◆手術当日 |
|
いよいよ手術当日がやって来ました。前の晩はそれでもやはり緊張してしまい、2、3時間しか眠れなかったような気がします。
午前9時15分頃到着し、病室に入りました。看護婦さんが手術前の処置をいろいろ施してくださって、私の手術の順番は最初の1時からということになりました。しばらく病室で待機した後、12時30分に看護婦さんが呼びに来られました。この時、手術室まで歩いていったのですが、てっきりベッドで運ばれていくものだと思っていた私は何か拍子抜けしたような気分になり、却ってこれで少し緊張感が和らいだのを覚えています。
手術が始まってからも、実は全く記憶が失われたわけではなく、おなかの方で何かしていると言う感触はありました。また、手術中始終話し続けていたこともかすかにですが覚えています(後日、斎藤先生や看護婦さんによると、手術中はとてもおもしろかったということらしいのですが、残念ながら自分が話した内容までは覚えていません。)。
斎藤先生と麻酔科の先生の方針により、手術に際して使用するのは全身麻酔ではなく、硬膜外麻酔、仙骨麻酔の併用ということで、これは患者の肉体的負担を軽くするのだそうです。そういうわけで、時折私のように、手術中もそれなりに意識がある場合もあるらしいのですが、多分私はこうした先生方の計らいのおかげで、結構恥ずかしい姿を手術中に皆さんにさらしてしまったようなのです‥‥。
手術の最後に主人が呼ばれたらしいのですが、主人も、何か言っている私を見て、「本当に手術を受けた人間なんだろうか。」と、真剣に思ったそうです。
こんな調子でしたので、その後の回復は結構早かったと思います。
|
◆術後2日目 |
|
翌朝、斎藤先生が病室に来られ、「顔色がいいのできっと回復が早いよ。」と励ましてくださいました。そして、「あなたが他で手術を受けていたら、きっと子宮はもちろんのこと、卵巣も両方とられていたかもしれないよ。本当に運が良かったね。全部きれいに残せたんだもの。」と、しみじみとおっしゃったのを私は忘れることができません。実は、私は、子宮筋腫に左右両側の卵巣腫瘍まで併発していたということで、斎藤先生に手術していただいていなければ、いったいどうなっていたのだろう、という、まさに崖っぷちのところまで来ていたのです。
本当に、手術中ベラベラと話をしている場合などではなかった、という感じでしょう。
その日の3時には、もう(!)尿管が外されて、歩行練習をするように看護婦さんに言われました。この時、私は、広尾メディカルの治療方針をはっきり示されたような気がしました(あくまでも私の推測ですが)。
“後はあなたがどれだけ自分の体を自分で早く治す気があるか、にかかっていますよ。がんばってくださいね。”
私は、入院している間、斎藤先生をはじめ看護婦の皆さんの親身な、暖かいケアの中にも、こうした良い意味での厳しい姿勢を感じ、私自身も早く良くなるように努力しよう、と思いました。結局、月曜日に手術して土曜日に退院という、開腹手術にしては非常に短期間の入院ですむのは、斎藤先生の素晴らしい技術があるのはもちろんですが、こうした広尾メディカルの一貫した治療方針によるところも大きいのではないでしょうか。
また、その日の夕方には待ちに待った夕食(私はなぜか、この日の朝から食欲があり、食事の時間を首を長くして待っていました。)が登場しました。確かプルーンジュースが出ていたと思うのですが、口にした時は本当にうれしかったです。
|
◆術後3日目 |
|
3日目(水曜日)には、2階のリビングへも上がっていけました。午後には、来週手術を受けるという方、話を聞きに遠路はるばるやって来た、という方ともお会いしたりして、この病気で悩んでいる人と話をする機会も持ちました。
|
◆術後4日目 |
|
4日目(木曜日)には、シャワーを浴びることが許されました。看護婦さんの助けをお借りしながらも、一つ一つ自分でできるようになって、回復に近づいていくことに大きな喜びを感じました。
|
◆術後5日目 |
|
5日目(金曜日)には、恒例(となっているようです)のお昼のお茶会がリビングで行われました。斎藤先生をはじめ、看護婦の皆さん、事務局の方、またこの日話を聞きに来た方も交えて、約2時間ほどいろいろな話をして楽しみました。この日になると、多少傷の痛みはあるものの、ほぼ日常生活には何の支障もないレベルまで来たことをはっきりと実感しました。夜は持ち込んだラジオで大好きな番組を聞きながら、本当に斎藤先生に出会えて良かった、自分の決断は間違ってはいなかった、とうれしい思いでいっぱいでした。
|
◆術後6日目 |
|
6日目(土曜日)、退院の日です。
この日の朝、斎藤先生は、同じ日に手術を受けた方と私を、朝食を食べに行こう、とドライブ(!)に誘い出したのです。みなとみらいまで連れて行ってくださったのですが、この日は6月とは思えない天気の良さだったのを今も鮮やかに思い出します。
この後、主人と私の両親が迎えに来てくれて、本当にあっという間の退院となりました。
私の両親は、月曜日に手術をした私の顔色が良く、普通に歩き、食事もできるということに心底驚いていました。ですが、そんな自分の姿に一番驚いていたのは、他でもない私自身だったと断言できます。 |