「私の妊娠を祝福してくれた最初のお医者様は、斎藤先生でした。」
レポートNo.83

K.T.(29才)
●妊娠16週目での手術
私は、2001年5月、妊娠16週目で斎藤先生の手術を受けました。妊娠の検査で筋腫があると分かり、斎藤先生に手術してもらうまで、今思うとあっと言う間の出来事でしたが、他の病院にかかりながら広尾メディカルクリニックを見つける迄の期間は、長く辛く感じました。2001年8月現在、斎藤先生に救っていただいた子宮の中で、私の子供はスクスクと成長しています。


●妊娠はうれしかったものの・・
結婚したのは99年の11月。そろそろ子供が欲しいと思い始めた結婚2年目、2001年2月中旬、主人と南の島に遊びに行った帰りのことでした。税関の人に「お腹の中に赤ちゃんがいるの?」と聞かれ、ただお腹にお肉がついているだけなのに・・・なんて失礼な!と怒った記憶があります。

でも、実際はその時すでに妊娠もしていたし、それによって、筋腫が段々と大きくなり始めた時期だったようなので、税関の人の言うことは当たっていたのでした。

でも妊娠しているとは全く気づかず、持っている洋服のウエストが全部きつくなり、会社の制服のワンピースでさえもきつくなって、なんでお腹だけこんなに出ちゃったの?と不思議に思ってました。

仕事柄(エステティシャンでした。)お腹を引き締めるジェルなどスリミング化粧品を色々と持っていたので、毎日のようにお腹に塗って運動もして・・、と頑張っていたのですが、ますますお腹は膨らむばかりで引込みません。半月頑張って3月上旬に、やっと妊娠したのではないか、と思い当たりました。

それからは、毎日のように色々な種類のテスターを買ってきては、試していました。(もちろん、全て陽性)でも、主人は、喜んではいるものの、「まだわからない、まだわからない・・」と信じてはいませんでした。

私はと言うと、とにかく嬉しくて嬉しくて。仕事も落ち着いてきて、そろそろ子供を・・と思っていた時だったので、本当に嬉しうれしかったのです。親にとっても初めての内孫だったので、とにかく、家中みんなで喜んでいました。(彼にはお婿さんに来てもらいました。)

出産は絶対にココで!と決めていた病院がありました。近所で無痛分娩で女医さんで、という病院です。早速妊娠検査に行き、内診をしてもらいました。診察後、女医さんから「おめでとうございます、◯週目ですよ!」という言葉が聞けると思っていたのに、実際に聞いた言葉は予想を裏切るものでした。「子宮の中に妊娠は確認できましたが、この週数にしては小さすぎるので、このまま妊娠が継続されるかどうかはわかりません。また来週きて下さい」と。

こんなにお腹が出てるのに、小さすぎるハズがない!なんで?という気持ちでしたが、その女医さんの言葉通り、1週間待ってみました。その間、徐々につわりが始まり、『つわりもこんなにあるんだから赤ちゃんは大丈夫!』と思い込むようになった矢先、すごい腹痛が起こりました。とにかく左下腹部が痛くて痛くて動けない状態。まだ3月で寒い日だったのに痛みで全身汗びっちょりです。こんな状態が1時間近くも続きました。コレは本当にマズいかも・・・と思い、痛みが和らいだ後、病院へ。

内診の時に女医さんからは又もや「やっぱり小さいねぇ。」と言われました。更に腹部エコーで診たらカーテン越しに「何かしらコレ?」と。それから数分エコーを診て「筋腫だわ。」私の母は40代半ばで筋腫の手術をし、子宮を全摘しています。なので、筋腫という言葉は知っていましたが、「中年過ぎたオバさんがなる病気」という認識しか無かったので、『なんで20代の私が?!』という気持でした。

診察後、その女医さんは丁寧に図をかいて説明してくれました。「今ちょうど5cmくらいの筋腫ができてるけど、これ以上大きくなることはないので出産は不可能ではないから。ただ大きい病院の方がいいから紹介状を書きますね。」家に帰ってからインターネットで「筋腫」という言葉で検索し、色々なサイトを見ましたが、どれも「良性の腫瘍」「そのほとんどが出産も可能」と書いてあったので、なーんだ、大丈夫だ!と気楽に考えていました。(その時点では、広尾のサイトはまだ見ていません。)


●私の「大学病院信仰」が崩れたとき
早速次の日、紹介状を持って杏林大学病院へ行きました。こんなに大きな病院は初めてだったので、建物を見ただけで『コレなら赤ちゃんも助かるわ!』と洗脳されてました。その日は若い女医さんで、「最初なので色々検査をしましょう。癌の検査も一応しておきましょうね。」と言われたのですが、その一言で私の頭の中はパニック状態に陥りました。

筋腫=良性のハズ。何で癌の検査?私は癌なの??私はどーなっちゃうの???とめまぐるしく考えていたら、女医さんが私の気持に気づいたらしく、「ほら、向井さんの例もあるし!」と明るく言ってくれましたが、その言葉で更に動揺し、向井さん=向井千秋さん(宇宙飛行士の)と勘違いした私は、なに!向井千秋さんは癌だったの?死んじゃったんだっけ???と更にパニックになり、ワケの分からない大変な状態でした。女医さんが「向井亜紀さんのね。」と言ってくれたお陰で、やっと落ちつき、検査を受けることができました。

癌の心配は無し。その日は「筋腫は約6cm」と診断。毎週来るように言われました。私は『こんな大きくて近代的な病院で毎週診てもらえるなんて、なんて幸せなんだろう。これで安心!!!』とその時は思い込んでいました。その時の私は、大学病院というトコロは医学の最高峰であると信じきっていたので、もう安心、と気楽に考えていました。

しかし、毎週行くたびに医師が変り、毎回同じことを言われ、段々うんざりし始めました。毎回言われる言葉は「筋腫が大きいねぇ、今日は◯cmだよ。赤ちゃんは小さいんだよねぇ〜。このままでいくと、筋腫が中から腐ってくるから、そしたら入院をして、様子をみていくからね。」

実は私の筋腫は1週間に1cmずつ大きくなっていたのです。インターネットで調べた知識では、筋腫は半年で1cm〜3cmずつ大きくなる≠ニあったように思います。なのに私の場合、異常すぎるのでは?と思うくらい急成長し、医師の言葉にも『なんで入院の前に治療がないの?腐るまで待つしか無いの?』と段々不安を感じ始めました。その間にもお腹はどんどん大きくなっていきましたが、この中身は赤ちゃんじゃなくて筋腫なんだ・・・と思うと考えるだけで、涙がこぼれてきました。

毎週行っていた病院でも、待合室でいつも泣いていました。産婦人科は婦人科受診の方が多く、年輩の方も沢山いたので、あまり気にはならなかったのですが、隣が小児科で、いつも私の前を子供たちが走り回ってる姿を見て、『私は産めないかも知れないのに・・・親は何をやってるの!』と、子供を見ても、可愛いとすら思えなくなってしまい、だんだんと気持ちが荒んで行くようでした。

内診中も先生がカーテンをばっと開けたかと思うとモニターを指さしながら「これが筋腫、この小さいのが赤ちゃん」と、聞きたくもないのに教えてくれます。それは私の状態を私に説明するために仕方ない事のですが、カーテンを開きっぱなしでする話ではないと思いました。

また、カーテン開きっぱなしで私の診察中なのに、他の先生や看護婦さんがやってきて、その先生に他の患者さんについて話したりします。デリカシーのカケラもありません。本当に嫌な経験をしました。そういうことが何回か続き、やっと「病院を変えよう。」と思い始めました。家族中が喜んでくれた妊娠だったのに、なぜこんな事になってしまったの?事がここに至るまでに、私が心に受けたショックは、あまりにも大きいものでした。


●大学病院から広尾メディカルクリニックへ
手っ取り早くできること!ということで、まずはインターネットで念入りに探してみました。運悪く広尾のサイトはそう簡単には見つからず、探し始めて3日目でようやく発見できました。それまではどのサイトでも妊娠中手術をすることはない、安心して産める・・≠ニいうような事しか書いてありません。

でも、私は『このまま治療せず筋腫が大きくなって、その時に初めて、赤ちゃんもダメ、子宮も全摘になったらどうしよう、私は一生子供が産めなくなっちゃう?』と不安に思っていたのです。やっぱり筋腫の治療はそういうモノなのかなぁ・・と治療を諦めかけていた、ちょうどその時、広尾のサイトに辿りつきました。

体験者談を読み、私の不安が的中していると分かり、急いで広尾に電話をして予約をとりました。初診もかなり混んでいたようで、1週間後の予約がやっととれました。サイトを見ると、妊娠初期じゃないと手術できないとあったので、それだけが心配でした。その時本当はすでに10週が過ぎていたのですが、杏林の医師は「小さいから5〜7週だね。」と言っていたので、とりあえず、行って見ようと思ったのです。

初診は主人と一緒に行ったのですが、一緒に行くまでが大変でした。この時の彼も私と同じように「大学病院」というものに洗脳されていて、「そこ(杏林)の先生が何も言ってないんだから、わざわざ他の、しかも、小さい個人病院に行く必要なんて無い!」と思い込んでいたのです。彼にもサイトをみてもらい、とにかく一緒に行って話を聞こう、と説得しました。


●妊娠16週目の手術
広尾では、早速腹部のエコーから診ました。画面に映し出された画像を見てびっくり!赤ちゃんがこんなに大きく映し出されたのを見たのは初めてだったのです。いつもいつも「小さい」と言われ続けた赤ちゃんでしたが、斎藤先生の診察で初めて「大きく元気な赤ちゃんだねぇ。」と言ってもらえたのです。

しかし、その後待っていたのはショックな言葉でした。「麻酔の先生が変って、妊婦の手術を嫌がるんだよ。まずは、MRIを撮って、それから僕が説得してみるからね。」ここに来れば絶対に助かる!と思い込んでいた私にとっては、かなりのショックでした。それに反して彼は「良かったね。もうこれで安心だね!」と、なぜか呑気。「まだ手術できるかどうかもわからないのに、何言ってるの?」とイライラしながら聞いたら、「あの先生なら大丈夫だって。絶対に助けてくれるよ!!!」と、あくまで前向きでした。

そして次の週、MRIを撮りに佐々木病院へ。その結果を持ってドキドキしながら広尾に向かいました。私の不安をアッサリ裏切り、斎藤先生は簡単に「16週で手術だ。」とおっしゃいました。えっ、麻酔の先生には相談しないの?OK出たの?とポカンとしていたら、「16週以降なら麻酔はOK、それを過ぎたら僕が手術できなくなっちゃうから。」とのこと。「良かった良かった、赤ちゃんは助かるよ!」という先生の言葉で涙が溢れだしました。

今まで、どの医師にも私の妊娠を祝福してもらえず、たらい回しのように色々な医師に回された私にとって、一緒に喜んでもらえたことが、心底、嬉しかったのです。しかも赤ちゃんも助かるし・・。

手術と決まったら、今度は母親を説得しなければなりませんでした。母は妊娠中の手術に大反対で、赤ちゃんに何かあったら大変!と思っていたのです。でも、このまま放っておいたら赤ちゃんに何かある≠ヌころではない状況なのです。術前検査の時、母も連れて広尾に行きました。正直なところ、母の体質が遺伝したからこうなったと考えていたので、母にあまり心配やプレッシャーをかけたくないなぁ、と思っていたのですが、斎藤先生は、「お母さんがいけないんですよー、お母さんの遺伝ですよ、きっと。」とハッキリと言ってしまったのです。

私は母が気分を害さないかとドキドキしていましたが、母はケロっと「やっぱりそうですよねー。」などと、明るく会話をしていました。母も主人と同様、斎藤先生マジックにかかってしまい、「これで安心ねー。」と帰り道では呑気に言っていました。何を言っても嫌味じゃない、斎藤先生の人柄のお陰だと思いました。


●人生最悪の・・
手術までは期間があったので、その間に赤ちゃんに何かあったらいけないと思い、嫌々ながら大学病院に通っていましたが、今回が最後だという日に、最悪な医師に当たってしまいました。その人は「教授」という偉い人らしく、話し方も偉そうでした。内診の時いきなり指を入れられ、お腹を思いっきり押されて、「あーこれかー。」と一言。

カーテンを開けられて、「何で妊娠前に手術しなかったの?こんなに大きくなるまで放っといてー。」私がびっくりして何も言い返せないでいると、続けて「もうこんな歳なんだから、検診くらい受けていたんでしょう?」何なのこの医者は?!と思いながら、ムカついて、わざと何も喋らないでいると、こっちの気持ちに気づいたのか、その時初めてカルテを見て「あー、妊娠で初めて(筋腫だと)知ったんだねー。」と、急に態度を変えました。

自分が診察する患者のカルテぐらい、診察前に目を通したりしないのでしょうか?それさえ見れば初診ではないのですから、私が今、どういう状況なのかは解る筈ではないでしょうか?教授だか何だか知らないけど、本当に不躾で、腹が立ちました。「こんな病院、2度と来るかー!!!」と誓った日でした。

余談ですが、普段は占いなんて信じない私ですが、今年の誕生日から12年に1度の最悪な年の始まり!と雑誌にあり、それが妊娠だ!筋腫だ!という騒ぎになった時期と一致していたので、今回ばかりは雑誌を買いまくりました。5月頃から運気は上昇とあったのは、ちょうど斎藤先生に手術を受けた時期と合致します。この占いは、ズバリ当たっていたようです。


●広尾での手術
いよいよ手術日、やっと普通の妊婦になれる!という思いでワクワクしながら、手術にのぞみました。妊婦ですから、最低限の麻酔しかできなかったので、途中からかなり痛みを感じていました。でも私は16週目というこのタイミングでしか手術を受けられなかったため、手術を待っている方々の順番を飛ばして手術してもらっていました。

なので看護婦さんたちにも迷惑をかけちゃいけない!という思いから、少々の痛みは我慢しよう!と決心していたのですが、最後、おへそのあたりを縫っていた時に痛みが最高潮に達し、思わず動いて、暴れてしまいました。色々な器具が外れてしまい、先生をはじめスタッフの方に大変なご迷惑をかけたと思います。

実は初診の時、麻酔の先生の許可がおりなければ、「麻酔なしでも手術を受けさせて下さい!」という気持ちだったのですが、言わなくて良かったーと思いました。本当に麻酔なしで手術されたら、痛みに耐えられず何をしでかしたか分かりませんから・・。

病室に戻ってから、看護婦さんたちは来る度に、「よく頑張ったね、すごく痛かったでしょう?」と声をかけて下さいました。みなさん優しく、本当に申し訳ない気持ちでした。入院生活は快適でしたが、私には心配事が1つありました。退院後、どこの病院に行くか?です。斎藤先生によると、広尾で手術した患者は嫌がられるとのこと。もう絶対に杏林はイヤ!他の大学病院で色々探してみて、近場の慈恵第三病院に決めました。


●良い先生との出会い
斎藤先生が作ってくださった手術記録のミニバージョンと紹介状を、慈恵の先生に渡しました。その先生は、斎藤先生をとても褒めて下さって、「奇跡だね!」と、毎回言ってくれます。「この状態(術前のMRI)で、今、赤ちゃんが元気なのは奇跡に近いことだから、何としても元気に赤ちゃんを産んでみせよう!この先生(斎藤先生)がイヤなコトを全部やってくれたから、あとは僕が一生懸命頑張るから。」と嬉しいことを言ってくれました。

斎藤先生のことを褒めて下さると、私もとっても嬉しいんです。誇らしいほどの気持ちになります。その日、別の場所で看護婦さんから検診の内容を聞いていたら、後ろの診察室から、「子宮全摘」という声が聞こえてきました。「・・・どうするか、お家の人と考えてみて。」と先生の声が聞こえたので、これは!と思い、思わず立ち上がってしまいました。広尾を紹介しなきゃ!と思ったんですが、私も後ろの人も診察中だったので、身動きがとれませんでした。結局その人に広尾を紹介することはできなかったのですが、その人も、このサイトを見てくれれば・・・と願っています。

後日、斎藤先生が書いてくださった手術の記録を改めて読み返してみると『胎児のいる胎胞部は膨大化した筋腫により圧迫され、生育不可能が予測でき、流産・死産は免れない状況。しかも数週間ともよみとれる。その時がきても、残留する胎児・胎盤などが危険を伴う為に出産は不可能。子宮全摘も起こりえる内容です。』とありました。

手術前の私の赤ちゃんは、575gもの筋腫に圧迫されて、発育が悪いどころか、流産・死産に向けて秒読み体制だったようなのです。また、例えば流産・死産が起こった場合、筋腫が大きすぎて子宮内部の残留物が取り除けない可能性も非常に高く、私の命にも危険が及ぶような状態らしかったのです。

そんな崖ッ淵の状態だった私と赤ちゃん、そして私の子宮を、斎藤先生は救ってくださいました。筋腫を持ちながら妊娠して、私と同じような大変な状態に陥っている方がこの体験談を見ていたら、なるべく早く斎藤先生の診察を受けてみてください。赤ちゃんも子宮も助かる道が、開けるかもしれません。

とりあえず、赤ちゃんは順調!退院するとき、斎藤先生が赤ちゃんの様子(エコー)をビデオに収めてくれました。正直、先生の説明なしではどこが目鼻で手足か分かりませんが、これは私たち夫婦の一番の宝物になっています。今(2001年8月中旬)は、私の身体の方がバテバテ気味なので、出産まであとちょっと、頑張ろうと思います!

慈恵の先生に「これから怖いのは、子宮破裂だ。」と言われ、そのため、来月中旬から入院し、10月上旬に帝王切開する予定になりました。最初はちょっと怖かったのですが、5月から運気は上昇・斎藤先生の手術を境目に私の運は上向いているはず、斎藤先生の手術なのだから大丈夫だろう!とあくまで呑気に構えています。出産〜その後の様子もご報告させていただきますので、しばらくお待ちください。
術前(pre-ope)のMRI 摘出物
術前のMRI1 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)377-
血色素(Hb)(g/dl)11.6-
ヘマトクリット(Ht)33.6-
CA-12515-
備考
     


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