「普通の手術′縺A再発。私に3度目は考えられませんでした。」
レポートNo.79

S.T.(31才)
●元気な自分が貧血だとは・・。
私は広尾MCで手術するまで、本当にもったいないほどの血液を月経過多で失っていました。その出血量は、一時的とは言えヘモグロビン値が信じられないくらい低くなってしまったことからも、想像を越えた量だったのだろうと思います。そんなにひどい貧血なのに生活に支障は無かったのかと思われるでしょうが、もとが丈夫なせいか少々からだがキツくても、運動不足や年齢のせいだと思い、通常なら即入院を言い渡されるほどの貧血だとは、まさか夢にも思っていませんでした。

今思うと、会社の更衣室(4F・階段)まで昇り切ると、しゃがみこんで休憩しないと着替えもできないほどにしんどい思いをしていたのは、貧血の兆候だったのでしょう。動悸や息切れというレベルを超えた辛さえしたが、当時は「運動不足なのだろう。」と思い込み、周囲も本人も、元気な私がまさか貧血だなんて思いも寄らず、同僚と「運動不足よ〜。」「歳じゃないの?」などと軽口を交わしていたものでした。生理の出血は多いと思っていましたが、痛みなどは全く無く鎮痛剤も服用したことが無かったので、出血は気にはしていましたが病気だとは考えておらず、婦人科系に良いというお茶や健康食品などを試しては止め・・ということを繰り返していました。

貧血が発覚したのは23歳頃。手指の関節痛のため整形外科を受診したときのことです。レントゲンでは手指に異常が認められず、末端の関節が痛むのは通風などの怖い病気の場合もあるから、と血液検査を含め数種類の検査を受けたら、なんとヘモグロビン値5.1。あまりの数値に、すぐに内科を受診するよう薦められました。

内科では毎日の注射と鉄剤の服用を言い渡され、貧血の原因についてはいくつかの検査を受けましたがどれも該当しません。先生から「貧血になる心当たりは?」と尋ねられ、その際に「月経過多・・かもしれません。」と申し出たところ、即、婦人科にかかるよう指示されました。高校生頃から人より出血は多くなっていたのかもしれませんが、出血量を他人と比べたりできないですし、また、軽軽しく口に出せる話題でもありません。痛みなどは全く無かったので、少々出血量が多いけどこれが私の普通の生理なのだと思っていたのでした。それがまさか、ここまでひどい貧血の原因だとは・・。


●出血を止めるためのホルモン療法
母が子宮筋腫で全摘出手術を受けたことのある市立病院の婦人科にかかり、MRI検査をしました。すると子宮の内側に細かい多数の筋腫があると指摘されました。あまりにもプチプチと沢山あるので、これらを手術で全て取り除くのは難しい、取り急ぎは貧血を何とかしましょうということで、貧血の原因になっていると思われる生理を止めるため、スプレキュアによるホルモン療法を始めました。

1クール(半年)後、筋腫は多少縮んだようでしたが、スプレキュアを止めるとすぐに元の大きさに戻ります。月経の出血も、ホルモン療法前より多くなった気がしました。いえ、ナプキンの交換時間などから判断しても、確実に多くなっていました。

半年の休止の後、また1クール、スプレキュアの再開。私の場合はホルモン療法の副作用はほとんど現れず、生理が止まっている間は快適そのものでした。もう生理を止めるためだけに、ず〜〜っとスプレキュアを使いたいとまで思うほど。それを婦人科の先生に言ってみたら、絶対ダメとのこと。副作用は無くても、やはりホルモン剤は体に悪いのですね。


●月経過多の憂鬱な日々
出血過多で悩んでいる人のほとんどは必ず経験しているはずと思うのですが、会社や学校など、自分の都合を優先できない場所での大失敗・・。私は何度、自分の椅子をトイレで掃除したか知れません。また、営業畑で男性の多い職場だったので、私の辛さをなかなか理解してもらえず、更衣室で一人涙した事もたびたびです。

出血過多の日の仕事はナプキン交換に時間を奪われ、失敗するのではという不安に集中力を奪われ、ミスしないのがやっと。工夫して自作した特大高性能ナプキン(普通の高性能ナプキンの上に夜用を被せ、さらにその上から大人のオムツを被せる。もちろんタンポンもスーパーサイズ使用。)も、たった40分で交換。同僚の女性社員には「すみません、来ちゃいました。」と頭を下げ、仕事をフォローしてもらっていました。

自分でも「全然仕事ができやしない、給料泥棒・・」と罪悪感が心にチラつきます。ロッカーには常に着替えのスカートと封も切っていないような新品のナプキンや紙おむつの山。こうして準備万端整えておかないと、ものすごく不安でした。友人とのお出かけも「この日はダメ、ここもパス」と日にちが限定され、また出かけていても「大出血」を感じたら、お出かけは諦めて帰宅しないとタイヘンなことになるのでした。友人とは長い付き合いで、私の出血過多がどのくらいひどいか知っていましたので、お出かけがおじゃんになっても文句1つ言わず、付き合ってくれました。

一度などは社内旅行のバス旅行の最中に生理になって大出血を起こしてしまい、用意はしてあったものの、そんなにトイレ休憩もなく、バスのシートは汚すし自分の服も汚すし、「どうしよう、どうしよう・・」と最後まで席を立てずにいました。同僚が助けてくれて、まずバスガイドさんにその事を告げると、ガイドさんは慣れた感じで「大丈夫ですよ。」と言ってくれましたが、私はもうたまりません。その後、何とか席を立ちバスを降りましたが、出血がポタポタと垂れていました。何とか始末をつけ、ちゃんと着替えもして自宅まで帰りましたが、また大出血を起こしていて、自宅付近の路上に出血がタラタラと落ちていたようです。母が出迎えてくれた時気付いて、水で血を流してくれていました。


●核摘出できない地元病院
貧血だけでなく、生理があまりにも日常生活に差し支えるので、ホルモン療法を受けていた病院で核摘出手術をやってほしいと訴えましたが、筋腫が多すぎるし、できている位置が悪いということで手術するなら全摘しかないと言われました。転院も考えましたが地元の病院は横のつながりが強いという話を聞いたことがあり、地元で転院しても同じことになることは簡単に予測できました。

20代の半ばにして子宮全摘出なんて哀しすぎます。地元の病院では摘出かホルモン療法しか選択が無い・・。本を読んでみても同じようなことしか書いてありません。どうするか悩んでいた時期、当時の上司の奥様が子宮ガンで東京の順天堂にかかっていると聞きました。奥様は子宮を摘出せずに子宮ガンを克服されたそうなので、病気は違うけど診察してもらう価値はあるのでは?と勧められ、新幹線で2時間かけて東京まで受診しに行きました。


●1回目の手術〜再発
受付けから2時間くらい待った後、診察。今考えると途方も無い時間の無駄なようですが、この時の私には、この病院しか頼れるところがありませんでした。順天堂では核摘出手術を検討してくれて、手術を受けるためにはとにかくヘモグロビン値を高めなくてはならないとのこと。そのために数ヶ月間は貧血の治療を受けながら待機し、出血を止めるためスプレキュアも手術前に3ヶ月ほど使いました。

26歳、1回目の手術では200gほど摘出されました。細かいことは忘れましたが、この手術後はとにかく辛かった記憶だけが残っています。手術が全身麻酔だったせいか術後の様々な薬のせいか、ものすごく気分が悪く、具合が悪いとしか言えない体調でした。3〜4日は起き上がることなどできず、ベッドの上でグッタリ。

4日目くらいにやっとカラダを起こし(というか強制的に起こされ)、「腸を動かさないといけない。」と言われたような気がします。また、このとき同じ日に同じような手術を受けた方と同室だったのですが、二人とも顔色が無く、婦長さんに「二人して死体のようだね。」と言われました。

傷熱もひどく、座薬を使って対応していました。食後もムカムカして吐くことがしばしばで、こんなことで元気になれるのか・・と不安に感じたものでした。術後の生理も楽になった記憶が無く、出血が減った印象もありませんでした。検診の時に「楽になったでしょう?」と先生に言われて、「楽になってるのかなぁ?どうなんだろう?」と考えてしまいましたが、何となく楽なのかも知れないという感じで「はぁ、まぁ。」と曖昧な返事をしていました。


●再発したとは思いたくないけど・・
1回目の手術を終えて2年も経たないうちに、生理の出血量が気になり始めました。手術前は2日目くらいに大出血するとあとは普通の出血だったはずなのですが、だんだんと4日目5日目も大量の出血があるようになり、大量の出血とともに卵くらいの大きさの塊が2度3度と続けて出るようになりました。

出血が多くておちおち眠れないので、介護用の使い捨てシートを発見し、「これだ!」と思い敷いて寝ていました。それでも3時間ごとに起きてナプキンを交換していましたが、この介護用シートを発見するまでは「絶対眠らない!」と覚悟を決め、夜を徹して出血に対応していました。当然翌日の仕事にも影響します。会社に居ても落ち着かず、この期間中は周囲に頭を下げてフォローしてもらっていました。

1回目の手術前の状態に全く逆戻り、いえ、それよりひどい状態になっているようです。また、大量に出血しつづけているので、頭はボンヤリして体もだるく、かなり投げやりな感じでした。こんな具合になったら、自宅に帰るしかありませんでした。レバー状の塊(手のひら半分ほどの大きな塊が出てくる。内臓の一部かと思うほど。)はもちろん、ナプキンを傾けたら経血がしたたり落ちるくらいの出血。しかも塊は、出る瞬間だけでなくお腹の中を“降りてくる”のが分かるのです。「きた・きた・きた・・・、まずい!トイレ!」という状態。

子供でも生んでいるかのような感触です。ナプキンは吸収力だけが選ぶ基準。友人たちのように「厚み」や「感触」にこだわって、あれこれ選んでいる場合ではありません。ナプキンはもちろん、大人用紙オムツから子供用紙オムツまで、吸収力を研究し尽くすくらいでした。

また、この頃からトイレが近くなり、しかも尿意を少しでもガマンすると逆に出渋り、頭の血管がキレるんじゃないかと思うくらいイキまないと排尿できないような、おかしなことになってしまいました。そのうち貧血の自覚症状が現れて来たので、またしても内科にかかり、注射と飲み薬を処方されました。一時期ヘモグロビン値4.3になった時はさすがに入院を勧められましたが、仕事があったので何とか通院で対応しました。

生理前は下腹部が異常に張って、仰向けで寝転がっても下腹部がポッコリと出るようになり、お腹を触ると手に硬い感触が・・。ここまで症状が現れると、さすがに子宮筋腫が再発したのだと実感しましたが、それを認めたくない気持ちは強く、ことさら現実を直視しないようにしていました。


●「広尾」に賭けたい!
30歳の結婚4ヶ月前のこと。結婚式にこのひどい生理が重なりそうだったので何とかしてもらおうと地元の病院に行きました。MRIの結果、筋腫のため、子宮が大人の頭大の大きさになっていると判明。こちらの先生は「とても4年前に筋腫を摘出したとは思えない。悪性の肉腫かもしれないので念のため検査をしましょう。」とおっしゃり、検査をしてみましたが、やはり筋腫でした。

結婚を目前に控えた私に、この事実は残酷でした。「婦人科医の10人中9人が全摘出をすすめる状態です。」と説明され、仮に筋腫のみを取り除けたとしても、子宮の大半を一緒に摘出することになるので、使い物にならない子宮しか残らないだろうとも。それでも全摘出をしてしまうよりマシかもしれない、先生や家族と話し合いをして、限りなく低い可能性に賭けて、ホルモン療法(リューブリン)を1クール終えたら、手術を検討しようということになりました。

この間、広尾メディカルクリニックのサイトをインターネットで探し当てましたが心が決まらず、幼馴染の友人に相談してみました。プリンターを持っていなかった私に、友人は内容を全て出力してくれました。豊富な体験談、いろいろなことが詳しく説明してあるページに惹かれながら、それでも迷っていました。保険の使えない自由診療で、現実世界ではそんなに有名でもなく、ネット上だけの怪しいクリニックかもしれません。

そんな私の背中を押したのは、「お金で治るものなら迷うこと無い。お金で健康が買えるなら、私は買うね。」という友人の言葉でした。「お金を出しても治らない病気の人もいる。」と。1回行ってみて話を聞いてからでも遅くない、怪しかったら断って逃げ出せばいいんだから・・と診察に行くことを決めました。メールでの質問にも素早く丁寧に回答いただいていたので、私はさほど怪しいとは考えていませんでしたが、さすがに母は怪しみ、一緒に行くと言い出しました。母は自分の目で確かめないと気がすまなかったようです。

病院とは思えない柔らかな雰囲気のクリニックに、多少おどおどしながら初診に。斎藤先生は、持参したMRIを見て、「これはすごいね〜、でも大丈夫。もっとひどい人もいたんだから。」と、おっしゃいました。筋腫はすごいことになっていましたが、卵巣は大丈夫なようです。

1回目の術後、4年足らずでこのように再発してしまった事に関しても、「1回切った子宮の中っていうのは卵の殻のようなモノで、割る前は殻が堅いが1回割れると脆くなり、簡単に中身が飛び散ってしまう。1回切ってしまうと、筋腫が取りきれていない場合、再発した筋腫は育ちやすくなる。」と、医学的な知識の少ない私にも分かりやすく説明してくれました。

母は娘の子宮を治療できる先生を目の前にして必死になっているようでした。私が母の体質を受け継いだらしく筋腫になってしまったことを、気にしていたのでした。私が結婚を控えている身だった事もかなり気に病んでいたらしく、「本当に大丈夫なんですか?子供はできますか?」と先生に質問していました。

さすがに先生は「子宮はきれいに治せるが、子供を授かるかどうかは神様の領域だからね。」と諭すように話してくれていました。確かに、まったく健康でも子宝に恵まれない人もいるのですから、そこまでの事を斎藤先生に保証しろというのはムチャです。先生が、「みんなボクに神様みたいなことを要求する。」と苦笑いしていらしたのが印象的でした。

とにかく大丈夫と言ってくれる先生に賭けたい、他の病院の処置では再発の可能性が高そうですし、それ以前に子宮を残すことさえ困難なのが現実です。「広尾メディカルクリニック」で手術を受けようと決めて、半年後の手術を予約して帰りました。

結婚式を無事終えて、2001年1月、手術を迎えました。出血のせいで手術が延期になると困るのでリューブリンは続けており、ちょうど6回目・最後の注射後に手術でした。手術中はほとんど寝ていたので覚えていませんが、術直後に少し目を覚ましていたら、看護婦さんが摘出物の詰まったバッグを持ってきて「これ、どうしましょうか?」と言うので、「今日はいいです〜〜。」と見るのを遠慮しました。翌日には部屋の片隅に置いてありましたが・・。

筋腫、粘膜下筋腫、ポリープ。トータルで165gくらいの摘出物でした。術後のラクチンさと言ったら、1回目の手術とは比較になりません。傷は内臓が処置できるくらい切ってあるのですから、多少痛くて当然ですが、前回のときのように吐き気や具合の悪さなどが一切なく、食欲もあり、食事を吐き戻す事も無く、快適に入院生活を送りました。

退院後もこれと言って不調に陥ること??????も無く、ぐんぐんと回復していきました。楽しみにしていた生理は(生理を楽しみにしたことなど生まれて初めてかもしれません!)リューブリンの影響か、同期入院の方より1ヶ月ほど遅れてやってきました。(先生からも薬の影響で他の人より遅いかもしれないと説明されていました。)「これが出血?」と思うほどの少なさ。本当にこれでいいのかな?と不安になるほどです。

でもこれが、私にとっての「正常な生理」なのでしょう。特大ナプキンやおむつ、介護用シートなどはもう必要ありません。生理の周期も27〜28日で安定してきました。術後のMRIでは、あんなに巨大で他の内臓を押しのけてのさばっていた子宮が小さく小さくなって、他の内臓も画像にハッキリ映っていました。この数ヶ月間、腹筋を使わないよう使わないよう過ごしてきたせいか、腹部や腰周りの皮下脂肪が術前より明らかに厚みを増していて、術後半年以上経ったので、これから運動して引き締めていかないと!という感じです。日常生活でもすでに走り回ったりしているので、ちょっと頑張ろう、夫にバレる前に・・。

私の回復には家族も驚き、喜んでくれています。何より子供を産める可能性を大きく残しての治療でしたので、母も夫も大喜びです。斎藤先生の手術のお陰で、私一人ではなく、私の家族も幸せになれたと思います。今、悩みながらこのHPをご覧になっている方たちにも、方法はいろいろあると思いますが、どうかご自分の後悔のない選択をしていただきたいと思っています。

私自身、広尾については、保険診療外であることや、よく知られていない病院であることなどから家族の反対にあいました。二度目の手術になる私に、「今回は地元の病院で手術してみて、駄目だった場合、三回目に広尾に行ってみてはどうか」という声もありましたが、私は同じ事を繰り返すのでは意味が無いと思いました。そしてその選択に間違いはありませんでした。背中を押してくれた友人にも感謝しています。何より、こんな元気にしていただけた斎藤先生、何をお願いしても笑顔で応えてくださったスタッフの方々に本当に感謝いたします。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)424468
血色素(Hb)(g/dl)12.914.1
ヘマトクリット(Ht)37.343.9
CA-12512-
備考
●術前Hb4.6の事もあったと言う。
 ホルモン治療を続けた。       


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