子宮腺筋症
「腺筋症の手術から1年が過ぎて」
レポートNo.108

S.K.(30歳)
●10月4日は私の記念日
ちょうど1年前の10月4日、私は広尾メディカルクリニックの手術台の上にいました。病名は腺筋症。生理のたびに襲う耐え難い痛みとものすごい量の出血で、心身ともに疲れ果て、あまりの辛さに「ベランダから飛び降りてしまおうか」と思い詰めるほどの状態のさなかに斎藤先生と出会い、初診から3ヶ月目に手術していただきました。

初診から手術までの待機期間が8ヶ月とも1年とも言われるほど大勢の患者さんが手術を待っているなかで、比較的早く手術の日が回ってきたのは、術前の私の腫瘍マーカーがCA125、CA199ともに異常に高い数値を示していたからかもしれません。CA125やCA199が高い値を示す場合は卵巣ガンや子宮体ガンが疑われるそうですが、私のCA125の値にいたっては、境界値が35U/mlのところ、なんと12,000U/mlもの高い数値で、広尾に来る前にかかっていた病院では、この数値からガンを疑われていました。

しかし、術前のMRIの画像からガンではないだろうとの説明を斎藤先生から受けていたこともあって、元来が楽天的な私は「手術が終われば、あの辛さから解放される!」と、あまり不安を感じることもなく手術当日を迎えたことを思い出します。

●ホルモン治療で症状が悪化
思い返せば、生理のときに痛みを感じるようになったのは高校3年生の頃からでした。痛み止めを使うようになったのは仕事をするようになってからで、即効性があり効き目が持続する薬を求めて、いろいろなメーカーの痛み止めを使いました。錠剤よりは顆粒状のほうが即効性があることがわかり、効き目が薄れてくると直ぐにもう1包飲むというふうにして、なんとか痛みをしのいできました。

会社の健診で子宮内膜症の疑いがあることがわかり、生理時の痛みやひどい出血はこれが原因であることは納得したのですが、このときはまだ治療は受けず、相変わらず痛み止めの薬に頼っていました。

26歳で結婚して、そろそろ子供が欲しいと思うようになって、初めて病院に行きました。診断結果はやはり子宮内膜症で、ホルモン治療をすることになりました。月1回のホルモン注射を半年続けるという治療です。

ホルモン治療をしている間は生理が止まるので、痛みも出血もないという説明を事前に受けましたが、私の場合、たしかに痛みはなくなったものの、出血は毎月ありました。そのことを医師に話すと、「大丈夫、大丈夫。腫瘍マーカーの数字は下がっているから」と言うばかりで、なぜ出血があるのかという質問には満足に答えてくれませんでした。  半年1クールの治療が終わる頃には、「この先生は、数字ばかり見ていて、目の前にいる私のことは見ていない」という不信感が募ってきて、この先もホルモン治療を続ける気にはなれませんでした。

ホルモン治療が終わると、症状は治療前よりもっとひどくなりました。あの痛みがさらに強くなり、出血量はナプキンを重ねた上に大人用のオムツをしなくては心配なほどになりました。  生理のたびにこれだけ大量の出血があるのですから、貧血もひどく、坂道や階段を上り始めると、すぐに心臓がバクバクして、目の前が真っ白になりました。夫と群馬の温泉地に旅行したときのこと、観光に来ているお年寄りたちがどんどん上がっていく坂道を私は上ることができず、夫に「私はここで待ってるよ」と言って、坂の手前で一人で待っていたことがありました。

●病気と治療法を検索
最初の医師に不信感をもっていた私は、同じ病院の女性の医師の診察日に行って診てもらうことにしました。その先生は同性ということもあって話やすく、「手術をするなら、こういう病院もある」と言って、京都の病院を紹介してくれました。その病院では、子宮の前部にできた内膜症の部分を手術で切除するという説明でしたが、その説明を聞きながら「それじゃ、後部にできているのはどうするんだろう」と思ったものでした。

どうやら手術でも治療できるらしいとわかった私は、このときになって初めて、もっと自分の病気のことをよく勉強して、どんな治療法があるのかを調べなくてはいけないと思い、ネットで検索してみることにしました。平成16年の初夏のことです。

広尾メディカルはすぐにヒットしました。毎月やってくるあの痛みを思えば、もうここしかないと心を決めて、初診の予約を入れました。
予約した日に診察していただき、手術日は10月4日と決まりましたが、2つの心配が頭をかすめました。ひとつは自分の病気の治療にこんなに多額のお金をかけていいのだろうかということ、もうひとつは手術をすることになれば派遣で働いている職場を辞めなくてはいけないことでした。派遣ではとても1ヶ月もの休暇はとれません。

しかし、2つの心配は杞憂に終わりました。手術費用は実家の父が出してくれることになりましたし、職場も辞めなくてすむことになったからです。ちょうど派遣で働いていたもう一人の同僚が事情があって辞めることになり、1度にふたりも辞められては困るからという理由で1ヶ月の休暇を認めてくれることになったのです。それまで、病気のせいで仕事が遅く、のろのろと働いてきた私なのに、1ヶ月の休暇をもらえたのは本当にありがたいことでした。

●仕事も生活も前向きに
手術までの3ヶ月を、「あと3回この痛みを我慢すればラクになれる」という期待と、自分で決めたことなのに「ほんとうにこの選択でよかったのだろうか」と揺れる気持ちの両方を感じながら過ごしました。待ち遠しいような、こわいような気持ち。おそらく多くの患者さんが同じような気持ちを味わうのではないでしょうか。

そして、1年前の10月4日に手術。手術前のヘモグロビン値が4.7という極度の貧血だったので、術前に鉄剤で貧血を改善して手術に臨みました。
摘出した病巣部分は446グラムありました。鶏の手羽先のような白い塊。これが私にあの痛みとものすごい出血をもたらしていた病巣です。今でも、ファイルに収められている写真を見るたびに、「これが原因だったのか」と不思議な気持ちになります。

10月いっぱい仕事を休み、11月から派遣先でまた働き始めましたが、生理の時の痛みも出血も劇的に軽くなりました。通勤時に駅までの道を走っている自分に気づいて、「前は走るどころか、駅で休み休みしながら通勤していたのに…」と、その変化の大きさに驚いてしまいます。

体力に自信がついた今年から、週末に簿記の学校に通って、簿記検定を目指して勉強しています。すでに簿記2級の検定に合格し、今は1級を目標にがんばっています。

派遣で経理の仕事をしている私にとって、簿記の勉強は仕事に直結していますし、資格をもっていれば、いつかは正社員として仕事ができるかもしれません。そういう前向きな気持ちで仕事に取り組むことができるのは、斎藤先生のおかげです。

そして、もうひとつの希望は子供をもつこと。腺筋症の手術のあとに赤ちゃんに恵まれた方が何人もいると聞いて、私もそうなれるといいなと願っています。
健康であるということが、こんなにも私を前向きにしてくれていることを日々実感し、30歳の今からの生活を大切にしたいと思っています。

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