子宮筋腫
「どうしても産みたかった子。夫が守る勇気をくれました」
レポートNo.91

河津江里奈(23才)
●気合を入れて、いざ。しかし・・
私たち夫婦は2000年に結婚。1年ほどは2人だけの生活を楽しみ、2年目くらいから子供のことを考えようかなぁ・・という、平均的な夫婦だと思います。ちょっと違うのは、私が「そろそろ子供欲しいな〜」と言い出したのではなく、夫が突然、「よしっ!子供作るぞ!」と言い始めて子供ができたこと。夫にどういう心境の変化があったのか分かりませんが・・。

その後妊娠していることがわかり、2人とも大喜びでした。ところが妊娠2ヶ月くらいで、お腹が異常に大きくなって来たのに気付きました。普通はまだ妊娠していることが分からないくらい、目立たないはずの頃です。検診は受けていましたが、特に異常は指摘されていませんでした。

そんなある日、切迫流産気味になって慌てて病院へ。そのときの検査で筋腫があることが発覚しました。キンシュって何?という感じでしたが、私のお腹が大きくせり出してきたのは赤ちゃんが育っているからではなく、急激に筋腫が大きくなっていたからだと分かり、ものすごくショックでした。


●医者も家族も諦めかけていた頃に
そんな診断を受けた後、数件の病院を回りましたが、どこに行っても「今回のお子さんは諦めて子宮を治し、その後にまた妊娠されてはどうでしょう?」「お若いのですから、また妊娠のチャンスはありますよ」という話ばかり。一緒に病院に行ってくれた夫は「そんな話があるか!」と怒り、私はどうしたらよいか途方にくれて、ただただ泣いていました。

そんなとき、ある病院で言われた「筋腫があるのによく妊娠しましたね」という言葉が一筋の光にように心に差し込み、「やっぱりこの命は絶対大切にしたい、産みたい!」と強く思うのですが、そんな気持ちとは裏腹に、子供を無事に出産させる道は見当たりませんでした。

子供を諦めなくてはならない診断が続く中、私の両親も今回の妊娠は諦めなくてはならないのか?というムードになりつつあり、家族全体が暗い雰囲気に包まれていました。

その頃、夫は私より必死になって色々な病院や治療法を探していて、インターネットで広尾メディカルクリニックを探し当てて体験談を見せてくれました。私は妊娠したまま手術を受けて出産できた体験談を読み、この子を助けるならココしかない!と感じましたし、夫が強く勧めてくれるならぜひ手術を受けたいと思いましたが、親は不安げでした。

そんな家族を「斎藤先生なら大丈夫。手術を受けて元気な子供を授かって、家族みんなが笑顔を取り戻さなくては!」と説得したのは夫でした。そして、もともと生理痛や出血の激しかった私には「出産後の健康も考えて、今、手術しておいたほうがいい」と言ってくれたのです。

斎藤先生の診断では、一刻も早く手術を受けたほうがいいのことでしたが、通っている産科には「妊娠5ヶ月以上経たないとMRIを撮影できないし手術もできない」と言われ、MRIの技師には「妊婦はMRIを撮ってはいけない」と言われ、手術をするために必要だからと何とかお願いしてMRIを撮ってもらいました。夫は「子供の命がかかってるのに何をグズグズ言っているんだ!」と、また怒っていました・・。


●子供のためならガマンする!
2001年6月に斎藤先生の手術を受けました。「子供がいるので麻酔は強くかけられない。我慢できる?」と訊かれたので、「この子のためなら!」と意気込んでいたし、手術を受けるなら我慢するしかないので「ハイ!」と返事をして、手術が始まりました。

麻酔は本当に最小限度だったようで、手術中の痛みは相当ありましたし、今何をやっているのかハッキリ分かって怖かったし、BGMを聞いている心の余裕もありませんでした。手術時間は驚くほど短く、付添いのために来ていた夫が食事に行っている間に終わってしまったのですが、私には永遠とも思える時間の流れでした。部屋に戻っても痛くて一睡もできません。同じ日に手術した人たちは「朝までグッスリ寝ていた」と聞いて、なんて羨ましい・・と思ったものです。

傷の痛みは退院する頃にはだいぶ治まりましたが、それでもちょっと大変でした。車に乗っても振動で痛むし、歩くときも手摺りにすがらないと歩きたくないくらいで、術後1ヶ月くらいはおとなしく過ごしました。

入院中は夫の友人達が入れ替わり立ち代り、大勢お見舞いに来てくれて、私達を励ましてくれました。「私とこの子は何て大勢の人に支えられているのだろう」と、感激。傷の痛みも少々の不安も、みんなの励ましがあったからこそ乗り越える事ができたのだと思います。

傷は痛みましたが、700gあまりもの筋腫が摘出され、「これでこの子は大丈夫だ!」と確信でき、心も体も晴れ晴れ。妊娠7ヶ月目ごろからまた産科に行き始め、手術のことを報告しておこうと思い「手術記録」を産科の医師に見せました。産科では斎藤先生の手術については無関心を装われ知らん顔をされましたが、外科の先生は斎藤先生の技術を褒めちぎっていたので、斎藤先生の技術やその治療を選んだ私を認めてもらえたようで、嬉しく思いました。

実は、斎藤先生の手術を受ける前は胃が圧迫されていたせいか悪阻がひどく、胃が空になると吐き気がしていたので常に何か食べている状態。妊娠5ヶ月だというのに体重は22kg増!!術後はその悪阻も解消して普通の食欲に戻りましたが、一旦増えた体重が一気に減るわけではありません。そのような経緯を知らない産科の看護婦さんから、会うたびに「少し痩せないと・・」と注意されて、少々ウンザリでした。

出産間近になると「心配だから」という理由だけで、予定日の1ヶ月前から入院させられました。別にどこも体調が悪くないし、流産しそうだったわけでもないのに。1ヶ月の入院費用がもったいないことこの上なし、でした。


●生まれてきてくれてありがとう
ありゅう君出産までに色々ありましたが、2001年11月、帝王切開にて息子の葵颯(ありゅう)が無事誕生。夫が大喜びしたことは言うまでもありません。そして私や夫の両親達も明るい笑顔が満ち溢れるようになりました。

生後7ヶ月の息子はとてもおとなしく、育てやすい子です。人見知りもグズリもせず、お昼寝から覚めても泣くことなく、一人遊びをしていたりします。きっと私が筋腫を抱えて苦労したことを知っていて、いい子にしてくれているのだと思えて仕方ありません。体もしっかり育って、同じ月齢のお子さんより一回り大きいような気がします。

葵颯、生まれてきてくれて本当にありがとう。お母さんは葵颯を守り通せたことを誇りに思います。泣いてばかりいた私に葵颯を守る勇気をくれたパパ、ありがとう。葵颯を筋腫から守ってくれて健康を取り戻してくれた斎藤先生、ありがとう。

産後2ヶ月ほどで戻ってきた生理の軽さにもビックリしています。元々あまり丈夫ではなく、子供の頃から朝礼で倒れるタイプの子供でしたし、生理の出血や痛みもひどかったのですが、出血は減り痛みも無くなり、本当に楽になりました。術後の検診はまだ受けていないのですが、ひょっとしたら貧血も解消しているかもしれません。

妊娠してから子宮に異常が見つかる人は決して少なくないと思います。でも諦めないで。授かった命を守る方法は必ずあります。授かった命を守ることができるのはお母さんであるあなただけです。せっかく授かった命、どうか諦めないで。

MRI画像
MRI1 MRI2 MR3

摘出物

  術前(Pre-OP) 術後(Post-OP)
赤血球(RBC) 339 384
血色素(Hb) 10.1 12.0
ヘマトクリット(Ht) 30.1 34.5
CA-125 - 30.8
備 考 *妊娠11週の時は、出血があり、妊娠筋腫の合併を知らされ、子宮全摘の可能性を告げられた。

*妊娠15週時、胎児を守るため、筋腫摘出を行った。



Copyright(C)2002
HIROO MEDICAL CLINIC