けたのか不思議です。

1回目の手術の時などは、私の体が危なくなるほど時間をかけてやっと10コしか取れなかったのに・・。開腹の部位も、前回と同じ場所を切って下さったのですが、お腹のかなり下方部位なのに、どうやったらあの大きくなった子宮から筋腫だけを取り除くことができたのかも不思議。手術を受けた私自身が、手術がうまくいったことが信じられませんでした。

ただただ、斎藤先生の技術の高さに驚くばかりです。また、術後の経過は本当にらくちんで、1回目の手術とは比較になりません。1回目も今回も母が付き添ってくれたのですが、広尾の術後、私の苦痛が少ないことに驚いていました。術後、起き上がれるようになった時間も、1回目に比べたら短く感じ、20日後には職場に復帰できました。

手術の時か術後に、斎藤先生が「前回の手術は何もしてなかったんじゃないの?」とおっしゃったのには苦笑いするしかありません。1度だけ、お腹がパンパンに張って、ガスが溜まりすぎてすごく苦しい状態になりましたが、それもガスを出したり排便したりで無事解決し、元気に退院できました。

それから3週間後、1度だけ具合が悪くなったことがあります。昼食後に急に悪寒と吐き気に見舞われ、高熱が出て、腸の動きが止まっているような感じがしました。口が渇くのでお水を飲んでも、飲んだら飲んだだけ吐いてしまうのです。夜中だったので「朝になったら近所のクリニックに行こう」とガマンして、ひたすら寝ていたら、腸の動きが戻ってきた感じがしました。

すると悪寒や吐き気が少し軽減して、翌日のクリニックでは点滴と胃腸薬で何とか治してもらいました。お腹に悪いカゼだったのか、一時的に腸の具合が悪くなっただけなのかは分かりませんが、斎藤先生の手術後、具合が悪かった記憶はこれだけです。


●広尾MCで得られた希望
術後1ヶ月後に生理がやってきました。それまでの生理とは比べ物にならない軽さ!感激でした。術後6ヶ月経った今(取材日2001年7月)、貧血もすっかり良くなって、人に会うたびに「元気になったね。」と言われます。お腹の巨大なつっかえが取れたので、動くのも楽になりました。

生理を気にせず行動し生活できるという事が、こんなに素晴らしいことだなんて思ってもいませんでした。術後、ぐんぐん元気に回復していく私を見て、夫は、自分が探してきた広尾MCでの手術が大成功だったとご満悦。母も私の回復ぶりにびっくりしながらも「広尾を探してきてくれた旦那さんに感謝しなくちゃね。」と言います。

本当に夫にも母にも、感謝しています。もちろん、手術してくださった斎藤先生とスタッフの方々にも。今、筋腫やその他の婦人科の疾患を抱え、日々、不安と絶望感を感じ心をささくれ立てながらも、何とかしようと思ってこのホームページをご覧になっている方がいらしたら、是非「広尾メディカルクリニック」で診察を受けて欲しいと、心から思います。そして斎藤先生に会って、心を安らげて欲しいと思います。

広尾メディカルクリニックには、あなたの「希望」があるのです。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)354-
血色素(Hb)(g/dl)9.4-
ヘマトクリット(Ht)29.8-
CA-12522-
備考
●術前貧血がひどいためホルモン治療    


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HIROO MEDICAL CLINIC