「術後2週間の今、とても元気です」
レポートNo.101

佐藤かおる(41歳)
●10年前に核出手術
この4月19日に手術をしたばかりです。まだ傷口の痛みはあるものの経過は順調で、予定どおり24日の土曜日に退院、迎えに来てくれた主人と新幹線で山形の自宅に帰ってきました。同じ日に手術を受けた3人の方も経過は順調で、兵庫や岐阜などそれぞれの自宅に元気に帰っていきました。

手術を受けるまでの長い悪夢のような日々を思うと、わずか1週間でこうして健康な子宮を取り戻すことができて、私自身、横浜まで行って手術してきたなんて何か不思議な気がしています。きっと同じ日に手術を受けて一緒に退院したみんなもそう感じていただろうと思います。

このホームページには壮絶な体験をした方たちの体験談が数多く紹介されています。私の場合はそれに比べればまだ軽いほうの部類に入るのかもしれませんが、子宮筋腫があると分かってからの10年間は、ひどくなる一方の生理に悩まされ、妊娠の願いも叶わず、望みをかけた不妊治療もうまくいかず、病院通いに明け暮れた年月でした。

子宮筋腫が分かったのは、平成6年のこと。市の健康診断で便に潜血反応があり、市民病院で検査を受けたところ婦人科に回され、触診で子宮の外側に筋腫があること、卵巣も腫れていることが分かりました。10代の頃から生理は重いほうで、生理になると学校の保健室でよく休んでいましたし、学校を卒業して郵便局に勤務するようになってからも生理時のつらさは変わらず、そのことがずっと気になっていましたので、その原因が子宮筋腫にあると分かって、治せるものならと子宮筋腫の核出術を受けることにしました。平成7年1月のことです。

平成8年の12月には同じ病院で腰椎椎間板ヘルニアの手術も受けました。前回の核出手術もヘルニアの手術も全身麻酔でした。今回の広尾での手術は腰椎麻酔ということで多少不安もありましたが、とてもスムーズに麻酔が効いていったので安心しました。

さて、核出手術を受けた当座は改善がみられましたが、術後2年目にはまた生理がひどくなり、再度の受診の結果、今度は半年ごとの経過観察ということになりました。


●主治医のもとで不妊治療
平成11年に結婚。結婚しても生理時の痛みや出血の量が軽くなるようすはなく、貧血を理由に献血できなかったのもこの頃のことです。病院の経過観察では子宮の右奥に5センチくらいの筋腫があり、ほかにも小さなものが5つくらいあるとのことでしたが、主治医の話では「この程度の筋腫は妊娠の妨げにはならないし、妊娠すれば筋腫はなくなる」というものでした。

主人が長男ということもあって、嫁ぎ先の親は孫の誕生を今か今かと心待ちにして、御利益のあるお寺に祈願に行くほどでしたから、私も早く妊娠したくて、主治医のもとで不妊治療もしました。排卵日に合わせるタイミング療法と人工授精を試みましたが、どちらもうまくいかず、精神的にもつらい日々でした。

妊娠しないのは筋腫があるからではないかと思い、主治医にMRIの検査をしたうえで再度の核出手術が可能ならしてほしい、とお願いしましたが、主治医の答えは「MRIをとる必要はないし、再度の核出手術はしたくない」というものでした。

主治医に対して納得できない気持ちが募って鬱々とした気持ちでいた頃、近所に女性の先生が婦人科クリニックを開業したことを知りました。そこで思い切って病院を変えることにし、MRIによる診断をしてもらいました。その結果、右奥にあるのは粘膜下筋腫であることが分かり、治療方法についてもいろいろと説明してくれましたので、以後この先生にお世話になることにしました。


●新聞記事で広尾を知る
新聞記事で初めて広尾メディカルのことを知ったのは、忘れもしない昨年の8月23日の土曜日です。実家の飼い猫が血液のガンで発病してからわずか1週間で死んでしまい、天国へ旅立ったその日の朝、悲しみに暮れながら見た朝日新聞の土曜版に広尾のことが載っていたのです。

その時は猫のことで頭がいっぱいで何もする気が起きませんでしたが、頭の片隅に広尾のことがあり、少し落ち着いてからインターネットのホームページを見てみました。筋腫を克服して妊娠している多くの体験談を読み、目の前が明るくなるような気がして、女性の先生にもホームページを見ていただきました。この時、「広尾に行ってみたら」と後押ししていただいたことで気持ちの踏ん切りがつき、それが今日につながりました。

9月25日に主人とふたりで斎藤先生にお会いしました。持参したMRIを見ていただき、「子宮は残せるよ」との先生の言葉に、その場で手術の予約をお願いしましたが、今年の8月16日まで予約が入っているということでした。この時に入院中の方ともお話ができて手術に対する不安がなくなり、むしろ待ち遠しいくらいでしたが、手術予定日は11か月も先でした。それまで悪夢のような生理が何回くるのか…と弱気になることもありましたが、こんな生理もあと何回かで終わるのだから…と自分を励まして、手術までの日を耐えていました。

今年になって、「4月19日にキャンセルが出たのでいかがですか」という電話をいただき、即答で手術をお願いしました。術前検査の時に、斎藤先生に手術を早めていただいたお礼を言ったところ、「あなたの子宮がなくなると悪いから」と言われて、自分で思っているよりも私は重症だったのかもしれないと改めて思いました。


●きれいな傷跡に
いよいよ手術の日。主人に付き添ってもらって入院し、午後の早い時間に手術は始まりました。前回の核出手術と腰椎椎間板ヘルニアの手術はともに全身麻酔でしたが、今回は腰椎麻酔なので処理していく感覚がわかり、先生の「お腹を消毒しますよ」の声に「まだ感じます」とか「痛いです」とか言ったら、先生に「経験者にしてはうるさいなあ」と言われてしまい、それでもめげずに意識が薄れながらも「経験者だからうるさいんです」と言ってしまいました。今思い出しても、ちょっと笑えるシーンです。

前回の核出手術の後遺症で直腸と小腸の癒着がひどく、これをきれいに剥がすのに時間がかかったそうです。前回の手術の傷跡に沿って縦にメスが入りました。前回の傷跡が10年たった今でもケロイド状に曲がってみにくく残っていましたが、今回の手術でケロイドをきれいに剥がして真っ直ぐな傷跡にしてくださいました。今回の手術でさらに新しい傷跡ができるのかと思っていたら、1本のきれいな線になって、とても嬉しかったです。傷跡のことまで考えていただけるとは、思ってもみませんでした。斎藤先生ならではですね。

子宮筋腫と内膜ポリープ合わせて255グラムを摘出していただきました。術後、病室に運ばれてきたポリ袋の中の摘出物を見た時は、こんなものができていたんじゃ妊娠なんかするわけないと思い、かつて主治医に言われた「妊娠すれば筋腫はなくなる」という言葉は到底信じられるものではないと感じました。


●手術記録は私の宝物
無事に退院して、今はこちらの女性の先生に傷口の消毒をお願いしていますが、斎藤先生にいただいた手術の記録ファイル(私の宝物です)を見せたら、すごく興味津々で、ファイルをしばらく貸してくださいと言われて、現在貸し出し中です。斎藤先生によほどの自信がないとここまでの情報公開はできないと思います。

昨年8月の新聞記事を目にした朝から今日までのことを振り返ると、ほんとうに何ものかに導かれたような気がします。もしかしたら、天国に行ってしまった愛猫キャンクのおかげかもしれません。そして、いまさらながら、斎藤先生に出会えたことに感謝しています。5月14日は抜糸をしに、主人とともに広尾にうかがいます。その日を待ち遠しく思いながら、術後の日々をとても満たされた気持ちで過ごしています。

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