「妊娠9週目にして手術。子供と私の子宮は救われました。」
レポートNo.84

豊田 芳(32才)
●今は遠い昔のような「妊娠9週目の手術」
ご主人と虎太朗君私は妊娠9週目にして筋腫の摘出手術を受けました。何らかの処置をしないと子供はおろか、私の命さえ危ういと言われていたような状態で、子宮を残してくれる、子供も大丈夫と言ってくださったのは斎藤先生だけでした。

出産こそ帝王切開でしたが、斎藤先生の手術のお陰で、今は「筋腫なんてあったっけ?」と思える程、普通の妊娠・出産で、健康に過ごしています。手術で救われた子は、今、10ヶ月になります。(2000年8月現在)スクスクと大きく育ち、本当に生まれてきてくれてありがとう、という思いです。


●筋腫に対する認識
私はいたって健康で、カゼも滅多に引かないタイプでした。大きな病気やケガの経験も無く、自分の健康を満喫して生きていました。'95年に結婚。結婚当初は子供が欲しくてたまりませんでしたが、2年3年と経ち、なかなか子宝に恵まれず、「できないものは仕方が無い」と少々諦め気味になっていきました。

そんな折、痛みは多少あったものの、出血は普通だと思っていた生理に変化がありました。30歳頃から出血に大きな塊が混じるようになったのです。「これは何か変だ」と感じ、年齢的にも癌検診を受けておこうと思っていた頃だったので、近所の個人病院の婦人科へ、検査兼ねて診察を受けに行ってみました。この時は「小さい筋腫があるが、激しい症状が出ていないし貧血もないので様子を見ましょう。」という事になりました。子供ができないのは筋腫があるから、とは言われませんでしたが、自分の中では漠然と、子供に恵まれない理由を悟ったような気がしました。

経過観察で通院を続けるうちに少しずつ筋腫は成長し、ある時のエコーで握り拳大と確認、医師からホルモン療法を薦められ、点鼻タイプのホルモン剤を半年ほど続けてみました。結果、筋腫は小さくなり、それ以上ホルモン療法を行うことはありませんでした。(お薬をもらいに行くのが面倒だったせいもありますが・・。)私の場合、筋腫があることで日常生活や自分の健康を著しく害している、という事が無かったので、筋腫があることをあまり重大な事として捉えてはいませんでした。


●嬉しいはずの妊娠が・・
ホルモン療法を止めて3〜4ヵ月後、「妊娠してるかも?」と感じたので、検査のため前に行っていた産婦人科に行きました。が、筋腫が邪魔で、子供がエコーでは見えないと言うのです。尿検査では確かに妊娠の反応はあるので、間違いなく妊娠しているというのに。

この時、2000年3月末。妊娠5週目くらいでした。こちらの先生に「個人病院では手に負えないので大学病院に行って下さい。」と言われ、駅前にある一番近い大学病院に行くことにしました。

翌週。大学病院に行きエコーで診ていただいた時に、こんな大きな筋腫は病院始まって以来だと言われました。確かにまだ妊娠5週目程度だというのに、そろそろ生まれる?というようなお腹です。この時のお話はショックなものでした。「このまま妊娠しつづけて、万が一流産した場合、筋腫が邪魔で掻爬できない可能性があります。もしそうなったら子宮ごと摘出するしかありません。筋腫だけ手術で取る方法も、通常の状態ならば選択肢のひとつですが、妊娠してる場合は出血が多くなるので非常にリスクが高く、勧められない。

また、うまく取れなかったら結局は全摘出になります。あなたの妊娠にはちょっと覚悟が必要です。」筋腫がありながらの妊娠でしたので、本などから得た知識から、流産のリスクや出産のリスクが高い事は知っていましたが、こんな大事になるなんて思ってもいなかったので、おろおろとパニックを起こしていました。例え今いる子供が不運にも流れてしまっても、子宮さえあれば妊娠できる可能性は残っていますが、子宮まで失ってしまったら、二度と子供は持てなくなるのです。

安静を保つために入院して、6〜7ヶ月まで胎児を育てて早産させるという方法もあると先生に伺いましたが、とにかく夫にこれまでの経緯を報告して、どうするかを相談することにしました。


●私の進める道は広尾しかない
夫はすぐさまインターネットで私のような状態を治療した症例を探してくれました。広尾メディカルクリニックを発見し、妊娠しながらも手術を受け、無事出産という症例がいくつかあり、手術を受けるかどうかは後で考えればよいので、とにかく診察を受けよう、と、早速翌週に予約を入れて、夫婦二人して出かけました。

初診のとき、斎藤先生は自信満々で「赤ちゃんがお腹にいても大丈夫です。」とおっしゃいました。こんな先生は今までお目にかかったことがありません。普通の医師は、どんなカンタンな手術でも100%大丈夫とは言わないものです。人間のやる事に絶対はあり得ないから。なのに斎藤先生は「大丈夫。」と一言。ただし、「筋腫が無くなったからと言って、流産のリスクが皆無になる訳ではないよ。」とも、おっしゃいました。確かにそうです。健康な子宮でも流産する場合はあるのですから。

ただ、私には選択肢がありません。体験談を見て、たった1週間で退院してしまうことが漠然と不安でした。「だってお腹を切ってるクセに。」と。ですが現実はそんな事を気にしていられる状況ではないのでした。妊娠していなくて筋腫だけを何とかするのなら、他にも何か治療方法はあるのかもしれませんが、既にお腹には子供が居ます。子宮を残して筋腫を取り去り、赤ちゃんも無事でいられるなら、私はここで手術を受けたい。というより、広尾メディカルクリニック以外に私の子宮を救える病院はありませんでした。手術してもらえるならぜひ受けたい、そう思いました。

手術費用のことは多少ネックになりましたが、夫婦してじっくりと話し合い、やはり手術してもらおうという結論になり、翌日に手術を受けたいと電話をしました。この時点でおそらく6週目。斎藤先生から「9週目に手術しよう。」とお話があり広尾メディカルクリニックでは異例の早さで手術を受けることになりました。


●初めての手術で知ったこと
この間の出来事は、実家の親にも夫の親にも報告していませんでした。自分で何も決めないうちに話だけしても、心配させるだけなのは分かっていましたので、ある程度方向性を決めてから・・と思っていたので。

広尾での手術を決めてから、実家(新潟)に報告をしたら、親が新潟から飛んできました。夫の両親もビックリし、両家を巻き込んで?の大騒ぎになりました。親が心配したのは、子宮が残せて子供が無事でも、手術が子供に悪影響を及ぼさないか?という事。それは私もちょっと不安に感じていたことでしたが、斎藤先生からは「この手術程度で悪影響が残るようだったら、私たちは普通の生活はできないよ。普段から色々な場面で放射能やレーザーは浴びているんだし、出産でも腰椎麻酔はかけるんだから。」と説明していただき、納得して手術を受けることができました。

この手術を受けるまで、今まで生きてきて気付かなかったことを二つ、思い知らされました。ひとつは自分が閉所恐怖症かもしれないということ。術前検査のMRIの怖かったこと。撮影のためとは言え、固定され身動きできない状態で、あの狭いドームの中に放置されるのが、たまらなくイヤでした。

二つ目は痛み。最初にもありますように、私は大きな病気やケガをすることなく、今まで過ごしてきました。そのお陰か、「痛み」に対して免疫が全く無いのです。手術直後から傷が痛み、結局翌日まで眠れずにいました。お腹を切るのがこんなに痛いことだとは。それに、妊娠したままですので、朝の起き抜けにツワリの吐き気があり、その時に傷が痛むこと痛むこと・・。ツワリの吐き気と嘔吐時の傷の痛みで、全身から脂汗をダラダラと流していました。

入院中はツワリのせいで、食事が全然美味しく感じられず、「病院の食事って美味しくないのね・・。」と不満に思っていました。(後に出産で別の病院に入院して、広尾の食事は美味しかったのだと気付きましたが・・。)また、こんな状態で本当に土曜日に退院できるのかしら?体験談の人達みたいにスルスルと元気にならないのは、私が何かオカシイのではないかしら?と不安もありました。

金曜日のお茶会も、昼食のお寿司はやっと半分くらい、食後のケーキもいただけません。私にとっては人生最悪の状態でしたが、立ち居振舞いだけは、辛いけど何とかなるまでに回復していました。

入院中は義母が家の事をしてくれて、本当に助かりました。実は、妊娠が判ってから広尾MCで手術を受けるまでの1ヶ月あまりのことを、私はあまり良く覚えていません。短期間に、
妊娠:嬉しい!→
筋腫が大きくて危険:ショック!落ち込み→
広尾MCを見つけた:希望→
手術・入院:痛い・不安、
と目まぐるし状況と感情が変化したせいでしょうか。とにかく突っ走ったという状態だったので。 広尾MCの入院中が3月末から4月上旬で、季節が大きく変わり桜も咲いていたというのに、この時は桜を見たのかどうかさえ記憶にありません。

私の場合は、胎児の影になっている部分は手術できないので、その部分にある筋腫は残っている、ということでした。これは術後に斎藤先生からハッキリ言われていましたし、産後の検診でも筋腫が残っていることは指摘されています。ですが、子供を子宮ごと失うより、はるかに良い結果を得られたのですから、私は満足でした。


●術後にスクスクと育った赤ちゃん
術前のMRIでは、筋腫のせいで左側にひしゃげて写っていた赤ちゃんの影も、術後3日のエコーでは、子宮の中心に真ん丸く可愛らしく写っていました。邪魔者がいなくなり、本来の自分の場所に戻れたのでしょう。

退院後、キズの消毒は見た目が生々しくてイヤでしたが、1ヶ月もすると自分でも「もう大丈夫かな?」というくらい元気になりました。退院後2週間ほどは、実家から母が来てくれましたので、楽に過ごさせてもらいました。私の筋腫は960gもありました。それが無くなったので臨月のようだったお腹が引っ込み、「あれは脂肪じゃなかったんだ。ヨカッタ。」と一安心です。

大事を取って、斎藤先生からはNICU(新生児集中治療室)のあるTH医大を紹介されました。TH医大の先生からは、「大きな筋腫を取ったんだね〜。とりあえず子宮を手術しているので、自然分娩は無理、帝王切開になりますよ。」と言われただけでした。

赤ちゃんはスクスクと育ち、あんな大手術を受けたのかしら?と思うほど、全く普通の妊婦として過ごしました。それなら近所の病院の方が通いやすいな、と思い転院を申し出たところ、アッサリOK。最初の近所の医大病院に通うようになりました。

38週目に帝王切開で出産。ちょっと切迫気味だったけど流産まではいたらず、無事子供は生まれました。通常、広尾MCでは内臓の癒着を予防するため、術後2日から歩かされ、退院後も「くれぐれも良く動くこと」と言い渡されるのですが、妊娠していた私はそうもいかず、あまり動けませんでした。そのためか内臓が少し癒着を起こしていたようで、通常より手術時間が長引きました。

すると案の定、麻酔が切れ始め、手術の終わりがけは激痛でした。広尾MCの手術が特別痛いのではなく、私自信が「痛み」を耐えられないのだ・・と、またまた認識させられました。子供が無事に生まれ、周囲の目は赤ん坊に釘付けです。「あれ?私の心配は?」と思いましたが、世の中そんなもののようです。

私も自分のことで手一杯でした。産後の回復もいたって順調。とてもあんな大手術を経て出産したとは思えません。私の帝王切開を担当された先生が「子宮の傷が、まだ生々しかったよ。」とおっしゃっていました。糸(時間が経てば溶ける)がまだ残っていたそうです。手術の経験豊富な医師でもそんな風に感じる事があるんだな、と思うと、ちょっとおかしい感じでした。最近生理が戻ってきましたが、それは驚くほど軽く、痛みは全くありません。出血も以前より減っているようです。


●虎太朗と斎藤先生の「ご対面」
斎藤先生と一緒に生まれた男の子に「虎太朗」と名づけました。先日、家族3人で斎藤先生を訪れましたが、普段から虎太朗は、メガネの人は嫌います。なのにこの日メガネをかけた斎藤先生にお会いしても、人見知りする様子が全く無く、ご機嫌でした。自分を助けてくれた人は分かるのかしら?と思うほど。

夫はあまり多くを語りませんが、写真をご覧いただければ見て取れるように、虎太朗を抱っこする姿は大喜びの父親の顔です。今、こうして親子3人が幸せに居られるのも、斎藤先生のお陰です。本当に感謝しています。


●手術・出産を終えて思うこと
個人病院で自由診療だと、どうしても不信感や不安が先に立つと思いますが、広尾メディカルクリニックに関しては、そんな心配は無用です。先生の的確な診断にキビキビと働く看護婦さんたち。私はとても安心して入院できました。

費用が高額なので誰にでも薦められるというわけではありませんが、こういう病院もあるのだという事を知っておけば、どうしても納得いく治療を受けたい時の切り札にできるはず。手術を受けるかどうかは、斎藤先生に診察を受けてから考えればよいのです。自分のためにも、治療の選択肢を広げてあげてください。
術前(pre-ope)のMRI 摘出物
術前のMRI1 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)398-
血色素(Hb)(g/dl)12.2-
ヘマトクリット(Ht)35.6-
CA-125270-
備考
●妊娠、筋腫合併
15週時に核出術。
胎児を救い、分娩させた。


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