「夫と2人で乗り越えた幸せへのステップ」
レポートNo.88

目黒美保(33才)
●まさかの診断
私は昔から生理痛はひどい方で、お腹の痛みはもちろん出血量も多く、塊もドバドバ出ていました。でもずっとそうだったので、それが当たり前の普通の生理で、自分が病気だなんて微塵も考えていませんでした。

変調が現れたのが2001年の6月頃。生理でもない時期の腰痛と出血が2ヶ月ほど続いたので、不正出血は「ひょっとしたら妊娠?」、腰痛は「パソコンのやり過ぎかな?」と呑気に考えつつも「何かおかしい」と思ったので、近所の個人クリニックの婦人科に行ってみました。するとすぐに子宮筋腫だと診断され「とにかくひどい!大きい病院を紹介するのでそちらの行って!」と言われてしまいました。妊娠はまったくの期待はずれ、不正出血は筋腫のせいだったのか・・・。

一応、紹介先の大きい病院に行ってはみたものの、担当の女医さんとどうも気が合わないと言うか、女性同士なのだから、もう少し「いたわり」を持って接してくれても・・・と感じてしまうようなツッケンドンな態度、とても通いつづけて治療を受ける気にはなれない印象でした。こんな医師に治療を受けても、結局は全摘出のレールに乗せられてしまうのでは?という気がして、結局1回だけで行くのを止めてしまいました。

私の体調を心配していた夫に、「筋腫があり、あまり良い状態ではない」ことを告げると、「結婚して今までの2年間、充分幸せやったけど、この2年はプロローグに過ぎん。今から2人の第一章が始まるんや。少し波乱の幕開けやけど、絶対元気になって幸せになろな」と、励まされました。普段はとても口下手な夫からこんなに力強い言葉が聞けるなんて。夫の言葉に勇気づけられ、「何とか筋腫を治そう!」と強く決心しました。


●最初は興味が無かったけれど
その後、子宮筋腫はどんな病気でどのような治療法があるのか、知識を得るためにインターネットで調べ始めました。自分に知識がないと納得のいく治療は受けられないと思ったからです。

色々調べているうちに、何回も検索にヒットする「広尾メディカルクリニック」が気になり始めました。最初は「個人クリニックの案内だろう」ぐらいに考えて、まったく気にも止めずホームページも見なかったのですが、あまりにも何回もヒットし、しかも検索結果の最初の方に表示されるので、「ココには何かあるのかな?」と気になり始め、ホームページを見てみました。

するとそこには多くの体験談が掲載されており、夢中でそれらを読み進むうちに「筋腫で悩んでいるのは私だけじゃない、この先生なら大丈夫かも!」と強く感じたので、初診だけでも受けてみようと決めました。

夫や家族は「大病院や大学病院のほうがええんちゃう?」「何で保険がきけへんの?」と不安顔。でも1度決めたら納得いくまで引かない私。不安顔の夫と姉を従えて初診に伺いました。


●泣いてしまった初診
佐々木病院でMRIを撮って、クリニックに向かいました、初めてお会いした斎藤先生はムスっとした感じでちょっと怖く、ビクビクしながらの診察でした。

先生はエコーとMRIをご覧になって、「手術で治せるけど、今は1年待ちの状態。でもあなたはそんなに待たせられる状態ではない。キャンセルか何かで前倒しにしてもらわないとね」と言われました。

MRIの画像を説明していただいたところ、子宮が肥大しているのはもちろんですが、表面にボコボコとオデキ状の筋腫があり、子宮腔も潰れているとのことで大ショックです。先生にビクビクしていた上に、自分の状態はよっぽど悪いんだ!というショックで思わず涙が溢れてしまいました。

長年ひどい生理が当たり前になっていて、ヘモグロビン値は7前後、ちょっと動くと動悸と息切れがするような貧血状態でした。確かに体調の悪さは自覚していましたが、何となく自分で感じているだけなのと、確かな人から指摘されるのとは雲泥の違いがあります。相当なショックでした。

手術の予約は入れたものの手術日は未定。その日はドンヨリと落ち込んで家路に着きました。年内に手術できたらラッキーかなぁ・・・と漠然と考えながら。

9月に入って手術日が決まったと広尾MCから連絡がありました。(この年の7月から、それまで週1回だった手術を2回にして、より多くの患者さんに対応できる体制を整えられたとのこと)考えていたより全然早くて10月の手術。

検査のために手術2週間前に伺いました。その日はたまたま金曜日、土曜日に退院する方たちのお茶会の日でした。入院患者さんと診察・検診にいらした方たち総勢8〜10人くらいで楽しくおしゃべり、その中からも色々な情報を得ることができて、貴重な時間を過ごすことができました。(このとき出会って仲良くなった方とは、今でも仲良くお付き合いが続いています。)

初診や術前検査の人はちょっと暗く、入院中の方を含め手術が終わった人たちはとっても明るいくハツラツとした印象。月曜日に手術した人たちが、金曜日にはスタスタ歩いたり元気におしゃべりしたりしているのには驚きました。私が術前検査だと話すと、「1日目は痛いよ〜」と脅かされたりしましたが、彼女たちはとっても元気そう。私もこうなれるのかしら?

お茶会には斎藤先生もいらっしゃいました。初診の時とは違って、にこやかに楽しくおしゃべりされています。あれ?最初とはえらい違うなぁと思いました。付いて来てくれた夫もお茶会に参加させてもらいましたが「話がナマナマしくてついて行けん。女の話や・・・」と、女ばかりの中で少々くたびれ気味。でも、男の人も知っていた方が良いことなので、ご主人のいらっしゃる方にはぜひご同行されることをお勧めします。


●慌しく始まった入院生活
10月、いよいよ手術。夫と2人で横浜に前泊して手術に備えていたのに、当日朝、雨が降っていたので鶴見まで行かず横浜からタクシーに乗ったのがアンラッキーの始まりでした。

天候と時間帯のせいか道路は渋滞、その上運転手さんが道を知らず、散々迷い、広尾に着いたのは約束の8:00を30分以上も過ぎた頃でした。私の手術は一番最初だと言うのに・・・!看護婦さんと挨拶を交わす間も無く、バタバタと自分の部屋に連れて行かれ、あれよあれよと言う間に手術の準備。「もう先生が見えてるから、早く早く!」と手術室へ猛ダッシュでフィニッシュ。心の準備も何もあったものではありません。

先だってのお茶会で知り合った方に「好きな音楽でも聴いて心を落ち着けて」とアドバイスをいただいていたのに、持参したCDを聴くヒマなんてありません。可哀相だったのは同行してくれた夫。私が手術室に入るまで、誰から声をかけられることも無く、ポツリと一人取り残されていました・・・。

いよいよ手術。斎藤先生が頭をなでてくれて、少し気持ちが落ち着きました。初めての開腹手術なので、もうドキドキ。麻酔がかかっているはずなのに頭は冴え冴え、まったく眠くならないので「どうしたら眠れるんだろう?」と焦っていました。手術のことは良く分かりませんが、まったく順調に進んだみたいです。

術直後、部屋に戻った私の顔色があまりに青くて夫がビックリしていました。元々貧血の上に手術のため前夜から絶食していたので仕方ありません。じぃっと寝ていると寝返りを打ちたくなってきました。なのに脚が思うように動かず、とっても辛い。どうしても脚を動かしたかったので夫に動かしてもらっていました。頭を動かすとクラクラして気分が悪い。麻酔がなかなか抜けていないのかな?体重を多めに言ってしまったせいかしら?と反省しつつ、気分が悪く一睡もできない夜を過ごしました。手術の夜は熱が上がったり下がったり。看護婦さんに色々とお世話をしていただいて、何とか乗り切ることができました。

長かった夜が明けて入院2日目。「歩いてくださいね〜」と看護婦さんに言われたものの、傷の痛みでとてもまともに動けません。起き上がることすらままならず、部屋にある目の前のお手洗いが遠いこと・・・。私は血管が細いせいか点滴が漏れやすく、3本目の点滴ができなくなり注射に切り替わりました。朝晩の注射も痛くって、ちょっと注射が嫌いになりました。

手術で取れたモノが部屋に運ばれてきた時は「こんなモンがお腹にあったんや、ちょっとグロいなぁ」と思いましたが、「これで良くなるハズや」と安心感も強く感じました。

ちょっと辛かった入院生活を、夫が支えてくれました。夜中に仕事をして睡眠は往復の新幹線で。仕事の時間をやりくりし睡眠時間を削って、ほとんど毎日のように滋賀から通ってくれたのです。どれだけ心強かったか。夫は「2人でこの波乱の幕開けを乗り切ろう」と言ってくれたように、行動でもその心を私に示してくれました。

傷の痛みで動くのは辛かったのですが、食事は美味しくいただけたし、腸はぐるぐる音を立てて調子よく動いているし、夫の支えもあり、本人が辛いのとは裏腹に体調は日々ぐんぐん回復していきました。

退院前日の日曜日は、お茶会の代わりに斎藤先生とお出かけでした。私たちは帝国ホテルでランチをいただき、先生の講演を聴き、銀座でディナー。夜のドライブはうみほたる。さすがに秋の夜風は冷たく、冷えて傷が痛くなりましたが、とても水曜日に手術した人たちとは思えないくらい、楽しく元気に1日を過ごしました。夜にクリニックに戻ると看護婦さんが呆れていましたが・・・。

入院中に斎藤先生に抱いていた印象は180度変わりました。最初に怖いと思ったのが申し訳ないくらい。こんなに患者思いの優しい先生はそうそういらっしゃらないでしょう。

水曜手術組は月曜日の退院。月曜日は手術日なので皆さんが手術の準備で慌しい中、退院します。手術着で見送ってくれた先生の笑顔がとても印象的で、忘れられません。私は夫に迎えに来てもらいましたが、広島からいらしていた方は一人で元気に帰っていきました。


●すっかり回復して・・・
手術してからの生理は驚くべきものでした。出血量は減り塊も出なくなりました。交換するときのナプキンの重さが違います。手術前は“ヒタヒタ”という感じでズッシリ重たかったのが、今はそんな感じはありません。3日目からの出血は本当に少なく、ナプキンの表面にチョロっとの出血です。

私の住む滋賀は冬がとても寒い地方。手術が秋だったのですぐに冬になり、冷えると腰痛が出たり、生理中はお腹がキュ〜っとする感じがしましたが、春になり暖かくなるとそれらの症状は改善していきました。生理の周期は25〜28日で、多少バラつきはありますが、ほぼ安定しています。

今までは、生理になると体調は悪い上に精神的にも鬱状態になってしまっていた私。それを当り障りの無いように見守るしかなかった夫が、「これから元気になるだけやなぁ。できれば子供も欲しいなぁ」と、私の健康を心から喜んでくれています。

術後7ヶ月・2002年の5月、検診にうかがいました。手術前、お腹の中で醜く肥大していた子宮はすっかり小さく普通の状態になり、子宮腔もクッキリ。可愛らしいチクワのようでした。先生も「子宮は正常になってるよ。これからは子供が楽しみだね」とおっしゃってくれて、すっかり安心。斎藤先生を始めスタッフの皆さんへの感謝の気持ちは、言葉では尽くしきれません。

今回の入院・手術を経て、夫の優しさ・強さを改めて知ることができました。健康を取り戻した今、私が筋腫になってしまったことは、私たち2人が人生の第一章を幸せに歩んで行くための「ステップ」だったのだと思えてならない今日この頃です。

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