「最後まで治療法に妥協はしないで幸せになろう」
レポートNo.80

渡辺世利子(40才)
●注意信号を見落とさないで
私はいつも元気だでした。いえ、元気なふりをしていただけかも知れません。いくつかの注意信号はあったにもかかわらず、一番大切な子宮からの叫びに気付きませんでした。医療に対してあまりにも無知でした。

他人には婦人病であることってなかなか言えませんでした。元気になった今思うのですが、もっと「辛い」って弱音を吐いてしまえれば楽だったかも知れません。我慢すること、無理をすることが更に病状を悪化させてしまったように思います。治療を決心するなら早いほうがいい。だけど、治療方法に対して妥協はするべきではないと思います。後悔するのは自分なんだから・・・。

でも私は悩んでいるうちに広尾を見つけることのできた運の強い人間です。広尾を選ぶことができなかったら、今の自分はなかったと確信しています。広尾での手術後に結婚し、毎日を幸せに暮らしています。私は注意信号を見落としてしまったけど、何らかの参考になればと思い、これを書きました。


●ひとつ目の注意信号
私のひとつめの注意信号は33歳の時、朝ふと首筋の腫れに気付き、すぐに行った会社の病院で「手術が必要かも知れない」との診断。甲状腺の腫瘍でした。自分の転勤や引越しが重なったことが原因と考えられ、ストレスもかなり多い状態でした。ここで生まれて初めての手術を経験しました。首の手術後は、咳をするのも辛く、今思うと広尾での術後より辛かったことだけは確かです。

「良性腫瘍です。おできみたいなものですよ。ははは」という先生の言葉にホッとしたのを覚えていますが、今振り返ると、言われるままに切除したのは正しい選択だったのかどうか?どういう説明で手術を決断したのか?すっかり記憶も風化してしまいました。それに比べ、広尾で戴いた1冊のファイルには、手術の期間の記録がすべて残っています。痛みも喜びも、すべてのことが・・・。


●「様子をみましょう」は残酷な言葉
その手術の直後にあった、「乳がん・子宮がん検診」で子宮筋腫がみつかり、精密検査を受ました。医師の「様子をみましょう」との言葉に「また、おできができちゃったのか。」と簡単に考えた自分が悔やまれます。そのお気楽さのあまり、様子もみずにただ放っておいたのだから・・・

。 「様子をみましょう」は患者に少しの期待を持たせますが、取り返しがつかないことになる可能性を秘めた残酷な言葉であることには気がつきませんでした。体験談でわかるようにほとんどの方が同じように言われているようですが・・・。

それから2年が過ぎて・・・。
会社の健康診断で「貧血がひどいようです。病院で診てもらったほうがいいかも」と言われ、それが「婦人科に行け」ということだとは気がつかず、胃が荒れていたので、そのせいか?と勘違いして自分を納得させていました。その後、貧血は悪化していくばかり。生理中の出血はひどかったのに、痛みはありませんでした。

さらに3年が経過しました。
仰向けに寝るとおなかの上で骨のような感触で、触るとこぶし位の大きさがあります。不安はあったにもかかわらず、なかなか病院には行けませんでした。

ようやくS病院で、MRIを撮るとそれは8cm位の筋腫でした。先生の「手術しましょう」という言葉には頷けず「漢方を試してみようかな」と漠然と思い、薬を飲み始めました。もちろん漢方では筋腫が小さくなることはありません。


●最終的にわたしが選んだ道
1年後のS病院では「筋腫をとっても妊娠できる可能性は5%程度しかない。全摘になる可能性は50%位ある。無理して手術する必要はない」という診断です。この時からの苦しみ・悲しみは、私にとって人生を見つめなおす機会となり、最終的に選んだのは離婚、そして広尾での手術という道だでした

。 手術は2000年10月。待つ間も貧血はますますひどくり、まるで筋腫が最後の抵抗をしているかのようでした。 この体験談の皆さんは自分の病気についてきちんと勉強をされていて、頭が下がる思いです。私は「何か聞いておきたいことはありますか?」という斎藤先生の言葉にただ「お願いします」としか言えませんでした。もちろん、それは「広尾で手術するしかない」という直感があったからで、何の不安もありませんでした。

手術・経過ともに順調でした。術後に水が飲めなかったのが、一番苦しかったのを覚えています。お腹にメスを入れられた時は「なんかピザを切っているみたい」なんてのんきに思えるほどの安心感がありました。退院の日は斉藤先生に東京駅まで送って頂いて、新幹線に一人で乗り、家に着くと母が「入院の荷物くらいは宅急便で送ればよかったのに・・・。」というほど元気よく帰れました。


●幸せになるための決断をしましょう
今でも時々、手術のファイルを開いています。手のひらに乗るくらいのピンクの子宮が可愛らしく写ってます。こんな写真を持っている人なんてそうそういないだろうなー。他人に言うと「気持ち悪い」って言われそうだけど、私にはとてもいとおしく、かけがえのないものです。

他の人にも絶対、失ってほしくない。一緒に失ってしまうものも絶対あるから。今は「私と一緒にHappyになってくれる人がいるなら、もっともっと幸せになろう。」そう思いながら、毎日を生きています。

そうそう、広尾の見学に行った時に偶然、同郷の方が入院していらっしゃいました(前島さん)。術後なのにとってもパワフルで楽しそうで・・・。彼女たちと話ができたことで、手術になんの不安もなかったのだと思います。悩んでいる方はぜひ入院患者さんたちとお話ししてみてください。金曜日ならきっと会えます。それ以降の人生を決めるのはもちろんあなた自身です。後悔は決してしないようにね

。 最後に斎藤先生は母と同じ歳であることに驚きを感じています。若々しくてとても素敵で・・・。斉藤先生、どうもありがとうございました。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)390447
血色素(Hb)(g/dl)8.713.4
ヘマトクリット(Ht)26.940.2
CA-12538-
備考



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