「自分で医療を択ぶということ」
レポートNo.87

N.K(41才)
自分が筋腫ではないかと感じ始めてから、広尾MCで手術をして健康な生活を取り戻すまでの数ヶ月。私にとってこの数ヶ月は、単に病気を治しただけではなく、今までの自分の考えを自ら覆した、自分自身を見つめなおせた貴重な時間でもありました。


●筋腫の家系
私は筋腫の家系とでも言いますか、母を含む親戚の女性には筋腫のために子宮を摘出した人が数人いました。私の心の奥底には「いずれ自分も筋腫になるかも」という思いが、深く沈んで眠っていました。

40代を迎えた頃、次第に体のだるさを強く感じるようになり、近所のスーパーから買物袋を下げて、家までの僅かな距離を歩くのがだるくてツラい。台所仕事が立ったまま続けられず、コンロの前で椅子に座って調理してみる・・。
最初は歳のせいかしら?と考えたり、私ってこんなに怠け者だったかしら?と情けなくなったりしていましたが、だんだんと「ひょっとして筋腫があるのでは?」心の底に眠っていた気持ちがムクムクと起き上がり、確信めいた気持ちに変わっていきました。生理もだんだんと出血量が多くなり貧血がひどくなっていましたし、母が子宮を摘出した年齢でもありました。ついに私も・・という感じでした。

その頃の生理の多さには、我ながら辟易しておりました。眠る時は夜用の特大ナプキンを4枚重ねにしてオムツのように後ろまでガード。1枚目は浸したようにぐっしょりです。寝ている間の粗相も悩みの種。もう使うことも無いと思って片付けていた赤ちゃんシートを、自分が使うことになろうとは・・。そして出血が気になって気になって、くつろいで眠ることができません。生理のだるさに睡眠不足が加わり、体調は最悪です。

昼間の仕事中には、立ち上がった瞬間に「ザーーッ」と流れ出るのを感じて再び腰掛けることができず、そのままトイレにソロリソロリと移動したり、逆にトイレでザーザー出血してなかなか出られなくなってしまったり・・。痛みこそ無いものの、その出血量は尋常ではありませんでした。

こんな調子では貧血が進行するのも無理はありません。筋腫さえなくなれば、こんな辛い思いをしなくてもよくなるのに・・。「筋腫ならサッサと摘出してサバサバしたい」という気持ちが強くなっていきました。

そんなある時、下腹部が急に痛くなり内科にかかりましたが、内科の医師は「ガスが溜まっているのでしょう」と、整腸剤を処方してくれただけ。私は「これはそんな痛みではない」と思ったので痛みが治まったら近所の国立病院に行ってみました。そこは夫もお世話になり、設備も対応も良いと思っていたので、筋腫なんてすぐに摘出してくれるだろう、と考えての事でした。そう、筋腫なら取ってしまえばこんな辛い状態から抜け出せる、と安易に考えていたのです。母も摘出してしまった後、サバサバと生きていた・・と。


●摘出すればサッパリする、でも・・
国立病院の初診。私は「筋腫だと思うんです」と言って診察を受けましたが、担当医は「そんなに簡単に決められないんですよ」となんだか歯切れの悪い印象。

それからの診察も「あの検査をして、この検査をして・・」と、なかなか筋腫の診断が下らず、具体的な治療に進みません。別の病院にセカンドオピニオンで行ってみたら、すぐに「筋腫ですね」と診断されました。そして手術をして取った方がよいと。同じ手術を受けるなら近所の病院の方が何かと便利が良いので、また国立病院に戻りました。のらりくらりしているように感じた国立病院でも筋腫だと診断され、「3cmぐらいの筋腫がありますね。取っちゃいましょう」と言われました。

「え?たった3cmぐらいなら筋腫だけ取れないの?」と思った私は、子宮は残せないのかあれこれ質問しましたが、担当医は全摘出とはハッキリは言わないものの、
 「残してもまた他の病気になると困るから・・」
 「残しても仕方ないでしょう、お子さんも3人いらっしゃるし・・」
 「摘出してしまうのが一番安全」
というように、話の進む先は「全摘出」しか無いなのです。

「子宮を残す意味があるかどうかは医者じゃなくて私が決めるのだ!」と腹も立ちましたが、この医師では他に方法も無いようだったし、セカンドオピニオンを受けた病院でも取ったほうが良いと言われたので、それならば一刻も早く摘出を!と3月に手術の予約をして帰りました。

仕事で知り合った婦人科の女医さんに、自分の病状や医師の診断について相談してみましたら「貴女の体調を考えても摘出は止むを得ない。子宮を残す手術は摘出してしまうよりリスキーなので、医師も敬遠するのでしょう」とのこと。

私は、アロマテラピーの仕事をしながら「人間の体には不要な部分など無い」と日頃から考え、またそのようにスクールでも教えている立場なのに、なぜ筋腫だったら子宮は簡単に摘出されてしまうのか?40歳を過ぎているから? もう子供がいるから?だからもう不要な臓器なのか?と様々な矛盾を感じましたが、体調の悪さはどうしようもなく、それを根本的に解決するには子宮を筋腫ごと摘出してしまうしか方法が無い、やっぱり取ってしまうしか方法が無いのだ、と釈然としない気持ちを抱えつつも自分を納得させるしかありませんでした。

ところがいざ3月の手術が近づいてみると、手術ができないくらい貧血がひどく、手術は5月に延期、増血剤を服用していたのにも係わらず5月になっても手術ができるほど回復しておらず、再度延期されて8月になってしまいました。

ここまで二転三転すると、職場に迷惑をかけているのが気がかりで、担当医師の夏休み明けに絶対手術してもらえるよう念押しして、8月の手術を予約しました。「自分の夏休みが明けたら」という医師の態度には少しカチンと来ましたが、「2週間入院しても9月には仕事に復帰できる」と仕事のことばかり考えて、職場もそのように調整してもらいました。

「筋腫ってどんな手術をするの?」と思い立ったのはそれからでした。それまでは、とにかく「摘出」しか念頭に無く、医師の言うことに従っていればいいと思っていたので、「筋腫って何?」ということすら考えたことがありませんでした。インターネットで検索してみたら、広尾MCのサイトにヒットしました。そこで目を通していくうちに、斉藤先生は全摘出せずに筋腫を手術すると書いてありショックを受けましたが、国立病院での手術が迫っているし、今更ね・・と思いました。なのになぜだか心がざわめいて、落ち着かなくなってきたのです。

その頃、学校の役員をいっしょにやっていたお母さんとも「同じ病院で(全摘出の)手術したけど、いい先生だし大丈夫よ」と話をし、その時は「ああ、あの先生はいい先生なんだ、大丈夫なんだ」と考え納得しようとしましたが、心のざわめきは一向に止まりません。

広尾MCサイトのページをほとんど全てプリントして、1週間くらい毎日のように眺めて持っていました。国立病院での手術2週間前。居ても立ってもいられなくなり、斉藤先生に自分の病状についてメールで質問してみました。正直言って、回答は期待していませんでした。ところが2日後に「あなたの子宮は残せると思います」というお返事。心の奥に電流が走ったようなショックでした。


●自分の迷いに気づいたとき
「私の子宮は残せるの?でももう手術は予約してあるし、残せるって言われても、どうしよう?私は一体どうしたらいいの?」心に大きな迷いがあることがハッキリ分かり、このとき初めて、手術について夫に相談しました。

調べてみたらこんな治療をしているところがあって子宮は残せるって。でも保険は使えないらしいし場所もよく分からないし、川崎だから遠いし・・、でも残せるんだって。でも国立で手術の予約はしてあるしキャンセルはできないし・・。涙をボロボロ流しながら、心の中に溜まっていた色々な思いを夫に話しました。

子宮の摘出手術に関しては何も言わない夫だけれど、国立病院の手術を予約したときは、「個室をとってあげるから、休暇だと思ってゆっくりしてくれば」と言ってくれていたので、彼なりに気を遣ってくれていたと思います。そんな夫は、泣きながらで支離滅裂だったかもしれない私の話に耳を傾けてくれて「自分の事なんだから、気の済むようにしてみたら?」とサラリと言ってくれました。その言葉にグチグチしていた気持ちが落ち着いて「じゃあ広尾に行って見る」と、さっそく予約の電話をしてみました。

広尾MC初診の予約は国立病院の手術直前とも言えるタイミングでした。診察時にMRIがあった方がよいと言われたので、国立病院から貸りなくてはならなかったのですが、貸してもらえなかったらどうしよう?担当の先生は夏休みだから相談できないし、大丈夫かしら?と思い悩みながら国立病院に電話をしてみると、あっけないほど簡単に貸し出しOK。ス〜ッと気が楽になりました。

逆に、担当医が休みだったことは私にとってはラッキーだったかもしれません。本人から「なんで今更こんなことを?」と尋ねられたら、オタオタしてしまって罪悪感でいっぱいだったかもしれないので。別の若い先生が、「他の病院に行くなら病状の説明も書いてあげましょう」と言って書類を用意してくれました。が、ちょっと泥棒気分。逃げるような気持ちでMRIや書類をいただいて帰りました。この時の気持ちはまだ半々。広尾MCがダメだったら国立病院に戻るんだろうなぁ、という気持ちでした。


●手術を即決した広尾での初診
予約した初診の日、いざ広尾MCへ。有名な病院だからタクシーの運転手さんは知っているだろうと思ったけれど「知らない」と言うし、地図を見せても「分からない」。またしても「有名な病院じゃないの?」と不安になってしまいました。怪しいところじゃないはずなのに・・。そうこうしながらもやっと広尾MCに到着。

看護婦さんが一人で受付にいらして、待っている患者さんが一人もいません。「なんだか暇そうな病院・・」ますます不安になっていた頃に、二階からゾロゾロと女性達が降りて来ました。そう言えば二階が随分と賑やかでした。その中の年配の一人がツツっと私に近寄ってきて、まったく初対面なのに「今日、初診?絶対ココがいいわよ。迷ってるならココにしなさい。ココに来られてよかったわね〜」と、ニコニコと仰いました。

ちょっとビックリして「ヘンな人だなぁ」と思ったけれど、異様とも思える明るさとその自信。そしてそのグループのお仲間達。彼女達が明るくキャッキャと帰っていった後、二階から降りてきた斉藤先生。その姿を見たとたん、私はボロボロと泣いてしまいました。先生の姿を見た瞬間に、広尾MCで手術をする!と気持ちが固まっていましたし、何よりも今まで不安に凝り固まっていた心が安心感に包まれ、解けていくようでした。

ということは、今まで自分は、子宮の摘出手術をすることを、「家系的なものだ」「年齢的にも多い」「取ったら楽になる」と、無理矢理に正当化して、諦め、納得しようとしているだけだったのでしょうか?本当の私は、そんな屁理屈に押し込められながらも「子宮を取ってしまうなんてイヤ!絶対に!」と心の隅っこで叫び続けていたに違いありません。そうでなければ広尾MCのサイトを見つけた時に、あんなに心がざわめかなかっただろうし、夫に泣きながら相談するほど迷いはしなかったでしょう。

そして、お医者さんの言う事を聞いてさえいれば大丈夫、と漫然と思っていた自分、「医者」だというだけで自分の体を他人任せにしていた自分は「いい患者」ではなかったと気付きました。そして人に迷惑を掛けるのがイヤで、常に「いい子」でいようと努力し、気を遣っていた自分。「自分のことで人様に迷惑をかけるなんて絶対イヤ」そんな考えに囚われて、納得していない手術でもサッサと済ませようとしていました。

確かに今まで手術の予定が二転三転して職場に迷惑をかけているかもしれない、でも斎藤先生にお会いした瞬間に、「みんなに迷惑をかけるかもしれないけど、予定を変更して広尾MCで手術を受ける」と決心していました。この時、おそらく初めて、自分の体について正面から向き合ったと思います。仕事も大事だけど自分の体はもっと大事なのだ・・と。

こんな気持ちで診察を受けたので、斎藤先生にお話することはあまりありませんでしたが、もう国立病院で摘出手術を受ける直前なのだと話をしたら、私のご近所で、同じ国立病院から広尾MCにいらして手術をされた方がいるとのことで、その場で電話をしてくださいました。

電話の向こうで彼女はとても明るく、「(国立病院には)黙って広尾MCに来ちゃったから、二度と国立病院には行けないわぁ。近いのに不便よねぇ〜」と大きな声で楽しげに話してくれました。よくよく伺ったら、本当に逃げるように広尾MCに来たとのこと。私がやろうとしている事は既にやった人がいるのだと知り、少し気が楽になりました。

広尾MCへ手術の申し込みをした後、何と言って国立病院をキャンセルしようか、またまた不安で一杯でした。自分で言うのも変ですが、私は「約束厳守」「周囲に迷惑をかけてはダメ」と真面目一筋に生きてきたものですから、「入院・手術」という大きな予定をキャンセルしてよいのか・できるのか、本当に不安だったのです。

恐る恐る国立病院に電話をしてみると、またしても拍子抜けするほどあっさりとキャンセルできてしまいました。手術のキャンセルなんて病院にとっては日常茶飯事なのだろうと、後から思い至りましたが、この時は本当にドキドキして、担当医が夏休みで本当にラッキーだと思いました。

夫に広尾MCの事を報告したら「キミは強運だから今まで間違った選択をした事が無い。だからきっと今度も大丈夫だよ」と言ってくれました。保険の使えない入院・手術費用についても「特別室に2週間の入院が4週間になったと思えばいいよ」と一切否定的なことは言わず、私を励ましてくれました。

夫の言葉に支えられて、私は自分の選択に自信を持って広尾MCの手術に臨むことができたのです。これで4度目になる仕事の調整も、職場の皆さんが快く承諾してくれてスムーズでした。職場の皆さんには本当に申し訳なく思いましたが、何にも変え難い自分の体のことですから、甘えさせてもらいました。

手術直前だった国立病院では「貧血がひどいのでとにかく生理を止めよう」と、ホルモン療法を行っていましたが、国立病院キャンセル後は当然ホルモン注射も止めることになり、生理が戻ってきました。その出血の凄まじさと言ったら・・。「こんな状態を薬で止めていただけで、根本的には何も解決されていなかったのだ」と自分の体の惨状を再認識しました。綺麗な色の血がザーザー流れていく・・。ああ、もったいない、と何度思ったことか。


●いとおしい子宮
初診から2ヶ月弱。いよいよ広尾MCでの手術。私は一番最初でした。病室で待っている間、持参したアロマオイルで緊張をほぐすアロマテラピーを・・。

術後のためのオイルも用意して、準備万端です。待っていてくれた夫は、手術室から1時間ほどで部屋に戻って来た私を見て「あれっ?もう終わりなの?」と驚き、でも元気そうな私の様子に安心して会社に向かったようでした。

手術中、膣の方から引っ張っているような感触があったのを覚えていましたら、術後に「筋腫分娩だったので膣からも処理した」と説明を受け、納得しました。確かにMRIでは筋腫は子宮の下方に映し出されていて、子宮から筋腫にかけてが曲がった瓢箪のような形になっていました。でもまさか筋腫分娩を起こしていたとは。筋腫分娩を起こしていると生理の出血が激しいそうです。まさに私はそのパターンでした。

入院のお仲間に名古屋からの方がいて、その方は退院後一人で名古屋まで帰らねばならないので、2日目からの「お散歩」にも積極的でした。私も負けてはいられない!と一緒に点滴台を押しながら歩き回りました。

傷の痛みは思った程ではなく、術後、日に日に回復していく自分の体が本当にいとおしいと感じました。先生から手術記録をいただき、術直後の子宮の写真を目にした時は「なんて愛しい私の子宮」と思ったほど。入院のお仲間も自分の子宮の写真を見ながら、口々に「可愛らしい」と話していました。人様から見たらグロテスクな写真かもしれませんが、本当に、心の底から「子宮を残せてよかった」と思った瞬間でした。

特にトラブルもなく無事退院して家に帰ると、ママっ子だった娘がすっかりパパに懐いていて、ちょっとショック。でも「ママおなか痛いから、だっこできないんだよねぇ」と、私を気遣ってくれます。この前まではただの甘えん坊だと思っていたのに。たった1週間の間に、子供は随分と成長するものですね。

術後の回復が早いのも驚きました。手術が9月の末だったので、楽しみにしていた子供の運動会に行けるか気がかりでしたが、問題なく参加できて家族揃って楽しめました。本当に良かった。

術後の生理は、自分が健康だと感じていた若い頃と同じ状態に戻り、出血量が激減しました。巨大なナプキンはもう必要ありません。術直後に6だったヘモグロビン値も術後検診では11になっていました。術後検診の時、斎藤先生のお顔を見たらつい涙が抑えきれなくなってしまい、またポロポロと泣いていたら「僕に会うたびに泣くんだねー」と先生がノンビリ仰っていたのが忘れられません。MRIには、すっかり普通の状態に戻った私の子宮がクッキリと映し出されています。この子宮が、今、確かに私のお腹の中にあるのだ・・としみじみ思いました。


●人任せの医療ではいけない
何度も手術が延期になり広尾MCを見つけ、何かに導かれるように広尾MCでの手術に至りましたが、それが私の「強運」なのかもしれません。貧血が改善され体調はすっかりよくなり、数ヶ月前まで普通の家事でへばっていた自分がウソのようです。本当に“ハツラツ”と人生を生きている・・と実感できるのです。そして、こと医療に関しては「人の言うなり」ではダメなのだと、人に少々迷惑をかけても自分が主体にならなければ充分納得の行く医療は望めないのだと痛感したのでした。

自分が子宮を残せて元気になれたこと、本当は声を大にして話したいのだけれど無念さを抱えながら全摘出した人が近くに居たら、きっとその人を傷つけてしまう。そう思うと、同年代の女性の前では気軽に話すことができません。私が子宮を残せたと知って尋ねてくる人にはいくらでも話をしようと思いますが・・。ですから今回の体験談も実名を出したいのですが、イニシャルにさせていただきました。婦人科系の病気のデリケートさを痛感します。


●最後に
「斎藤先生の後継者」は育たないものなのでしょうか・・。斎藤先生とスタッフの方々には本当に感謝しています。ですが世の中にはまだまだ婦人科の病気で苦しんでいる人たちはたくさんいます。斎藤先生のような医師が何人現れても足りないくらいに・・。娘が私と同じ病気にならぬよう、そして一刻も早く子宮を残せる治療法が生まれ、普及していきますよう、医学の進歩を信じて心から祈るばかりです。
術前(pre-ope)のMRI 術後(post-ope)のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1

摘出物
摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)380413
血色素(Hb)(g/dl)6.711.9
ヘマトクリット(Ht)2738.4
備考
●経産婦 2児
●筋腫分娩(有茎粘膜下筋腫):30g
●子宮内膜ポリープ:2g
●腺筋症:4g


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