「9キロもあった私の子宮筋腫」
レポートNo.100

K.S.(43歳)
●5時間かかった手術
11月3日に子宮筋腫の手術を受けました。術前のMRIの画像で、お腹いっぱいに広がっている筋腫を見て、相当に大きな筋腫であることは予想していましたが、5時間かかって摘出していただいた筋腫は、なんと8,948グラムありました。内膜ポリープと合わせて約9キロという摘出物は、これまで斎藤先生が手がけられた手術のなかで最大級のものだそうです。

手術を受けるまでの長い年月、ベッドに仰向けになるとお腹のあたりが小山のように盛り上がっていて、その上に両手を載せて寝ていた私は、手術後にペシャンコになってしまったお腹に慣れなくて、軽いクッションをお腹に載せて寝ていました。それくらい長い時間、筋腫はお腹の中を占拠していたのです。

こんなに大きな筋腫を抱えてどうやって暮らしていたのかと言われそうですが、少しずつ少しずつ大きくなっていった子宮が周辺の胃や腸とうまく共存していたのか、どうにか普通の生活を送ってきました。

以下に、筋腫に気づいてから斎藤先生に出会うまでの長い道のりをお話します。


●気功で小さくなった筋腫
子宮筋腫があることがわかったのは27歳くらいの時ですが、その頃はまだ筋腫も小さくて、診察を受けた六本木のWクリニックでは「しばらく様子を見ましょう」ということになりました。

その後、筋腫のことが気になって、時々お腹の上から触ってみると、筋腫が増えているのが分かり、大きな病院で診てもらおうとT医大病院に行ったのは35歳の時でした。ここで初めてMRIの検査を受けましたが、筋腫はかなり大きくなっていて、手術を勧められました。「核出手術をしても再発の可能性はある。再発したら全摘となります」と言われた私は納得できず、手術を断り、T医大病院に通うのをやめて、気功と整体で治そうと考えました。

気功の先生の話では、骨盤に歪みがあり、それを矯正すれば筋腫は治るとのことで、骨盤の形を整えたら、ほんとうに筋腫の数が少なくなりました。全部の筋腫がなくなったわけではないのですが、お腹を触っただけで分かった筋腫が、ほんとうになくなったのです。

その後3年半ほど派遣社員として商社で働きましたが、派遣社員という立場は正社員とは違うストレスがあり、そのせいか、お腹を触るとまた筋腫がふれるようになりました。下の方からどんどん筋腫が増えていくのが分かり、それからというもの絶えず筋腫を気にするようになりました。


●職場の同僚の視線
ストレスの多かった商社をやめて、今度は物流会社で2年働きました。この職場は制服があり、派遣社員の私にも貸与されましたが、制服のスカートをはくと、お腹が出ているのが分かってしまうのです。私服なら工夫して何とか隠すこともできるのに、制服ではそうもいきません。

私を悩ませたのは、職場の同僚たちの視線です。お腹を見られている、と感じる視線に「妊娠しているの?」とでも聞きたげな様子がありありと浮かんでいるのです。でも、ここで「妊娠しているのではない」と弁明すれば、今度は「なぜそんなにお腹が大きいの?」と聞かれそうで、いっさいの弁解をするのをやめて黙っていました。

この頃にはもう誰が見てもお腹が大きいと感じたのだろうと思いますが、女性が女性に向ける好奇の目をイヤというほど感じた2年間でした。妊娠しているのなら数ヶ月後には出産ということになりますが、そうではないのですから、同僚も時間の経過とともに私が妊娠しているのではないということは納得したようでした。

この会社に勤務していた40歳前後に、いくつかの病院に行きました。そのひとつが埼玉県のK病院で、ここで子宮動脈塞栓術を受けました。開腹手術以外の治療法はないものかと本で調べて、子宮動脈塞栓術があることを知り、受けてみることにしたのです。この治療法は、子宮に栄養をもたらしている子宮動脈の血流を遮断し、筋腫を萎縮させるもので、開腹手術をしないぶん入院期間が短くて済むのも好都合でした。

子宮動脈塞栓術は足の付け根の動脈からカテーテルを入れます。子宮の下のほうからカテーテルを入れていきますが、3分の1ほどのところでカテーテルが入らなくなり、結局、塞栓術を施したのは全体の3分の1程度でした。術後、この部分はたしかに筋腫が萎縮して、下腹部がまるで絶壁のようになってしまいました。


●どんどん大きくなったお腹
物流会社をやめたのは2001年5月。その直後に友人とニューヨークに遊びに行ったのですが、何日も同じ部屋で寝起きしていると、お腹が大きいことは隠しようもなく、友人に「そんなに大きな筋腫、早く取りなよ」と言われてしまいました。たしかにこの頃は、またお腹がどんどん大きくなっていって、ニューヨークから帰ってきたら、それまではけていたジーパンがはけなくなりショックでした。

また塞栓術のお世話になるしかないと思い、再度埼玉のK病院に問い合わせたところ、担当医だったM医師は退職されていて、またまたショックを受けました。その後、他県で開業していることがわかり訪ねると、M医師はここでは塞栓術はやっていないとのことで、今後の治療法として次の4つの方法を紙に書いて示しました。

  1. このまま閉経まで何もしないで放っておく。
  2. ふつうの病院で全摘手術を受ける。入院して、費用は80万円。
  3. レーザーによる核出手術を受ける。入院して、費用は240万円。
  4. 子宮動脈塞栓術を受ける。費用は60万円。ただし、ここではやっていない。

この中からどれか一つを選んでください、とおっしゃるのです。私としては「3.」に心が動き、その手術をどこでやっているかを尋ねましたが、M医師は「川崎のほうらしい」としか答えてくれません。これが広尾メディカルクリニックだったのですが、病院名が分からないのでは捜しようがなく、結局、示された4つの方法のいずれにも踏み切れませんでした。

そうこうしているうちにも、筋腫がズンズン大きくなるのが分かり、スカートがどれもはけなくなりました。この頃は短期の仕事であちこちの職場で働いていましたが、どこの職場でも「あれっ」という視線を向けられるのがたまらなくイヤでした。

2002年の7月頃からは生理の時の出血量が増えて、布団を汚したり、職場でスカートを汚したりすることが多くなりました。ほかに自覚症状をあげるとすれば、歩行中に足がもつれて、よろめいたことぐらいでしょうか。


●「すぐにやってあげたい」と先生
広尾と出会えたのは、2002年の暮れに買ったパソコンのおかげです。インターネットで「子宮筋腫」と入力して検索し、広尾のサイトに出会いました。M医師が言っていたレーザーによる手術をするのがこの病院なのだと分かり、広尾の存在が頭の中を大きく占めるようになりましたが、ネックは手術費用が高いことでした。

派遣で働いてきて、40歳を過ぎてからは派遣の仕事自体パタンとなくなってしまったので、蓄えらしい蓄えはなく、頼るのは親しかありません。母に相談すると、「手術で治るものなら」とすぐに費用を援助してくれることになりました。母自身、36歳で子宮を全摘していますので、私の子宮筋腫は遺伝的なものに違いないと、ずいぶん心を痛めていたようなのです。

広尾での初診は4月の半ば。筋腫がすでに胸の近くにまでせり上がっていて、「横隔膜が広がっている」と言われました。「すぐにやってあげたい。だけど、予約が詰まっているからなあ」と斎藤先生。「すぐにやってあげたい」と言っていただいたことが、とても嬉しかったです。これまで診てもらったどの医師も、積極的にすぐに治療しようという姿勢ではありませんでしたから。

そうして半年後にようやく手術日となり、開腹してみたら、なんと9キロ近い筋腫が詰まっていたのです。手術時間は5時間にも及び、輸血量も4,000ccに達しました。私はまさか9キロもの筋腫があったとは思いもせず、長い長い手術に必死に耐えていました。

手術後、母は斎藤先生の「子宮と卵巣は残しました」という一言に、心から感謝し、これで救われたと思ったそうです。


●「がんばったね」が一番のクスリ
手術後のアクシデントといえば、4日目に38度を超える高熱が出て、なかなか下がらなかったことで、とうとう土曜日に退院できずに居残り入院となりました。居残りはめったにないそうですが、看護師さんがローテーションを組み替えてくれて、そのまま入院していることができました。何も知らずに土曜日に迎えにきた両親は、引き続き入院と聞かされて驚いていましたが。

38度超の熱は何をしても下がらず、土曜日の夜に強力な注射をしてもらったら、とたんに平熱になりました。翌日も平熱だったために、その日の午後に退院することができました。先生は風邪だと言い、看護師さんは輸血のせいだと言うのですが、いったい何が原因だったのでしょう。

退院後も体温のバラツキは続きましたが、おかげさまで少しずつ元気になっています。
ただ、術後、自分でも驚くほど食が細くなりました。かつてM医師に「あなたの旺盛な食欲は、すべて筋腫が栄養を欲しがっているからなんだよ」と言われていましたが、この指摘は正しかったのでしょうか。今のところ、斎藤先生の「リバウンドに気をつけなさい」のひと言も食欲に歯止めをかけているようです。

斎藤先生は私のことを他の人に「9キロの人」と話しているそうで、退院後に抜糸に行った時に、先生から「きゅうちゃん」と呼ばれてしまいました。「きゅうちゃん」「きゅうちゃん」と呼ぶので誰のことかと思ったら、私のことだったのです。

今は体力の回復を待つばかりですが、早期回復の一番のクスリは先生のこの言葉でした。「がんばったね。子宮と卵巣は残しましたよ」。9キロの筋腫とサヨナラして、これから新しい自分の人生が始まりそうです。


●先生のコメント

体験談の中にある熱の件ですが麻酔科の教授の話では、輸血による反応性の熱、麻酔下にある間の体温調整不具合による風邪(患者さんは長時間の裸体の状況である事)、又、長年の歳月をかけ大型肥大化する子宮筋腫などによる異常な圧迫、拳上により、それに慣らされた腹腔内の各臓器が今回の手術により子宮が小さくなった事で一気に圧迫がとれ下降したことによる、いわゆる異常な生理状態で人間が本来持つ恒常性を保とうとする生理機能が熱の原因とも考えられると言う見解ですがはっきりとは解らないとのことです。

Copyright(C)2004
HIROO MEDICAL CLINIC