「閉経しても筋腫は大きくなる」
レポートNo.102

T.O.(52歳)
●閉経後にどんどん大きくなったお腹
閉経すれば筋腫は小さくなる、だから何とか閉経までだましだまし過ごして、手術をまぬがれたい。そう考えている人は多いと思いますし、私もそうでした。子宮筋腫に関する本にも、閉経して女性ホルモンの分泌が少なくなれば筋腫は大きくならない、というようなことが書いてありますから、そう考えるのも無理はないと思います。

子宮筋腫であることは前からわかっていましたが、幸いにも日常生活に支障をきたすような症状がほとんどなかったため、あまり気にすることもなく生活し、50歳の時に閉経を迎えました。もうこれで大丈夫、これからは自然に筋腫は小さくなるんだわ、と勝手な解釈をし、少し安心した気持ちになっていました。

しかし、筋腫は小さくなるどころか、閉経後もお腹はどんどん大きくなって、この1〜2年は、これまで着ていた洋服が次々と着られなくなっていきました。体重もここ1年で4キロ増え、体の他の部分はむしろ細くなっていくようなのに、お腹だけが異常に大きくなっていきました。「どうしよう」と訴える私に、主人が冗談とも言えない顔つきで「マタニティーを着るしかないか」と言ったほどでした。

●それでも医師は「様子を見ましょう」と
その頃、私は港区にある有名な産婦人科のS病院にかかっていました。最初に子宮筋腫と診断されたのは10年近くも前のことで、その時は別の総合病院でしたが、閉経したのにお腹がどんどん大きくなることが不安になって、S病院なら名医がいるのではないかと思い、行くことにしたのです。

最初の病院でもS病院でも女性の医師に診てもらいました。女医ならば同じ女性の立場で子宮を失いたくないということを分かってくれるのではないか、と男性の医師よりも信頼できそうな気がしたからです。

しかし、診察の結果は「現在、日常生活には支障をきたしていないのだから、手術で全摘することによる癒着や、臓器を取ったことによる胃下垂、頻尿、ヒキツレ感などの後遺症が起こるかもしれないことを考えると、手術することはどうかと思う。それにまだ閉経して間もないし、とりあえず様子を見ましょう」というものでした。

今にして思えば、こんなに大きなお腹をしているのに「経過観察」とは腑に落ちない限りですが、患者心理としては「様子を見ましょう」と言われると、それほど深刻ではないのだなと、つい自分に都合の良いほうに解釈してしまいます。心の中には、こんなにお腹が大きくなるのは変だ、という不安はたしかにあったのに、それを打ち消すかのように自分に都合の良い解釈をしてしまったのです。

S病院ではMRIも撮りました。これも腑に落ちないことですが、1度目のMRIの撮影の途中で機械が止まってしまい、そのまま40分間放置され、「機械が壊れていて、うまく撮れなかったので、明日もう1度撮ります」という説明を受け、2度MRIを撮りました。S病院ほどのところで医療機械が壊れて撮れないというのも意外な気がしますが、撮り直したあとの画像は見せてもらえず、説明は全くありませんでした。

今考えると、画像に写った筋腫があまりにも異常なものだったので、当初はMRIが壊れたのではないかと思い、撮り直しても同じだったので、どう対処してよいのか分からなかったのではないかと思います。婦人科医自身が子宮筋腫について何も分かっていないという現実にあきれるばかりです。

●80歳で全摘する人もいる
S病院に通院している頃、友人の80歳代のお母様が子宮筋腫のため子宮全摘手術を受けたことを知り、S病院の医師に「なぜ、そんな高齢になって子宮全摘手術をするのですか?」と聞いたことがあります。

閉経して筋腫が小さくなるならば、80歳を過ぎてまで全摘手術をするとはどういうことなのだろう?と、素朴に思ったからですが、それに対して医師は「癌の疑いがあったからでしょう」と言い、それ以上の説明はしてくれませんでした。

子宮筋腫と癌は併存することはあっても筋腫が癌に変わることはない、と子宮筋腫に関する本に書いてあるのに、癌の予防措置として80歳を過ぎた患者に全摘手術をするという説明に、納得がいかない私は、少なくとも筋腫は閉経したあとも小さくなることはないのではないかと疑問を持ち始めました。小さくならないからこそ、閉経後も筋腫が周辺の臓器を圧迫し、いろいろと支障をきたしてしまう。だから高齢にもかかわらず全摘手術をする。そう考えると納得できるのです。

そうであるならば、閉経しているからと言って、安心などしていられないのです。現に私のお腹はどんどん大きくなっていき、電車のシルバーシートの前に立てば座席を譲られていたのですから、誰の目にも妊婦のように映っていたのだと思います。

●ホームページを読んで即決
この事態に、生来のノンビリ屋の私もさすがに焦りを感じ、主人も「とにかく別の病院に行け」と言うようになりました。S病院以外でどこかいい病院はないだろうか、とインターネットで検索を始めました。かすかな記憶で、都立広尾病院に子宮筋腫外来があったように思い、「広尾病院」と入力したところ、思いがけず出てきたのが「広尾メディカルクリニック」でした。

「あれっ、こんな病院もあるんだ」と読み始めたとたん、その内容に釘付けになりました。体験談も全て目を通しました。そして、目の前がパーっと明るくなったような気がして、即座に「ここに行こう」と決めたのです。

初診での斎藤先生の説明は実に明解でした。MRIの複数の画像を示され、巨大化した子宮のどの部分が筋腫なのか、どのような手術を行うのかなどを分かりやすく話してくださったのです。何でも質問してくださいとの先生のお言葉に、既にインターネットで読んだ知識もあり、S病院とは比較にならない先生の説明で全て理解できたので、「子宮は残せますか」とだけうかがうと、「残せます、大丈夫です」とはっきりと力強いお返事がありました。その場で私は手術を受けることを決め、予約を入れました。

●筋腫の倍の浸出液
手術して分かったことですが、私の子宮は大量の漿液(しょうえき・内臓を包む膜から分泌する透明な液)という浸出液に満たされていて、手術で筋腫2755グラム、漿液約4000グラムが摘出されました。合わせて7000グラムもの異物が入っていたのですから、お腹が大きくなるのも当然です。この並外れた大量の漿液は、長年にわたってたくさんの手術をしてこられた斎藤先生の経験のなかでも珍しいものだったようです。

手術後に斎藤先生に聞いたお話では、子宮の周囲には大小の血管が入り組んでいるため、こんなに巨大化した子宮の手術は非常にリスクが高く、保存手術以上に全摘手術には危険が伴い、おそらく多くの医者は全摘手術すらためらうだろうとのこと。もし、斎藤先生に出会わなければ、いったい私はどうしていたのだろうと考えると、インターネットを通して広尾を知った幸運に感謝せずにはいられません。

●快適な術後の日々
手術直後の2日間は夕方になると少し熱がありましたが、朝になると平熱に戻り、傷の痛みも予想していたよりもずっと軽いものでした。食事は3日目から普通食になり、とてもおいしくいただけました。

予定通り6日目に退院し、その日から、そろりそろりと歩きながらですが通常通りに家事もできるようになりました。あまりの回復の早さに、家族もみんなびっくりしています。退院直後には体重が以前より12キロ減り、それからは11キロの減少で落ち着いています。以前の洋服も全て着られるようになり、ここ数年来の精神的苦悩から開放され、快適な日々を送っています。

自分の体でありながら、まるでエイリアンでも棲みついているのではないかと不気味で不安だった日々が、今ではうそのようです。あの大きなお腹はいったい何だったんだろう、と今では不思議に思うほど、本来の元気な私を取り戻しています。

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