「可能性を残してくださった広尾メディカルに感謝します」
レポートNo.50

荒井真由美(33才)
●運命を決めた3月10日
◆3月9日
  3月9日、香港の夜景を見ながら、私は決意を固めていました。
「手術してたとえ子供を産める可能性のない体になったとしても、前向きに生きていこう。」と‥。

私はその前の2月25日に某市民病院で聞かされた検査結果を思い出していました。

「MRIを含めた検査の結果、子宮にはかなり大きい筋腫があり、その上、卵巣にも腫瘍があります。まだお若いので子宮の方は大きい筋腫を取るという手術をします。卵巣は左の方の腫れがひどく、もし将来悪さをするといけないので、取ってしまった方がいいかもしれません。ただ、おなかを開けてみないことには何とも言えません。手術は早い方がいいと思いますので、ご主人とよく相談の上、都合のつく日を決めて再度いらしてください。」

その日は、どこをどうやって無事に家に帰ってきたのかよく覚えていません。ただ、この日はそのまま家でずっと泣いていて、真夜中になって、「これが自分の人生なら、泣くのは今日限りにして、明日からはまた普段通りの生活に戻ろう」、と自分自身に言い聞かせたことだけははっきり覚えています。

気晴らしを兼ねて、主人が長期出張で滞在している香港へ出かけることにしました。既に電話で主人に事実を話しており、香港での私の様子から、主人は私がかなり落ち着きを取り戻している(今思えば、本当は自分に起こった一大事を人ごとのようにとらえて悲しみから逃れようとしていたのかもしれませんが。)と思ったそうです。二人で、「手術は大変だけど、とにかく病気を治すためにがんばろうね。」などと話をしました。この時は、まさかその他の選択肢が登場するだろうとは夢にも思っていませんでした。
◆3月10日
  3月10日の朝、私は、まだ香港に残らなければならない主人より一足先に帰国しました。なぜなら、翌日に病院に行き、再度詳しい話を担当の先生から聞いて、手術日を決定することになっていたからです。

とはいえ、心のどこかにきっとあきらめきれない気持ちが残っていたのでしょう。ひょっとしてインターネットを覗けば、何か違う情報が見つかるかもしれない、と思い、検索エンジンから「子宮筋腫」と入力して、広尾メディカルのサイトにたどり着いたのです。

それを読んでからの私は、もう迷うことはありませんでした。まだ斎藤先生にもお会いしておらず、誰にも相談していませんでしたが、「私はここで手術を受けるんだ。」と、はっきり決意しました。3月10日の夜6時頃の事だったと思います。

主人にはすぐに連絡し、サイトに目を通してもらうことにしました。その後主人が特に反対することもなく、金銭的なことも一切問題にせず、「よくこのサイトを見つけたね。きっといい結果が出るよ。」と全面的に私の決断を支持してくれたことに今も感謝しています。
◆3月11日
  3月11日の朝一番に広尾メディカルに電話をし、次の日に診ていただけることになりました。

この日は、一応某市民病院へも出向き、結果を詳しく聞きました。もうこのときの私は全く不安になることもなく、むしろ担当の先生からいろいろ聞き出して知識を増やそうなどと強気(?)でした。その後、手術の日程についてはまだはっきり主人と決めていないと言ってそこはうやむやにして帰宅し、後に病院にキャンセルの電話を入れました。
◆3月12日
  3月12日に広尾メディカルに伺い、初めて斎藤先生にお会いした時、私は心の底から神様に感謝しました。

斎藤先生は、おなかの上から少し診察しただけで、「大丈夫、この子宮なら十分残せる、もっとひどい人をたくさん救ってきたよ。」と自信たっぷりにおっしゃってくださいました。

そして、女性にとって子宮がいかに大切な、軽視されてはならない臓器であるかということを時間をかけて話してくださいました。更に、私のそれまでの経緯を聞いてくださった後で、「それは、あなた、それで手術を決意しようとしたっていうのは少し安直だったんじゃないの? 今は、努力すればいろいろな情報が手に入る時代になったんだから。」と、少し厳しい意見(?)まで頂戴してしまいました。その日にすぐ手術の予約を入れていただいたことは言うまでもありません。

また、この日初めてお会いした看護婦の皆さん、事務局の方がとても感じが良かったことも大変印象的でした。

私にとっては、この決定をするに至った2,3日のことは、何か見えない力に支配されたようで、今でも強く心に残っています。


●待ちに待った6月7日
◆手術当日
  いよいよ手術当日がやって来ました。前の晩はそれでもやはり緊張してしまい、2、3時間しか眠れなかったような気がします。

午前9時15分頃到着し、病室に入りました。看護婦さんが手術前の処置をいろいろ施してくださって、私の手術の順番は最初の1時からということになりました。しばらく病室で待機した後、12時30分に看護婦さんが呼びに来られました。この時、手術室まで歩いていったのですが、てっきりベッドで運ばれていくものだと思っていた私は何か拍子抜けしたような気分になり、却ってこれで少し緊張感が和らいだのを覚えています。

手術が始まってからも、実は全く記憶が失われたわけではなく、おなかの方で何かしていると言う感触はありました。また、手術中始終話し続けていたこともかすかにですが覚えています(後日、斎藤先生や看護婦さんによると、手術中はとてもおもしろかったということらしいのですが、残念ながら自分が話した内容までは覚えていません。)。

斎藤先生と麻酔科の先生の方針により、手術に際して使用するのは全身麻酔ではなく、硬膜外麻酔、仙骨麻酔の併用ということで、これは患者の肉体的負担を軽くするのだそうです。そういうわけで、時折私のように、手術中もそれなりに意識がある場合もあるらしいのですが、多分私はこうした先生方の計らいのおかげで、結構恥ずかしい姿を手術中に皆さんにさらしてしまったようなのです‥‥。

手術の最後に主人が呼ばれたらしいのですが、主人も、何か言っている私を見て、「本当に手術を受けた人間なんだろうか。」と、真剣に思ったそうです。

こんな調子でしたので、その後の回復は結構早かったと思います。
◆術後2日目
  翌朝、斎藤先生が病室に来られ、「顔色がいいのできっと回復が早いよ。」と励ましてくださいました。そして、「あなたが他で手術を受けていたら、きっと子宮はもちろんのこと、卵巣も両方とられていたかもしれないよ。本当に運が良かったね。全部きれいに残せたんだもの。」と、しみじみとおっしゃったのを私は忘れることができません。実は、私は、子宮筋腫に左右両側の卵巣腫瘍まで併発していたということで、斎藤先生に手術していただいていなければ、いったいどうなっていたのだろう、という、まさに崖っぷちのところまで来ていたのです。
本当に、手術中ベラベラと話をしている場合などではなかった、という感じでしょう。

その日の3時には、もう(!)尿管が外されて、歩行練習をするように看護婦さんに言われました。この時、私は、広尾メディカルの治療方針をはっきり示されたような気がしました(あくまでも私の推測ですが)。

“後はあなたがどれだけ自分の体を自分で早く治す気があるか、にかかっていますよ。がんばってくださいね。”
私は、入院している間、斎藤先生をはじめ看護婦の皆さんの親身な、暖かいケアの中にも、こうした良い意味での厳しい姿勢を感じ、私自身も早く良くなるように努力しよう、と思いました。結局、月曜日に手術して土曜日に退院という、開腹手術にしては非常に短期間の入院ですむのは、斎藤先生の素晴らしい技術があるのはもちろんですが、こうした広尾メディカルの一貫した治療方針によるところも大きいのではないでしょうか。

また、その日の夕方には待ちに待った夕食(私はなぜか、この日の朝から食欲があり、食事の時間を首を長くして待っていました。)が登場しました。確かプルーンジュースが出ていたと思うのですが、口にした時は本当にうれしかったです。
◆術後3日目
  3日目(水曜日)には、2階のリビングへも上がっていけました。午後には、来週手術を受けるという方、話を聞きに遠路はるばるやって来た、という方ともお会いしたりして、この病気で悩んでいる人と話をする機会も持ちました。
◆術後4日目
  4日目(木曜日)には、シャワーを浴びることが許されました。看護婦さんの助けをお借りしながらも、一つ一つ自分でできるようになって、回復に近づいていくことに大きな喜びを感じました。
◆術後5日目
  5日目(金曜日)には、恒例(となっているようです)のお昼のお茶会がリビングで行われました。斎藤先生をはじめ、看護婦の皆さん、事務局の方、またこの日話を聞きに来た方も交えて、約2時間ほどいろいろな話をして楽しみました。この日になると、多少傷の痛みはあるものの、ほぼ日常生活には何の支障もないレベルまで来たことをはっきりと実感しました。夜は持ち込んだラジオで大好きな番組を聞きながら、本当に斎藤先生に出会えて良かった、自分の決断は間違ってはいなかった、とうれしい思いでいっぱいでした。
◆術後6日目
  6日目(土曜日)、退院の日です。
この日の朝、斎藤先生は、同じ日に手術を受けた方と私を、朝食を食べに行こう、とドライブ(!)に誘い出したのです。みなとみらいまで連れて行ってくださったのですが、この日は6月とは思えない天気の良さだったのを今も鮮やかに思い出します。

この後、主人と私の両親が迎えに来てくれて、本当にあっという間の退院となりました。
私の両親は、月曜日に手術をした私の顔色が良く、普通に歩き、食事もできるということに心底驚いていました。ですが、そんな自分の姿に一番驚いていたのは、他でもない私自身だったと断言できます。


●喜びをかみしめた7月10日
◆退院後2週間
  晴れて退院した日から2週間ほどは、実家の母に家事などを頼み、なるべく無理をしないようにしました。

退院時に、その後の生活上における注意事項、自分で行う傷口の処理について説明を受けます。特に、初めて自分で傷口の処理をする時には、少し緊張するのですが、2日に1回のペースで薬をつけたりガーゼを貼ったりしているうちに、どんどん傷口がきれいになってくるのが自分で実感できます。初め、心配そうに私が処置するのを見ていた母も、慣れてくると、「今日はどんな調子?」などと覗き込んで、2人で結構その過程を楽しんだり(?)もしました。

斎藤先生の行う手術では、傷口の縫合の際、体内に吸収される特殊な糸を使用するため、手術後の抜糸はありません。その分自宅での自分による処置が必要となるのですが、手術後の自己管理が徹底できるという点で、これも広尾メディカルらしい方針だと思いました。
◆退院後3週目
  3週目に入ったある日のこと、郵便受けに大きな茶封筒が来ており、確認してみると斎藤先生からのものでした。

すぐに中を空けてみると、手術後摘出物の病理解剖結果でした。「全て良性ですのでご安心ください。」という先生からの手紙も同封されていました。
広尾メディカルでは、すべての患者さんに、MRI画像も含む手術前の検査結果、手術中の様子などを詳しく記述したファイルを作ってくださって、退院する時にそれをいただくことができます。それだけでも十分ありがたいのですが、このようにして、患者の不安を和らげるための事後のフォローまで万全です。
◆退院後4週目
  退院して4週目に入ると、すっかり体調も元通り、といった感じでした。回復したらあれもしよう、これもしよう、と考えていた私は、日常の買い物、仕事上の勉強など普段通りに再開しました。看護婦さんからは、「4週目になったらテニスもしていいですよ。」と言われていましたが、夏の間は暑いし、無理をして違うところまでけがをしては何もならないので、9月になったら復帰しよう、と勝手に主人に宣言しました。ただ、この時には、どこかのバーゲンに出かけていったのを記憶しています。それだけ回復していたということです。

そして忘れもしない、4週目の土曜日、7月10日のことです。
斎藤先生からは、「手術後約1ヶ月で生理が来ますよ。」と言われていましたが、開腹手術を受けた割には思っていたよりも回復が早かったことがうれしくて、正直言って生理のことはあまり気にしていませんでした。

ですが、実際生理が来てみると、今までの一生の中で、こんなにうれしい出来事はなかった、というくらいに感激しました。主人もこの時は本当に喜んでいました。

思えば、「手術をしても自分の体に女性としての機能が残る可能性はないかもしれない。」と覚悟したのはほんの4ヶ月ほど前のことでした。

生理がある、というあたりまえのことに、これほど感謝したことはありませんでした。そして、この日からが、自分の中で、本当の意味での「第2の人生」のスタートとなった気がします。


●ふりかえってみて
早いもので、手術を受けてから半年以上が経過しました。日常生活上、本当に何の問題もなく元気に生活しています。生理も周期を守って順調にやってきます。

私の場合、一番初めに子宮に筋腫があると判明したのは人間ドッグでの婦人科検診時でした。その後すぐにある病院に行きましたが、その時の先生が「しばらく様子を見ましょう。3ヶ月ほどしたらまた来てください。」というだけで、特に何も治療らしい治療をしなかったのと、それほど自分に苦しい症状が出ていなかったこともあって、1年間はそのままにしておいたのです。

ですが、やはり心のどこかで「いつかは病気ときちんと向き合わなくては。」という思いがあり、次の病院(某市民病院)を探し、冒頭にあるような診断結果を下されました。

3番目にたどり着いたのが広尾メディカルということになりますが、こうしてふりかえってみても、各々の先生によって異なる選択肢が提示されたわけで、それだけ子宮や卵巣に関連する病気というのは難しい部分があるのだと思います。

現在、日本では女性が子供を産まなくなったとよく言われますが、その一方で、こうした病気に苦しみ、その結果子供を産める可能性を絶たれてしまう女性も数多く存在すると思います。

斎藤先生によるすばらしい手術のおかげで、幸運なことに私はとても納得のいく結果を得ることができましたが、こうした手術のできる医療機関がこれからもっともっと増えなくてはならないと痛感しています。不幸にして子宮や卵巣に病気が発生したら、「取ってしまいましょう」というのではなく、患者の立場としては、やはり通常の臓器のように(たとえば胃や腸のように)、その機能を温存したままできればよりよい状態に治していただきたいのです。

この先子供を産める可能性が自分の体に残ったことを、心からうれしく思います。

  最後になりましたが、斎藤先生をはじめ麻酔科の先生、看護婦の皆様、事務局の方、また、私の決定を信じて応援してくれた主人、両親に心から御礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)481455
血色素(Hb)(g/dl)13.613.1
ヘマトクリット(Ht)41.139.0
CA19-111011
備考
●摘出物:子宮筋腫        365g
          内膜ポリープ    0.5g
          腺筋症           10g
          左卵巣部分切除  0.5g
          右卵巣部分切除  0.5g

●病理  : 良性


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