「体の置き場がないくらいに苦しかった3320グラムの筋腫をとっていただいて、2年が経ちました」…レポート・その1
レポートNo.15 

楠本浩子(37歳)
●教科書通りの子宮に戻った!
95年10月2日の手術日からちょうど2年が経ちました。2年ぶりに術後のMRIを撮るために、岡山から横浜にやってきました。JR鶴見駅に降り立ち、そこから手術前日に”これで元気になれるんだ”という最後の期待を胸に歩いた同じ道を、今もう1度、広尾に向かって歩いているのだと思うと感慨深いものがありました。

鶴見川にかかる橋を渡るとすぐに広尾が目の前に見えてきました。もう懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになりました。広尾では斎藤先生と看護婦さんたちが優しく迎えてくださり、本当のわが家に帰ったようなアットホームな雰囲気はあの頃のままでした。

今回撮った術後のMRIの画像には、見事に完璧で健康な子宮の姿が映し出されていました。先生が「ほら、見てごらん。教科書に載っている子宮と同じ正常な子宮に戻っているよ」と、とても嬉しそうにMRIを見せてくださいました。術前のMRIの画像と見比べながら、先生はまた「これが元通りになるんだよ」と、何度もかみしめるようにつぶやかれ、しばらくの間、先生と二人で喜び合いました。3320グラムもの筋腫で占められ、原型すら想像もできない状態だった子宮でも、こんなにも小さくきれいな形にちゃんと戻ることにも驚きました。あの胸の方までぎっしり詰まっていた筋腫を抱えて生きていくことにも疲れ果てていた手術前の苦しさを思い返すと、夢のようで、ここまで元の体に戻してくださった斎藤先生への感謝の気持ちは言葉では言い尽くせないほどです。

斎藤先生との出会いなしには、現在の私は存在しません。ここに、私が初めて先生に宛てて書いた手紙があります。先生がとっておいてくださったものを、今回、再び目にすることになりました。これを読むと、あの頃の自分が鮮明によみがえってきます。その一部を紹介します。


●手紙・その1
--3年前(1992年8月)より周期的に(必ず毎月)おなかが妊娠したように張るようになり、(今はずっと妊娠6〜7カ月状態で、生理後7〜10日ぐらいで最高にパンパンの7〜8カ月状態にふくれてしまいます)体の置き場がないくらい重苦しくてたまりません。生理が重いとか、不正出血とか、そういうことはなく、反対に生理が待ち遠しいくらいで、生理中とその後しばらくは、重苦しい日々の中でも比較的快調なのです。

これまで、こうしてずっと自分の体をだまし続けて、はた目には健康体を装って、今までなんとか生き続けてきました。よくもこんな体で普通の生活をして(演じて)いるなあと、自分でも感心するほど…。でも、健康体のふりをするのももう疲れました。さすがの私ももう限界かな…、ギブアップ寸前といった感じです。(今の私の状態は特定の知人、友人ぐらいしか知りません。両親にも言っていない。偽り続けている…、さぞかし驚くと思う)

本の中の患者さんのMRIの写真を見るたびに、「私の場合、いったいどうなっているのだろう…」と思います。自覚症状にしても、おなかの中が胸の方まで筋腫でぎっしり詰まっている感じですから。--


●手紙・その2
先生との出会いは、婦人画報社の『子宮をのこしたい 10人の選択』でした。大きなおなかを抱えて生きることに疲れ果てていた95年の4月、たまたま手にとったタウン情報誌に、「子宮を救われた女性10人の衝撃と感動のドキュメント! 100名様にプレゼント」という囲み記事を見つけたのです。

それまで、新聞や雑誌に「子宮」という文字を見つけると、どんな小さな記事でも見逃さず目を通してきた私にとって、これほどの福音はありませんでした。すぐにプレゼントに応募し、届いた本をむさぼるように何度も読み返しました。

先生に初めてお手紙を書いたのは、その直後です。手紙をもう少し続けます。

--先生の『子宮をのこしたい 10人の選択』を読ませていただきました。私も子宮筋腫らしく、現在、おなかが妊娠7〜8カ月状態(妊娠したことないので、わかりませんが)になっております。今年1月に友人にひっぱられ、生まれて初めて産婦人科の診察を受けました。超音波をあてて画像を映すだけの検査でしたが、その結果はお医者さんが「…これは!!」と絶句するほどかなり大きな筋腫のようで、すぐに大きい病院を紹介すると言われたのですが、そうなると、あとはとられてしまうだけと感じたので、それからはどこの病院にも行っていません。

でも、今までぜったい手術はイヤだと思っておりましたが、先生のこの本を読んでからは、もう先生しかいない!、ぜひぜひ、1日も早く先生に手術していただきたい!!、と強く思うようになりました。早く楽になりたい。普通の体になりたいのです。--


●死ねたらどんなにいいだろう…
振り返ってみると、入浴中、なんとなくおなかをさわってみた時に、梅干し大くらいの塊があるのに気づいたのが31歳の頃でした。さわるとグリッグリッと動く感じで、「あれ?脂肪の塊かな」と思っていたのですが、次第に卵大に、そして33歳を過ぎる頃からはそれがどんどん大きくなっていくのが自覚できました。

どうやら子宮筋腫らしいと感じてからは、漢方薬やら民間療法やらあらゆることを試してみました。健康雑誌に黒酢が子宮筋腫に効くと書いてあれば黒酢を飲み、アロエが効くとあればアロエジュースを。摺りこぎでゴシゴシこすれば小さくなると聞けば実行し、足のツボ療法が流行れば足をもみ…。そして、あのヒーリングパワーの高塚光さんにも2度ほど会って、ヒーリングしてもらったりもしました。

しかし、私のおなかのしこりは決して小さくはなりませんでした。でも、病院に行けば、子宮ごと取られてしまうことは目に見えていたので、病院に行くわけにもいかない…。解決の糸口さえつかめず悩み続けていた私に、安眠の夜はありませんでした。なにしろ、おなかが重苦しくて仰向けに寝ていられず、夜中に起きてはベッドの上に座ったまま眠るという状態でした。

そのうち、毎月、例のごとく生理と生理の間におなかがふくれ出すと、足や局部までパンパンにむくんでしまうようになり、下半身に鉛でも入っているかのように重く、歩くのも苦痛なほどにまでなっていきました。そのうえ、尿意はあるのに、トイレに座っても尿が出ない。筋腫が腎臓まで圧迫しはじめていました。

ついに限界が来たな、という感じでした。生理の前におなかがふくれてくるのは、子宮を取り巻くたくさんの血管が怒張し血流がさかんになるからなのだと後で先生に聞きましたが、あの重苦しさは言葉にできません。

そうして、どんどん私のおなかは大きくなって、筋腫だらけになっていったのです。それにつれて、どんどん体が辛くなって、今日生きているだけで精一杯…、でも、明日もまた生きなきゃ…という毎日でした。

一人になると涙があふれてきて、このまま死ねたらどんなにいいだろう、この病気がガンのように放っておけば死ぬようなものであったらいいのに…と、このままでは”半死に状態”で一生を過ごさなければならない私にとって、この苦しさから逃れるには”死”しかないと思い詰めてもいました。

喫茶店の窓際に座ってぼんやり外を眺めている時でも、視線は道を行く女性のおなかに向いているのです。みんな普通のおなかをしていて、私のような人は誰もいない。どうして、私だけがこんなに苦しいのかと、見ず知らずの女性に対して、健康であることを羨むより憎しみや敵意さえ感じたことも事実です。

もしかして、これは悪い夢なのかもしれないと、夜中に目を覚ましおなかをさわってみても、現実は大きく硬くふくらんだおなかでしかありませんでした。

術前のMRI 術後2年のMRI
術前のMRI 術後2年のMRI


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