「まさか本当に妊娠できるなんて!母になれたことの喜びと不思議」
レポートNo.89

石渡直美(39才)
1996年 広尾メディカルクリニックにて子宮筋腫摘出手術。
2000年 ご主人と出会い、結婚。
2001年 9月 長男たくみ君 誕生。

たくみ君私は広尾メディカルクリニックで手術した後、まさか本当に妊娠して子供が授かるなんて、実は期待していませんでした。手術後に、斎藤先生は「大丈夫、子供も産めるよ」とおっしゃってくださいましたが、それは全摘を逃れて子宮を残せたので可能性はあるが、それが自分にも当てはまるとは限らない、と思っていたのです。今、優しい夫と日に日に大きくなっていく我が子に囲まれて、妻として母として本当に幸せな日々を送っています。


●筋腫を育てていた数年間
30歳前後からだんだんと疲れやすくなり、仕事が休みの日は単にゴロゴロするだけではなく、足を高くして寝ていないと本当にだるくてどうしようもない日々が続きました。我ながら30代前半とは思えない活気の無さに、どこか内臓がおかしいのでは?と思った事もありましたが、重篤な状態になっているわけでもなかったので、そのまま過ごしてきました。

20代の半ばから時々不正出血があったので毎年1回は婦人科に行きましたが、ろくな検査もせず「排卵性のものでしょう」とか、「ホルモンバランスの不安定が原因の機能性出血でしょう」と言われ、そのまま何の対応もなく帰されました。当時の生理は、人と比べられないので何とも言えませんが、現在の健康な生理と比べると、生理不順で出血は多かったし、痛みも相当ありました。

32歳になった秋、不正出血が止まらず腹痛も激しいので「これは完璧におかしい」と思い、総合病院の婦人科に行きました。この時の内診で「子宮が大きくなって卵巣も腫れているようだから、CTを撮りましょう」と言われ、画像診断から子宮筋腫だと診断され、これ以上筋腫が大きくならないように、点鼻薬のホルモン療法を始めることになりました。

それで半年様子を見る予定でしたが、療法を始めてからムクミ、カユミなどの不調が現れ、ついにはある日のお風呂上りに「このまま死ぬのでは?」と思うほどの激しい動悸がしました。あまりの怖さに内科で診察を受けました。この時、内科の医師にホルモン療法の話をしたら、「心筋梗塞だったらとっくに死んでいる。ホルモン剤の副作用での狭心症だと思う」と言われました。

婦人科で副作用かもしれないと、話をしたら、「貧血でもないのに薬の副作用でそんなふうになる筈がない」と、冷たい対応をされ、患者の話をきちんと聞いてくれません。しかも女医さんだったので、同じ女性としてもう少しいたわりの気持ちがあってもいいのでは?と不信感を抱きました。

結局ホルモン療法は5ヶ月で中止、「独身ですし、様子を見ましょう」と言われたものの、それは「打つ手が無い」ということに他なりません。その間も腹痛などの不快な症状は続き、1〜2年の間にお腹は妊娠6ヶ月くらいの大きさになっていきました。


●医師への不信が転じて広尾でスピード手術
様子を見るために通院していたある日、突然「手術できそうだから予約しますか?」と言われました。今までは「子宮の周囲は血管が多いので核摘出手術は危険、やるなら全摘が安全」と言われていたのに、この変わり様はどうしたことだろう?私は全摘したくない事を知っている筈なのにと不審に思いました。

手術を受けたはいいけれど病室で目覚めたら子宮が無かった、なんてことには絶対なりたくない、でもお腹を開けたら摘出しかなかったと、後から言われる可能性は考えられる。「手術できる=子宮を残せる手術」なのか、信じられなかったので、この一言で不信感を募らせ、病院を変えてみようと思いました。

友人にこの話をしたら、「婦人科の治療は病院が変わるとすごく違うらしいから、1つの病院で決めてしまわないで、絶対セカンド・オピニンを聞くべき」とアドバイスしてくれました。「このつらい症状を何とかしたい」「そして子宮も絶対残したい」、そう思いつつ色々と書籍などで筋腫について調べていたある日立ち寄った図書館で、ふと婦人科のコーナーを覗いてみたら『子宮温存療法』という文字が目に飛び込んできました。それは斎藤先生の本でした。先生の本の体験談を読み、心の底から希望が湧いてきたのを今でも覚えています。

さっそく広尾MCに診察に行き、たまたまキャンセルが出た8月の末に手術を予約し、先生から渡された色々な資料で「私よりもひどい状態の人が治っているのだから」と、母を説得し、初診から1ヶ月余りで手術を受けました。

なぜこんなに急いだかというと、もちろん一刻も早く不調を何とかしたいという気持ちもありましたが、斎藤先生の「絶対大丈夫!」という力強い一言があったからだと思います。絶対子宮を残してくれると信じられる先生でなければ、手術を受けたくなかった私に、斎藤先生の一言は、充分な信頼感を与えてくれました。

術後の回復は順調そのもので、退院後の生理の軽さと健康な日々に心から喜びを感じました。「子供も大丈夫」と言われていましたが、この時は「自分にも可能性が残されたってことだなぁ」というくらいにしか感じていませんでした。とにかく健康な体が嬉しく、今までとは違い、元気に明るく日々を過ごせるようになりました。


●結婚、そして長男を授かり幸せな日々
たくみ君と一緒にその後、友人からの紹介で夫と知り合い、皆に祝福されて結婚しました。斎藤先生の手術を受けずに夫と出会っていてもお付き合いをする気にならなかっただろうと思います。斎藤先生も「女性としての健康に自信が持てないと、どうしても男性を避け気味になる」とおっしゃっていました。広尾MCで手術したら男運が良くなるという話は、あながちウソではないみたいです。

2000年に結婚した当時、周囲の友人達は「子供を育てるだけが夫婦じゃないけれど早く子供ができるといいね!」と、私がプレッシャーに感じないように励ましてくれましたが、結婚してすぐに妊娠できたことには、私が一番驚きました。

自然分娩をしてみたかったのですが、手術歴のある子宮は何もしていない子宮より母子ともに危険になる可能性が高いそうで、リスクを押してまで自然分娩に拘っていたわけではないし、無事に生まれてくれれば帝王切開でも構いませんでした。

お産の担当医師に、筋腫の手術を受けた事を報告するために斎藤先生からのファイルを見せると、とても熱心に見ていましたが、「このくらいの手術は普通の病院でもできる」と負け惜しみにも聞こえるコメント。でもその後に、取れた筋腫も、広尾MCの設備も、私の選択も全てを含めて「すごいですねぇ」と言っていたので、心の中では感服していたに違いありません。

女性にとって、子供を産むだけが人生ではありませんが、『産む人生』と『産まない人生』を選べるということは、とても幸せ、かつ重要な事です。子宮を全摘してしまったら『産めない人生』を歩むしかないのですから。

私の身体の一部でありながら、その中で別の人格が育っていたという不思議さを存分に感じ、母となる喜びを感じる事ができて、本当に幸せです。母として子育てをしてみたいと思っていた事が実現して、とても嬉しく思います。そしてその幸せや喜びは現在進行形なのです。
術前(pre-ope)のMRI
術前のMRI1 術前のMRI2

摘出物
摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)364-
血色素(Hb)(g/dl)11.9-
ヘマトクリット(Ht)34.4-
CA-12527-
備考
不正出血
倦怠感
下腹部痛

摘出物:510g   


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