「ひどすぎた貧血のおかげで助かった子宮」
レポートNo.86

藤井千寿子(45才)
貧血に感謝というのも妙ですが、私の場合は、手術のために貧血を治そうと入院したのに貧血は治らず、結局、その病院での子宮摘出手術は先送りになりました。貧血のお陰で広尾メディカルクリニックに向かえる時間ができたのです。でも、貧血に至るまでの経過はひどいものでした・・。


●忘れていた“筋腫の芽”
5〜6年前の癌検診で「筋腫の“芽”があるようです。」と言われた事がありました。その時は「自分の生理は普通」と思っていたので、経過観察をしましょうと言われたまますっかり忘れていました。それが、2年前の冬から急激に生理がひどくなり、恐ろしいほどの出血があるようになってしまいました。

最初は単発で、いきなり“ザーーーッ”という感じでサラサラの鮮血が大量出血。驚きましたが、これ1回で終わり、次回の生理からは元通り。たまたまだったのかな?と思いながら忘れるとも無く忘れて10ヶ月目、ちょうど3月の卒業シーズンでした。またしてもサラサラの大量出血。大きなナプキンがあっと言う間にヒタヒタになってしまうような大出血。塊もドロドロと出てきました。しかしこれも単発で治まり、また暫く間があいた・・と思ったら今度は本番でした。

8月頃から毎月のようにこのような出血があるようになり、生理痛も激しくなってきました。出血過多でドロドロと出て来るレバー状の塊。これほどトイレを苦痛に感じる事はありませんでした。自分の体からこんなに血が出ちゃって大丈夫なの?と思うほど、便器が鮮血に染まっているのですから・・。

このころから、なぜか氷を好んで食べるようになり、しょっちゅう氷をガリガリと音を立ててかじるようになりました。氷をかじっているのを家族に見られると氷を取り上げられるので、見つからないようにコッソリと・・。口の中が暑くて「氷かじり」が止められなかったのです。

貧血と異食症
後日テレビで取り上げられていましたが、このような症状を“異食症”というのだそうです。テレビでは、体内の鉄分欠乏で脳への鉄分供給が不足し、自律神経のバランスが崩れて正常な判断ができなくなったため、“異食”になると言っていました。ただし鉄分が欠乏していなくても、思春期の子供に氷食が見られることは珍しくないそうです。


●手術もできないほどの貧血
あまりにも突然(自分では突然と思いました。)生理がおかしくなったので、「癌かも?!」と思い、国立医療センターへ。内診での診断は「筋腫」、しかもやっかいな筋腫らしく、いくつかある筋腫のコブコブの1つが悪さをしている・・と。取りあえず次の診察の予約をして帰宅したら、先生から電話が入り、血液検査の結果が非常に良く無いので即入院を言い渡されました。そういえばこの頃、体がいつもだるい感じで疲れやすく、階段を昇ると息切れどころか心臓がバクハツするのではないかと思うほどの動悸がしていました。

歳も歳だし更年期かしら?と軽く考えていたら、それらの症状は、全て貧血のせいだったようです。 先生に、「今の状態で無理をしたら、いつ何処で大出血をして、救急車で病院に運び込まれるか分かりませんよ。」と言われて初めて、自分の体がずいぶん良く無い状態なんだなと認識しました。正確な数値は忘れましたが、ヘモグロビン9はとっくに切って6くらいの数値でした。ヘモグロビンが9を越えたら手術だと言われていたのですから・・。

8日間入院し、鉄剤の服用と増血作用のある薬を注射されていましたが、なかなか数値が上がりません。担当の先生は「長期戦だねぇ。」と言い、一旦退院となりました。このとき、貧血がうまく治療できていたら、私の子宮は摘出されてしまっていたのかもしれません。


●ダメモトで出した質問メール
突然入院を言い渡され、あわててインターネットで筋腫について調べ、“広尾メディカルクリニック”のことを知りました。入院前に『ダメモトでもいい。』と思い、自分の病気について質問のメールをしておいたのですが、退院後、丁寧な回答のメールが届いており、色々な回答の後に「大丈夫、残せます。」と心強い一言が!

その瞬間、『取らずに済むものなら絶対に取りたくない!』と強く感じました。女ならば当然でしょう。さっそく初診の予約をして、診察に伺いました。国立医療センターでの貧血治療が上手くいかなくて、本当に良かった・・・。

斎藤先生は、MRIの画像を見ながら「紀州の梅干があるよ、カラダが疲れるでしょう。」とおっしゃり、私があれこれと説明する前に、体調の事などはお見通しでした。「でも大丈夫だよ、治るよ。」と言われた時には、安心と嬉しさのあまり、涙がボロボロと溢れてしまいました。

ひどい出血を抑え、貧血を少しでも予防する目的で、前の病院からピルを処方してもらっていましたが、ちゃんと服用しているのにもかかわらず手術までの期間、出血が止まることはありませんでした。生理2日目のひどい出血の状態がずっと続いていたのです。

斎藤先生からは「筋腫の最期の悪あがきだよ。」と冗談交じりに言われました。広尾MCでの手術が決まってからというもの、少しでも血を失うまいと、家では時間があれば横になって、大切な血が流れ出ないようにしていました。


●出血のまま手術
手術当日は少し出血が減りましたが、結局止まりはしません。不安な思いで手術に臨みましたが、斎藤先生の「大丈夫だよ。」の一言で安心しました。手術をするのにネックになっていたヘモグロビン値は、自分でも食生活などに気をつけていたせいか、9ほどに戻っていました。ひどい貧血だったのに輸血せずに手術できて本当に良かった。

手術は2001年2月の最終週。順番は一番乗りでした。なので、手術が終わってから次の日までが長かった事・・。おまけに体中から出ている管が気になって、体も気持ちも全然休まりません。少々の事では外れない、と分かっていても、やはり気になってしまいます。手術中は緊張のあまり呼吸がヘンになり、ちょっと怖かった。今にして思うとムダに緊張しすぎていたのですが・・。

これから手術を受けようと考えている人にアドバイス。看護婦さんに体重を尋ねられたら、決してサバを読んで軽目に言う事無く、正確に伝えましょう。私は少々軽めに申告したせいか麻酔から醒めるのが早く、後半少し痛い思いをしました。痛みを感じ始めてからはラマーズの呼吸法を思い出し、痛みを和らげたりしていました。(本当に痛みが少し軽くなったんです。もしこれから手術を受けられる方はぜひお試しあれ!)

後から伺った話では、麻酔は意識が残るようにかけるのが斎藤先生の理想らしいので、そういう意味では正しかったのかもしれませんが、「痛いです〜。」と言ってから追加される麻酔は、効くのに少々時間がかかります。術後、自室に戻ってからも麻酔が効き続けているようで怖かったので、主人に居てもらってずっと話をしていました。

私と同期の方も同じように体重を軽めに申告して、少し痛い思いをされたようです。


●修学旅行のような入院生活
私がちょっと怖かったり痛かったりしたのは手術当日だけで、あとは本当に快適に入院生活を送りました。同期入院の方にとても元気な方がいらして、その方のリードで手術翌日からのリハビリをこなせてきました。同じ日に手術した人が階段をヒョイヒョイ昇っているのに、自分だけ昇れないワケがない・・と、半分意地になっていたようにも思いますが、そのおかげで土曜日までに、退院できるだけの体力が戻ったのだと思います。

入院していたのは、たまたま同年代の3人組。修学旅行のようにお互いの部屋を行き来してペチャクチャおしゃべりをし、楽しく過ごしていました。それに広尾MCの看護婦さんはとてもフレンドリー、かつワガママを言っても快く聞いてもらえます。最初貧血で入院した時のように、妙な遠慮をしたり看護婦さんと距離感を感じたり・・ということは全然ありませんでした。

上げ膳下げ膳の、主婦にとっては夢のような入院生活が、あっという間に過ぎていきました。


●退院してから
術後4週目に生理がありました。先生からは「当分はまだ少し出血は多いから。」と言われていましたが、それでも以前とは比べ物にならないほど出血が減っています!2日目の一番多いはずの出血が、術前の不正出血くらいです。痛みも殆どありません。なんて素晴らしい!健康な生理ってこんななの?と改めて感激しました。

術後はとても体調が良かったのに、退院後まもなく、当時流行っていた“お腹に来るカゼ”を引いてしまいました。さすがにまだ術後間もない時だったのでダメージが大きく、近所の病院にかかって治しましたが、それ以外は何の問題も無くどんどん元気になっていきました。

夫婦は何歳になっても、お互いの肌身を感じる事が大切ではないかと思います。それが毎日のように大量出血していた頃は自分のことで手一杯。夫を気遣うどころではなくほったらかしで、寂しい思いをさせてしまったと思います。退院前に「夫婦生活は術後1ヶ月から大丈夫。」と説明されましたが、不安でした。術後3ヶ月経って術後検診を受け、斎藤先生から「大丈夫。」と太鼓判を押されたときは、本当に様々な心のつっかえが取れて、また涙が溢れてしまいました。女性として普通に健康であるという、ただそれだけの事がこんなに嬉しいとは・・。


●術後検診を終えて・・
私の病気をキッカケに、家族も微妙に変化しました。
お母さんっ子であまりアテにできないと思っていた主人が、想像以上に頼りがいがあり、色々とフォローしてくれました。今まで決して短くない時間を過ごしてきたのに、見た事の無い意外な一面を垣間見て、ビックリしました。上の息子は高校生でそろそろ彼女の一人もいてもいいお年頃。私の病気は良い勉強になったようでした。「彼女ができたら気をつけてあげるんだ・・。」とか何とか言っていましたから。

私の両親や、同居している主人の母にもずいぶん心配をかけました。私がすっかり元気になってから母に、「自分が病気になる方がよっぽど楽だわ。」と言われ、私の今回の入院・手術は、家族みんなに支えられていたのだとつくづく感じました。

術後検診を終えて検診で異常なし・経過良好とのお墨付きが出たので、弟のお店でささやかながら快気祝いを催しました。美味しいピザとワインで、家族で乾杯!主人は一気に気が緩んだのか、酔いつぶれてグゥグゥ寝てしまいました。私も「大丈夫!」とは思いつつも術後の検査結果が出るまでは分からない、という気持ちもどこかにあったので、心底大丈夫なんだという安堵感やその他色々な気持ちが溢れて、酔って泣いたり笑ったりしていたようです。弟の店からはタクシーに詰め込まれて帰宅したようなのですが、記憶が定かではありません。後から息子達に「タイヘンだったんだから・・。」と言われてしまいました。

今(2001年9月現在・術後7ヶ月)はすっかり元気になって、元から病気などした事の無いような健康な生活を送っています。昨年の写真を見ると、自分だけ顔色が妙に黄色い、最近撮った写真は普通の肌色なのに・・。貧血がひどくなると肌の色がこうも変わるのだと知りました。


●最後に・・
今、筋腫で悩んでこのページをご覧になっているあなたへ。あと一歩踏み出せば元気になれる可能性があるんです。金銭的なこと、周囲の方達の色々な意見、他にもあれこれあって、その「一歩」が踏み出せない気持ち、よく分かります。私もそうでした。でも、勇気を出して斎藤先生にメールを送りました。その一歩を踏み出したから、私は今、健康でいられるんです。絶対に忘れて欲しくないのは、当たり前のことですが、自分の体は自分のもので、自分で守らなければいけない、という事です。

最後になりましたが、あまり沢山の事はお話にならないけれど、確かな技術と優しい眼差しで私達の不安を取り去ってくださった斎藤先生と、いつでも笑顔を絶やさず、親身に私達のお世話をしてくださったスタッフの皆さん、本当に有り難うございました。これからもお体に気をつけて、筋腫で悩む女性の強い味方でいて下さい。
術前(pre-ope)のMRI 術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)349-
血色素(Hb)(g/dl)9.5-
ヘマトクリット(Ht)28.8-
CA-1259-
備考
●粘膜下筋腫
●生理過多、腰痛
●血色素(Hb)が6となり入院治療を行ったことがある。


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