「諦めないで。納得できる治療をとことん探してください。」
レポートNo.82

伊藤真理子(42才)
●真理子さんのお母様より
斎藤先生とスタッフの皆様には、本当にお世話になりました。娘が手術を終えて回復し、健康な体を取り戻すとともに、私の心まで安らかに、穏やかになっていったようです。本当はお会いしてお礼を申し上げたいところなのですが、なかなか関東まで出向く機会もございませんので、この場をお借りして、感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

娘が元気になってからというもの、周囲の方々が「お顔(の表情)が明るくなりましたね。」と、私におっしゃいます。自分では気付いておりませんでしたが、娘の体調が思わしくない期間は、知らず知らずのうちに私も暗い顔をしていたのでしょう。娘だけでなく私の心まで救っていただけて、本当に心から感謝しております。


●初潮からあった生理痛
私は「広尾メディカルクリニック」で治療するまで、“痛くない生理”というのを知りませんでした。初潮の頃から痛みがひどく、学生時代バス通学でしたが、通学中に痛みのあまりバスの中で具合が悪くなり、どうしようも無くなった事もしばしばありました。出血も少なくはなかったと思います。成長につれ、子宮や卵巣が成熟すると生理痛が治まる場合もあると聞きますが、私の場合は全くそんなことは無く、何か異常があるのでは?と婦人科に行ってみました。

地元では、総合病院に2件ほどかかりました。最初の診断は「子宮後屈」。そのため痛みが激しいのだと説明されました。治療法は特に無く、痛くなったら痛み止めを服用する程度です。その後、不正出血・排卵痛と出血など、思わしくない状態が続くし、生理痛や出血過多も悪化していくようです。

2件目の総合病院は、婦人科で有名な病院で、紹介され受診いたしました。その診断は「子宮内膜症」。すでにチョコレート嚢腫などもあったようで、スプレキュアによるホルモン療法を勧められ、2週間に1回、スプレキュアをもらいに通院しました。ホルモン療法は、顔面や首筋からのいきなりの発汗や軽い頭痛などの軽い副作用がありましたが、嚢腫は小さくなっていて、効果があったように思われました。

ホルモン療法を続けながら経過観察のため診察も受けますが、その過程で筋腫が発見されました。5cmくらいの筋腫でした。ホルモン療法中は小さくなりますが、休止期間に入ると元に戻り、更に大きく成長するかのようでした。

その間2〜3年はあったでしょうか。なんとなく言われてはいましたが、その後たまたま薬をもらいに行ったとき、男性の医師に診察され、この時点で摘出しか治療法はなかったのでしょうが、彼からは「これはもう、ダメだよ、キミ。」と言われてしまいました。全摘出をしろとほのめかしているのです。ですが以前から診察を受けている女医さんが、「そうは言っても、本人が納得できないと取れないよね。症状がガマンできるようだったらおいときましょう。」と言ってくれて、さらに3年くらい、ホルモン療法と鎮痛剤でごまかしながら、生活していました。

市販の鎮痛剤が全然効かなくなったのは随分前からで、まれに効くときもありましたが、効果が無い時は、服用して2時間3時間経っても痛みが治まらず、部屋中をぐるぐる・ゴロゴロとのたうちまわって、痛みを紛らわせながら過ごします。効能書にある服用間隔時間が経つと次の薬を、鎮痛効果が無いのに服用していました。効かなくても飲まずには居られないのです。

結局病院から鎮痛剤も処方してもらうようになり、おそらくポルタレンをいただいていました。1回に2週間分いただくのですが、生理2〜3回で使い切るので、無くなったらまた貰いに行きます。この薬で胃が荒れないように、胃薬もいっしょに頂いていたと思います。


●筋腫の成長と症状
そして民間療法筋腫はいくつもあり、しかもできている場所が悪いようでした。大きいのがボンとあって小さいのがチョコチョコある感じ。最初、筋腫が5cm程度だった頃は、生理が終わるとお腹がひっこんでいましたが、だんだん10cmくらいに成長すると、常にお腹に圧迫感を感じて苦しくなってきました。

生理になると子宮が腫れるのか、胃が下から押されている感じがします。生理になるとお腹が張ってスカートがはけません。ウエストが止まらなくなるのです。主に左側が腫れていました。仰向けに寝ると、お腹の左側がポコンと盛り上がっているのです。寝ていてこの状態ですから、起きた状態だとかなりポッコリとお腹が出ていました。仰向けで寝るより左側を上にして寝ると楽で、逆に左側を下に向けると何か圧迫されて辛く、うつ伏せなどは全然できません。

生理はダラダラと続き、不正出血と生理は出血量で区別しているような状態でした。生理の出血はハンパじゃなく、初日・2日目がやたら多く、恥ずかしい話ですが、仕事で忙しいときなどついついトイレにも行けず・・・もうビックリなんて事もよくありました。

タンポンとナイト用のナプキンの併用で1時間持ちません。夜間、たまに薬が効いて熟睡してしまうと、朝ビックリするくらいのことになっています。何で気付かなかったんだろう・・というくらいの惨状。ビニールシート、タオルを敷いての完全装備(?)で寝ていました。

泊りがけの旅行などは、生理中だと同行者に迷惑が掛かることが分かっていますので、タイミングが悪い場合は、断れるものは断っていました。バス旅行などは手軽でよいのですが、自分の都合でトイレにいけない旅行は生理中には絶対ムリ。生理中は怖くて、旅行や外出もままなりませんでした。

子宮内膜症と診断されてからという物、婦人科の疾患に効果があるという民間療法や健康食品は、試せるだけ試してみました。漢方、健康食品、ハーブなどなど・・。

クロレラ
体質改善をするというので。粒とドリンク。牛乳を禁じられた。半年ごとに購入。けっこう高額。

漢方
某大手会社の漢方薬。

サフラン
血をきれいにする効果があると言われて。


これらのために、いったいいくらつぎ込んだか見当もつきません。今振り返ると、私にはどれもイマイチの効果でしたが、当時から子宮を残すために必死でした。


●斉藤先生との出会い
私の担当している仕事にもいよいよパソコンが不可欠となり、苦手とも言っておられず、自宅でも勉強しなくてはと、思いきってパソコンを購入しました。ついでだからネット環境も。そのとき、インターネットなら、婦人科疾患を治療するとびっきりの情報があるかも知れないと考え、検索を始めました。「広尾メディカルクリニック」を見つけてお問い合わせのメールしたのが平成12年6月。仕事の関係もあったので、初診はお盆頃でした。

滋賀県にある、塞栓療法を行っている病院も見つけており、試そうと考えた時期もありました。ですが、知合いの医師にも相談してみましたが、「ちょっとね・・。」というイマイチな反応です。サイトに症例が少なすぎるのも不安だったので、結局は行きませんでした。

継続して、大きい総合病院の婦人科の医師に診て貰ってはいました。いわゆる「名医」といわれる先生です。でも普通の技術では子宮を残して治療できない事はすでに診断で言われておりましたので、その病院にも広尾MCに行くことは別に話していませんでした。母の知合いから別の医者にも相談し、MRI検査もしましたが、診断は同じでした。何とか説得しようという感じを受けました。広尾MCに行くことは決めていましたので、MRIは看護婦さんにお願いしてコピーを貰い、初診の時に持参しました。

斎藤先生でも私の子宮は「ダメ」かもしれないと覚悟を決めて、診察に行きました。この素晴らしい技術を持った先生にも「キミのはちょっと難しいね。」と言われてしまうかも知れない・・。そんな思いはアッサリと裏切られ、「大丈夫だよ、もっとひどい人もいるよ。」と一言。思わずボロボロ泣いてしまった私。先生に「泣く事無いよ。」と言われたのを覚えています。

私の母は、最初、ネットで見つけた病院なんて!と大反対。「そんなのは信用できない。」と、どうしても診察について行くと言って聞きませんでした。そんな母も先生とお話をして、納得してくれました。『インターネットで見つけたもの』には、どうしてもうさんくささがまとわりつきます。しかも広尾MCは自由診療で、保険が利きません。それには様々な事情があるのですが、そんなことは一般の人には分かりません。

友人にも「そんなの大丈夫?」と言われてしまいました。手術を受けるのは私なので、私や肉親である母が納得してくれていれば良いのですが、やはり「怪しい」と思われたままでは気分が良くありません。周囲を説得するために先生の著書を探したのですが、どこにもありません。出版社にも問い合わせましたがダメでした。診察の時に先生に相談したら「もう図書館にしか無いよ。」とのことで、先生のお手元に有った著書を頂くことができました。

初診の時はすぐに手術できると考えていたので、「暮れの前に手術してもらって、年内一杯休んで年明けから復帰かな・・。」などと考えていましたが、現実はそうそう甘くありませんでした。「年内の手術は無理。来年3月に入ってからになりますよ。」と言われ愕然。それでもここで治療しようと決めたので、即、予約して帰りました。


●術前の承諾書
自分で、自分のこの状況を重く考えたくなかったので、こんな思いもあと何回、などとなるべく軽く考えるようにしていましたが、いよいよ手術を迎えようという時、術前の承諾書に「万が一の場合は・・」という一文があるのを見つけ、ドキッとしました。開腹して見たらダメだった・・という状況が自分の身の上に起こらないとは限らないのです。このとき初めて、大きい手術をするのだ・・と実感しました。

先生はサラリと「大丈夫」とおっしゃるし、キズも小さいと説明されました。そう言えば、私が前にかかっていた病院での全摘出手術は、お腹を十字に切る上に、体へのダメージが大きいので1ヶ月入院で2ヶ月休養するようにと言われていました。それに替わる大手術を受けるのだ・・という思いがヒシヒシと押し寄せるのでした。

会社の上司(年下の男性)に、手術のため会社を休むことを申し出た際に、横浜まで手術に行くことに対して「なんでそこまでしなくちゃならないの?」という反応でした。説明は聞いたけど理解はしていないのでしょう。男性は、ご自分の奥様や娘さんがこういう病気にならないと、理解できないのかもしれません。


●術後の回復
心配だった腰椎麻酔もすぐに効いて、目覚めたのは手術も終わり頃だった気がします。その事に気づいた看護婦さんが手を握ってくれたのを覚えています。手術は順調だったようですが、術後の傷熱はなかなか辛いものがありました。2日目の歩き始めは、気持ちが悪くなってすぐにベッドに戻ってしまいました。

私の初診日が木曜日で、患者さんの昼食は大きな丼のウドンでした。「もうあんなに食べられるんだ!すごい!」とビックリしたことを思い出し、自分も4日目に入り、体調もずいぶん良くなったような気がして、頑張って食べたのですが、夜に具合が悪くなってしまいました。人は人、自分は自分。無理をしてはいけないと実感。それにしても、ホームページで見た体験談のように、スルスルとは良くなっていかないのが多少不安ではありました。

退院後、自宅で3週間休養しました。同期入院の人と連絡を取り合い、お互いの様子や回復具合を報告しあう日々でした。その休養期間も終わり、いよいよ会社に復帰しましたが、出勤2日目にどうにも体調が悪く、結局2〜3日休んでしまいました。これは結構、体がツラかった。

その後はどんどん回復して2ヶ月を過ぎる頃には普通の生活ができるようになっていましたが、回復にも個人差があるのだな、と実感。最初は胃腸の動きが悪くて、食事に1時間くらいかかっていましたが、今はもうスッカリ大丈夫。急いでいる時などは、10分くらいでお弁当を食べてしまう事も・・・。

仰向けになったらお腹がへっこみ、巨大な筋腫が無くなったのだと実感しました。今の生理は27〜28日周期で、正常な生理ってこんなんだったの??というくらい少ない出血。鎮痛剤も術後1度も飲んでいません。仕事の都合上、長時間トイレに行けなさそうな場合だけタンポンを使っていますが、それ以外は全然使いません。ダラダラとした出血やヘンなオリモノが無くなりました。

術前は、出血の無いオリモノは生理周期のほんの3〜4日程度。生理後少量の出血が続き、中間辺りで排卵のため腹痛と出血。生理のような出血が1日あり、またその後も、出血ともオリモノともつかない出血が続き、本当に出血が止まるのは生理直前3〜4日だけでした。それがすっかり解消されて生理もピタっと終わります。なんて快適なんでしょう!!

お世話になった地元病院に「こういう風に治しました。」と報告したい、と斎藤先生に相談したら、冗談交じりに「おいおい、ケンカするなよ〜。」と言われました。確かに失礼な感じもするかもしれませんが、摘出しか無いと言われていた私の子宮が治癒した事実として、斎藤先生の技術の生き証人として、自分の受けた治療を見て欲しいと思ったのです。


●医療界の不思議
長年婦人科にかかって病院もいくつか変えてみて気付きましたが、医療の世界はカスタマー(顧客)サービスが欠落していると実感しました。来る者は拒まず・去る者は追わず。しかし普通の商売だったら、カスタマーサービスが無いと大変なことになります。来る者は良いですが、去った者には去った理由があるはずです。それをなぜ知ろうとしないのか?

普通の企業だと、CSが充実していなければ間違いなく会社の業績は傾くでしょう。医療の世界にはそれがありません。医療だけはCSが無くても、顧客(患者)は誰も文句を言わない。普通の医者は患者が来なくなっても気にしない。忙しくて気にしているヒマは無いのかもしれません。

しかし、患者のデータ開示やその他、広尾で行っている当然のことができていない、現在の医療はおかしいと強く感じます。患者のデータは病院の物でも医師の物でもない、患者がお金を払って手に入れた「患者の物」なのですから。

また、「子宮を摘出しなければ生死にかかわる!」という病気ならばそんな事も言ってられないのですが、婦人科系疾患の多くは早期発見であれば治癒する率はかなり高くなります。それなのに全摘出なんて絶対にイヤ、取りたくない、と思うのは当然です。摘出してしまった後の後遺症を考えたことがありますか?

私の祖母は筋腫で子宮を全摘した後、腎臓の余病で亡くなりました。筋腫を摘出したことが原因かどうかは分かりませんが、全く無関係とは言えないと思います。また、体には不要なものなどありません(これは斉藤先生もおっしゃていますが・・。)ましてや子宮は女性には必要不可欠なもの。もし摘出されてしまったら精神的な支えをも失うでしょう。

摘出後に起こるかもしれない更年期障害も恐ろしい。全摘出してしまって更年期障害が起こらないわけが無いと思います。自分に起こる症状が軽いか重いかは、誰にも分からないのです・・。

地元の病院で、あの女医の先生がいてくれて本当に良かったと思います。男性の医師に、診察のたびに「摘出摘出」と言われ続けていたら、だんだん暗示にかかりその気になって、摘出してしまったかもしれません。私は、女医さんの「本人が納得しないとね・・」という言葉に支えられて、広尾MCまで辿り着けたのだと思います。

ここの病院でも、保健医療の範囲ではできるだけのことをしていただけたと思いますが、私達はそれ以上の治療を求めて、広尾MCで手術を受けました。かかりつけの先生がいい人だろうが、「名医」だろうが、自分の納得いかないことは受け入れてはダメだと思います。見極めは難しいかもしれませんが、あきらめずに納得できる治療をとことん探して欲しいと思います。

体験談をご覧の方はせっかくここまで辿り着けているのですから、ご自分が本当に望む治療は何なのかよく考えて、ご自分にとって最良の治療法を選択して欲しいと思います。
術前(pre-ope)のMRI 術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2
術前のMRI3 術後のMRI3

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)462470
血色素(Hb)(g/dl)14.114.1
ヘマトクリット(Ht)40.643.3
CA-12549-
備考
●術後 Hb10    


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