「手術後半年経って −妻の決断は本当に正しかった」
レポートNo.3

荒井 匡彦
■広尾メディカルとの出会い
妻から「インターネットで良い病院を見つけたの。1時間くらいたってから電話するのでインターネットでそのサイトを見ておいて。」と電話を受けたのは、99年3月の上旬のこと、私は香港に長期出張中でした。ここ2年ほど、私自身一年の半分以上は海外出張に行っている状況で、妻の方にも表面的な症状が出てなかったこともあって、判断はすべて妻に任せっ切りの状況でした。

今から思うと、妻との絶対的なコミュニケーション量が不足しており、病気に関しても断片の情報でだいたい分かったような気になっていたのでしょう。妻はそれまで、複数の病院で診てもらってはいました。そして、私自身は、診てくれたのが女医さんと聞いていたので、女医であれば女性の気持ちが分かるはず、絶対悪いようにはならない、という超短絡的な思考をしており、実際妻にもそう言った記憶があります。しかし、妻の方は某市民病院での手術予約の一歩手前までいきながらも、最後の最後まで、心から納得できる病院を探すことをあきらめませんでした。そして、ついにインターネットで広尾メディカルにたどり着いたのでした。

私は、香港のホテルの部屋からインターネットにアクセスし、約1時間、教えてもらったサイトに掲載されている体験談をじっくり読みました。正直、各々数行程度の体験記集かと思っていたのですが、掲載されている皆さんが極めて詳細に記述されておられ、その文章の迫力に圧倒されたことを覚えています。この病院は絶対に間違いない、直感的にそう思いました。それと同時に、いままで子宮筋腫という病気に関し、十分な認識を持たず、甘く考えていた自分自身が恥ずかしくなりました。

余談ですが、私自身某コンピュータメーカーで、インターネットに関する仕事をしており、インターネットの効用は理解しているつもりです。インターネットによるサギがよく報道されますが、広尾メディカルの様に、所在地や先生の名前、電話番号をはっきり記載している場合はまず大丈夫です。しかも、こうした、元患者の方々からの体験談を詳細に掲載しているということは、騙しや捏造はあり得ない、仮に事実と異なることを記載していいたら、インターネットを通して全世界の目が厳しく糾弾するはずです。(これは斎藤先生も言われていますが。)特に、本サイトでは掲載される体験談の数が、時間を追って増えています。これこそが事実であることの証明です。

最初の電話があって1時間後、妻と再度話しをし、翌日に妻の方から広尾メディカルに連絡をとることで合意しました。その後は、話しもとんとん拍子に進み、妻の体験談にもある通り、約3ヶ月後の6月に手術を受けることが決まりました。


■手術、そしてその後の回復
5月の下旬、手術を2週間弱前に控えたころ、私自身始めて広尾メディカルを訪れました。妻のMRI写真を見て、病気の状況、手術の内容を説明していただくのが目的でした。

初めて斎藤先生にお会いしたとき、実際の年齢よりもずっと若く見え、決して威張ってはいらっしゃらないのですが、一言一言に自信がみなぎっておられたのが印象的でした。一般的な医者という感じではなく、大変失礼なのですが、好奇心の強いイタズラ好きの少年がそのまま大きくなられたような感じとでも言いましょうか、突出した偉業を為し得る方はこういうチャレンジ精神旺盛な方なのかな、と思いました。

妻のMRI写真を見ながら「結構ひどいよ。卵巣にも腫瘍があるし、筋腫もかなり腸を圧迫しているね。でも大丈夫。開けてみないとはっきり分からないけど、子宮も卵巣も残せるよ。」と言ってくださいました。その時の余裕をもった話し振り、この先生に任せればきっと大丈夫だと、私なりに確信しました。

手術当日は、それでも若干の不安はありました。手術は1時からでしたが、病院の二階にあるリビングで、ケーブルテレビの映画「インディペンデンスディ」を見ながら待っていましたが、始終時計を気にしていました。映画も終わりに近づいた頃、看護婦さんが呼びに来られ、「ご主人、手術だいたい終わりましたので、先生が手術室に入ってください、との事です。」と言われました。その時、看護婦さんの表情を見て、手術は成功だったんだな、と深く安堵したのを憶えています。

でも「はて、何の為に手術室にはいるのかな?」と思いつつ、準備された白衣、マスク、帽子をつけ手術室にはいりました。そこには麻酔のかかった妻を囲んで、斎藤先生、麻酔医の先生、看護婦さんがいらっしゃって、「ここを見てください。これが子宮、これが卵巣、みんなちゃんと残っています。」と術部を見せてくださいました。当然、初めて見る私は、「はあ。」という感じでしたけれども、後で先生に「手術して、成功したと言っても閉じてしまえば本当に成功したかどうかは患者当人には分からない。だからこそ、ご家族にきちんと残っていることを見せたのです。ご主人は証人ですよ。」と言われました。斎藤先生の医者としての強い責任感を感じずにはいられませんでした。

斎藤先生が、他の多くの医者と違うところは、技術力はもとより、患者の目線で物事を考えていただけることだと思います。一般的には、職業判断が働き、あえて自分が不利になるようなことはしない、それが患者への正しい情報提供を阻む要因になっていると思います。しかし斎藤先生の場合は、こちらが質問する以上のことを、時間をかけて説明して下さいます。先の、術部を手術中に見せてくれることだって一般的な医者はやらないでしょう。でも、先生自身が、患者の目線まで降りてこられ、必要だと思うからやって下さったのだと思います。

その週の土曜日、回復も驚くほどはやく予定通り、妻は退院することができました。先生からは約1ヶ月で生理がきますよ、と(これも自信を持って)言われていましたが、本当にほぼ1ヶ月で生理がきたのには、改めて驚きました。先生にかかれば、なんでも正確に分かってしまうのだ、と。

今、手術してから約半年たちました。妻の下腹部にある術部をみても遠目にはどこを切ったのか分からないくらいになりました。最初は、術部も触るとちょっと硬かったのですが、最近はかなり柔らかくなり、本当に半年前にお腹きったの?という状況です。9月からは、毎週の様にやるのが習慣のテニスも再開しています。すっかりフットワークが良くなったと評判です。


■さいごに
振り返れば、いくつかのポイントがありました。まず、妻から出張先への電話、最初の広尾メディカルへの訪問、斎藤先生との初対面、手術中に呼びに来られた看護婦さんの表情、そして手術を終えたあとの妻の顔色が以外に良かった事。(もっともこのときは麻酔が効いており、いろいろな意味不明のことを話しつづけていましたが。)そうした一連の出来事がつい最近の様に思い出されます。本当に、妻の執念が、インターネットで斎藤先生にたどりつかせたのだと思います。もし、某市民病院でそのまま手術していたらどうなっていたか.....、最悪考えるだけでも恐ろしくなります。

斎藤先生が執刀されるのが、週に2人、年間でもせいぜい100人弱でしょう。でも、同様の病気で悩まれているかたはその何十倍、何百倍もいらっしゃると思います。私たちは、たまたま、先生の経験と信念に基づいたこの芸術的な手術に出会えてラッキーでしたが、第二、第三の斎藤先生が出てこられ、同じ悩みを持つ人を救ってあげられることを願ってやみません。

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