32才 |
東京女子医大にて一通りの不妊検査を受ける。その時点で筋腫は発見されなかった。 |
34才 | 友人の紹介で都内クリニックにて筋腫が指摘されるが、卵大の大きさであり様子を見ましょうということになる。 |
34才〜36才 | 漢方でなんとか筋腫を治そうと考え銀座の不妊専門の漢方センターで2年ほど漢方薬を煎じて飲む。この頃から血の塊が生理時にでるようになり、それを報告すると漢方医はそれは筋腫がつぶれているからですと言われ信じて飲み続けた。
しかし一向に改善されないまま2年続けることとなる。 |
36才 | 再度同都内クリニックを訪れると筋腫がとても大きくなっていますとうこと。突然の全摘出宣告。あっけにとられながらも、漢方にも見切りをつけ、やめる。新たな病院探し開始。 |
37才 | この頃から貧血がひどくなり、毎月の出血も増える。 |
38才 | 都内病院で子宮頚部の癌検診をしたところ上皮内癌の疑いがありということであわてて再検査。そこでも筋腫があるから子供はあきらめた方がいい。もう全摘してしまった方がいいでしょう。癌の疑いもあるし、と簡単にいわれる。
そこでさらに別の都内大病院を友人に紹介してもらいそこでどうするべきかを相談。
そこで頚部だけレーザーで円錐切除すれば組織検査にだせるしさらに子宮も残せるという判断で10日間入院し手術。 |
39才 | 癌の疑いはなくなったものの生理がどんどん重くなり、もう全摘しかないので子宮の延命策ではありますが、ホルモン剤で半年ほど生理を止めて延命策をとりましょうといわれる。いずれは子宮を全摘出しなくてはならないのかと覚悟を決め始めるが、納得のいかない自分もそこにいるのを感じる。何故こんなことになったのか、どうして他の病には治療があるのに筋腫についてはほとんどのケースが全摘出になってしまうのか、それが納得いかなかった。
どのようにして皆、子宮をとってしまうことを納得していくのか、それが知りたいというのが心境だった。
子供をあきらめるということを子宮を全てとってしまうということで決着をつけるのはあまりに過酷な選択であり私には精神的なショックがありすぎるだろうと思われた。徐々に時がたってあきらめていくということと、臓器がないからあきらめるということはかなりの差がある。
解決策のないまま、友人に相談したり、本を読みあさったり気持ちだけ焦っていた。 |
40才 | インターネットで広尾クリニックと出会う。 |