「本当にお腹から笑える日は必ず訪れます。」 ・・・レポートその2
レポートNo.81

花島美桜(38才)
●入院までの間
私の場合、ヘモグロビンの値が6〜7と言う状態でしたので、本当なら1年後の予約のはずなのに、間に割り込ませて頂く為に電話で連絡待ちという事になりました。手術は7月の末に連絡を頂いて8月27日手術と決まりました。初診の時に「術前輸血が必要になるかもしれない。」と言われ、「出来れば輸血は避けたいけど鉄剤は・・・・・。」と先生に言われました。それでも内科と国立医療センターで頂いた鉄剤を夜だけ飲んでいました。後は半乾燥プラムをおやつ代わりに、一日10個ほどを何回かに分けて毎日食べていました。プラム効果のお陰か?何と術前検査では値が14にまで上がっていました。

手術が終ってから看護婦さんに「あの〜、輸血はしたんですか?」と聞いた所「大丈夫でした。」と聞かされ安心しました。しかし、鉄剤のせいか?毎回の生理の出血量は増えていたような気がします。今になってみては笑い話になりますが、私は手術までの1ヶ月間に「これで自分の人生に悔い無し。万が一?神様のもとへ行く様になっても良い。」と思い、思いっきり!好きな事をして好きなものを食べ入院前夜には遺書まで書きました。


●8月27日(月)入院当日
一週間前ぐらいから些細な親子喧嘩で父と口をきかない状態が続いていましたが、朝「じゃ、行ってくる」と言うと「ああ」と返事が返ってきて私は家を出ました。母は心配顔で見送ってくれました。

広尾メディカルクリニックには約束の時間に10分遅れで到着です。赤いリースの部屋に案内されて「これに着替えて下さい」と手術着を渡され着替えてから順に浣腸、悌毛、点滴をしてもらいました。先生が入ってこられて「君の番は2番目だからね。覚悟しときなさい」と笑いながら言って行かれました。

点滴をしながら「音楽を聴いても良いですか?」と言うとCDのリモコンを持ってきてくれて小鳥のさえずりのCDを聴いていました。お昼頃だった?でしょうか?「そろそろ行きましょうか」と看護婦さんが呼びに来てくれました。「緊張がほぐれた所為かお腹がすきました」と私が言うと、笑いながら看護婦さんは「もう、まな板の上の鯉になってください」と言われました。


●手術
初めて見る手術室は「明かる〜い!普通の部屋みたい。でもあのライトはTVで見た事がある。わあ、器械が沢山ある。手術台って思った以上に小さい」と半分興味深々でした。手術台の上に上がると服を脱がされ、心電図や血圧計他の器械がつけられ鼻に酸素チューブもつけられました。

麻酔医の先生が来て、「背中を先生の方に向けて身体を丸めて下さい」と看護婦さんが私の身体を支えながら言い先生が背骨を強く押してました。「痛いけど我慢!」その内、背中に注射の針が入るのが解かりました。(これは硬膜外麻酔をする為の局部注射の針でした。)仙骨に注射された時は、思わず「いた〜い!」と叫んでしまいました。消毒した綿花でお腹を拭きながら麻酔医の先生に「これは冷たいですか?」と聞かれ。「冷たくはないですが、触っているのは解かります」と私は言いました。

麻酔が完了すると今度は、尿導カテーテルが入れられ手術部位の消毒が始まりました。私は齋藤先生に「お願いします!」と言いましたが、声になっていません。消毒中の感じは、まるで正座で足がしびれている時に指で押されてジンジンした感覚がお腹にあります。その直後、有窓布を掛けられてあっという間にお腹から引っ張り出されるような感覚がありました。

そのまま麻酔で寝てしまったのか・・・、途中で麻酔の先生が私の顔を見ながら「痛いですか?」と聞いてきました。私は「痛いです。(本当は苦しいです。だったんですが)」「麻酔を追加します。」そして遊園地の空飛ぶジュ−タンに乗っている感覚で意識が遠のきました。再び「苦しい、もうやめて!」と言う思いで私は、足首をバタバタさせていました。「足を動かさないで!」と看護婦さんに足を抑えられ、今度は血圧計のついている腕の指から手を持ち上げようと動かしていました。すると、看護婦さんが来て私の手をず〜と握ってくれていました。

麻酔の先生が「痛いですか?」と聞いて「いたいです!」と私。齋藤先生が「もう少しだから、頑張って!」と言われ声にならないうめき声と共に、苦しみの数分間でした。楽になったと思ったら術後処置がテキパキと進んでいて気が付いたら自分の病室のベットの上で寝ていました。(あの時、ず〜っと手を握ってくれた方に本当に感謝です。あの手のお陰で私は心強い思いでした。)

後で聞いた話ですが、私の場合は強度近視の所為で眼圧が高く麻酔薬の中には緑内障の人がつかうと失明するかも?知れない薬があった為に普通の方が使う麻酔薬が使えなかったそうです。「麻酔の先生がとても苦労していたよ!」と後で齋藤先生に言われました。


●8月28日(火)
ほとんど、痛みのせいで眠れない夜が明けました。看護婦さんには本当に頭が下がります。夜中の間中体温と血圧と出血の処置に時間毎に来てくれ「大丈夫ですか?気持悪くはないですか?」と聞いてくれました。

朝、身体中に付いている器械を外して背中の麻酔のチューブを抜いてもらい。その後「さあ、歯磨きして下さい」と言われベッドを起してくれました。顔を拭かせてもらって。午後には身体の清拭をしてパジャマに着替えさせてくれました。「はい立って!歩いて2階の部屋に移りますよ!」内心「え〜!」でも・・・・。

ゆっくりとですが起きて。立てる。歩ける。「嘘みたい!」階段下の診察室前まで行くと中で齋藤先生が笑っていました。「こんにちは」「先生はマジシャンです。嘘みたい!歩いています私」「嘘みたいでしょう!でも昨日だったんだよ!」と言われ「君はやせなさい!オペ前に血圧が高いのでビックリした。危険だったよ!」と言われました。

夕方に自力でトイレに行きましたが尿意があるのか?無いのか?解かりません。腹筋が使えないからチョロチョロ出ているだけでした。でも「トイレに行けたぁ!」と嬉しくなってしまいました。夕食にお茶とコンソメスープと乳酸ドリンク?でしょうか?「こんなに美味しいスープは初めて」と嬉し涙でした。


●8月29日(水)
今日も又手術があると言う事で病院内はシーンとしています。オペ前に先生がいらして「どうですか?」ときかれて「大丈夫です」と答えてしまいました。看護婦さんには素直に「痛いです!」と言えるのに何故か?先生には退院まで「痛い」とは言えなかったんですね(笑)。

たまにストレッチャ−の動く音と足音がします。私も寝ていても痛いだけなので、気分転換にソファのところへ行きました。そこには患者さんのお母様が心配顔でいらして。「大丈夫ですよ。私もこんなに元気に回復しています」と話すと少しホッとされた様子でした。

夕食に3分粥とおいもが出ました。ところが、傷の痛みが治まってきた所へ腸が動き始めてガスが溜まり、また苦しい一夜となりました。寝ても苦しい、起きていても苦しい。ナースコールをすると「これはガスとお通じが出ない事にはどうしようもない。この状態で下剤を飲んだらもっと苦しい思いをしますよ。」といわれ仕方が無く夜中の院内をうろうろしていました。その後、明け方にやっとお通じがあって、少し寝れました。


●8月30日(木)
夜中に寝られなかったくせに、「ワンワン」と声を聞くとベットから起きている自分がいました。先生の愛犬パルちゃんの声です。点滴のスタンド押しながら私はパルちゃんと遊んでいました。午後にはお腹のチューブを外してもらい「この前ここに寝ていたのは4日前の事になるんですねェ!早いなぁ?」「そうだね。早いね」と先生。

そしてシャワーを浴びました。気持良かったぁ!シャワー室にあるナースコールのスイッチが釣りのルアーで出来ていて、間違って触ったら「どうしました?」と看護婦さんが聞いてきました。失敗!部屋に戻ると両親が心配顔で見舞いに来ていました。「元気になって良かった!先生にお礼を言いに行こう」と3人で下へ降りていきました。

先生は「術中大変だったのに、翌日は一番元気な顔をして立っている。君が一番問題児になると思ったのに違った?」と笑っていました。母が「どのくらい?切ったのですか?」と聞くと「スパッと8センチ切りました。」と先生。その話ぶりがおかしくて笑うと「そのその口!その口の大きさだよ!」とまた笑わせられました。最初のイメージとは大きく印象が変わって斎藤先生には最後まで笑わされっぱなしでした。

夕食前に先生から「これ、君の分」とファイルを渡されました。手術記念ファイルです。中を見ていたら、凄いのと専門的な言葉が解からなくて、思わず注射を打ちに来た看護婦さんに色々と聞いてしまいました。話し声が外まで聞こえたのか?齋藤先生が入ってこられそのままずーっとおしゃべりしていました。「続きは又明日話しましょうね」と言われて時計を見たら夜中の十二時前でした。先生ゴメンナサイ。


●8月31日(金)
入院してから、初めてぐっすりと寝られ目覚めは最高でした。朝顔を洗ってTVを見ていたら「朝食の用意が出来ましたよ」と呼ばれ2階のリビングに行きました。そこには、同じ日に手術した2人が居て、3人でおしゃべりしながら食事をしました。出てきた筋腫の事を話したり(私のは粘膜下筋腫・内膜ポリープ・チョコレート膿胞・筋腫と全部併せて1,020グラム。)2人に「多いですねェ!」と言われ「傷口は痛くない?」「腰は?」「食欲は?」と次から次まで話しはつきません。看護婦さんに「お話が弾んでいるところ申し訳ないですが、皆さんそろそろ点滴の時間ですが・・・。」と言われて「又、後で!」とそれぞれお部屋に帰りました。

自分でもこんなに元気になれるとは。本当にビックリです。「お昼御飯の時間ですよ。齋藤先生もご一緒です。」と呼ばれて又リビングに行きました。「にぎり寿司?良いんですか?食べて?」先生は「どうぞ!」「美味しい!」「そりゃ、そうでしょうよ。」と笑っていました。又先生のお話に笑わせられ「お腹がいた〜い。笑わせないで下さいよ〜!」でも先生は「笑って腹筋を鍛えて傷を早く治すんだよ」とまた笑わせます。

食事の後はティータイムです。水曜日に手術した3人も2階へ上がってきて一緒にお茶を飲みました。月曜日に手術した3人にはメロンとケーキまで出されて「ホントに食べて良いんですか?」「ホントに食べていいんですよ!」と看護婦さん(笑)「ワ〜イ」と子供みたいにはしゃいでいました。外来診療でいらした初診の方や手術して月日の経った再診の方など、大勢の人たちでティータイムの楽しい時間はあっと言う間に過ぎていきました。

夕飯は、また3人で今度は和風ハンバーグを食べました。夕食後に下のお部屋を訪ねておしゃべりしていると、また齋藤先生がトントンと入ってこられ「こんな狭いところで話さないで上へ行こうよ!」と誘いに来ました。また5人でお喋りです。先生のお話を聞いているとあっという間に時間が過ぎます。時計はまた十二時近くになってしまいました。


●9月1日(土)退院
今日は家に帰れる!バンザーイ!朝から家に帰れる嬉しさと、ここを離れる寂しさとが複雑に入り混じっていました。朝食の後、手術室の準備を見ながら「ここで始まり、もう今日で終りなんだなぁ!」と何だか寂しさを感じました。かなり痛い思いもしましたが、楽しいことも沢山ありました。抜糸をしてもらい、先生に「カルテに貼るから。記念写真。笑って!」と写真を一人ずつ撮ってもらい、最後は先生と一緒に皆で撮りました。

帰りは、何と私だけ、先生の車で家まで送り届けて頂きました。最初に泣きながら広尾メディカルクリニックを訪ねた私は今、笑っています。これも、齋藤先生はじめ事務長さんナースのみなさんのお陰です。先生に命を救って頂いてあの手術を境に私自身が生まれ変わったような気がします。本当にお世話になりありがとうございました。


●退院後
翌週の月曜日から、仕事を再開しましたが本当ならまだ入院していてもおかしくない身体です。やはりお腹が痛くなってしまい2時間立ち仕事をすると30分横になるという繰り返しでした。また入院中は点滴のお陰で元気でしたが、退院後は身体が疲れやすく、かえって病人に逆戻りをしたみたいでした。

傷口の消毒を自分でした時です。「こんなにきれいになっている。」まだ傷口は痛々しく見ていると、あのオペの様子が蘇ってきますがちゃんと肉の盛り上がりもなくきれいに縫合された跡がある。改めて齋藤先生の技術の凄さを感じました。

手術から14日目に自分の所属するアマチュアオーケストラの定期演奏会があり「弦楽器だから大丈夫だろう?」と考えていた私は甘かったです。何とか本番は弾く事が出来ましたが、それまでの間は随分と仲間に助けてもらいました。普通に椅子に座っているという事がこんなに大変な事とは・・・・。(腹筋が完全に使えないから、無意識に背筋や他の筋肉を使い、おまけにホールの冷気に当たってまた痛みとの戦いでした。)何かあると、すぐに広尾へ電話してその度に優しく応対してくれたみなさん。本当にどうもありがとうございました。

この長い文章を読んでくださった方ありがとうございました。私の様に辛く悲しい思いをしている方に「決して諦めないで下さい!必ずお腹から笑える日は来ます。」とメッセージを送りたいです。
術前(pre-ope)のMRI 術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物 粘膜下筋腫
粘膜下筋腫


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)488547
血色素(Hb)(g/dl)10.515.2
ヘマトクリット(Ht)36.546
CA-12572.424
備考
●摘出物:1020g
●筋腫:954g
●内膜ポリープ:12g
●粘膜下筋腫:51g


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HIROO MEDICAL CLINIC