子宮筋腫
「健康保険が適応しないことと怪しいこととは全く違います」
レポートNo.92

A.S(33才)
「地味にしている」斎藤先生のクリニック
私の父は医療機器メーカーに勤めており、あちらこちらの病院に出入りしています。私が手術を受けた時、広尾メディカルクリニックを見た父は「自由診療にしては地味にしているなぁ」「領収書もキチンとしているなぁ」と、その堅実さに驚き、感心していました。

保険適応外で怪しげなところはゴマンとあるのでしょうが、斎藤先生のクリニックは断じて違う、と最初に申し上げておきたいと思います。レーザーメスを子宮筋腫や卵巣の治療に使うことを保険医療に認めていないのは『国』なのです。そして保険が適応しない医療と適応できる医療を取り混ぜて、患者の費用負担を減らそうとする行為は『混合診療』と言って、『医療側の違法行為』になるのです。

色々な医療がある現在、保険医療でないことは決して怪しい事でも不安材料でもありません。医療を求める側がきちんと見極める目を持てば、医療の選択肢は多いほど良いのですから。


●「ハイリスク」だった私の手術
私の筋腫は「内臓はどこに?」というくらい下腹部いっぱいに広がっていました。さらにお腹の方にボコン、背中に向かってボコンと二部構成になっており、背骨に非常に近い部分まで筋腫が広がっていました。

先生の手術記録には「特に困難を極めた部分は、子宮頚部近くの骨盤底を埋め尽くした筋腫でした。基靭帯の重要動脈静脈群、尿管、膀胱などを取り巻く部分がハイリスクでした」と書かれてあり、手術中に輸血を考えるほど出血したそうでが、私は手術前に貧血ではなかったので、輸血はしなかったそうです。

手術前に12.9だったヘモグロビン値は術直後には6.1まで落ち、ベッドに起き上がるとクラクラしていましたが、青野菜や豆類を一生懸命食べて1ヵ月過ごした後、地元病院での検査では12.4まで戻り、3ヵ月後の術後検診では13.6と、すっかり元通りの値になりました。

術後4ヶ月にして九州まで旅行でき、今年の夏はヨーロッパに行く予定。手術が大変だったにもかかわらず、とても健康な日々を取り戻せています。


●体重が増えたと思ったら・・。
私は生理が始まったときから量は多く、それが当たり前だと思って過ごしてきました。痛みなどの症状は無く、ナプキンの交換さえ気をつけていれば乗り切れていましたし、出血は多かったけど貧血にはなっていませんでしたので、自分が病気だなどとは考えていませんでした。

異変が起こったのは体重が急激に増えたときでした。元々痩せ型で43kgくらいを保っていたのが、一気に10kgも肥ってしまったのです。このとき、更に生理の出血量が増えました。あまりの出血に、湯船に浸かっているとお湯が赤く染まるほどです。普通生理中でもお湯に浸かっている時は出血しないらしいのですが、私はお構いなしに出血していました。

後部が腰までしっかりガードされているサニタリーパンツの出現には救われましたが、それでも布団を汚したことがあります。最近の女性雑誌で「1時間でナプキンがヒタヒタになるようでは量が多すぎる」と読んだことがありますが、きっとそれは普通の昼用ナプキンのことを指しているのですよね。私の場合は夜用ウルトラスーパーなナプキンが1時間でアウトでした。

こんな状態になっていながら、まだ婦人科系の病気だなどとは夢にも思わず、お腹がせり出してきたのも体重が増えたタイミングと重なっていたので「内臓脂肪が増えた!歳のせい?」などと思っていました。

人生最大に肥ってしまった私は、洋服が次々と着られなくなってしまったので、何とか体重を減らそうと考えました。お菓子を止め、通勤の行き帰りで30分ずつウォーキングをして、1ヶ月で何とか3キロ落としましたが、それ以上は全く減りません。お腹の固いシコリに触れながら「内臓脂肪って固くて落ちにくいのね・・」とため息をつく日々でした。


●触診もせず「ベンピじゃないの?」と言った内科
そのうち排卵痛らしき痛みや脚の付け根などに激しい痛みが起こるようになり、お腹の奥でマグマが噴出口を求めてグズグズとうごめいているような感じでした。また生理痛も起こるようなり、体の奥で活断層がズレるように骨が軋むような痛みが始まりました。こんな種類の痛みは今まで感じたことがありません。いったい私の体はどうなっているんだろう?!

2001年6月に市の検診を受けた時に相談したら「甲状腺かもしれない」と言われ内科を紹介されました。採血して1週間後に内科に行ったところ、内科の医師は私の方をチラとも見ずに、何やらカルテに書き込むのに忙しそうで「検査結果に異常はありませんね」と一言。

私が「お腹が張って苦しいんですが」と言っても「ああ、ベンピじゃないですか?」と相変わらずこちらをチラと見もせず触診もせずに言い放ちました。少しでもこちらを見れば、私の異常なお腹のせり出し方は便秘どころではないと分かったはずなのですが・・。私のお腹は、服の上から見ても分かるくらい大きくせり出していて、固いソバガラ枕のようでした。

まだ筋腫だとは知りませんでしたが、あきらかに食欲が落ちて、トイレを我慢すると左下腹部がポッコリ膨らみ排尿すると平らになっていく・・という状態。今にして思うと、筋腫に圧迫されて胃は小さくなり、膀胱は左下腹部に押し出されていたのでしょう。こんなに体がおかしくなってから家庭の医学などで調べてみて、ようやく婦人科系の病気では?と考えるようになり、婦人科に行ってみました。

診察のとき、エコーのために服を脱いだとたんに、医師と看護婦さんが声を揃えて「大きい!!」と驚いていました。「なぜこれが内科で見つからなかったの?」と言われましたが、診てもらえなかったので仕方ありません。エコーで「間違いなく筋腫でしょう。でも筋腫にしては大きすぎるので肉腫の可能性も否定できない」とのことで、癌検査とMRIも撮りました。


●大ショックだった婦人科の診断
MRIの結果は母と一緒に聞きに行きました。私は初めてキンシュなるものと対面するので「こんなものなんだろう」と呑気にしていましたが、母は画像を見たとたん息を飲んでいました。とにかく筋腫に対する知識が全く無かった私。筋腫なら全摘出で4週間、悪性なら摘出後の治療もあるので入院はもっと長引くと説明され、大ショックです。

画像で悪性か良性かの判別はできるらしく、MRIの先生からも「大きい筋腫だねぇ」と言われたくらいです。癌検査でも陰性だったので「間違いなく筋腫でしょう」と診断されました。良性なら薬で何とかならないか尋ねてみましたが、「あなたぐらいの大きさになってしまったら薬なんて全然効果は望めません」とハッキリ言われてしまいました。そのときで既に人頭大の筋腫でした。

担当の先生は正直に「子宮を残したいならばこの病院では対応できないので、もっと大きな病院を探してください」と話してくれて、転院のために必要なものは揃えるし紹介状も書いてくださるとのことでした。

家族と「大学病院か?有名大病院か?」と相談していると、兄が広尾メディカルクリニックのサイトを見つけ、プリントして見せてくれました。絶対に子宮を残したかった私には朗報でした。保険は使えないけど初診は8,000円前後と書いてあり、一度行ってみる価値は十分あると思いました。

元々かかっていた婦人科の先生にも相談してみましたが、大学病院に有名な医師がいても必ずその人に当たるかどうかは分からないのだし、結局は自分がよい先生かどうか見極めるしかないとのこと。広尾用と別の病院用と、2通の紹介状を書いて持たせてくれました。

広尾で「子宮腔があるから君の子宮は助かるよ」と言われたときは心の底から安心しました。「他の病院じゃ、たぶん子宮を残すことはムリ」とも言われました。手術の技術は、手術し続けないと落ちていくと聞いたことがありましたので、斎藤先生の診察のときは「この先生が手術するなら大丈夫だ」と強く感じました。何件も病院を回った果てに広尾にたどり着く方が多い中で、2件目にたどり着けた私はラッキーだったかも知れません。

その日は月曜日に手術した人と話をすることができて、とてもお元気そうなのに驚きました。随分前に、普通の病院で子宮の全摘手術をされた同僚の先生をお見舞いしたときは、10日も経ってるのにもっと具合が悪そうでしたから。


●「おなかのガケ」が消えた日
仕事は学校の事務なので、子供が夏休みに入ると少し仕事が楽になりますが、それでも体が辛くなるくらい状態が悪くなっていきました。立っても座ってもお腹の中で漬物石がゴロゴロしているような痛みが続き、お腹は正面向いて起きがれないほどせり出し、胃の真下あたりは「お腹のガケ」と名付けた肥大したシコリがありました。

新学期が始まり忙しくしていたら、もう土日は寝て過ごさないといられないくらい体調が悪くなり、広尾からは「年内の手術はムリかもしれない」と電話があり、目の前が真っ暗になりました。あまりの体調の悪さに「病休を取ろう・・」と思っていた矢先、広尾から「10月最終週にキャンセルが出た」と連絡があり、仕事的にも一番余裕がある時期なので、校長先生・教頭先生と相談して病休を取ることに決めました。

入院の前々日までには仕事も片付け切れて、初めて筋腫を手術する夢を見ました。手術が大変だったのに比べて私は至って呑気にグッスリ寝ており、気付いたのは自分の病室に戻されたときでした。そっとお腹をさすってみると、なんとなんと!「お腹のガケ」が無くなって平らになっているではないですか!部屋の隅には摘出された筋腫がビニールバッグにパンパンに詰まって置かれていました。あれを内臓脂肪だと思っていた自分がちょっと恥ずかしい・・。

傷は痛んだものの、術前の石を呑んだような腹痛に比べると軽いものでした。職場の同僚は新人なので、教頭先生になるべくご迷惑をおかけしないためにも「1週間で絶対職場に戻る!」と決心して入院した私は、出された食事は、どんなに苦しくても「1日でも早く治りたい!これは鍛錬だ!」と思いつつ、汗びっしょりになりながら必死で食べ、全部平らげるようにしていました。

月曜手術の私たちは、水曜手術の方たちに1Fの部屋を空けるため、自力で2Fの部屋に移ります。私は手術の翌日には看護婦さんに起こされる前に自力で起き上がり、えっちらおっちら階段を昇って行きましたが、2Fに落ち着いてから「キミは1リットルも出血したのだよ」と斎藤先生に聞かされて、サーッと血の気が引きました。

1Fの部屋で聞かされていたら、とても2Fまで動けませんでした(正確にはもっと多く出血していたのですが・・)。そう言えば、術後の出血が多かった私は、皆さんがパジャマに着替えているのに術着のままで過ごしていました。退院までには出血も減り、大丈夫になりましたが。


●職場に復帰してから
退院した翌週から職場に復帰しました。いきなりフル出勤はムリだと思ったので、最初の1週間は1〜3時間勤務、2週目はお昼まで勤務、3週目からは普通に勤務、というように段階的に戻していきました。普通に戻したときは疲れやすかったので、あまり頑張りすぎず、1ヶ月くらい休みを取ればよかったかな・・と思いました。

それでも、全摘手術をした同僚の先生が「よく1週間で歩けるわねぇ」と感心していましたから、普通の手術をした人に比べるとその回復の早さは並ではないのでしょう。少々疲れやすくても後は治るだけなのですから、心は晴れ晴れとしていました。

手術前は52kgぐらいだった体重が、筋腫を取り去ったら49kgになり、働き始めたら一気に46kgまで減り、人生最大に肥っていた体重も自然と元通りになっていきました。

術後の最初の生理は不正出血と間違うほど少なく、痛みもありません。それが4〜5日続いて出血が止まったので生理だったのかな?と思いましたが、翌月も同じようで、結局ずっとそのような生理が続いています。痛みはもちろんですが、出血が少ない生理がこんなに楽だったなんて思ってもいませんでした。

私が1週間の入院で子宮を残して筋腫を手術し、しかもすぐに職場に復帰し健康な生理になったことを聞きつけた他の先生方が、今年の夏休み、広尾で2人も手術を受けられます。

一人の方は腺筋症で、生理のときはいつも辛そうでした。もうひとかたも肥ったなーと思っていた矢先に触診で大きい筋腫があると診断されていたそうです。私は何が何でも広尾で手術を、と勧めたのではありません。普通の婦人科の話と私の話を冷静に比較し、更に私が元気な様子を見て診察に行き、ご自分で決められたのです。

私も当初は保険の適応外ということでちょっと悩みましたが、これを高額と感じるかどうかは人それぞれの価値観でしょうが、もしこれ以上かかったとしても、子宮を残せて健康になれるなら、私は掻き集めてでも手術を受けたと思います。

私は、この夏ヨーロッパに旅行するので、同僚の先生方を見舞えないのですが、元気になった私の土産話が先生方への励みになると考えて、思い切りエンジョイしてくるつもりです。

斎藤先生は「歳だからもういいでしょう、子宮を取りましょう」なんて絶対に言いません。手術する or しないは後から決めればいいこと。子宮の摘出に抵抗がある人は、斎藤先生の話を聞いてから考えたほうがいいと思います。そのための初診料8,000円は決して高額ではありません。

術 前(Pre-OP)MRI
術前のMRI1 術前のMRI2 術前のMRI3
術 後(Post-OP)MRI
術後のMRI1 術後のMRI2 術後のMRI3

摘出物
摘出物1 摘出物2
内膜ポリープ1 内膜ポリープ2
術後の保存子宮
保存子宮

  術前(Pre-OPE) 術後(Post-OPE)
赤血球(RGB) 435 465
血色素(Hb) 12.9 13.6
ヘマトクリット(Ht) 37.0 41.6
CA-125 20.9 -
備 考 *長年の生理過多、腹痛、便秘
  Hb:10〜12



Copyright(C)2002
HIROO MEDICAL CLINIC