2年前の春、広尾メディカルクリニックで初めて診察を受けた日、斎藤先生に「子供が欲しい以前の問題。このままだとあなたの命が危ないですよ。いったい今まで何をしていたの?」と叱られた事を覚えています。当時は貧血がひどく、血色素5.3という数値でした。今までの医師とは違う斎藤先生のハッキリとした物言いに、たいへん驚きもしましたし安心もしました。 ●スポーツウーマン・元気ハツラツだった私 活発で体を動かす事が大好きだった私は、いつも真っ黒に日焼けしていて元気なスポーツ少女でした。学生時代はずっとソフトボールを、就職した会社で夫と知り合ってからはモトクロスバイクを。モトクロスは楽しかったのですが、2回も骨折してしまい、これ以上ケガを重ねたら治りが悪くなるので止めました。その代わりに、夫の勧めもあってゴルフを始めたところ、勝つための練習は苦ではなく、勝負の面白さにハマり、アマチュアの大会では決勝トーナメントに残れるくらいの腕前になりました。 根っから活発でスポーツ好き、元気で活動的な・・という感じでしょう?でも20歳頃から生理痛が始まり、出血もだんだん多くなっていたのです。30歳頃には、不正出血も始まってしまったので婦人科にかかりましたが、ガン検査だけ行い、「特に問題なし、様子を見ましょう」と言われただけでした。日焼けしていて顔色などは健康そうに見えたせいか、貧血検査などは一切ありませんでした。 ●「様子を見ていた」間に そのうちだんだんと生理期間が長くなりました。28日周期だとすると、28日のうち20日は出血があります。本格的生理期間と不正出血期間があるのです。だから何とも無いのは月のうち1週間そこら。 いくら体が一生懸命血を作っても、作る端から体外に流れ出ていたのでは貧血になって当たり前ですよね。ちょっと階段を昇っただけで息切れや動悸がしたり、だるくなったりなどは、すべて歳のせいで体力が衰えたためと思っていましたが、実は貧血が原因だったようです。 そして本格的生理期間の出血の多さと言ったら。生理期間中はベッドに横になるのが怖くて、座って寝ていました。ウルトラスーパー夜用ナプキンを2枚重ねにしても、全然間に合わないほどの出血(2時間も持たない…)でした。横になるなんてとんでもない。腰のあたりにバスタオルを数枚重ねて巻きつけて、万が一ナプキンから漏れても大丈夫なように重装備をしてから、座椅子に座ってウツラウツラと眠っていました。 子供が欲しかったので体のためになるべく薬は控えたいと思っていましたが、どうにも我慢できない腹痛の時は薬を飲んでいました。ギリギリまで我慢するせいか薬はなかなか効きません。イライラと半分怒りにも似た気持ちになりながら、指定量より多めに薬を服用したりしていました。 生理中に限らず体がだるく、家事も満足にできない時もあり、不機嫌な事も多々ありました。会社での仕事中は、緊張感からか普通に過ごせますが、帰宅して緊張が解けるとグッタリです。でも夫からは一言の文句も無く、自分の事は自分でやってサッサと寝てくれていたので、救われていました。 あまりにも生理がダラダラ続き体調も良くなかったので、お産では評判の良い個人クリニックに行ってみました。エコーや内診で筋腫があるとは言われましたが、どんな筋腫でどんな治療をするという話もなく、ホルモンの調子を整えるというお薬が処方され、「早く子供を作りなさい」と言われるだけでした。 自分が子宮筋腫だと分かってからは、本を読んだり、インターネットで調べたりして、筋腫についてそれなりの知識を得ましたが、医師からは特に詳しい説明も無いし、念仏のように「子供を作れ」と言われても、筋腫を持ったままで果たして妊娠できるのか?と疑問でもありました。 そのクリニックでは、「エコーで見る限りは妊娠できなくはないだろう」と言われましたが、「じゃあなぜ妊娠できないのか、詳しい検査をして欲しい」と頼んだところ、「ここの設備ではムリだし、手術をするとしたら全摘」と言われ、このクリニックの限界を知り、大学病院に行ってみることにしました。 ●治療方針に納得できなかった 大学病院で詳しい検査をして、どう治療するかの説明がありましたが、私の場合とにかく貧血がひどいので、まずはそれを何とかしないと手術もできないと言われました。 筋腫に対してはホルモン療法後に腹腔鏡による核摘出手術を・・と説明されましたが、自分なりに色々調べている間にホルモン療法の副作用の怖さや、腹腔鏡による核摘出手術では小さな筋腫の芽は取りきれない事が多く再発率が高いことなども知っていましたので、それでよしとする医師の考えがどうにも信頼できなくて、結局何の治療も受けませんでした。 2000年の春、インターネットで広尾メディカルクリニックを見つけすぐに夫に報告、様々な体験談を一緒に読み、とりあえず診るだけ診てもらおうということになりました。ダメなら別の病院を探せばいいのですから。 両親は「そんな個人病院で大丈夫なのか?」と心配していましたが大学病院であの程度なのですから、とにかく行ってみない事には始まりません。 斎藤先生には、まず貧血をほったらかしにしていたことを叱られ、筋腫の状態を詳しく説明され、そしてキレイに取れると言われました。斎藤先生は、私がこれまで受診してきた数々の病院のドクターとは何か違う雰囲気がありました。自信に満ち溢れていると言えば良いのでしょうか、「斎藤先生なら何とかしてくれる」と、そう感じたのです。一緒に来てくれた夫も同じことを感じていたのでしょう。「お願いします」と言ったのは、私ではなく夫でしたから ・ ・ ・。そしてその日に手術の予約をして帰りました。 この頃、私の貧血はだいぶ悪かったようで、『氷食い』をしていました。異食症です。貧血で自律神経のバランスが崩れた人や思春期の子供に見られるそうですが、とにかく年がら年中、ボリボリと氷を食べていました。当時は「夏だから」と気にしていなかったのですが ・ ・ ・。 ●術後10ヶ月で妊娠! 2000年の10月、無事手術を終えました。術後の回復は順調で、1回目の生理はあまりにも軽く、今まで使っていた大きいナプキンを持て余してしまいました。術後の検診ではヘモグロビンも13.6、本当に元気ハツラツでした。貧血が治ったら、氷食いはピタっと治まりました。いったいアレは何だったのか?と不思議なくらいです。 そして「妊娠も可能だよ」という言葉をいただきました。きちんと生理が始まったら「1年間は子供を授かるよう頑張るぞっ!」と決めていました。そんな私の妊娠が発覚したのは、なかなか子供ができず不妊治療を受けようかしらと考え始めた矢先の事でした。 2001年、冷たい雨の降る10月。ゴルフ大会の予選にパスして決勝に出場したのですが、スコアが悪かったので試合後も練習に行った日のこと。どうも体調がおかしいので「ひょっとして妊娠?」と思い、調べたらやっぱり妊娠していました!その後は悪阻もきつかったので、ゴルフからは足を洗っておとなしく過ごしました。 実は広尾MCで手術した後、運動不足になったせいか、ちょっと肥ってたんですよね。術後のMRIでは腹部の皮下脂肪層が明らかに術前より厚くなっていて、斎藤先生に「ゴルフのレッスン・ハードトレーニングを始めてください」なんて書かれてしまいました。それが妊娠・悪阻・出産で体力を使い果たしすっかり痩せてしまいましたから、あの時少し肥っていて、かえってよかったのかもしれません。 安定期に入ったら斎藤先生にご挨拶に伺おうと思っていたのに、なんと伺おうと思っていた2日前です。腹痛で病院に行ったら切迫流産。そのままお産まで入院となり、結局77日間も入院を余儀なくされました。流産の恐れがあるのでお乳の手入れもできず、動いていいのは病室の中だけ。出産後は階段も昇れないくらい体力が衰えていました。 長い入院のあと帝王切開で出産しましたが、不思議な事があったんです。子宮底と腸が癒着しており、その癒着を剥がす処置をしたので出血が多かった、と説明を受けましたが、その癒着していた部分は筋腫があった所で、子宮の筋層が回復できず子宮壁がかなり薄かったらしいのです。いつ腸と子宮が癒着を起こしたのかは分かりませんが、その癒着のおかげで妊娠中の子宮が裂けずに済んだとのこと。もしその癒着が無かったら、子宮が妊娠に耐え切れず破裂して、母子ともに危険だったと先生から説明されました。人間の体とは本当にうまくできているというか、不思議ですよね ・ ・ ・。 お産までに色々ありましたが、私も夫も、斎藤先生の手術を受けることができて本当に良かったと思っています。地元で医師に言われるままの治療を受けていたら、今ごろどうなっていたやら、想像もできません。 どんな病気で治療を受けるにしろ、医師の言いなりではダメだという事がよく分かりました。患者も自分の病気について勉強して、よりよい治療のために努力する事が必要なのだ、と感じました。 幾多の試練を乗り越えて妊娠し、生まれた息子はもう3ヶ月。初めての母親業は思うようにいかないことも多く、ブルーになってしまうこともしばしばです。でも子宮を失ってしまったら、こういう体験もできなかったのですよね。(と思えるような立派な人になりたい・・。)ミルクを飲む息子・滉太に、「今の苦労が笑い話になるよう、早く大きくなってね」と語りかける毎日です。早くいっしょにラウンドできる日が来るといいネ。