「私の人生の分岐点になった暑い夏」
レポートNo.57

A.A.(29才)
●人生の中で一番暑い夏のはじまり
私は、福島県で働きながら週末は横浜にいる彼と過ごす楽しい日々を送っていました。

8月1日、彼と内心ドキドキの妊娠検査をするため彼の住む近くのこぢんまりとした医院に行ったことから、今までの人生の中で一番暑い夏が始まりました。 結果は「妊娠しているけれども産めないかも」と言うことでした。

子宮筋腫が異常に大きく、その医院ではどうすることもできないということだったのです。 何も言えないままそこを出て、彼と入った喫茶店では、何故か涙が止まりませんでした。

翌日は福島へ戻る予定でした。 私は予定通り帰るつもりでした。 とにかく赤ちゃんがいると分かっただけでもうれしい事実でしたし、まさか産めないとは思えなかったからです。


●いろいろ調べてたどりついたのが広尾でした
彼は本で調べたり、得意のインターネットで”子宮筋腫”を検索したりと、言葉には出さないけれど、私以上に私の体を考えてくれていました。

滋賀県に子宮を保存する病院が有るようでした。しかし、動脈塞栓術でしたから子宮への血液を止めるということは子供への栄養を断ちきることであり、妊婦にはできない治療でした。

彼が検索し、たどり着いたところはレーザー治療をする広尾メディカルクリニックでした。 そこには私と同じ症状を抱える女性達の声がたくさんあり、元気に赤ちゃんを産んでいるとの報告も有ったほどでした。

8月2日、私には、また同じことを言われるかも知れないという恐怖心と、触診される嫌悪感が有り、あまり気が進みませんでした。 彼は多くの情報から自分なりに納得していた様子で、おっとりしている彼には珍しく広尾メディカルクリニックを強く勧めました。


●あっという間に決めてしまった手術
私もやっと自分自身の体が、ただ事ではないと気付き始め、広尾メディカルクリニックを訪れたことを覚えています。 斎藤先生は、優しいというよりは、力強いまなざしをしておられ、始めから彼も一緒に話をし、触診することもなく、エコーを見るときもオープンだったのが驚きでした。

しかし、先生の言葉は近くの医院で告げられたよりも、もっと厳しいもので「このままでは流産する」と断言されたのにはショックでした。 しかもその後にはもう二度と妊娠できない体になると言われ、その時、彼が冷静にその事実を受け止めてくれていたことが私には救いでした。

法定外の治療のため、保険不適用とは痛いですが、先生からの詳細な説明と彼の勧めで、先生にゆだねてみようという気になりました。 まるで賭事のように手術は来月初めの9月4日に決めてしまいました。


●家族の説得
さて、安静を要する身でありながら福島県へ取り急ぎ帰り、仕事の長期休暇を取りあえず出しました。 そして今考えればそれは手術を受けるよりも大変な両親への私の体の状態の説明と説得が有りました。 もちろん彼には何度か足を運んでもらっての説明でした。

手術の日取りを決め、仕事も休暇をもらい、すぐに彼の部屋で安静な日々を送りました。 でも、母と、看護婦をしている叔母は私達の決断に納得できない様子でした。

その後も二人の勧めで大学病院へ行き、再度検査してもらったり (ここでどう言われるかは、他の人の記事にも有る通り「様子を見ましょう」です)
また、先生のもとへ母と叔母を連れて再度説明を聞きに行ったりしました。
それでも先生は丁寧に冷静に私の症状や手術法について話して下さいました。 (同時期に入院していた女性も実の母親の説得には苦労したと聞きました。)

女性のための治療や病気の考え方を最も理解できないのは女性なのかも知れません。


●手術を受けて、普通の妊婦に
そんなこんなで手術の日迄はあっという間でした。

妊娠しているため手術はごく少量の麻酔で行われました。 そのため開腹中から具合はすこぶる悪く、早く終わらないかという気持ちが手術中流れる音楽をかき消すほどでした。
時々見える先生は納得いくまで十分時間をかけて手術を行っている風でした。 345gの筋腫を摘出して、手術が終わり、先生がとても優しいまなざしで「手術は大成功だよ。これで赤ちゃんも無事生まれるよ」と言って下さったときは、うれしくて涙が出ました。

その日は痛くて眠れませんでしたが「赤ちゃんのため」と頑張り通しました。
翌日は歩けるまでに回復するのが驚きです。 土曜の退院までには日常生活を送るには十分なまでに体が戻っていたように思います。(周りからはそう見えなかったようですが...)

さて、今後は普通の妊婦です。 彼との生活も考えないと。

先生が心配して下さった仕事は、彼に甘えさせてもらい、続けることに。 彼へ。当分今と同じ生活が続くけれどよろしくお願いしますね。 一時は、なるようにしかならないと投げ出そうとした私の人生。 その流れが大きく大きく変化したこの暑い夏。
その人生の分岐点に立って下さった斎藤先生に感謝しています。 ありがとうございました。

今年はオリンピックの年。 私は無我夢中で「筋(きん)」をとりました。 選手の皆さまも念願の金が取れますように。 そしてこのページをご覧の方も。
術前(pre-ope)のMRI 摘出物
術前のMRI1 術前のMRI1 摘出物


術 前(pre ope)
赤血球(RBC)387
血色素(Hb)(g/dl)12.0
ヘマトクリット(Ht)34.7
備考
●妊娠5週(初診)
●妊娠9週(筋腫摘出術)

●摘出物:345g
  


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